インター・スヴェッターの海(Svētter’s Sea)
宇宙の波長が変わる直前の音は、ひどく静かだ。
耳で聞こえるわけではない。空間そのものが、深い湖のようにわずかに震えるのだ。
その震えが“長波長宇宙”から“短波長空間”へ移り変わる合図だった。
「……来るぞ」
天野は観測室の暗がりで、圧縮されたデータ流を睨みつけた。
その背後で装置が低く唸り、時空干渉計がプランク限界に近づいていく。
宇宙全体の主波長が、わずかに短縮している。
宇宙の波長が変わる――
それは、時空の基盤波が高調波へ跳ね上がり、
重力、電磁、弱い力、強い力の秩序が「別の状態」を取り始めることを意味する。
すなわち“宇宙 OS”そのもののアップデートだった。
本来なら観測した瞬間、生物は耐えられない。
短波長空間に落ちた情報は、粒子ではなく“波としての存在確率”に分解されるからだ。
だが天野には、ひとつの目的があった。
――インター・スヴェッターは実在するのか?
宇宙波動のスペクトルを操作できる者。
短波長空間を自在に行き来し、宇宙の主波長そのものを編集する“干渉者”。
古い論文では、彼らは「干渉項(Interference Term)」と呼ばれ、
宇宙の波動関数の位相を“書き換える存在”とされていた。
天野はその影を、一度だけ見たことがある。
十年前――月面で行われた重力波観測実験。
あのとき測定器は、
「人間の脳波によく似た、だが桁外れに巨大な波形」を捉えた。
宇宙が“考えている”かのような波。
それがどこから来たものなのか、誰にも分からなかった。
「記録開始、ψ(S,t) 解析モードへ移行」
装置が反応し、宇宙波動のスペクトルがディスプレイ上に展開された。
天野は息を呑む。
――主波長が、下がっている。
宇宙が“短波長化”する瞬間が近づいていた。
やがて空間がわずかにゆがみ、
部屋の輪郭が細かなノイズの霧に溶け始めた。
時間が「粒」になり、静止画の連なりのように現実が変調する。
(来る……!)
空間の中心に、ゆっくりと黒い皺が現れた。
光の届かない領域――短波長空間の“穴”。
その縁には、まるで複数の宇宙が干渉しているかのような斑模様が滲んでいる。
皺の中から、誰かが歩み出た。
人型――だが、実体ではない。
周囲の空間を波のように歪ませながら、
“存在確率の濃い部分”だけが人の形をとっている。
天野は声が出なかった。
「インター・スヴェッター……」
存在はゆっくりとこちらを向いた。
声は空気ではなく、宇宙そのものの振動で響いた。
『波長の変化を観測する者よ。
お前たちの宇宙は、まもなく短波長域へ落下する。』
天野の喉が震える。
「滅び……ですか?」
『滅びではない。
高周波領域への“遷移”だ。
存在は粒から波へ、物質から情報へシフトする。』
天野はかすれた声で問う。
「あなたたちインター・スヴェッターは……何者なんです?」
『我らは観測者であり編集者。
宇宙の主波長を調律し、
スペクトルの均衡を保つ者。』
『お前たちの宇宙は長波長帯で芽吹いた。
ゆらぎが生命を生み、知性を発芽させた。
その知性がついに“波長の変調”を観測する段階に至った。』
『――だから、遷移が許される。』
天野は震える手を伸ばした。
「……私は、どこへ行くんです?」
存在は穏やかに言った。
『長波長帯は終わる。
だが、波としての“お前”は続く。
新しい宇宙の周波数で、別の形で。』
短波長空間の皺が開き、
世界がひとつの強烈な振動へと収束していった。
最後に天野が聞いたのは、
“高周波の宇宙”の海から響く、優しい声だった。
『恐れるな、観測者よ。
宇宙はまだ終わらない。
ただ、波長を変えるだけだ。』
◆【Inter-Svētter Principle】
インター・スヴェッターの原理
――「宇宙はスペクトルであり、干渉であり、遷移である」
Ⅰ. 宇宙の波長が変化すると何が起こるか
◆宇宙の“波長”とは
宇宙全体の波動関数 Ψ(S,t) が持つ「主波長モード」を指す。
光の色が波長で決まるように、
宇宙の性質――次元の大きさ、重力の強さ、量子の揺らぎといった基礎定数は、
宇宙そのものの波長によって決まる。
だからこそ、現在の定数が生命に都合よく見えるのは“この宇宙の波長帯がたまたまそうだった”というだけの話だ。
◆A. 長波長化
宇宙の波長が長くなると:
1. 時空が滑らかになる
2. 重力が弱くなる
3. 量子ゆらぎが緩和される
4. 多次元の「巻き込み」が解け、次元が“開く”
5. 宇宙はマクロスケールで安定する
6. 生命・化学反応が成立しやすい
→ 我々の宇宙はこの“長波長帯”にある。
◆B. 短波長化
主波長が短くなると:
1. 時空が粗くなる(量子泡が肥大化)
2. 重力と量子効果が同等に働く
3. 時間が非連続化し始める
4. 巻き込まれた次元が活性化する
5. エネルギー密度が上昇する
6. 物質構造が崩壊し、“情報”として存在権を得る
→ これはプランク領域への降下とほぼ同義。




