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プロローグ

 二〇三×年、十二月――。

 毎年恒例、漫画の祭典「ジャンプフェスタ」が幕張メッセで開催されている。

 ジャンプに掲載されている人気作品の最新情報、限定グッズの販売、豪華ゲストによるトークイベント……。中でも、今年最大の目玉とされているのが、今や国内外で圧倒的な人気を誇る『ワンピース』のスペシャルイベントだ。

 アニメで主役を演じる声優陣が集い、制作秘話や裏話で会場を沸かせる中、今年のイベントには、もう一つのサプライズがあった。

 それは、“作者本人”の登壇である。あの“鳥山明”が、初めて公式の場で姿を現すのだ。

 誰もが、その瞬間を心待ちにしていた。

 ただ一人、その舞台裏に立つ男を除いて。

――どうしてこうなった――


 二〇三×年、十二月。幕張メッセ。

 あいにくの曇天だが、人足が遠のく気配はない。ジャンプフェスタの会場は、広い展示ホールを埋め尽くす人の熱で会場全体の空気が膨れあがっていた。ざわめきがステージ一帯を包み込み、その熱気と視線が、ステージ裏のここまで伝わってくる。

 集まる人々の熱気が幾重にも折り重なり、巨大な生き物が息をしているみたいだった。


――どうしてこんなことになった――


 ステージ裏にいるのに、イベントの盛り上がりが肌に伝わってくる。緊張で息が浅くなり、吐き気が喉の奥までせり上がった。会場に集まる人の多さが、圧になって押し寄せる。

 後悔の念から、この場から逃げ出したくなる。けれど逃げたところで、この世界に私が逃げ込める場所なんてどこにも存在していない。


「それじゃ、鳥山先生。もうすぐ名前が呼ばれますんで。合図があったら、そのままセンターまでお願いします」


 背後で、ADが進行台本をめくりながら慣れた口調で言った。

 私は返事の代わりに、うなずくことしかできなかった。首は動くのに、声だけが出ない。胃の底が冷えているのに、背中だけが汗ばみびっしょりと濡れている。


――どうして、俺はこんな所に立っているんだ?――


 暗がりから覗く舞台は、眩しいほど明るかった。

 その上で、私が描いた漫画のキャラの着ぐるみが二体、堂々と立って観客に向けて手を振っている。その隣には、司会進行役の声優たちが並んでいる。スポットライトを浴びて笑い、頷き、客席の反応を拾いながら、軽快にトークを回していた。

 背後の巨大スクリーンと壁面パネルには、これまで私が描いてきた漫画のコマが、コマ割りのまま大きく貼り出されている。どれも読者に人気の高い名場面とされるシーンだ。

 その一枚一枚が、私の罪を暴き立てる十字架のように見えた。

 これらすべてが、私が描き出した完全なオリジナルだと思われている。

 焦りと緊張の奥には、私を絶望の淵へ追い込む罪悪感がある。背徳感が、私の背後に張りつき離れようとしない。

 ステージ上では、ちょうどキャストトークがアフレコ現場での裏話で盛り上がっているところだった。笑い声がマイクに乗って、客席の熱をさらに煽っていく。


「正直ね、私もだいぶ年でさ。体力も落ちたし、そろそろ声優業も身を引こうかなーって考えることもあって。だから最初オファー来たときは困ったんですよ、ほんとに! 『え、私!?』って。こんなおばちゃんに、あんな元気いっぱいのキャラをやらせないでよ! 下手したら途中で倒れるよ? 死んじゃったらどうすんのって」


 主人公役の田中真弓が、天真爛漫に笑って両手をぱっと広げた。その瞬間、会場がどっと沸き賑やかに盛り上がる。


「でもね、『作者たっての希望です』って言われちゃったらさぁ? しょうがないじゃない。で、やってみたら、もう、受けてよかったってすぐに思えたの。今は先生に感謝してるくらい」


 田中真弓が喋るたび、主人公の着ぐるみが大げさに「うんうん」と頷いてみせる。客席はそれだけでまた笑い、拍手が混じった。

 アニメ監督が苦笑いでマイクを取った。


「当初は、若手の人気声優さんを中心にって話もあったんです。鬼滅の熱もまだ残ってましたしね。でも、先生がね」


監督は、肩をすくめて客席を煽るように笑う。


「『田中さん以外は認めない』って。『この声じゃなきゃ許可しない』って、譲らないんですよ。いや、ほんと困りましたよ」


 会場がまた大笑いに包まれる。

 『先生』、その単語が私を指していると感じるたび、私は自分の存在が嫌になる。後悔の念が、じわじわと強まっていった。

 ステージ裏で私がどんな気持ちでいるのかなど知らずに、会場はますます盛り上がっていく。監督はマイクを握り直し、少しだけ真面目な声に切り替えた。


「……でも、実際にアテレコしたら、これが不思議と、ぴたりとハマってしまって。今はもう、田中さん以外考えられないってくらいです」

「でしょー!」と田中が胸を張る。照明が彼女の笑顔を弾ませた。

 

 田中真弓の隣に立つ中井和哉が、少し照れたように頭を掻いて口を開く。


「僕もね、最初オファーが来たとき、正直“なんで僕?”って思いましたよ。最近は若手の勢いが凄くて、僕個人に声がかかる理由が見えなかった。でも原作を読んだ瞬間、これだけは……“このキャラの声は、僕がやる”って、絶対に自分がやるんだって思ったんですよね」


 その言い切りに、客席から声が上がる。

 監督が頷きながら追い打ちをかける。


「で、やってみたら、見事にしっくり来るんですよ。こちらが驚くくらい」


 隣で中井和哉の話を聞いていた岡村明美が、柔らかな笑みでマイクを持ち上げた。少しだけ声を落とし、内緒話でもするみたいに語り出す。


「私も同じ。最近はアニメのお仕事もそんなに多くなくて、しかもメインキャラで、こんな若くて、セクシーで……え、私おばちゃんだよ? って思ったの」


 客席から笑いが、さざ波のように広がっていく。岡村明美はその波を受け止めるように肩をすくめ、照れたように笑った。


「でもね、不思議なんだよね。声を当ててると、無理してる感じがしなくて。むしろ、ずっと前から知ってたみたいに、すっと入ってくるの」

「わかる、それ!」と田中が即座に反応して、会場がまた一段賑やかになる。


 山口勝平が首を傾げて、少し困った顔で言った。


「僕も似たような感覚ありました。デジャビュっていうか……“初めてじゃない”感じがするんですよね。台詞が、口の中で勝手に形になるみたいな」


 監督がニヤリと笑う。


「でも勝平くんは、そもそもキャラと雰囲気が近いからじゃない? 顔とか、声とか」

「いやいや! 僕の鼻、あんなに長くないですけど!」


 その瞬間、会場がどっと沸いた。山口勝平が声を当てるキャラの着ぐるみが、両手で鼻先を強調するポーズを取る。笑いはさらに増幅した。

 山口勝平の話に笑っていた平田広明が、口を開く。


「僕は最初オファーが来た時、みんなとは逆にね。僕に合った声の当てやすいキャラだなって思った。指名されたのも、わりと納得だったんだよ」

「平田さんは、ジャック・スパロウを演じているだけあって、もともとこんな感じの女好きなイケメンって感じのキャラクターに声を当てることが多いですしね」

「そりゃそうだけどさ。もうちょっと言い方があるでしょうが」


 くすくすとした笑い声が広がる。


「まぁ、だから僕はなんていうの、ほかの皆みたいなものはなかったんだけど、初めて声を当てた時さ、すごい違和感に襲われたんだよね。勝平君と同じでさ、『あれ? これ前にもやったことあるぞ』みたいな感覚があったんだ」


 監督が首を傾げて、客席へ向けて両手を上げた。


「ね? みんな口を揃えてこう言うんですよ。何なんですかね、これ」


 監督のおどけたような言い方に、会場からくすくすと笑いが漏れる。その空気を切り替えるように、田中真弓が主人公になり切った声色に切り替えて、ビシッと前を指差した。


「それじゃあ! これから特別ゲストを呼んで、私たちだけでなく、みんなが思ってることを――直接、聞いちゃおうと思う!」


 田中真弓の声に合わせて、観客の歓声が一段高く跳ね上がった。

 会場の視線が、ステージの表と裏の境目に集中している。

 ここから一歩でも踏み出せば、そこは針の筵だ。私はいまから、この好奇心に満ちた視線の真っただ中へ踏み込まなければならない。

 安易にしでかしてしまった罪を思い出すたび、私は自分の愚かな行為に腹が立つ。憤りと後悔が腸の奥から湧き上がり、毒湯のように内側を煮えたぎらせた。


――この苦しみはいつまで続く。俺の人生はいつまで漫画に縛られ続けなくちゃいけない――


「出てこい! ワンピースの作者! 鳥山明ーっ!」


 その瞬間、跳ね上がった心臓の鼓動が耳まで響き、鼓膜を打ち震わせるほどに轟いた。


「鳥山先生、ステージ中央まで進み出てください」


 背後のADの声に押し出されるように、足が勝手に前へ出る。ステージの表と裏の境目を踏み越えた瞬間、スポットライトの熱が私を捉えた。暗闇から引きずり出され、光の下へさらされる。客席の視線が一斉に突き刺さり、衆人環視の中に立たされる自分が囚人のように思えた。

 だが、私を罪人として断じ、罪を暴き立てる者は誰一人いなかった。

 私の姿を認めるや、会場を盛り上げるための歓声が沸き上がり、そのまま私を飲み込んでいく。

 ここが幕張メッセのイベント会場ではなく、罪人を傍聴するために人が集まる法廷だったなら。

 浴びているのが歓声ではなく、私の罪業をなじる顰蹙のヤジや罵倒だったなら。

 私は、どれだけ救われただろう。

 歓声の中、私は集まってくれた私の漫画のファンである読者の期待に応えるために、観客に向けてぎこちない笑みを浮かべ、手を振った。

 そんな自分の姿が滑稽で、ピエロみたいに思えた。

 自分自身が、見えない膜のようなものに覆われている気がする。この場にいる誰もが、私が何をしてしまったのか。それを知れば、きっと私を許しはしない。

 だが、自分の罪を証明することも、私を罰する理由も、この世界には存在しない。

 私は私の罪と罰を抱えながら、漫画家『鳥山明』として生きている。社会の中で“ワンピースの作者”という偽りの姿を演じ、私の漫画に期待するファンを騙し続け、栄光と名声を易々と甘受し続ける。

 そんな罪人である私を、拍手喝采が今日も出迎える。

 胸の内側でうずく罪悪感は、膿んでいる。化膿した傷口みたいに、じくじくと痛み続けた。


――『ワンピース』を私が考えたんじゃない。本当の作者は尾田栄一郎なんだ。私はただパクっただけなんだ――


 だけど、ここに集まる人だけじゃない。日本全国、いや世界中で『ワンピース』を読む誰もが、私のことを“ワンピースの原作者”だと信じている。疑う余地なんて最初からない。

 なぜなら、この世界には――尾田栄一郎という漫画家が、存在しないからだ。

 この世界で“オリジナル”の『ワンピース』、尾田栄一郎の『ワンピース』を読んだことがあるのは、私ひとりだけだ。

 私は、漫画家・鳥山明は、尾田栄一郎の『ワンピース』をトレースしているだけの盗人でしかない。そんな犯罪者に向ける拍手と歓声は、止まることがない。観客から向けられる好意的な視線に、罪悪感が胸をえぐり、吐き気と悪寒がせり上がってくる。

 スポットライトに照らされながらステージ中央へ歩き、私は願った。


――どうか、悪い夢ならば、いま、この瞬間に覚めてくれ――


 目を覚ましたら、家賃五万円ほどのボロアパートの狭い一室でいい。汚い布団の上で目を覚まして、漫画家を目指して、その日の生活費を稼ぐだけの日々――あの鬱屈と暗澹とした日々が、どうか続いてくれ。

 そう思った瞬間、かつての境遇と今の自分を思い返して、それもまた悪夢と変わらないと気づいた。


――あぁ、俺はどこで間違えてしまったんだ。どこからやり直せば、俺は自分の人生をやり直せるんだ――


 あの時の、あの瞬間。私の人生は紛れもなく転換期を迎えていた。どこで、何をどう間違えて、こんなことになってしまったのか。

私はステージの中央で、名だたる人気声優陣に囲まれ、マイクを渡されたまま立ち尽くし、記憶を手繰り寄せていた。


この次の話では、主人公の過去を描いていきます。

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