片想い
爵位とか言葉遣いとか設定深く考えていません。最後まで読んで頂けるとうれしいです
僕の爵位は侯爵で、彼の爵位は伯爵だ。婚約は僕がまだ小さい頃に執り行われた。彼は僕より7歳年上で、10歳の僕から見たら本当に大人に見える。
身長だって、僕は140センチで彼は170センチ、その差30センチ。
これじゃあ僕の事、本気で好きになんかなるはずない。僕なんてただのお子様だもの。
*****
私の婚約者は7歳年下の10歳。まだまだ子供なのに、立派な旦那様になろうと頑張っていて、微笑ましい。
*****
彼のお祖父様と、私の父が仕事で知り合い、彼が生まれてすぐに婚約をした。当時私はまだ7歳。父に連れられて侯爵家に行った時は、お屋敷と庭園の素晴らしさに驚いた。屋敷の中は美しく、どこまでも広かった。
初めて会った彼は、まだ言葉も話せず、「あー」とか「バブぅ」しか言えなかった。私は
(赤ちゃんって、本当に「バブぅ」って言うんだ)
と感心したのを覚えている。
赤ちゃんの割に、可愛いだけじゃなくて、しっかりとした男の子と言う感じだった。
私は、半年に一度、朝から夕方まで侯爵家に遊びに行き、ラインハルトと一緒に過ごす。赤ちゃんの成長は目覚ましく、ただ寝ていた子が、半年経つと寝返りを打ち、1年経つと歩き初めていた。さらに半年経つと私の事を「アル」と呼び、2歳になると自ら膝に乗って来て、一緒に遊べる様になった。
3歳になる頃から、少しずつ侯爵家の令息としての勉強も始まった。ラインハルトはなかなかの王子っぷりで(実際は侯爵家内の王子様だけど)、私も早く大人になったラインハルトに会いたかった。
*****
僕は気が付いた時から、アルフォンスが好きだった。兄様は歳が離れていて、一緒には遊んでくれなかった。意地悪とかでは無くて、勉強が忙しくて時間が無かったのだ。だから、僕はアルフォンスが来る日が待ち遠しかった。半年に一度会いに来てくれる。その日は勉強も無く、ゆっくりアルフォンスと過ごせる日なのだ。
僕の両親は2人とも仲が良く、子供の躾もそれ程厳しくは無かった。でも、僕はアルフォンスと婚約をしていたから、「立派な旦那様」になりたかった。
*****
僕はその日、兄と市井視察に来ていた。10歳になり、兄と一緒に少しずつ視察に行ける様になってきた。僕はまだ、兄に着いて回るだけだけど、いつか立派な旦那様になる為に、威厳を持って行動する。決して、子供だからと侮れない様に、背筋を伸ばして顔を上げて真っ直ぐ前を見るんだ。
兄のガブリエルが、カフェに誘ってくれた。
「ラインハルト、疲れただろう?少し休んでいこう」
「大丈夫です。兄様、まだまだ回れますよ」
「ラインハルトはすごいな、僕の方が休みたいから、座ってゆっくりお茶を飲もうよ。ラインハルトはカフェに来た事がないだろう?何でも、見て、聞いて、感じる事が大切だよ」
僕はゆっくりうなづいて、兄様に着いて行く。
店内の一角にアルフォンスがいた。僕にはアルフォンスセンサーが着いているので、お店に入っただけでアルフォンスがいるのがわかる。
アルフォンスは端の角席に女性と座っていた。可愛らしい女性だ。アルフォンスといる女性は、いつもふわふわして柔らかい、小さな白い花が集まった花束の様な人が多い。多分、アルフォンスの好きなタイプなんだろう。アルフォンスと彼女は頭を寄せ合いクスクスと笑っている。そして、女性が薬指にはまった指輪を撫でながら「ありがとう」と言った。勿論、この距離からは何も聞こえない。彼女の仕草、顔の角度、表情、口の動き、それらでわかってしまったのだ。
僕は一気に頭に血が昇り、叫び出しそうになった。
(ダメだ、ダメだ。こんな事で怒っては、立派な旦那様失格だ)
そう思いながら、拳を握った。
「ラインハルト!」
アルフォンスが僕の名前を呼ぶ。僕は、アルフォンスに呼ばれて気が付いたフリをする。
「アルフォンス、久しぶりだね」
「ラインハルト、紹介するね。こちらはオーブリー男爵家令嬢のエルナ。エルナ、こちらはベルシュタイン侯爵家令息のアルフォンス。僕の将来の旦那様だよ」
「初めまして、エルナ」
挨拶をして、右手を出すとエルナ嬢は瞳をウルウルさせている。これは、絶対心の中で
(ちっちゃーい!)
(かわいいー!)
(これで、旦那様!)
みたいな事を叫んでいるはずだ。冷静に、冷静に。
「私の旦那様はかわいいだろ?」
とアルフォンスに言われたエルナ嬢は、首を縦に一所懸命振る。僕は2人に馬鹿にされている様で、内心面白くない。ちょっとばかり早く生まれたからって何なんだ。僕は将来立派な旦那様になって、アルフォンスを守って行くんだからな!
アルフォンスはエルナ嬢と別れて、僕達と一緒にお茶を飲む事にした。アルフォンスとガブリエルは仲が良い、年齢も同じだし空気が似ている。雰囲気は落ち着いているし、いつも余裕があって憧れる。僕はやはりまだ子供で、心の中で慌てているのを隠すのに必死なんだ。
僕は目の前の紅茶を一口飲む。本当はミルクと砂糖を入れたい所だけど、我慢我慢。それを見ていた兄様が
「ラインハルト、今日は大人だね」
と笑う。アルフォンスにも意味が通じて微笑んでいる。そして、僕の方に甘いケーキをそっと寄せる。
「僕の分もお食べ、今日はまだまだたくさん歩くんだろう?」
*****
屋敷に戻ってから考えるのは、アルとエルナの事だった。2人はやはり、そう言う仲なのだろうか。アルとエルナが、並んで歩いて来た時は、とても綺麗だった。着ている服の趣味も似ているのか、一緒にいるだけで、清楚なのに華やかさがあった。
僕は自分の足元を見る。小さいな。手のひらも何もかもが小さい。身長なんて、アルの肩にも届かない。
アルの隣にはいつも綺麗な女性がいる。初めてそれに気づいたのはいつだろう。明確にヤキモチを妬いたのは、僕が7歳の頃だったと思う。何かのお祝いの席で、ダンスパーティだった。
その時も、アルの周りにはたくさんの人がいて、僕はアルに近寄りたくても近づけなかった。みんなは僕より頭一つ大きいし、
「あの、、、」
とか
「すみません」
とか言っても聞こえないみたいで、その内誰かがアルの腕を取り、ダンスを踊りに行ってしまった。
僕もダンスを習っていたから、アルをダンスに誘いたかったのに、、、。
その時、アルもまだ子供だったので、ホールの真ん中で踊る事は無く、端の方で仲良く踊っていた。
周りの大人達が
「見て、可愛らしい」
「小さな恋人達かしら?」
と、囁くのを聞いてイヤな気分になった。僕はその時、すごく傷付いてフロアから逃げた。庭に出て、誰もいない植え込みの中で隠れて泣いた。立派な旦那様になりたいと思いながら、こんな小さな事に涙する自分がイヤだった。
アルはよく、女性と2人きりでいる事が多かった。僕がアルを見つけて近寄ると、大抵女性の方が先に気付いて慌てて帰って行く。アルに
「友達?」
と聞くと
「そんな所かな?」
と言うので、いつも
「ただの友達では無いんだな」
と思っていた。
小さい頃は半年に一度、アルが侯爵邸に来ていたけど、僕が13歳になってからはアルのお父様に、3ヶ月に1回、フォンターナ伯爵家の事を教えてもらっていた。その時に、アルと時間が合えば一緒にお茶をする事もあった。最近はアルの予定のある日に訪問のお伺いを立てて、フォンターナ伯爵と会う様にしていた。3ヶ月に1回位なので、2回程回避すると半年はアルに会わないですむ。たまに、アルの方に急な用事があると、更に会わないで済む事になる。
僕達は同級生でも無ければ、同じ学校に通っている訳でも無い、約束をしなければ会えない仲なのだ。
僕はいつからアルを避ける様になったのか、、、。アルの立派な旦那様になりたいのに、理想と現実が離れすぎていて、会えなくなっていった。
*****
ある日突然気がついてしまった。ラインハルトと1年以上会っていない事に、、、。
そろそろラインハルトの誕生日だから、何か贈り物をしようと思って、去年の事を思い出していた。あれから1年、その間1度も会っていなかった。こんな事って、、、。
もしかして、私は避けられているのだろうか。ラインハルトは私との婚約を迷っているのかも知れない。
生まれてすぐに私と婚約したラインハルト。今まで疑問に思っていなかった事に、漸く気がついたのか。ラインハルトも16歳だ、好きな女性がいてもおかしくない。男の私と結婚する事がイヤになったのなら、、、。私と結婚すれば、自分の子供は望めない。私との結婚は政略結婚だ、しかし侯爵家の彼からなら、婚約破棄も出来る、、、。
私はそんな事を考えながら落ち込んだ。この1年間、仕事以外の時間はやりたい事に費やしていた。もっとラインハルトと一緒にいれば良かった、、、。私達の結婚はラインハルトが18歳になった時と決まっていた。高等学校を卒業してすぐに式を挙げる予定で、ラインハルトが17歳になってから少しずつ準備を始めるはずだった。しかし、彼が結婚を望まないなら、まだ間に合う、、、。婚約破棄になるなら、彼の誕生日辺りかも知れない。
*****
久しぶりにフォンターナ伯爵との勉強会があった。今日はアルも伯爵邸にいるらしい。しかし、来客の予定があると聞いていた。
(良かった、会わないで済む、、、)
一度距離を置いてからは、アルと会うのに勇気が必要になってしまった。会えない事に安堵を覚えるなんて、うまくやって行く自信すら無くしてしまう。
「これでは、立派な旦那様になる夢はあきらめないと、、、」
苦笑いが出る。
小さい頃は良かった、根拠のない自信があった。今では、アルに好かれている事さえわからない。
ダンスホールの扉が少し開いていて、音楽と笑い声が聞こえて来る。そっと覗くと、アルとエルナが踊っていた。2人のダンスはとても楽しそうだった。息がぴったりとか、流れる様なダンスでは無かったけど、とにかく楽しむ事を1番に踊っているようだった。
そう言えば、僕は結局アルと1度もダンスを踊った事が無いな、、、。
僕はしばらくその場から動けなかった。
*****
「少し休みましょう。水分も、取らなくては。そう言えば、新居の方はどうですか?」
「少しずつ始まっているよ。気に入ってくれるといいんだけれど、、、」
「ふふふ、完成が楽しみですね」
壁際で控えていたメイドがアイスティーを作ってくれた。レモンが一切れ入っていて、とても美味しかった。
「やっぱり頭でわかっていても、女性パートを踊るのは難しいね」
「アルフォンス様は器用な方なのに、意外な弱点ですね」
「考えてから身体を動かすから、タイミングが少し遅いのかな?私は運動が苦手だから、しばらく練習に付き合ってもらわないと」
「ラインハルト様のお誕生日までですよね。頑張りましょう。」
*****
僕は2人の会話の途中で、その場を離れた。それ以上は聞きたく無かったからだ。
(新居、、、?)
そう言えば、何年か前にカフェで2人を見かけた時、アルはエルナに指輪を贈っていた。やっぱり、2人はそう言う仲だったんだ。
(2人で住む家を建てている?)
あれは僕が10歳の時だったから、6年前だ、、、。
そうか、、、6年も続いていたのか、、、。
アルから婚約破棄は出来ない。破棄するなら僕の方からだ、、、。
*****
「兄様、お話があるんですが、、、」
「ラインハルト、珍しいね。どうしたんだい?」
「アルフォンスとの婚約を破棄しようと思います」
「、、、最近、アルフォンスを避けている様だったけど、2人の間に何かあったの?」
兄様は、僕の背中に手を当てて、座る様に促した。
「兄様、婚約破棄は出来ますか?」
「それは、こちらが侯爵家だからね、出来ない事は無いけど。ちゃんとした理由はあるのかい?」
「ありません。ただ、僕に自信が無くて、、、」
「ラインハルト、君は小さい頃から「アルフォンスの立派な旦那様になる」って頑張っていたじゃないか」
「なりたい自分となれる自分が違いました」
「詳しく聞かせて」
「僕の憧れは兄様やアルの様に冷静で、落ち着いた大人でした。アルと結婚したらアルを守りたいし、アルの伯爵家も守りたかった。でも、僕は子供で冷静でいられる事は少ないし、それを隠す事で一所懸命でした」
「どんな時に冷静になれないの?」
「アルが他の女性と一緒にいる時に、、、」
「僕は君が嫉妬心を表に出している所、見た事が無いよ。それだけ上手く隠せていたんじゃない?」
「それだけでは、立派な旦那様にはなれません」
「ラインハルトの理想は高すぎだよ」
(高すぎ?でも、アルを幸せにしたいんだ)
ラインハルトはガブリエルの事を見つめた。
「アルフォンスも僕も、ラインハルトより7年も長くて生きている。その分経験もあるから、冷静だの落ち着いて見えるだの思うんだろうけど、アルフォンスも僕も案外適当でいい加減だよ」
「そんな事は、、、」
「ラインハルト、今の僕達と今のラインハルトを比べても仕方がないんだよ。7年前の16歳の僕達とラインハルトを比べないと、、、」
「16歳の兄様とアル」
「7年前の僕達だよ」
ラインハルトの目から涙がポロポロ溢れて来た。
「ラ、ラインハルト?どうしたの?」
(言えない。その頃にはアルとエルナ嬢は出会ってるはずだ、、、)
ラインハルトはハンカチで涙を拭いた。
「落ちついた?」
「はい」
「他にも婚約破棄したい理由があるの?」
ラインハルトはアルとエルナの事は話さなかった。話せば婚約破棄出来ないと思ったのだ。それでは、誰も幸せになれない。
「とにかく、それだけでは婚約破棄は出来ないよ。ラインハルトもわかっているでしょう?」
「はい」
「ラインハルト、少し時間を掛けて冷静になろう。焦っちゃダメだよ」
ラインハルトはガブリエルの目をじっと見た。
*****
「アルフォンス、君達どうなっているの?」
「何が?」
「昨日、ラインハルトが婚約破棄をしたいと言って来たよ」
「、、、ラインハルトは何て?」
「立派な旦那様になりたいのに、理想と現実が違いすぎて自信を無くしたそうだよ」
「他には?」
「何も言わない。多分それだけでは無いと思うけど、、、」
アルフォンスは窓の外を見た。
「、、、一年以上顔を見ていないんだ、、、」
ガブリエルはその先を待った。
「私もこの間、気がついた」
申し訳ない様に苦笑する。
「ラインハルトが屋敷で父と勉強をした後は、一緒にお茶をしていたのに、何回か私のいない日に勉強会があった。数ヶ月に一回の勉強会だから、私もラインハルトの為に、時間を開けておけば良かったのに、急な仕事や来客で会えなかったりで、ここ一年会っていない」
「一年、、、」
「でも、どうやら私は避けられているのかも知れない」
「どうして?」
「彼は生まれてすぐに、私と婚約しただろう?相手が男の私で疑問を持ったのかも知れないし、誰か、、、好きな人が出来たのかも知れない、、、」
「なるほど、、、。」
ガブリエルはしばらく考えた。ラインハルトは小さい頃から、我が家の王子様だった。自信たっぷりで、自分が決めた事には突き進んでいった。アルフォンスの事も大好きで、だからこそ立派な旦那様になりたかったはず。小さい身体の胸を張って、顔を上げて生きて来た。正義感も強かった。アルフォンスが男だから悩んでいたなら、相談に来た時話しただろう。他に好きな人が出来たからと言う理由なら、侯爵家に生まれて来た以上、自由恋愛が叶わない事は理解しているはずだ。わからない、、、。
*****
ラインハルトはこのままではいけないとわかっていた。アルと話をして、気持ちを確認する。アルが婚約破棄をしてエルナと結婚したいのであれば、どうやって婚約破棄するのが1番良いか相談するべきだと思う。しかし、どうしても行動に移せない。アルを失いたく無い。気がついた時から好きだった。それは歩き始めた小さな頃からだ。アルが遊びに来て、僕の名前を呼ぶ度に嬉しかった。アルと一緒にいる時は、アルと手を繋ぐのが当たり前だったし、アルの膝の上は僕の場所だった。アルの為に強くなりたかったし、アルの王子様になりたかった。
でも、アルの王子様にはなれない。アルがエルナの王子様なんだ。
ラインハルトはどうしたら良いかわからなかった。
*****
「ラインハルト、アルフォンスが君と2人で話がしたいそうだけど、いつなら都合がいいかな?」
ラインハルトは頭が回らなかった。とうとう、アルからエルナの話しを切り出される日が来るのだ。侯爵邸で話しを聞くべきか、伯爵邸が良いか。アルの言葉に打ちのめされて、逃げる場所がないのは困る。伯爵邸なら、イヤな話になったら逃げて仕舞えばいい。侯爵邸で話し合いになって、逃げ出したい位辛くても、アルがそこに居続けたら、、、。冷静ではいられない僕は、泣き叫ぶ事になりそうだ、、、アルの前でそれは出来ない。最後くらいはアルの王子様になりたい。立派な旦那様になれなくても。
「もうすぐ、フォンターナ家で勉強会があるので、その日に伯爵邸でお願いします」
「わかった、アルフォンスに伝えるよ」
僕はもうすぐ婚約破棄をする事になる、、、
*****
その日は、いつ雨が降ってもおかしくない様な、厚く黒い雲が掛かっていた。
(何故こんな日に、こんな天気なんだ)
天気を恨んでもどうしようも無いのに、恨めしそうに空を見る。ため息を吐き、上着を羽織り外に出る。荷物を受け取り、馬車に乗り込むだけで、1日分の労力を使った気分だ。
さすがに勉強会の時は気を引き締めていた。上の空で勉強する訳にもいかない。しかしその反面、この勉強も役に立たなくなってしまったと考える。
重たい気分で廊下を歩く。アルの部屋へはあまり入った事が無い。執事に案内してもらい、ノックの後しばらく待つ。カチャリとノブを回す音がして、ドアが静かに開く。執事が一礼して下がり、ドアが大きく開く。
「お茶は、こちらで準備するから、呼ぶまで来ないでくれ」
執事はもう一度礼をした。
一年ぶりに会った。気がついたら、僕の身長はアルを追い越していた。前に会った時は、まだ僕の方が少し小さかったのに、今は僕の方が少し背が高いかも知れない。それだけ、長く会って無かったんだ。
「今、お茶を淹れるから座って」
アルの声が小さく聞こえた。ソファに座ると、アルが茶器の前に立ち、準備してくれる。緊張して震えているのか、たまに食器同士が当たるカチャカチャと言う音がする。
*****
アルが静かにお茶を出してくれる。温かくて、ホッとする。僕は何から話したら良いのか、どう話したら良いのかわからなかった。
「今日の勉強会はどうだった?」
アルが当たり障りの無い話しをしてくれた。一年ぶりに会うアルは、以前と何も変わらないのに、ただただ遠く感じた。
窓に一つ雨粒が当たる。
「ラインハルト、、、」
アルに名前を呼ばれた。
「ガブリエルから婚約破棄の話しを聞いたよ」
「はい」
「それは、僕が男だから?」
「?」
僕は言っている意味がわからなかった。アルが男性でも女性でも関係ないと思う。僕はアルが好きだから。
「僕が男だと、君の赤ちゃんは望めないでしょ?」
あぁ、そう言う事か
「それは関係ありません。どうしても子供が欲しければ、2人で相談して決めれば良い事です」
「それじゃあ、誰か好きな人でも出来た?」
雨音が少し聞こえて来る。静かな空間だった。
「いいえ、僕はこの婚約の意味も理解していますし、誰かを好きになっても、、、」
涙が出そうだ。
はぁ、、、と息を吐く。
「雨、、、」
雨足が徐々に強くなって来た。外の様子が気になり、立ち上がる。窓辺に寄り、外を眺めると思った以上に強い降りだった。
何気なくアルの机を見ると、建物の設計図らしき物が広げてあった。
「あ、、、」
アルが小さく声を出す。全面が見えない様に隠してあったけど、きっと新居の設計図だろう。
アルは何も言わずに見守る。
「雨、ひどくなって来ましたね」
僕は自分を落ち着かせたくて、違う話しをする。
「今日は帰れるかな?」
「泊まっていけば良いじゃないか」
僕は微笑みながら
「ありがとうございます」
と言った。
薄暗い部屋の中、僕達はどちらも外を眺めていた。この時間が永遠に続けば良いのに。そうすれば、僕達はずっと一緒にいられる。
「やっぱり君は、私の事が嫌いになったのかな?」
窓の外を見ながらアルフォンスが言う。雨音に紛れて詩でも読んでいる様な声だった。
「違います」
僕は落ち着いた声が出てホッとした。
「エルナ嬢と、、、」
喉の奥がクッと閉まる。泣くな、、、。
「エルナ嬢とはいつからお知り合いなんですか?」
アルの顔をそっと見る。アルフォンスの表情に驚きや怒りの色は無い。
「彼女は、学校の高等部で知り合ったね。丁度、君の年くらいかな?」
「今でも、親しいんですね」
「何故?」
「伯爵邸のダンスホールでお二人が踊っているのを見た事があります」
アルフォンスは一気に顔が赤くなった。
「見ていたのかい?」
「とても楽しそうでした」
僕は出来るだけ優しく微笑む。2人の事を責める気は無いと伝えたいから。
「恥ずかしいな、、、」
ふふっと声が出た。こんなアルフォンスの顔は見た事が無い。
「6、7年程前にエルナ嬢を紹介して頂いた時、、、」
「、、、」
「アルフォンス様がエルナ嬢に指輪を差し上げてました」
「指輪?」
「エルナ嬢は、その指輪を大事そうに撫でながら、アルフォンス様にお礼を言っていました」
「、、、」
「あの時からお付き合いされているなら、随分長い間エルナ嬢を待たせているんでしょう?」
「ラインハルト、違うよ」
ラインハルトの瞳は、感情を殺す様に努めて冷静でいようとしていた。息をするのを忘れてしまう程に、、、。
(泣くな、泣くな、、、)
ゆっくり呼吸をして、涙が溢れそうになるのを抑える。
「あれは、私が贈った指輪じゃない。彼女の大切な指輪だ」
ふと、瞬きをしたら一粒涙が溢れてしまった。
「あれは、彼女のお祖母様の指輪だ」
一粒流れた涙は、もう止まらなかった。ポロポロ溢れるのを拭う事も出来なかった。
「彼女の指輪を私が預かって、少し修理に出していたんだ。それを返したんだよ」
息をするだけで、表情が崩れそうになる。今、動いたら冷静でいられなくなる。涙を拭う事も出来ず、ただじっとアルの顔を見続けた。
雨の音が静かに聞こえる。
「ダンスホールでは、エルナにダンスを習ったんだ」
アルフォンスは一度大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。
「恥ずかしながら、私はダンスがあまり上手くない」
瞬きを一つ。
「エルナに女性パートを教えてもらっていた」
「女性パート?ですか?」
「いつか君とダンスを踊る時、必要だろう?」
アルフォンスの瞳が少し潤んでいる。
アルが照れている?
「ただでさえ、上手く無いのに、初めて君と踊るダンスで失敗したくなかった、、、」
「アル、、、」
「バカみたいだろ。7歳も年上なのに、ダンスが下手だから練習するなんて、、、」
「そんな事、、、」
アルフォンスが席を立ち、ゆっくりと移動して隣りに座った。ポケットからハンカチを出して、僕の涙を拭いてくれる.
「ごめんね、指輪の事、ずっと引っかかっていたの?」
「アルフォンス様とエルナ嬢がダンスの練習をしていた日、エルナ嬢が新居の話しをしていました。だから、お二人で住む家を作っていると思って、、、。その時、指輪のことを思い出したんです」
「ラインハルト、意地悪しないでアルと呼んでくれ」
「すみません」
「新居は君と住む家だよ」
ハンカチをしまいながら言う。
「君に相談しなかったのは、悪かった。結婚式までに完成させて、すぐに一緒に住みたかったんだ。、、、まぁ、ちょっと驚かせたいと言う、イタズラ心もあったけど」
僕はアルの肩に額を乗せる。
「何だ、、、。良かった、、、」
アルフォンスがそっと腕を回す。身体全体を包み込む様に抱きしめられて、子供になった気分になる。
「随分大きくなったな」
「もうすぐ、17歳です」
「君はいつも、私の膝の上に座りに来ていた。歩く時は必ず私と手を握っていた。とても可愛かったよ」
「僕はあの頃から、アルの事が大好きでした。アルが婚約者と知った時、僕がアルを全てから守ろうと誓いました」
ラインハルトもアルフォンスの身体に手を回す。
「アルの王子様になりたかったし、立派な旦那様になりたかった」
「知ってるよ。ラインハルトはいつも頑張っていた。小さい子供なのに、一所懸命で微笑ましかった」
「アル、僕はまだ小さな子供ですか?」
アルフォンスが抱きしめながら、頬を寄せる。
「小さな子供の時もあるし、王子様の時もある。君はいつでも、僕の大切な人だよ」
ラインハルトの心が少しほどけた。
「頑張って、良かった、、、」
じんわり涙が出た。
*****
雨はなかなか止まない。部屋の中は更に暗くなり、アルフォンスは執事を呼んだ。灯り取りの火を準備させる。
「ラインハルト、今日は泊まっていかないか?」
雨足は強くなったり、弱くなったりで止む気配が無い。
「たまにはゆっくり話しをしよう。夕食を準備させるから」
「是非、お願いします」
今まで、アルフォンスと夜まで一緒に過ごした事はない。
*****
初めて、アルフォンスと一緒にディナーを取る。アルの所作はやっぱり美しい。ナイフを使う姿も
、食材を口に運ぶ仕草も、グラスを口につけワインを飲む流れも、全て見ていて飽きない。
「ラインハルト、そんなに見つめられると食事の味がしなくなってしまうんだが、、、」
少し照れた様に言う。
「アルがカッコいいから、、、つい、、、」
「、、、そう思ってくれるなら、、、嬉しいな」
ラインハルトも、少しだけワインを頂く、16歳から飲酒は解禁だが、ラインハルトはまだあまりワインを飲んだ事が無い。美味しいのか、美味しく無いのかも分からず、一口、一口ゆっくり味わう。
アルフォンスはラインハルトの雰囲気が変わったと思った。もっと子供の頃は無理して大人ぶっていて、その姿も可愛かったが、反面心配もしていた。今は、自然で柔和な、良い意味で力が抜けた、余裕のある大人に見える。背も高くなり、身体の線がしっかりして来た。ナイフを使う手が何とも色っぽい。
ラインハルトは大人になっていた。
ゆっくり食事に時間を費やした為、ラインハルトは先にお風呂を勧められた。雨はまだ止まない。伯爵邸の風呂場は少し灯りを落としてあり、落ち着いた雰囲気がある。窓も大きい。晴れの日に灯りを消せば、月が見える時もあるだろう。今日は、生憎の雨だがそれも風流だった。心が穏やかだからだろうか。
ずっと悪い事ばかり考えていた。話し合いの場に来るのが怖かった。アルフォンスと婚約破棄する事しか考えられず、その後の事は何も分からなかった。
お湯の中で涙が溢れる。顔を洗っても洗っても涙が止まらない。今日、伯爵邸に来て良かった。ちゃんとアルフォンスと話しをして良かった。
「アル、大好き、、、。ありがとう」
誰がいるわけでも無いのに、言葉がこぼれた。
*****
お風呂から上がると、アルフォンスは部屋で待っていた。ノックをしてドアを開けてもらう。
「おかえり」
アルの手が伸びて来る。
「髪、まだ濡れてるよ」
と指先で触られると、髪の毛先に神経があるみたいにゾクゾクした。耳からうなじまで真っ赤になるのがわかる。
(可愛いな、、、)
アルフォンスはラインハルトから離れたくなかった。
(結婚式が終わるまで後1年か、、、長いな、、、)
と思いながら、1日の汚れを落としに行く。
ラインハルトはアルフォンスの部屋にいる事が、急に恥ずかしくなった。何をして待てば良いか分からないし、あちこち触るのも良く無いだろう。本棚を見たり、窓辺に寄って雨の具合を見たり、ふらりふらりと部屋の中を歩き回る。
(緊張して、バカみたいだな)
と思い、ソファに座る。目の前に氷水で冷やしたピッチャーがあり、中には薄いピンク色の飲み物が入っていた。
「飲んでもいいかな?」
と悩んでいると、アルフォンスが戻って来た。さっきとは雰囲気が変わり、リラックスしたアルフォンスは何だか色気もあって、目のやり場に困った。
アルフォンスは、ピッチャーの中身をグラスに注ぎ、ラインハルトに渡す。
「どうぞ、喉が渇いているだろう?」
ラインハルトは両手で受け取り、一口飲んでみた。水の様にすっきりしているのに、微かに甘くすっぱい。美味しい。
「あ!」
「ラインハルト!そんなに一気に飲んでは!」
アルフォンスの忠告は少し遅かった。湯上がりで喉が渇いていたらしく、ラインハルトは全部一気に飲み干していた。
アルフォンスはグラスを置き、ラインハルトの手からそっとグラスを取り上げた。
「大丈夫かい?」
「???大丈夫ですよ?」
ラインハルトに変化は無さそうだった。
(ジュースだったのか?)
と思い自分のグラスの中身を飲んでみる。やっぱり中身は酒だった。アルフォンスは少し悩んでラインハルトをベッドに連れて行く。子供の頃なら抱き上げて連れて行けるが、自分と同じ身長のラインハルトは歩いてもらわないと無理がある。
「本当に大丈夫?気分は悪くない?」
ベッドに腰掛けたラインハルトは少し揺れている。
「大丈夫です、気分も良いですよ」
「そうか、もう少し奥まで乗りなさい」
身体が揺れているので、ベッドの端に座っているだけだと心配だ。アルフォンスはクッションをあるだけ集めて、ラインハルトをベッドの上に呼んだ。
「パジャマパーティみたいですね」
と言って、ラインハルトが寝転ぶ。
「アルも」
と言って手を差し出す。アルフォンスは何だか照れながら、隣りに寝転ぶ。
「こんな事をするのは初めてだ」
「部屋中のクッションをベッドに集めて寝る事ですか?」
「それも初めてだし、人と同じベッドに寝転ぶのも初めてだ」
ラインハルトと顔が近い。可愛かった顔は大人の顔になり、見惚れる顔になった。アルフォンスがくすりと笑う。
「どうしたんですか?」
「学生の頃、1人でいるとよく女性が近づいて来たんだ。2人きりだとあまり良く無いだろう?そう言う時、私は君の話しをするんだ」
ラインハルトは話しを聞きたくて、必死に耳を傾けるが、少しウトウトして来た。
「私には可愛くて、カッコいい王子様がいるんだ。君では物足りないなってね。大抵の女性はそれで諦めてくれるんだ。でも、中にはそれでも諦めない女性がいる。」
ラインハルトは無意識にアルフォンスの胸の中へ入って行く。アルフォンスはラインハルトを抱き寄せて、髪の匂いを嗅ぐ。
「そう言う時は、何処からともなく君が現れた」
ラインハルトがウトウトしながら笑う。ちゃんと聞こえているのだろうか。
「そして、女性達は君の顔を見るとそそくさと帰って行くんだ」
女性達はラインハルトの存在に気付くと、自分は負けたと思うのか、アルフォンスから離れて行った。そんな時、アルフォンスにはラインハルトが王子様に見えていた。
*****
朝、目が覚めるとラインハルトの腕の中にアルフォンスがいた。昨日、ベッドに行った辺りまでは覚えていた。ラインハルトは自分でアルフォンスを抱いているのに、どうしたらいいかわからない。そっと腕を離せばいいのか?しかし、動いたらアルを起こしてしまいそうだ。頬にアルの髪の毛が当たる。くすぐったい様な何とも幸せな気持ちだった。今、すぐにでもアルと結婚式を挙げたいと思った。
*****
「ラインハルト、また背が伸びたんじゃない?」
「うーん、そろそろ止まるはずなんだけど、、、」
ラインハルトの身長は180センチを超し、185センチ辺りをフラフラしている。結婚式の衣装手直しが本当に大変だった。
「アル、来て」
アルフォンスが近くに来ると、そっと抱き寄せる。身長差が出て来て、ラインハルトは嬉しかった。
「アル、大好き」
「ラインハルト、私も大好きだよ」
アルフォンスはラインハルトに抱きしめられると、守られている様な気分になり安心する。
「君は、私の大事な王子様で素敵な旦那様だよ」
やっぱり最後はハッピーエンドが好きです