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横須賀教育隊へ


 まだ寒い二月。詩帆は横須賀中央駅の改札前付近に立っていた。卒業してからここへは一度も来たことはなかった。三十七年ぶりだ。

 海上婦人自衛官のことを、通称ウエーブと呼ぶ。教育隊を卒業したあとに下総基地に赴任したのはその年の夏だった。

 今日、同期会がある。十四時から横須賀教育隊で施設見学。夕方からは三浦市のホテルで食事会。そのあと、宿泊希望者はそのホテルに泊まり二次会。詩帆はJR横浜駅そばのビジネスホテルを押え、次の日、埼玉に住んでいる娘に会いに行く予定をいれていた。三浦より横浜の方が移動はスムーズ。と、いうのは建前。本当は同期と話が合わなくて孤立するかもしれない。逃げ場所を作ったのだ。

 徳島から始発の飛行機に乗って羽田、電車を乗り継いでここまで来た。携帯で経路を調べ、たどり着いた。あのころは携帯なんてない時代だった。今はその場にいながらネットを調べて情報をゲットできる便利な世の中だ。

 構内で迷いながらもコンビニ横東口の改札を出た。

 次々に二階にある改札から人々が流れてくる。スタイルの良い女性が早歩きで、通路先の階段へと消えていくのが見えた。

 かつての同期を広場で待っていた。改札少し先には駅前中央広場があり、真ん中にぽっかりと穴が開いている。広場は歩道橋の役割をしていて、いくつかの階段がその先にあり、目的地に向かって人々が分かれ、進んでいく。

 あのころは十代。都会を夢見て、はじめての関東へ出てきた。だけど、この景色は見覚えがなかった。

 五十五歳くらいの中年女性を目で探す。待ち合わせしているのは、堀と江頭。

 二人とは横須賀教育隊を卒業してすぐに配置された基地が同じ同期。初めての赴任先は千葉県柏市の下総航空基地。江頭は、基地が同じになるまで話したことはなかった。が、配属された場所が近かったことで仲良くなり、一緒に遊びに行く仲になった。堀は基地に所属する前の教育隊時代に同じ三班だった。彼女とは一生の友情を誓った仲。でもそれも二週間ほどで終わりを迎え、理由もなく仲たがいをして心が離れた。

 今回参加した最大の理由はこれだ。なぜ、無視されるようになったのかが聞きたい。詩帆は今もその傷を引きずっている。

 江頭とは十年くらい前からラインでつながっていた。ラインを知っている程度で、やり取りをしていたわけではない。

 今回同期会が開催されることになり、久しぶりに江頭から連絡が来た。それから、一緒に会場に行く約束をしていた。今朝、連絡が入り、通過駅を何度か知らせてくれた。アバウトだった約束が、きっちりとした時間となって形になった瞬間でもあった。今、ここにいる、あそこにいると頻繁にラインが来る。路線図を見て電車がどこを走っているか確認していた。ありがとう、江頭。

 この駅についてから一時間弱くらい経っている。もう一度携帯を見る。文章の内容を確認。もうそろそろ会えるはず。改札からの人の流れの中に見覚えのある人影を見た。髪の毛がバレッタ、インナーカラーが緑に穴だらけのダメージジーンズをはいた江頭、そして長身の堀。いた。見つけた。二人とも面影が残っている。詩帆は手を上に上げた。

 堀って名字は旧姓だ。今は富田。江頭の名前は入隊した時から藤沢。結婚したが名前は変わっていない。彼女は教育隊時代、自由時間になるとにぴちぴちの黒Tシャツに黒タイツを履いた。廊下でふざけて大きな音を立てながら、何度も人の塊の中に倒れこんでいた。当時インパクトのある芸人のまねをしていたのだ。大声で叫んでは特徴のあるポーズをして、指をさした人の中に突進、倒れこんでは体当たりして大声で騒いでいた。だから、彼女が黒い服装をしたときは、周りの練習員は逃げていった。班長室に黒タイツのまま連れていかれたのを、詩帆は何度も目撃した。彼女の姿を見た誰かが、江頭って呼んだのが、一瞬で隊全体に広まった。

 閉鎖的な教育隊に、無条件で笑える存在があの頃は必要だったのだと思う。

 そのせいで六班の江頭は教育隊の中でもかなり有名だった。詩帆は三班。江頭の存在を知らない隊員は誰もいなかった。が、階も違い目立ちたがりの彼女が、あの教育隊時代に存在の薄い詩帆を知っていたかは謎である。

「詩帆、久しぶり」

 江頭の横にいる長身のおばさんが言った。堀だ。

 確かに堀だった。でも、思い描いていたイメージとは違った。

「どうしたの、そのジーンズ」

 詩帆が江頭に聞く。

 さすが江頭。みんなを驚かそうとするサービス精神は変わっていない。突っ込むところ満載。まず、ジーンズ。膝上の右の裂け目はかろうじて後ろがつながっているだけで、足は膝から下はほとんど丸見え。横に紐の筋が何重にも入って膝に引っかかり歩きにくそう。

 それに頭。髪の毛がまだらの緑色だ。地元で目立たないのだろうか。

「詩帆が食事会の服はお金かけたくないっていうからこうなったんだけど」と、江頭。

「そうか、ごめん」

 詩帆が謝る。

 堀は千葉、江頭は鳥取に住んでいる。

 今晩は同窓会。教育隊時代、詩帆は練習員カーストで言えば底辺の位置。ペアを組む人はいなかった。個性的な同期たちに埋もれて息もできず、三班という名前の水槽の中で、もがいていた。同期のグループラインに誘われて入ったが発信したことはない。結局、窒息しそうになって脱退した。

 詩帆は、はじめ教育隊見学だけ参加することにしていた。見学の後にホテルディナーがある予定だがそれは不参加。一回きりの食事会の参加のために服を用意するのは、お金がかかりすぎる。ディナーには参加しない、と江頭に伝えていた。が、話をする自信がなかっただけだった。

 水槽の中で酸欠になるのはイヤだ。

『ねえ、参加してよ。堀も食事会来ないって言うんだよ。話せる参加者は詩帆だけかもしれない。私は普段着で参加するから、詩帆も普段着で来なよ』と江頭に言われた。あの人気者の江頭が、一人になるわけがない。何度も断ったが、最終的に断り切れず、ディナーも参加することにしていた。

 詩帆はダウンにチノパン。普段着で来るという江頭の服装を信じた。

 江頭。裏切らないでくれて、ありがとう。

「これ、普段着?」と、詩帆が聞く。

「そうだよ」江頭は答える。

「へえ、江頭らしい」

 堀は笑顔で全身を眺めながら言った。

「とりあえず、何か食べよう。おなかすいた」

 江頭が言う。

 携帯を見ると、十二時過ぎている。施設見学は二時からだ。

 三人並んで改札近くの広場を通り抜け、階段を下りた。工事中で建物をぐるりと囲った塀の向かい側にガストがあった。

 中に入る。席に案内され、渡されたメニューを見る。

 タッチパネルにメニューについた数字で入力。二人は単品にセットをつけていた。詩帆は疲れて食欲がわかなかった。とりあえずドリンクを入力。三人一斉に立ち上がりドリンクバーへ。ソフトドリンクをグラスにいれて、再度席についた。

「詩帆、全然変わっていないね。若い」と、堀が言う。五十五歳だ。しわも増えた。

「そんなわけないよ」と、詩帆。

 詩帆は取ってきたおしぼりを配った。手を拭いてから、グラスを口に運ぶ。

「ずっと気になることがあったんだけど。詩帆。二十二期のグループラインを脱退したよね、なんで?」

 堀が言った。

「え?」

 言葉に詰まる。

 詩帆は千葉から徳島に転勤。そこで飛行機の整備士と結婚して子供を妊娠したときに自衛隊を退官した。ラインは関東の一線で働いている婦人自衛官がメイン。きまったメンバーで盛り上がり、イベントの度に食事会をして集合写真を投稿していた。キラキラした内容で別世界だ。自分の子供はオリンピックの候補生だったとか、子供がサッカーの現役選手だとか、自慢話もちょいちょい投稿された。マウンティングまみれのライン。

「意味わかんないんだけど」と、堀。

 堀はパイロットと結婚して退官していた。二人いる子供のうち長男は医者。次男は大学の講師をしている。

「頻繁に音がしてうるさいよね」

 緑髪の江頭が言った。

「そうそう、それ。みんな頻繁に投稿するから音がうるさくて」と、詩帆。

「なあんだ。知らないの? 設定で音を消すことができるんだよ」と、堀が言う。

 もちろん、知っている。

「そうなんだ。知らなかった」

 詩帆は言った。

「同じ班で仲良かった沢口とは連絡取り合っているの?」

 詩帆が堀に聞く。

「卒業してからは、連絡とっていないんだよ。接点ないよね」と、堀。

 少しの沈黙があった。耐えられなくなって詩帆は昔の思い出を頭の中で検索、会話の糸口を探した。

「堀って、頭のいいお姉さんいたよね。確か、有名家電メーカーの開発チームに就職したんだっけ。結婚して孫とかもいるの?」

詩帆はそう言うとグラスを口に運んだ。

「それがさあ、トビと駆け落ちしたんだよ。いつの間にか会社も辞めていて、音信不通。どうしているのか、こっちが聞きたいくらいだよ。どうせ別れているだろうけど」と、堀。

「ごめん、そうだったんだ」と詩帆。

「うちの両親、ともに八十代でさあ、介護が必要な年齢なんだよ。両親に虐げられて生きてきたっていうのに、今じゃシモの世話まで私がしているよ。ははは。笑うよね」

 堀は言った。

「詩帆はどうなのよ」と、堀。

「うちも同じ感じ。父が亡くなって、母の面倒は私の仕事になっている」と、詩帆。

「福岡に妹さんいたじゃない。詩帆は今徳島でしょう。お母さんと妹さん仲良しだったんじゃなかったっけ。妹さんに任せなよ」

 堀が言った。

「母さん、妹に家を追い出されて今県営に住んでいるんだよ。父が亡くなって、家と土地は妹のものになったんだ。実家取り壊して家建てて、そこに妹夫婦二人で仲良く住んでいるよ。母は妹のことを嫌っているから、面倒みるとかありえない」と、詩帆。

「どうして、家とられたのよ」と、堀。

「妹の書いた父の名前の委任状」と、詩帆。

「裁判したの?」と、堀。

「してない。お母さんがしたくないって。私も徳島にいるし、住みたいわけじゃないから」と、詩帆。

「委任状。委任状かぁ。そうだよね。これって、あるあるパターンだね。うちの父親もおばあちゃんが亡くなった時、通帳のお金は移しかえられて、すべて空。相続で家土地財産も叔母にだまし取られた。捏造された委任状でね。昔は従兄弟と仲良かったけど、今、親戚付き合いはしていない。裁判もした。筆跡鑑定で祖母の筆跡じゃなかったことも証明された。だけど結局、遺留分しかもらえなかった。裁判費用とトントンでプラマイゼロ。裁判って時間がかかるんだよ。心はどんどんむしばまれてマイナスだった。メンタルは崩壊した。父さんその時期すごく病んだ。覆らないんだから、裁判はやらない方が正解だよ」と、堀。

「大変だったんだね」と、詩帆。

「江頭は無縁だよね、そういうの」

 堀が言った。

「うちはさあ、父親が倒れて会社手伝ってくれって兄貴に言われて自衛隊辞めたのに、落ち着いたとたん、会社を追い出されたよ。今の社長は兄貴。父親も追い出された。父が、俺の世話は和弘がしてくれるんだよな、ってたまに言ってくるけど、するわけないじゃん。結局私がするんだよ、ムカつく」

 江頭は言った。

「やっぱさあ、年取るといろいろあるよね」

 詩帆が言う。

「いろいろありすぎるよ、想定外のことが。ここにいる三人、みんな不幸になってんじゃん」と、堀。

「いやいや、不幸ではないよ。私さあ、食堂やっていて、まあまあ評判良いんだよね。今度、食べに来てよ」と、江頭。

「鳥取に? 遠すぎるよ」と、堀。

 ウエートレスが注文したものを持ってきた。ハンバーグと、ドリア。一瞬みんな黙って、動きが止まる。食べ物がテーブルに並んで、ウエートレスが去った後、二人は食べ始めた。

「詩帆、お腹すかないの」

 江頭の言葉に、詩帆が笑顔で答える。

「もうしばらくしたら、豪華な食事食べられるから、いい。おなかもすいてないし」

「私これだけじゃ、足りないよ。デザートも頼もうと思っているのに?」と、江頭。

「やめなよ。遅刻したら、どうするよ」

 堀が言う。

「横須賀教育隊の見学。二十二期四十人くらい集まるらしいよ」と、江頭。

「そうそう、六班の小林めぐみ覚えている? すごく見た目が変わっているよ。前とは全然違う。肉づきも変わった」と、江頭。

「えええっ。小林も来るの?」と詩帆。

「来る、来る」江頭が言う。

「まじか。楽しみ。音楽隊希望していたけどなれたのかな」と、詩帆。

「小林が音楽隊?」と、江頭。

「あの子は東京出身だよ。だれかと間違えていない? この間ラインでビデオ通話したんだよ。見た目は変わったけど、性格は変わっていなかった。底抜けに明るいところとか。会うの、楽しみだよね。それからさあ、うちの息子たち二人、自衛官なんだよね。下総の施設、あと舞鶴の護衛艦に乗っている。縁だよねぇ。私は九年しかいなかったのに、当時の後輩たちがかわいがってくれてさぁ」

 食べながら普通に話していた。さすが元自衛官。早食いだ。

 ガストを出て、少し歩いた。バス停を見つけ、三人でバスに乗った。

 外を眺めた。景色が変わっていく。知らない街だ。建物も雰囲気も時間とともに変わったのだろう。懐かしさはなかった。

 バスを降りて歩いた。海上自衛隊横須賀教育隊の大きな看板が見えてきた。

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