桃太郎
「最大の不幸は、彼らが我々を『鬼』と呼び、
我々もまた彼らを『鬼』と呼んだことだ。」
—桃太郎(戦後回顧録『波涛を越えて』より)
上陸用舟艇のランプが下りると同時に、海水の飛沫と重油の臭いが鼻をついた。
第一強襲揚陸部隊を率いる桃太郎少佐は、愛刀である吉備津丸の柄に手をかけながら、泥濘んだ砂浜へと軍靴を踏み入れた。視界の先には、鬱蒼としたジャングルと、その奥に聳え立つ要塞化された岩山—通称「鬼ヶ島要塞」が、朝霧の中に黒々とした威容を晒している。
「総員、散開。予定通りの座標へ展開せよ」
桃太郎の声は冷静だったが、心拍数は平常時よりわずかに上がっていた。(やはり、何度やっても上陸戦ってのは寿命が縮む)
背後では、揚陸艇から吐き出された兵士たちが、蜘蛛の子を散らすように遮蔽物を求めて走り出している。彼らの腰には、一様に黄色い包みがぶら下がっていた。
三八式野戦糧食—成分の大半をきび粉と糖分で構成された高カロリー固形食。
通称、「キビダンゴ」。
これが、この絶望的な敵地潜入任務に対する、祖国(婆さん)からの手向けであり、同時に命と引き換えの契約金でもあった。
「大将、一二時の方向に熱源反応。敵の前哨陣地です」
インカムから、ざらついた声が響く。
声の主は、第一分隊長の犬飼。嗅覚鋭敏なスカウトであり、かつては狂犬と恐れられた 特務部隊の生き残りだ。
桃太郎は手信号で停止を命じ、双眼鏡を覗き込んだ。
熱帯の植物に偽装されたトーチカの銃眼が、こちらを睨んでいる。
「距離、三〇〇。……派手に歓迎してくれる気らしいな」
「どうします? 迂回しますか?」
「いや、正面からこじ開ける。時間をかければ、奴らの主力が出てくる」
桃太郎の判断は即決だった。
この作戦の要諦は速度にある。敵—「鬼」と呼ばれる武装勢力が、沿岸防備を固める前に中枢を叩く。そのために、彼は選りすぐりの「獣」たちを連れてきたのだ。
「猿渡、右翼から浸透して爆薬を仕掛けろ。雉本は後方から制圧射撃。私が正面を引きつける」
「了解。……ったく、貧乏くじはいつも俺だ」
通信機越しに、猿渡のぼやきが聞こえる。近接戦闘のスペシャリストである彼は、軽口を叩きながらも、すでにジャングルの茂みへと音もなく姿を消していた。
一方で、高台に陣取ったスナイパーの雉本からは、無機質なクリック音による了解信号だけが返ってくる。
(頼もしい連中だ。食料一つで地獄まで付き合ってくれるんだからな)
桃太郎は唇の端を吊り上げ、遮蔽物の岩陰から身を乗り出した。
瞬間、トーチカからマズルフラッシュが迸り、重機関銃の轟音が空気を引き裂く。
頭上を7.7ミリ弾が掠めていく風切り音。
桃太郎は反射的に首をすくめ、再び岩陰に身を隠した。石片が顔に飛び散り、頬を鋭く切り裂く。
「射撃開始!」
命令と同時に、後方の稜線から雉本のライフルが火を噴いた。
乾いた発砲音が二つ、ほぼ同時に重なり合う。トーチカの銃眼から見えていた射手と、その横にいた装填手が、糸の切れた人形のように崩れ落ちるのが見えた。
「今だ、やれッ!」
爆発音。
猿渡が仕掛けたプラスチック爆弾が、トーチカの側面を吹き飛ばしたのだ。
黒煙と土砂が舞い上がる中、桃太郎は愛刀を抜き放ち、白兵戦の距離へと疾走した。
「一番槍は頂いたァ!」
瓦礫の山となった陣地へ飛び込む。
生き残っていた「鬼」—筋骨隆々とした異形の兵士が、金棒のような鈍器を振り上げて襲いかかってくる。
その動きは遅くはない。だが、桃太郎の動体視力には、スローモーションのように映っていた。
(遅い。……恐怖で腰が引けてやがる)
一閃。
鋼鉄の刃が、鬼の鎖骨から肺にかけてを斜めに切り裂いた。
鮮血の噴水。
断末魔の叫びを上げる暇もなく、巨体が地面に沈む。
桃太郎は残心をとることなく、次弾装填のためにボルトを操作しながら、周囲を警戒した。
硝煙の匂いと、鉄錆のような血の匂いが混じり合う。
「エリア・クリア。……制圧完了です」
犬飼が油断なく銃口を巡らせながら報告する。
猿渡が煤けた顔で瓦礫から這い出し、雉本もスコープから目を離してサムアップを送ってきた。
完璧な連携。
だが、これはまだ玄関口を掃除したに過ぎない。
「よし、本丸へ向かうぞ。……財宝の分配は、生きて帰ってからだ」
桃太郎は、腰の糧食袋を軽く叩いた。
甘ったるい団子の味を思い出しながら、彼は再び、死と隣り合わせの進撃路へと視線を向けた。
彼らが「略奪者」なのか、それとも「英雄」なのか。
その答えは、この島の最深部にある。




