侍女が必要だとガーヤは思った 2
「心当たりがあるのよ」
あくまで非公式な話だけどと前置きしてからエナ女官長は切り出した。
「後宮にね、気になる子がいるの」
「ほう」
「年は30。後宮で働いて三年になるわ。口が硬くて骨惜しみしない子よ」
彼女の表情と物言いで、ガーヤにはすぐになんらかのわけありなのだと察せられた。
「誰の下にいる子なの」
「アズマイラ男爵夫人」
「うえっ」
ガーヤは変な声を出してしまった。
もともと庶民の生まれであり、高級娼婦で名をはせたアズマイラが男爵夫人として王の寵愛を一身に受け始めてもうかなりになる。後宮で一番の権力者と言えばアズマイラだが、後宮で一番やっかいな女性として名前があがるのも必ず彼女だ。
「……アズマイラ男爵夫人の下で三年間? なにごともなく?」
「そうよ」
「奇跡だ」
「わたしもそう思うわ」
彼女がどんな女性なのか、ガーヤもそれなりに知っている。だからこそ、身近な侍女の苦労を思うとありとあらゆる方面でぞっとするが、エナ女官長は、その子のおかげでアスマイラのまわりはなんとかまわっているのだといった。
「なんていったらいいのかしら……その子は決しておべっかはうまくないの。むしろ寡黙なタイプよ。でもね、彼女がいると、万事物事がするっとすすむ」
「ほうほう」
「その子がなにかの用事でアズマイラのそばを離れるじゃない? するとね、なにかしら面倒なことが起こるの」
「ああ……そういう子たまにいるねえ」
「その子にしても、アズマイラから怒鳴られていないわけではないのよ。八つ当たりだってされているし、意地悪もされている。そこは他の侍女と同じなのよ。でもその子がはべっている間、取り返しのつかないなにかは不思議と起こらない」
なるほど、とガーヤはクルミのような丸顔をちょっとしかめた。
「こう言っちゃなんだけど、そんなよくできた子が、なんでまたよりによって」
「負かした政敵の娘だから」
「人質ってことかい」
「それよりも悪いわ。だってその子の家族は既に処刑されてるんですもの。端的に見せしめよ」
ああ……とガーヤは深いため息をついた。
「どんなにつらくてもやめられないってことか」
「そういうこと」
「アズマイラの前はどこに?」
「知らないのよ、誰も」
前歴不問で入ってきたし、本人も語ろうとしないのだと聞いてガーヤは肩をすくめた。
「てことは、ろくなこっちゃないね」
「後宮にきたときからその子のポーカーフェイスは完成されてた。感情なんかめったに表に出さなかったわ」
「そうなるようななにかがあった」
「そう思うわ。ただ、最近本当に笑わなくなってしまって。前はいちおう笑ったりしていたのよ、表面だけでも」
「それは危険な兆候だ」
そう、よくできた子だから余計に心配なのとエナはうなずいた。
「だけどそういう事情なら、男爵家はその子を手放さないんじゃないのかね」
「そこは、それよ」
エナ女官長はにやりと悪い感じに笑った。
「あなたの腕に乞うご期待」
ガーヤは大きなため息をついた。
「なるほど、非公式で会う必要があるわけだ……」
「ひさしぶりに見せてよ、あなたの奥の手を」
エナはうれしそうだ。同僚だった当時から、エナはガーヤが問題解決で奥の手を使うたびに大喜びしていたのである。
「あんたは変わらないね……見た目はおとなしそうなのに喧嘩上等というか」
「あなたが我慢強すぎるんだと思うわ。たまには本気を出すというのも治安維持のためには必要なのよ」
「まあ頼みごとをしたのはあたしのほうだからね……」
ガーヤはもうひとつ大きなため息をついてから眉間にぎゅっとしわを寄せると、おのれの古い記憶を呼び集めた。こんなとき役に立ちそうな、男爵家に対して強気で出られそうな、黒い記憶を。
「うーん、まあどうにかなるでしょう。酔狂やひまつぶしで女官長やってたわけでもないからね……。使えそうな記憶のひとつやふたつ、頭ん中どっか探したらあるでしょうよ……」
「がーんばれっ、がーんばれっ」
「現役女官長だったころは、こんなにも理不尽を飲み込まないといかんのかと思ってたものだけど。なんでも役に立つ時がくるんだねえ……」
「ものは使いようよー」
ガーヤはしばらくこめかみを指でとんとんしていたが、やがてなにかを思い出したらしい。それを見たエナ女官長が背筋をのばして真顔になる。
「どう、その子に会う気になったかしら?」
さっきまで娘時代に戻ったようにきゃっきゃしていたものが、いまや女上司の顔つきになっている。
そうだね、是非にお願いするよとガーヤはいった。
◇◇◇
「では少しお待ちになってね」
「はいはい」
下働きの娘にお茶を運んでこさせてしまうと、エナ女官長は私室から出ていった。
ガーヤはひとり、お茶とお菓子を見下ろした。陶器のポットの口からは細く白い湯気が立ちのぼっている。
(──おいしい)
濃いめのお茶をひとくち飲むや、ガーヤはおもわず目をつむった。
秋のはじめにふさわしくしっかりとした味わいのものである。なんのフレーバーもついていないのに、ほのかに茶葉の甘味が感じられる。
お茶菓子のほうも見事だった。さすがは王宮品質といったところである。
秋らしく栗とナッツ、それにカラメル味のお菓子であり、特に目をひくのは三段トレイの一番上に置かれているミニエクレアだ。表面にかけられたカラメルがつやつや光って、てっぺんには赤スグリの実がぽつんと飾られ、宝石のようである。
そのほかにもタルトやケーキがいくつも盛られ、サンドイッチは濃厚なクリームチーズが挟まれたもの、果物は緑、赤、紫のぶどうが彩りよく置かれている。
ガーヤはミニエクレアをひとつかじってみた。
パリッと小気味よく表面のカラメルが割れると同時に、カスタードクリームが流れだしてくる。ほろ苦いカラメルの風味と濃厚なクリームが口の中で混ざり合って、えもいわれぬバランスである。
家庭の主婦にはとうてい出せないプロの味だ。
モンブランのミニタルトは栗そのものよりも栗らしく、ナッツのケーキは滋味深くスパイスがきいていて、お茶がはかどるどころの話ではない。
ガーヤは脳天をガツンとやられた気分だった。
ああ……これぞ、宮廷菓子。贅沢と洗練をきわめたもの。
ガーヤは3杯目の紅茶を注ぎながらひそかに敗北のため息をつく。
(あたしが森で作ってたのは……ラズベリージャムを挟んだクッキー、それに焼きっぱなしのアップルケーキ……)
それらは今もヘイゼルの好物である。
自分でいうのもなんだけれど、味にもなかなか自信がある。
だがこうした工芸品のような菓子と比べると、まったくの別物であるといわざるを得ない。
そして、自分はヘイゼルにこれらを与えることができなかったのだ。
『ガーヤさん、考えすぎちゃだめよ』
子育て指南をしてくれた近隣農家のおかみさんたちは繰り返しいったものである。
『あのね、完璧な子育てなんて誰にもできないの』
『どんなふうに育てたって足りない部分てたくさんあるのよ』
『自信をもつのが一番大事。自分の育て方はこうなんだって、胸をはるの』
そういって彼女たちはガーヤをいつもはげましてくれた。だがしかし。
『ねえガーヤ、私って高貴さが足りない?』
ヘイゼルの言葉が耳に痛い。
今後彼女が砦の女王として諸外国の王族や貴族と対峙するうえで、王族としての贅沢絢爛な暮らしを知らないことが大きなマイナスとなるのだろうか。
(だとしたらあたしの責任だ)
「あの……ガーヤ」
(せいいっぱいやったことと、必要なことができたかどうかは別のことなのかもしれない……)
珍しくどんよりした気持ちでそんなことを考えていたので、ガーヤは背後に誰かが立っていることに気がつかなかった。
「あのっ、ガーヤ!」




