侍女が砦にやってきた 1
砦は砂漠の真ん中にあると聞いていたが、その旅は思ったほど大変ではなかった。
いつの間に知らせを出していたのか、砂漠の入口にはほっそりとした若者が迎えにきており、ミシャとガーヤの荷物をほとんど全部引き受けてくれたからだ。
おかげで女ふたりは身ひとつに近い形で軽快に砂漠を渡ることができたのである。
「あっ、来たわ来たわ! 新しい子よ!」
「子っていうの失礼じゃない?」
「そうかな。じゃあなんて呼ぶ?」
女たちの声が風に乗って聞こえてくる。ミシャはちょっと口元をゆるめた。
「いらっしゃい! えーとなに子ちゃんかな、お疲れさま!」
「手を放してもいいわよ、馬はこっちで預かるから」
「遠いのによく来てくれたわねえ」
道中、それなりのあいさつを考えながら来たミシャはあまりの普通さに拍子抜けした。腕に自信のあるものしか受け入れないだとか、仲間になるには厳重な審査があるだとか、砦の噂は多少なりと耳にしていて、ひそかに緊張もしていたのだが、誰もかれもがあまりに普通だ。
「おつかれ、おつかれー」
「長旅よく頑張ったわね」
「足腰痛くない? 平気?」
探るようなまなざしはひとつもなく、女たちはわあわあと両腕を広げてミシャを歓迎してくれた。
ごく自然にひとりひとりとハグをかわす。ぎゅっと背中を抱かれるのは、言葉を尽くした挨拶よりも受け入れられている感じがした。
何度目かのハグの途中で、誰かが言う。
「ねえ、王宮のひとはこういう挨拶しないんじゃないの?」
「やだーそういうことはする前にいってよ」
ミシャは思わず笑ってしまった。
「じゃああんたはしなくていい」
「するけどさあー」
「それはおれらもしたほうがいいやつ?」
「男はしなくていい、セクハラだから」
ぽんぽんいわれて男衆は素直に引っ込んでいく。
そのやりとりを聞きながら、風通しがよさそうだとミシャは思った。
「ねえ食べられないものあるー?」
「甘いもの好き?」
にぎやかな女衆は我先にミシャのまわりに寄ってきてくれて、そのほかの男たちは遠巻きに見守ってくれている。
なかのひとりに、ミシャの視線が吸い寄せられた。
砦の女たちとは明らかに異質な女性がいた。
まだ若く、ストロベリーブロンドの髪をきれいに結いあげている。
目があうと、にこっと微笑まれた。
(わたしが気づくのを、待っていてくださった)
そのひとがヘイゼル王女だと、誰に教わらなくても確信できた。
ほっそりしたバランスのよい体つきに、びっくりするほど小さな顔がのっている。日に焼けて健康的な砦の女たちとはまったく別種の透明感のある肌だ。
「ようこそ、はじめましてのかた。おかえりなさいガーヤ」
そのひとは、噂に聞いていたのとはずいぶん違った。
第五王女ヘイゼルは、国を滅ぼす王女であると予言されて生まれてすぐに王宮を出されたというのは王宮の人間ならだれでも知っていることである。なのでどことなく、暗い森に棲んでいる魔女のようなイメージがあった。
それが、どうだろう。
(ごく普通に、おかわいらしい……いや、お美しい)
ヘイゼルはミシャのところに寄ってくると、いった。
「お疲れでしょう。お部屋の支度もできてますけど、まずはお茶でもいかがですか?」
「はい、いただきます」
ミシャはここでも即答した。
相手のことを知るのにお茶は最適だからである。
◇◇◇
(──そのはずだったのに)
それからほどなく。ミシャの前にはずらりとお菓子各種が置かれている。
ドライフルーツ、飴がけナッツ、日持ちのする焼き菓子に薄焼きパン。
ぱっと見は素朴なものが多かったが、口にすると風味のよさにいちいち驚く。
特に美味しかったのは、カスタードを揚げてシナモンシュガーをまぶしたものである。
しっかりめに揚げ固められていて、つまんでかじれるように細長い形をしていた。それが銀の皿いっぱいに積まれている。
「どうぞ、おいしいわよ」
「いただきます……」
ヘイゼルがすすめてくれたのでミシャはひかえめに手を伸ばした。
歯でカリっとした表面を割ると、中はとろりとしたカスタードがたっぷり詰まっていた。なんともいえずおいしい。卵のコクとなめらかな舌触りにミシャは思わず目をつむった。
(しかも、まだあたたかい……作りたてなんだ)
たっぷりまぶされたシナモンシュガーが口の中でシャリシャリするのもまたいい。
と思うのに、シャリシャリした食感は口にいれるなり、濃厚なクリームと混ざり合って消えてしまう。
待って、今の、もう一回。
ひと口食べて、まずは褒め言葉を口にしようと思っていたにもかかわらず、ミシャは気づくと一本まるまる平らげてしまっていた。
かりしゃく、かりしゃく。かりかりしゃく。
それだけではない。一本食べ終わると同時に手が勝手に次に伸びているではないか。
(あっ、とまらない……)
かりしゃく、かりしゃく、かりかりしゃく。
無我夢中で食べてしまう。二本目、三本目。ようやく声が出せたのは三本目を食べ終えてしまってからだった。
「おいしい……ですね」
「でしょう! よかった!」
ようやくのことでそれだけいうと、ヘイゼルは一緒になって揚げカスタードに手を伸ばしながら喜んでくれた。
「たくさん食べてね、これ二人分だから」
「ええっ、多すぎますよ」
「そう思うでしょう、うふふ」
「ああでも、本当においしいです」
お世辞ではなく、こんなにおいしいものはここ3年間で食べたことがなかった。王宮はどこもかしこも煌びやかだが、下働きの侍女が食べる食事は質素なのである。
「お茶もたくさん飲んでね。お菓子があるからお茶はあんまり甘くしなかったんだけど……」
「あっ、おそれいります、いただきます」
こっくりした色のお茶をひと口飲む。確かにほんのりした甘さだった。だがそれ以上に、お茶そのものの味がどっしりしている。
その力強い味わいは旅に疲れた身体にしみわたり、ミシャは喉をならしてごくごく飲んだ。なんだか、飲めば飲むほど疲れがとれていくような気がして。
「あっいえ、姫さまそんな!」
「いいのよ、誰がやったって」
ヘイゼルみずからそそいでくれようとしたのでミシャはあわてて止めたのだが、ヘイゼルはポットから手を離さなかった。
「すみません……」
「お茶を飲むのに上も下もないでしょう。それがお茶のよさだと思うんだけどあなたはどう思う?」
ぐうの音も出なかった。
本当は、こんなに一心不乱に食べたり飲んだりすべきではない。
ミシャも頭ではよくわかっていた。
これは新しい雇用主との初対面であり、それでなくても女にとってお茶の席とは社交の場なのであり、相手を見定める絶好の機会なのである。
そのような場所で無防備に食べたり飲んだりするなど、まともな女ならば考えられない。
わかっているのにどうしても、手が止まらなかったのだった。
「その……申し訳ありません、はしたないところをお見せして」
だが、ヘイゼルは嬉しそうに目を細めている。
「お口にあったみたいで本当に嬉しいわ。頑張って裏ごししたかいがあったというものね」
「裏ごし……?」
ヘイゼルは鮮やかな緑の瞳をきらきらさせて語った。カスタードの裏ごしをしつこいくらいすることと、ためらわずに砂糖を使うのがこのお菓子をおいしくするコツなのだと。
「あの、もしや、姫さまみずから」
「そうよ、これでもだいぶ進歩したのよ」
前は、シナモンシュガーをまぶす工程ですら女衆にやらせてもらえなかったのだとヘイゼルは言った。
「割れやすいお菓子だから、扱いが難しいっていわれて」
「そ、そうですか……」
返す言葉が見つけられないでいるミシャに、ヘイゼルは自分のカップにお茶のおかわりをそそぎながらいう。ついでにミシャのカップもなみなみ満たしてくれながら。
「本当は砦のみんなにも早く紹介したいけど、旅の疲れもあるだろうし、まずはわたしとふたりでお茶にするのがいいだろうとなったの。みんなとは、夕食の時にゆっくりね」
ミシャの胸がじんわりあたたかくなる。お茶をたくさん飲んだせい、ばかりではない。
(まさか、こんなふうだとは……)
野蛮で荒っぽい人物ばかりが集まっているのだろうと、勝手に想像していた。
まさかこんな、王宮の社交界ですらお目にかかれないような細やかな気遣いで迎えられるとは思ってもいなかったのだった。




