1話 見付けた! 響くは強い意思を貫き通す声
全5,428文字の希望に満ちた物語です。
よろしくおねがいします!
「ねぇ! 君よ、君っ!!」
ひそひそと囁くヴォリュームにも拘らず、向けた相手に強い思いを伝える声。
そんな器用さを発揮した声は、何故かとても聞き覚えがあった。
5分ほど、時間は遡る――――。
特別に秀でた「顔」「能力」「知識」なんて持たない僕の仕事は裏方全般だ。今春から一人暮らしと、アルバイトを始めたばかりの大学1年生。そんな僕が出来る事なんて限られている。夕方からの焼き鳥屋の裏方仕事――それが今の僕に出来るせいぜいだ。
時折出来上がった料理をテーブルへ運ぶほか、僕の概ねの仕事は地道に食器を洗い続けること。淡々と、無心に。ちょっぴり虚しさが過るけど、仕事なんてそんなもの。
「トリの降臨~! うまうまっ」
「音子ちゃーん? ちょっと声、抑えようかぁ?」
我慢しきれない喜びに弾けた少女の声が、鬱々と泡を弄ぶ僕の耳にも届いた。焦った様子のお連れさんには悪いけど、僕が洗って、運んだお皿の焼き鳥を、嬉しくて堪らない風に食べてもらえると、僕の気持ちもほっこり温まる。
単調なバイトも、こんな風に小さな嬉しいを見付けたら続けられるのかもしれない。
ごしごし あわあわあわわ ごしごし…… …… …… ……
「ちょっと!」
また同じ声がすぐ傍で聞こえて、泡まみれのゴム手袋をつけた僕の腕を、細い指の小さな手が掴む。
「はぃ!? え? 僕!?」
「そうよ、君よ、君っ!! トリや泡じゃなくこっちを見て!」
ひそひそと囁くヴォリュームにも拘らず、向けた相手に強い思いを伝える声。
そんな器用さを発揮した声は、何故かとても聞き覚えがあった。
けど、その記憶が何なのか考えるよりも先に、僕には重大な問題がある!
部外者の侵入で、厨房だけでなく客席にまでざわめきが広がり始めている。アルバイト一日目で、何で僕はこんな騒ぎに巻き込まれるんだよ!? 慣れない初めてのバイトでいっぱいいっぱいの僕に、なんてことしてくれるんだよ!?
声の主は、そんな僕の困惑と、周囲の喧騒は丸っと無視だ。華奢だけれどとんでもなく力強い手が、突き通す意志の強固さを乗せて、僕を厨房から引き摺り出す。戸惑うしかない僕と同じくらい混乱を極めたスタッフたちは、僕と彼女が私的な問題を抱えているのか、はたまた接客対応上の問題があったのか……などなど、状況を掴みかねて、何の行動も起こせないでいる。
「いやいやいや、誰ですか!? 僕はアルバイト中でっ!」
外野からの助けは期待できないと悟った僕は、必死で抵抗する。両足を踏ん張って、店から連れ出されるのだけは阻止しようと、声を上げて店の人たちに縋る視線を向ける。けれど、その視界にはいつの間にか真っ黒い革ジャン姿の背中が入り込んでいた。
「え!? あんたの仲間!?」
「ちがう、わたしのP」
戸惑う僕を、さらに混乱させる答えしか返ってこない。Pと呼ばれた彼は、集まって来たスタッフや店長さんに向かって話しているようで、店長は何を納得したのか頷いている。
「Pがちゃんと説明したから大丈夫。君はわたしと一緒に来るの!」
少女が小さな手に力を込めて、再び僕を強引に引っ張り始める。
何なんだ、僕の家は中流よりも落ちるくらいの平凡家庭で、大学だって仕送りだけでやってなんていけないからアルバイトもしてるんだぞ!? そんな何の旨味もない僕に、ナニをしようと!?
「まさかっ……!? 力であんたみたいなオンナノコに負ける僕を監禁して、Pーーなことをさせて、ネットに上げたりして、スパチャで一儲けしようって思ってるんじゃぁ!?」
悪い妄想が次々に膨らんで混乱する僕の背筋に、ヒヤリと冷たいものが流れ始める。
そこに店長と穏やかにお話し合いを終えて、踵を返したPがやって来た。男の姿は、20代後半くらいで、黒革ジャンに真っ黒レンズの丸サングラス、きつすぎるウエーブのミディアムヘアーの……一見してまともな社会適合者でない属性を体現している。
「音子。注目が集まりすぎだ。さっさとずらかるぞ」
「わかってる。けど、この子も一緒よ! やっと見付けたんだから!!」
戻って来たPに、音子と呼ばれた女の子が一際強い口調で宣言する。
「は? え? やだっ!! 僕はアルバイト中でっ!」
「それは今話を付けた。君は安心して、このオニイサンに身を委ねると良い」
「ナニその言いかた。怪しいことこの上ないわ」
すかさず音子が鼻の頭に皺を寄せて、呆れ切った視線を男に向ける。今ばかりは、彼女に同意だ。
「おかしいか?」
「おかしいけど、ま、仕方ないね。とにかく君には一緒に来てもらうよ。大丈夫、なにも怖いことなんてないから、君の身体を貸して欲しいだけ」
ついに僕の腕を両腕で抱え込んだ音子が、不器用に口角を上げた歪な笑顔で、ぐいぐい詰め寄る。視界の隅で、黒い男が片眉をひょこりと上げたのは、彼女の言葉だって十分すぎるほど怪しいって言いたいんだろう。全くそうだ!
「とにかく、行くぞ」
「いや、今の説明で安心して付いて行ける要素なんかないから!」
「ううん、ずぇったいにわたしのモノになってもらうわ! せっかく見付けた身体だもの、逃がさないわっ」
問題しかない発言を繰り返す音子は、とんでもないパワーで僕を引きずって行く。僕よりも幼くて、10代半ばくらいにしか見えない女の子なのに、有無を言わせない凄まじい力だ。
その小柄でほんのり丸みがかった女の子こそ、実は誰もが知るアイドル「ナナナカノコ」だったのだが――その時の僕にとって、彼女らはただただヤバい奴らでしかなかったのだった。