侍女が必要だとガーヤは思った 3
「わあっなんだいなんだい!」
肩を叩かれて振り返ると、そこにいたのはジャジャ・イバラートだった。
かつてファゴットの森でいっしょに暮らしたヘイゼルの弟分であり、近衛騎士でもある彼は今はアズマイラ男爵夫人に気に入られて日々そば近くにつかえていると聞いた。
「あの、何回か声はかけたんですけど」
「びっくりさせんじゃないよー。ああやだやだ心臓に悪い!」
ジャジャはそれには答えず、ただちょっとあいまいに微笑んでみせた。
どしたい、久しぶりじゃないかい、元気にしてんのかい。
ガーヤはそういおうとして、ふと気がつく。ジャジャの様子がどこか変であることに。
「風の噂で、今日ガーヤが来てるらしいと聞いたので……」
そういって、彼は奇妙に沈黙を落とした。
ガーヤがなにかいうのを待っている気配である。
(ふむ)
ガーヤはちょっと観察してから、すぐ見破った。
これは、なにかやましいことがある人間がとる態度だ。
現役女官長だった時も、こういう顔色を定期的に見た。都合よくこちらに甘えてこようとするときの女官の顔と同じである。自分から仔細説明したくはないが、相手が察してなにか都合のいいことをいってくれることを期待している。そんな顔だ。
(ははぁん……)
アズマイラとの間でなにかあったのだろうとガーヤは勝手に想像する。ヘイゼルとずっと会えていないことも関係しているのかもしれない。この子は幼いころからヘイゼルにベタ惚れのぞっこんだったから。
ガーヤはわざとそっけない声をだした。
「話があるならさっさとしないと、人が来ちまうよ」
「そんな、話なんて……」
「おやそう」
「ガーヤの顔を見にきただけです」
その割に、ジャジャの視線は泳いでいる。ガーヤが見つめても、数秒ともたない。
「その割に、あたしの顔なんてたいして見てないじゃないか」
「あはは……今日は意地悪ですね」
その卑屈な笑いかたでガーヤは直感した。
この子、なにかを怖がってる。
長年いっしょに暮らしてきたから、性格もわかっているのである。
おそらく自分でもなにを怖がっているかよくわからないのだ。
(多分、自覚したくないんだね)
ガーヤはいらっとした。
あたしはこの子の母親代わりもしてきたつもりだ。そしてこんなヘタレな男に育てた覚えは毛頭ない。
なんなんだい、たった半年かそこら会わないくらいでこんな情けない有様になっちまって。
「そうかね、意地悪だったかね」
「ええ……」
「よっこいしょっと」
ガーヤはおもむろにソファから立ち上がると、ぐるりと迂回してジャジャと向かい合った。
「勝手に人の部屋に忍び込んでおいて、なーにをぬかしてんだい!」
ガーヤのどすのきいた声が室内に響き渡る。
と同時にびゅっとジャジャに詰め寄った。その体格でよくぞと思う速さで距離を詰めると、ガーヤはジャジャの右ひじをぐっとつかむ。地味だがえげつない強さである一点をぎゅっと押す。
「い!!!」
思わずジャジャが悲鳴のような声を漏らす。
「いでででで、ガーヤギブです! ギブです!」
「あたしゃ仕事で来てるんだよ! 話があるならさっさと用件をいいな!」
「痛いです! 痛いです! 痛いですううう!」
「もじもじ突っ立ってうっとうしいったら! そんな辛気くさい顔見るために砂漠を超えてきたんじゃないんだよ!」
ねえガーヤ待って、謝ってるから。
事情もありそうだし、話を聞いてあげて。
そういって取り持ってくれるヘイゼルはこの場にいない。
なのでガーヤは気のすむまで彼をきゃんきゃん言わせてから、ようやく手を離した。ジャジャは肘をさすりながら肩で息をしている。
「わぁ、まだびりびりしてる……なんですかこれは」
「新しいわざ」
ふんっ、鼻息も荒くいってのけた。
肘の外側にある痛点を押したのである。
「砦のマッチョな男でも泣いてごめんなさいするツボがあるのさ。そこを押しただけ」
「ガーヤの武器といえばムチだと思ってましたけど……」
「ばかだね、王宮の中でムチなんて使ってどうするのさ。それに狭い砦の中でも長いムチは不向きなんだよ」
「あは、それは確かにそうかもです」
なにかおかしいのかジャジャは笑った。それがまたガーヤのかんに障る。
「用が済んだなら仕事に戻ったらどうだい」
「そんな……もう少し話していたらいけませんか」
「話ってなにを」
「……元気かどうか、とか」
「元気さ、見ての通り」
はいおしまい、といわんばかりの言い方にジャジャは泣き笑いのような顔になった。普通こういうときって、あんたはどうなのとか聞き返してくるもんじゃないんですか……とかなんとかぼそぼそいっている。
聞こえるか聞こえないかの声がまた腹立たしく、ガーヤの目の下がぴくりとする。
一歩ぐいっと近寄ると、ジャジャは生娘のように両手で体をガードして後ろに下がった。
「いい加減にしないと本気で怒るよ」
「えっ今ので手加減してたんですか」
「話したいことがあるなら自分から口をひらくのが筋じゃないのかい。黙ってても察してもらえるのは赤ん坊だけ」
至極もっともではあるが、ジャジャは目を泳がせた。
しばらくいいよどんでからようやく口をひらく。
「こんなこと、誰にも相談できないんですよ……」
「なにを」
「たとえば、男爵夫人にこのままおつかえしていていいのかどうか、とか」
ああ、やっぱりこの子は怖がってるとガーヤは確信した。
すべてを聞かずとも、消去法であたりがつく。
ヘイゼルを今も想っているが、彼女と敵対するアズマイラのもとで働くことになってしまい、後ろめたいこと。その言い訳をヘイゼルに直接できないのがまたじれったいこと。そして実際つかえてみるとアズマイラとも存外うまくやれる自分がいて、次第に情がうつりそうで動揺していること。
このまま先に進むことで自分の気持ちが変化する気がして、それを怖がっているのだ。
(なるほどね……とするとアズマイラもひとかどの人物だってことだ……そりゃそうだ、そうでなくちゃ一介の娼婦が国王の寵姫に成り上がれやしないよ)
そんなことをガーヤが考えている間にも、ジャジャは独り言めいた口調でこぼし続ける。
ガーヤは元気そうでよかったとか、行きたいところに行ける自由があるのが羨ましいとか、忠誠を誓える主につかえられることは幸せだとか。
しばらく黙って聞いていたガーヤだったが、やがて聞き飽きてきて一喝した。
「うるさいねっ!」
「わっ」
「あたしみたいなばあさんですら、前に進めばそれだけ道がひらけるっていうのに! いい若いもんがぐだぐだぐだぐだ。あたしゃあんたをそんな若者に育てた覚えはないけどねっ」
ジャジャがびくっと肩をふるわす。
「そんな……」
「黙って聞いてたらなんだい? 忠誠心がなんだって? 忠誠心が持てない主ならやめちまいな!」
「それは……いくらなんでも乱暴ですよ」
「いーや乱暴じゃないね。あたしはね、これでもあんたを騎士として育てたつもりなんだ。従僕として育てたわけじゃない。従僕には従僕の誇りがあるだろうが、騎士のそれとは別のものだ」
真っ正面からいわれてジャジャはひるんだ。
ガーヤのいうことは正論である。
「騎士がなぜおのれを磨き続けるのかも教えたはずだ。自分より弱い相手を守るためだ。なぜ武術だけではいけないのかも教えたろう。知性や礼儀を学ぶのはいつか尊敬できる主君につかえる日のためなんだよ」
「お……覚えてますけど」
「それがなんだい! ちょっと半年ばかり目を離したすきにふ抜けた男になっちまって! 騎士ってもんはね、ただご機嫌をうかがっていればいいってもんじゃないんだよ!」
「そんなことしてませんよ!」
ついついジャジャも大きな声になる。
「だって他にどうしたらいいんですか! やめちまえって、やめられないでしょ!」
そう思うなら、あんたは相当アズマイラに入れ込んでるんだね。
ガーヤはそう思うにとどめておいた。なんでもいえばいいというものではない。
そのかわりにジャジャの瞳をじっと見据えた。
身動きがとれない被害者の枠に自分を押し込めてしまうのはいちばん簡単なことである。らくでもある。だがそんな愚痴をえんえん聞いていてやるほどガーヤは暇でもないのである。
「なんですか……やめられないでしょ、僕は近衛なんですよ……」
はあー。ガーヤは深々とため息をついた。
「あんた、しばらく見ない間に男ぶりが落ちたねえ」
「ガーヤ!」
まだなにかいいたそうなジャジャに、ガーヤは太い指をびしっと突きつけた。
「いいかい、そんなヘタレた面で二度とあたしの前に顔を出すんじゃないよ。次会うときまでにちょっとは立て直してきな」




