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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

インチキオカルトボーイズ

作者: 新中野ミミテック

「こいつ、いつから霊と喋れるようになったんだ?!」

 缶酎ハイを飲みながら達也がテレビに毒づいている。


(恐怖!真夏の心霊体験スペシャル その時、霊は何を語るのか!?)


 ゴールデンタイムに放送されている心霊番組。偉そうに語っているのは城之内金太郎だ。

 彼は数年前まで無名のお笑い芸人だった。しかし、ある日突然、自分は霊と会話が出来ると言い出した。それからというもの、心霊番組には必ず城之内金太郎がいる。

最近は自伝小説も出版したようで来年には映画化もされるそうだ。


「芸能界って怖いよな。生き残る為なら突然、幽霊と喋れるようになるんだから。そのうち机や椅子とも会話出来るって言うんじゃねえの?」

 発泡酒を飲みながら僕も達也に便乗し毒づいた。

「嘘を付いて迄もしがみつきたい芸能界。相当儲かるんだろうな・・・。」

「俺達も、方向転換して実は霊と喋れるって言ってみようか?かなりバズると思うよ。」

「アホ。僕達がそんな事したら炎上して終わりだよ。」

「なあ兄貴、どうしたら俺達もっとバズれる?」

 達也が力なく呟いた。

「それがわかったら、こんなボロアパートでお前と安酒なんて飲んでないだろ?」

 僕は空になった発泡酒の缶を握りつぶした。


 僕、鹿島優斗と弟の達也は動画サイトで「インチキオカルトボーイズ」というチャンネルを運営している。所謂ユーチューバーというやつだ。全国から寄せられた怪奇現象やスピリチュアル情報。それらを冷静な視点で考察し嘘や矛盾を暴いていくというチャンネルだ。

「あなたには悪い霊がついている。」

「この家は呪われている。」

「前世で悪い事をしたから不幸になる。」


 僕達は実態のないもので人々を怖がらせる奴等が嫌いだ。奴らは具体的に証明できないものを使い相手を不安に陥れる。そして相手がビビったら助けるフリをして近づいて来る。

「大丈夫。私ならあなたを救える。」

 恐怖に支配された人間は藁にも縋る思いで助けを求める。そして金だけ毟り取られ捨てられる。こんな話、世の中に掃いて捨てる程ある。

 どうして、こんなに簡単に人は騙されるのか?それは、僕達の日常にオカルトやスピリチュアルが蔓延しているからだ。

 朝、起きてテレビを付ければ「今日のラッキー占い」一歩外へ出れば、「都内最強のパワースポット」日付が変われば「今日は一粒万倍日」知らないうちに僕達はそういうものに浸食されているのだ。

 怪奇現象も呪いもスピリチュアルも、そんなものただの幻想でしかない。僕達はその虚像を暴いていくチャンネルを作りたかった。

 動画投稿を始めた頃、僕も達也も普通の会社員だった。会社が休みの日に取材に出かけ、仕事から帰って来た後、動画の編集をする。当たり前だが最初は誰も僕達の動画なんて観てくれなかった。しかし僕等は腐ることなく動画を投稿し続けた。

 動画投稿を始めて1年程経った時、ある一本の動画がバズった。

(肛門にアメジストを入れれば幸せになれる?!怪しいスピリチュアル集団に潜入!)

 山本アトランティス率いる幸福ポジティブ教への潜入取材だった。

「あなたの幸福1000%保証します」

 そんな謳い文句で人々を騙し高額な石を売りつける。所謂、霊感商法の一種だ。

 ストーンインサートという儀式では山本アトランティスに多額の金を払い肛門に石を入れてもらう。そうすれば一生幸せが保証されるそうだ。常識で考えればそんな事は絶対にあり得ない。しかし、こんなクソみたいな事に騙されてしまう人間が一定数いるのも事実だ。


 幸福ポジティブ教の潜入取材動画は3百万回再生を記録した。そして動画を投稿した数か月後、山本アトランティスが詐欺罪で逮捕された。僕等の動画はテレビでも取り上げられチャンネル登録者数が爆発的に増えた。それまで1万人前後だった登録者数は半年も経たないうちに59万人を超えた。これも達也が自分の肛門を犠牲にしてくれたおかげだ。


 僕達には夢があった。それは登録者数が50万人を超えたら会社を辞め動画制作一本でやっていくという夢だった。動画の収入だけで食っていくというのは、かなりのリスクがある。しかし会社を辞めれば、取材や動画制作にもっと時間を割く事が出来る。

当時、僕は31歳で達也は30歳、決して若いとは言えない年齢だった。リスクを取るか安定を取るか?僕と達也は何日も話し合った。長い話し合いの末、僕らは会社を辞めるという決断をした。これからもっと面白い動画が作れる。当時の僕等は希望に満ち溢れていた。


 しかし僕達の読みは外れた。上手く波に乗ったと思った矢先、強力なライバルが現れたのだ。それがスピバスターズという20代前半の二人組のユーチューバーだった。

「怪奇現象なんて全部クソ!スピリチュアルなんてただのメンヘラ!おめえら騙されてるんじゃねえぞ!黙ってスピバスターズについて来い!」

 そんなオープニングコールから始まる過激なチャンネルだった。彼等の動画の趣旨は僕等がやっている事と殆ど同じだった。怪奇現象やスピリチュアル情報の真偽を確かめるチャンネル。殆どコンセプトは同じだ。

 しかし、彼等には若さゆえの無謀さと爆発的行動力があった。加えてアイドルのようなルックスが若者達に指示された。警察が出動する程の過激な突撃スタイルが人気を呼び熱狂的なファンも付いた。

 認めたくはないが僕らは完全に失速した。それまで月に100万円前後あった収益も徐々に減って行った。今では収入も全盛期の三分の一以下になってしまい目も当てられない。僕達はどうにかして、この状況を抜け出さなくてはならなかった。


「なあ兄貴、タワマンから木造ボロアパートへの引っ越し。これってどんな罰ゲームだよ?」

「仕方ないだろ。家賃が払えないんだから。」

「こんな事になったのも全部スピバスターズのせいだよ!あいつらの動画、殆ど俺達のパクリじゃねえか!」

 また達也の愚痴が始まった。

「前より眺めは悪くなったけど案外このアパートも悪くないよ。都内で月65000円で住めるアパートなんて中々ないぞ。」

「兄貴は向上心をどっかに捨てて来たのか?!こんなしょぼいアパートに彼女なんか呼べるかよ!」

「お前、彼女なんていた事ないだろ。」

「もしこの先、出来たらどうすんだよ!?兄貴と一緒にこんなボロアパートに住んでたら連れて来れねえよ!」

「そういうのは彼女が出来てから心配しろよ。」


 僕達とスピバスターズはよく比較される。20代前半の派手なイケメンの彼等とアラサーでパッとしない僕達。同じ土俵に立っていないと僕等は勝手に思っていた。

 しかしスピバスターズや、彼等のファン達は僕等を「劣化版」と呼び事ある毎に揶揄っていた。確かに「劣化版」と言われても仕方がない。スピバスターズの現在の登録者数は150万人。僕等との人気の差は歴然だ。

「おい達也、昨日アップされたスピバスターズの動画観たか?」

「そんなもん観る訳ねえだろ。あいつらの動画観るくらいならニキビ潰してる動画観てる方がマシだよ。歯石取るやつでもいいけど。」

「悔しいけど、あいつらまた面白そうな企画始めたんだよ。ちょっと観てみろよ。敵を知るのも勉強のうちだぞ。」

「あいつらには一円たりとも金を落としたくないんだよ!」

「いいか達也?そういうのがお前の悪い所だ。敵から学ぼうとしない奴は絶対に勝てない。とりあえず動画を観てみろ。」

 達也はため息を付きながら渋々と動画を開いた。


 作り込まれたド派手なオープニングタイトルのアニメーション。やけに騒がしいオリジナルのロックなBGM。これだけでもかなり金をかけているのがわかる。

「怪奇現象なんて全部クソ!スピリチュアルなんてただのメンヘラ!おめえら騙されてるんじゃねえぞ!って事でどうも!最近勢いが止まらないスピバスターズです!」

 金髪ロン毛の智也とブルーのソフトモヒカンの三平。二人とも有名ブランドロゴが大きく書かれた、いかにもユーチューバーなトレーナーを着ている。

「っていうか聞いてくれよ三平!マジでふざけんなだよ!ふざけるんじゃねえよ!」

「どうした、智也?何だか今日メチャクチャ機嫌悪そうだな?」

「こんな事が続けばそりゃあ機嫌も悪くなるよ!」

「どうしたんだよ?」

「実はさ、数週間前から、うちの事務所に超気味の悪い手紙が届いてるんだよ!」

「どんな手紙だよ?チン毛でも入ってた?」

「チン毛だったらまだいいよ!それだったら許すよ!届いたのは全然笑えない手紙。しかも、かなりキモイ手紙。」

「チン毛よりキモイ手紙って一体なんだよ!?」

「もう俺一人じゃ重くて抱えきれないんだよ!だから今から、ファンの皆にもそのキモイ手紙を見せちゃいます!」

「おい!そんな手紙見たくねえって!こっちまで巻き添えにすんじゃねえよ!」

「三平、そんな事言うなよ!お願いだから見てくれよ!このキモさを分かち合ってくれよ!えっと、ここからはマジで閲覧注意なので、グロいのが苦手な方は画面をそっと閉じてください。いいですか?見せますよー。はいこれです!」

 智也が持っていたのはA4サイズのコピー用紙だった。そこに茶色の滲んだ文字でこう書かれていた。

(ペンション〇〇には絶対に行くな 呪われる)

「場所を特定されては困るので具体的なペンション名は隠してます。」

「何これ?手紙っていうか警告文?これのどこがキモイんだよ?」

「お前は本当にアホだねー。よく見てみろよキモイから。」

「だから、なんでキモイんだよ?」

「この手紙、文字が何とも言えない微妙な茶色だよね?これ実は血で書かれてんだよ!」

「おい!気持ち悪すぎるだろ!そんなの見せるんじゃねえよ!」

「しかも届いたのは一通だけじゃねえんだよ!今日の時点で19通も届いてるんだよ!」

「19通って怖すぎだろ!犯人暇かよ!?」

「こんなのが毎日、事務所に届いたらさすがにブルーになるだろ?!」

「っていうか逆に犯人が心配になるよ!血を無駄にするんじゃねえよ!こんな事するんだったら献血ルーム行け!クソ野郎!」

 三平が画面に向け中指を立てる。

「あまりにも、しつこいしキモイから、このペンションの事、調べてみたんだよ。そしたら〇〇県にある実在するペンションだった。しかもちゃんと営業してる。」

「実際にあるのかよ?!」

「そこで三平さんにサプライズがあります。」

「何だよ?それって絶対に嬉しくないサプライズだろ!?」

「このペンションは本当に呪われているのかどうか?俺達が泊って検証する事にしました!だから三平、明日一緒にこのペンションに泊りに行くぞ!」

「マジでふざけんなって!明日って急すぎるだろ!?」

「お前、何ビビってんだよ!そこに泊って無事に生還して元気いっぱいな俺達を犯人に見せてやろうぜ!呪いなんてない事を証明してやるんだよ!」

「おい!手紙を送って来た犯人!俺達が無事に帰ってくるのをしっかり見ておけ!」

「という事で呪われてなかったら来週また動画アップしまーす。それじゃあ三平!さっさと荷造りして来いや!じゃあ、また来週!」


 達也が携帯をベッドに放り投げた。

「何だよ、この茶番?どう見ても自作自演だろ?!」

「例え自作自演だとしても大成功じゃないか。既に100万回以上再生されてるんだからさ。」

「こういうの観ると真面目に動画作ってるのがアホらしくなるよ。なあ兄貴、俺達も自作自演の脅迫文作ろうぜ。それで大騒ぎする動画作れば絶対バズるって!そしたら、またタワマンに戻れるよ!」

 僕等の動画は最近、5万回再生いけばいい方だった。

「達也、お前それ本気で言ってるのか?」

「えっ?」

 滅多に出さない僕の低い声に達也が一瞬戸惑った。

「自作自演するくらいなら、僕はもう止めるよ。」

「冗談だよ兄貴!冗談だってば!」

「達也、僕達が動画投稿を始めた理由をもう一回ちゃんと思い出せよ。」

「わかった。ごめん。」

「僕達は僕達のやり方で勝負していこう。」

「了解・・・。」

 引っ越しの段ボールが積まれたままのアパートで僕等は深い溜息を付いた。


 

 2

(スピバスターズが行方不明?ペンションの呪いは本当だった?!)

(スピバスターズが消息不明!?クスリで逮捕され勾留中か!?)

(コンビ解散!?智也が三平が大喧嘩?!スピバスターズ失踪中!)

 

数日前からスピバスターズの失踪考察動画がトレンドになっている。

「しかし皆、好き勝手言いたい放題だな・・・。」

 達也が携帯を見ながら欠伸をした。

「ペンションの呪いって言ってるけど、あいつら無事に東京に戻って来たんだろ?」

「ああ。呪われたペンションに泊った翌日ちゃんと東京に戻って来たよ。そんで静岡のロックフェスに行ってる。インスタにその写真がアップされてた。」

 スピバスターズのインスタグラムを開いてみる。すると片手にビールを持ち、同類のド派手な女達とはしゃぐ智也と三平が写っていた。

「ちなみに奴らが最後に目撃されたのがこれ。渋谷のクラブ。そこでファンと一緒に写真を撮ったのが最後の目撃情報。」

 タトゥーをした連中に囲まれピースサインをしている智也と三平の姿があった。

「この後、奴らはいなくなった・・・。」


 スピバスターズが行方を晦ましてから今日で二週間になる。毎日、しつこいくらい連投していたインスタもこの二週間、何の動きもない。さすがにファン達もザワツキ始めた。

「やらかしたアイドルって突然、いなくなるよな?今回もそんな感じじゃねえの?」

「クスリ?金?女?あいつら見るからにそういうトラブル抱えてそうだもんな。」

 

しかしスピバスターズのファンは奴らが事件に巻き込まれたと思っているようだ。二人の行方を探せと、僕等にまでメールを送って来る始末だ。


(おい!劣化版!スピバスターズを探すの手伝えよ!)

(どうせ暇なんだろ?だったらスピバスターズ探せよ!)

(劣化版の出番キタ!スピバスターズを探してくれたらチャンネル登録するぞ!)

 

 スピバスターズと僕達は何の関係もない。会った事もないし喋った事もない。それなのに何故、あいつらのファンが僕等を頼ってくるのかわからなかった。


「兄貴、本当に今日、行かなくちゃいけないのか?あいつらと何の関係もねえだろ?!」

 一昨日の夜、スピバスターズの所属事務所「MAAMO」の社長から連絡があった。僕等と直接会って話がしたいという内容だった。

「僕だって本当は行きたくないよ。でも何か動画に出来そうなネタがあるかもしれない。」

「でも、あいつら、俺達を散々馬鹿にして来たんだぜ?」

「いいか達也、今、僕達は崖っぷちにいる。だから面白そうなネタがあったら貪欲に食らいついて行くしかないんだよ。」


「MAAMO」は有名クリエーターを数多く抱える、総合エンタメ企業の最大手だった。

以前、僕達のチャンネルが、伸びていた時、「MAAMO」へ所属する話があった。しかし事務所に所属する事で活動に制限が出てしまうのを恐れその話を断った事がある。もし、あの時、事務所に所属していたら、また違った未来になっていたのかもしれないと考える事がある。


「すみません、お待たせしてしまって。」


 前川健斗という男は年齢不詳だった。一見大学生にも見えるが実年齢は40を超えているらしい。丸い黒縁の眼鏡にマッシュルームヘア。奇抜なデザインのシャツと丈の短いパンツ。大人が子供服を着ているような不気味な雰囲気があった。


「本日はお忙しい中、お越しいただいてありがとうございます。」

 前川は深々と頭を下げた。

「お察しかと思いますが、今日来ていただいたのはスピバスターズの件です。連絡が取れなくなって今日で18日目です。二人とも自宅には帰っていないし、電話も繋がらない。会社の方でも心当たりを探してみましたががダメでした。」

「あいつらが失踪した原因に心当たりはないんですか?」

 人を外見で判断したくはない。しかしスピバスターズは色々な問題を抱えていそうに見えた。

「それが全く心当たりがないんです。だから困ってるんですよ。」

 事務所が何か隠しているのではないかと思ったがどうやら違うようだ。

「それよりお二人に謝らなければいけません。過去にスピバスターズがお二人にした失礼な発言、深くお詫びします。」

「そんな事はどうでもいいですよ。それより僕等を呼び出した理由は何ですか?」

「率直に申し上げます。スピバスターズを探すのを手伝っていただけませんか?」

 謙虚な言葉の裏に巧みなわざとらしさがあった。

「無理、無理、無理。」

 達也が大袈裟に首を何度も振った。

「前川さん、僕達は警察でも探偵でもありません。二人を探せるわけがありませんよ。」

「それは、重々承知しております。ちなみに警察にはもう失踪届を出しました。」

「だったら警察に全部任せた方がいいですよ。」

「警察は簡単に動いてくれないんですよ。何せ行方不明になったのは成人した男二人です。物騒な話ですが、死体でも出て来ない限り警察は本気で動いてくれませんから。」

 物騒な事をサラリと言ってのける前川が怖くなった。

「じゃあ、僕達に一体何をしろと?」

「お二人には彼等の足取りを辿って欲しいのです。」

「足取り?」

「彼等は呪われたペンションに宿泊した後、失踪しました。彼等の失踪とそのペンション。何か関係があるかもしれません。それを調査してもらえませんか?」

「あいつらが呪われたペンションに泊ったから失踪したって?前川さん、いくら何でもそれはあり得ませんって!」

 達也が大笑いした。

「ペンションに泊った後、二人は無事に東京に戻ってきましたよね?翌日には静岡のフェスにも参加しています。呪われたペンションに泊った事と失踪を関連付けるのは強引すぎませんか?」

「今、SNS上で(呪いのペンション)というワードが最も検索されているのはご存じですか?かなり注目されているんです。」

「でも、どうして僕達が面識のないスピバスターズを探さなくちゃいけないんですか?何のメリットもありませんよ。」

「メリットですか?大いにあります。」

 前川がニヤリと微笑んだ。

「呪われたペンションを実際に訪ねてその様子を動画にしませんか?」

 僕は達也と顔を見合わせた。

「ご存じかと思いますがスピバスターズの失踪は、今かなりトレンドになっています。弊社にも毎日、彼等のファンからたくさんのメールが届きます。その中には、あなた達にスピバスターズを探して欲しいという内容が多いんですよ。」

「何で僕達なんですか?スピバスターズと仲がいいユーチューバーに頼めばいいんじゃないですか?スピバスターズは俺達の事、かなり嫌ってましたよ。」

「嫌ってるって言うよりも、かなり馬鹿にしてたな。俺達に探されたら、あいつ等だって嬉しくないでしょ?」

 達也がアイスコーヒーのストローをかき混ぜながら呑気に呟いた。

「スピバスターズがお二人を嫌っていたのは、あなた達が元祖だからですよ。悔しいから馬鹿にするしかなかった。」

「悔しいって・・・。あいつらの方が比べ物にならないくらい人気があるでしょ?登録者数だって僕達の倍以上いる。」

「確かにスピバスターズは過激な突撃取材でバズりました。しかし、やっている事は結局あなた達の真似なんです。若さと勢いでトップに登りつめましたが中身は空っぽのままだ。頂上に立って彼等は気付いたんですよ。自分達の力では面白い動画を作れない。あなた達には勝てないと。だから悔しくて馬鹿にするしかなかったんです。」

「でも僕達がスピバスターズを探す意味がわかりません。」

「ある日、事務所に不気味な手紙が届いた。手紙に書かれていた呪われたペンションに宿泊した後、彼等は姿を消した。世の中には短絡的に物事を捉える人間が多い。彼等の失踪は呪われたペンションに泊ったせいだ。そう思っている視聴者が大勢いるんです。だからあなた達に証明して欲しいんです。彼等の失踪と呪われたペンションは何の関係ないと。これを出来るのはあなた達しかいないんです。」


 呪いで人が消えるわけがない。しかし非科学的な事を信じる人間が数多くいるのは事実だ。


「そして、ここからが本題です。よかったら、うちの事務所に所属しませんか?そしてスピバスターズ失踪に関する動画を作りませんか?そうすれば、あなた達は必ずバズります。僕が100%保証します。」

 

前川の眼鏡が蛍光灯に反射しキラリと光った。まるで漫画のようだった。

「だったら俺達が勝手に動画を作りますよ。お宅の会社に所属するメリットがよくわかりませんから。」

 達也が前川と僕を現実に引き戻した。

「メリットはあります。」

「どんな?」

「例えば、僕はそのペンションの場所を知っています。そのペンションはあなた達の力では絶対に探せない場所にあります。何故ならネットにも電話帳にも一切情報が載っていないからです。場所を知っている社内の人間にも厳しい緘口令を敷いています。ペンション名が表に出る事は絶対にありません。詳しい情報を提供できるというのはかなりのメリットだと思います。」

 今の時代ネットにも電話帳にも載っていないペンションが存在する事に驚いた。

「それに、大変失礼ですが、インチキオカルトボーイズさんは今、とても伸びや悩んでいますね?動画はとても面白いのに視聴回数があまりにも少なすぎる。僕の事務所に所属すれば絶対にもっと稼ぐことが出来ます。これは断言できます。」

 心臓をギュッと掴まれた気分になった。悔しいが前川の言っている事は本当だ。僕も達也も蜘蛛の糸が下りて来るのを心のどこかで待っていた。

「わかりました。やります。」

 達也が僕の顔を横目で見ながら前川に言った。僕も黙って頷いた。

「そう言ってくれると信じていました。すぐに法務部の方から契約に関する書類を持ってこさせます。」

 これで本当によかったのだろうか?正直この時は自分でもよくわからなかった。

「どうぞ、これからよろしくお願いします。」

 僕等は前川と、ぎこちない握手を交わした。しかし、この決断は僕が人生でした一番の失敗だった。



 3

「お久しぶりです。インチキオカルトボーイズ優斗です。2週間ぶりの動画更新になってしまいました。皆さんご存じかと思いますが今日でスピバスターズが失踪して25日目になります。僕等の元にもスピバスターズのファンから沢山メールが届いています。実を言うと僕達はスピバスターズに一度も会った事がありません。視聴者の方ならご存じかと思いますが、僕等はあいつらの事かなり苦手です。なあ達矢?」


「うん。確かに苦手だな。あいつら俺達の事、劣化版って呼んで散々イジってたみたいだし。ムカついた。でも今はそんな事、言ってる場合じゃないんだよ。さすがに一ヶ月近く行方不明になってたら、同業者として心配になるよ。」

「過去の確執は置いといて、僕達もスピバスターズの事を心配してます。」

「だから俺達、あいつらの事、本格的に探す事にしました。警察じゃないので出来る事は限られてくるけどね。」

 

達也がホワイトボードに時系列を書き出して行く。


 8月20日  呪いのペンションに宿泊

 8月21日  東京へ戻る。その後、静岡のロックフェスへ出発 静岡市内に一泊

 8月22日  東京へ戻る。23時渋谷のクラブ(最後の目撃情報)


「とりあえず、あいつらが行方不明になるまでの流れがこんな感じです。智也と三平が最後に目撃されたのが8月22日の23時頃。渋谷の道玄坂にあるCLUBスパークル。」

「あいつら、呪われたペンションに泊った後ちゃんと東京に戻って来てるんだよ。そんで翌日は静岡のフェスにも行ってる。その翌日は渋谷のクラブでも遊んでるし、いかにも陽キャなライフスタイルを送ってる。」

「静岡のフェスで、あいつらと一緒に飲んだという女の子から話を聞きく事ができました。特に二人に変った様子はなく酒を飲んでバカ騒ぎしてたらしいです。まあ、あいつららしいな。」

「それで静岡から東京に戻った翌日、午後4時に青山で雑誌の取材を受けてる。その後、渋谷のクラブで遊んだ後、行方不明になった。」


 8月22日 深夜から行方不明 達也がホワイトボードに書き足した。


「あいつ等が普段使ってる携帯電話。個人で契約したものではなく事務所が契約しているものでした。それで事務所にお願いして通話記録を取り寄せてもらいました。それがこれです。」


 拡大コピーした通話記録の明細をカメラに近づける。


「呪われたペンションに泊った日から失踪するまでの間、二人が電話をかけたのはたった数件だけでした。事務所に2回と美容院に一回。美容院に電話したのは10日後にカットの予約を入れたからだそうです。」

「とりあえず、今の時点でわかっている事はこんな感じです。自らの意志で失踪したならわざわざ美容院へなんか予約を入れないよな?」

「っていうか美容院って予約が必要なんだな?俺、知らなかったわ・・・。」

「俺達が通ってる千円カットの店とは違うんだよ。」

「そっか・・・。」

「あ、それから静岡のフェスで智也が入れ墨をした男達と喧嘩をしていた。という複数の目撃情報があるみたいです。これは今、確認中です。」

「トラブルになって誰かに拉致されたとか?」

「それは、可能性が薄いと思うな。智也も三平も身長は180センチ以上ある。しかも三平は格闘技経験者で智也もボディビルダー並みの身体だ。東京で人目に付かず二人を拉致するのは難しいよ。」

「じゃあ自ら姿を消したっていう可能性もまだ捨てきれないな。」

「とりあえず明日、二人が最後に目撃された渋谷のクラブに行って来ます。それから例の呪われたペンションに僕等も宿泊してみようと思います。スピバスターズに関する情報がありましたら是非ご連絡ください。以上インチキオカルトボーイズでした!」

 前川の言った通り僕達の動画はバズった。たった2日で百万回再生を記録し、登録者数も一気に跳ね上がった。長い間50万人代で足踏み状態だったが一気に80万人まで達した。

「とりあえず、お疲れ。」

 冷蔵庫の中から発泡酒を取り出し僕等は小さく乾杯した。

「あいつらのお陰で俺達がバズるなんて何だか複雑な気分だな・・・。」

「明日くらいに、あいつらがひょっこり現れ、僕達はまた忘れ去られるかもな。」

「いけ好かない奴等だけど、とりあえず無事に戻ってきて欲しいよ。正直言うと、あまり、この件には関わりたくないんだよ。」

「僕も同じだよ。何かわからないけど、あまり気分が乗らないんだ。」


 僕等の話に聞き耳を立てていたかのように前川から電話がかかってきた。電話に出ると珍しく前川は取り乱していた。


「スピバスターズに関する動画ですが、しばらくアップするのを止めてください。」


「何かあったんですか?」

「警察から連絡があったんです。何となく悪い予感がします。」


 悪い予感と言うのは大体的中するものだ。


「わかりました。僕等はこの件からは手を引きます。」

「手を引く?そんな必要はありませんよ。タイミングを見計らってまた再開してください。そうすれば今とは比べられないくらいにバズれますから。」

 恐怖なのか腹立たしさなのかはよくわからない。しかし僕の膝は震えていた。


 4 

 大型台風が日本列島を通過し、全国的に晴れ渡った9月の日曜日。清々しい天気に似つかわしくないニュースが飛び込んで来た。


(群馬県〇〇郡の山中で男性と思われる遺体が二体発見されました。警察は事件として捜査を進めています。)


 たった数十秒の短いニュースだった。しかしこのニュースはSNS上に爆弾を投下したた。


(キターーー!!!!遺体発見!!!)

(二人って事はやっぱりスピバスターズの智也と三平だよね?!)

(やっぱり呪いのペンションに泊ったから死んだんだ!)

(山の中に遺体を遺棄されたって事だろ?呪いでもなんでもねえ。ただの殺人じゃん。)

(ちょっと待ってよ。まだ智也と三平と決まったわけじゃないよ!)

(他殺とは言ってない!二人で心中した可能性だってある!だってあいつら借金凄かったらしいじゃん。)

 SNSは、この話題一色だった。勿論、僕達の元にも大量のメールが届いた。

(劣化版達が早く探さなかったせいで二人は死んだ!)

(さっさと動かなかったらこうなったんだ!責任取れ!)

(早くあのペンションに泊って呪われて来い!話はそれからだ!)


 発見された遺体が智也と三平のものだと決まったわけではない。可能性があるというだけで前川も断定していなかった。もしかしたら人違いかもしれない。


しかし、この紙のように薄い希望をぶち壊したのは前川からの電話だった。


「まだ正式に発表はしていませんが遺体は智也と三平でした。」 


 一度も会った事がない奴等の死に僕は酷く動揺していた。どうしてこんなにショックなのか自分でもわからない。僕は平静を装い前川に聞いた。

「死因はなんですか?」

「はっきりとした死因はまだわかりません。でも他殺に間違いないでしょう。智也の遺体には両目と肺がありませんでした。三平は脳と腎臓がありませんでした。そして二人とも右足首と左手首が切断されていた。他殺という事は明らかです。」

「どうして、前川さんがそこまで詳しく遺体の状況を知っているんですか?」

「僕が二人の遺体の確認をしたからですよ。」

「何で前川さんが・・・?」

「あれ?知りませんでした?智也も三平も、養護施設出身で親兄弟がいないんです。これ、かなり有名な話なんですが・・・。」

「いえ、初めて聞きました。」

「だから、二人にとって会社が親代わりなんです。そして僕が彼等の保証人なんですよ。」

 二人がそんな生い立ちだったとは知らなかった。知っていたらもっと奴らに親身になれたのかもしれない。

「遺体はどうやって発見されたんですか?」

「山へ害獣の駆除にきた猟師が見つけたんです。遺体は地中に埋められていたそうです。猟師が連れていたビーグル犬がしつこく地面を掘っていておかしいと思った猟師が地面を掘り返してみたそうです。そしたら遺体が見つかった。ビーグル犬は犬の中でも飛びぬけて嗅覚がいいらしいですね。もし猟師が連れていた犬がポメラニアンだったら遺体は発見されていなかったでしょう。」

 これは前川なりの冗談なのだろうか?僕には判断がつかなかった。

「すみませんが僕等はもうこの件から手を引かせてもらいます。これは殺人事件ですから警察の管轄です。」

 達也も僕の隣で深く頷いた。

「そうですか。それは残念です。これからもっと面白くなると思ったのですが・・・。」

 人が二人も亡くなっていのに何が面白いのかさっぱりわからない。無神経な前川に腹が立った。

「そういえば智也のジーンズのポケットの中にメモが入ってました。」

「メモ?」

「はい。メモには(水土)と書いてありました。」

「水土?」

「どういう意味なのかはわかりません。だからそれを調べてもらえませんか?」

「さっき言ったように僕達はもうこの事件から手を引かせてもらいます!」

「他のユーチューバー達が呪いのペンションを血眼になって探しています。ペンションに突撃してバズる為です。迷惑系ユーチューバーがペンションへ突撃する前に、あなた達にあのペンションへ行ってもらいたいんです。そして二人が死んだのは呪いのせいではないと証明して欲しいんです。」

「実際に二人は死んだんですよ!今はまだそういう気持ちになれません。」

 前川の失望のため息が電話越しに聞こえた。

「わかりました。もし考えが変わったらご連絡ください。その時はうちの会社がお二人を全力でバックアップしますので。」

 電話を切ると僕はソファに倒れ込んだ。

「なあ、兄貴。この世には呪いも祟りも存在しない。それを証明するのが俺達のやりたかった事じゃなかったっけ?」

 達也がボソッと呟いた。

「そうだったな・・・。」


 僕達の父は東京の下町にある工場でレーシングカーの部品を作っていた。


「父ちゃんの作った部品がないと車は速く走れない。」


 酒を飲んで機嫌が良くなると父は僕達にそう言って聞かせた。幼い僕等にとってそんな父はスーパーヒーローだった。

 しかし僕が5歳の時、父は仕事中の事故で亡くなった。

 父の死後、明るかった母はすっかり塞ぎ込んでしまった。社交的だった母は家から一歩も出なくなり笑う事もなくなった。そんな母の様子を聞いた高校時代の同級生が母を訪ねてやって来た。


「あなたを、苦しみから救ってくれる人がいる。だから一度会ってみて。」


 それが新興宗教「クリーンソウルズ」との出会いだった。


「あなたのご先祖様が昔、狐を殺したの。そのせいで旦那さんは事故に遭った。旦那さんが死んだのは狐の祟りが原因よ。その祟りはいずれ子供に降りて来る。子供達が20歳になったら父親と同じように命を奪うと狐が言っているわ。」


 クリーンソウルズの教祖、小林多喜子が母にそう言った時、僕は大きな声でこう言った。

「おばちゃん何言ってるの?狐が人間の言葉なんか喋れるわけないじゃん!」

 すると母に頭を思いきり殴られた。

 実体のない恐怖に支配された母は小林多喜子に縋りついた。母は父が残した保険金を小林に全て渡したそれでも足らないと言われ母は必死に働いた。

 そして稼いだ金も全て小林に渡していた。だから僕達はとても貧しかった。


「悪い子にしていると狐の霊に呪われるぞ!」


 クリーンソウルズの信者達は子供だった僕と達也をそう言ってよく脅かした。

 僕はいつも不思議に思っていた。狐の霊を実際に見た人は本当にいるのだろうか?

だから大人達を捕まえ狐の霊について詳しく聞いてみた。

 大きさ、形状、匂い、毛並み、鳴き声、目の色、出没場所などだ。それを表にまとめてみると面白い事がわかった。

 体長10メートルという人もいれば、50センチという人もいる。目の色は赤という人もいれば緑色だったという人もいる。

 とにかく大人達の回答はどれも一貫性がなかった。その時僕は思った。本当は誰も狐の霊など見た事はないのだ。これは全部大人が作り上げた嘘だ。呪いや祟りなんてこの世には存在しない。恐怖に囚われている人達の目を覚ましてあげたい。僕は強く思った。


「達也、明日、智也と三平が亡くなった事が公表されるそうだ。そしたら今より、もっと大騒ぎになる。しばらくの間、東京から離れるか?」

「いいね!そうしよう。久しぶりに親父の墓参りにでも行って来ようか?」

「新幹線だと高くつくから、のんびり普通電車で行こう。どうせ僕達、時間だけはたっぷりあるから。」

「ビール片手に電車旅。最高だな。」


 呑気に旅の計画を立てていた僕達の元に一通の手紙が届いた。それは赤茶色の滲んだ血文字で書かれた手紙だった。


(ペンション月光には絶対に行くな 呪われる)



5 

 ようこそ!天女伝説の光石村へ昔々、怪我を負った天女が光石村に舞い降りてきました。村に住む木こりの太之助は怪我を負った天女を村に沸く温泉へと連れて行きました。

「この村に医者はおりません。しかしこの温泉は傷を早く治してくれます。」

その温泉に入ると天女の傷はすっかり消えて無くなりました。天女はお礼に月から持って来たという石を太之助に渡しました。

「この石を使えば人間の病が治せる。」

天女はそう言って空へ帰って行きました。太之助には生まれつき目の見えない久乃という娘がいました。天女に貰った石を久乃に見せると、石は光を放ち久乃の顔を優しく包みました。すると久乃の目が見えるようになったのです。天女が入って傷を治したとされる温泉は今でも光石村に滾々と湧き続けています。



「今の時代だったら完全にコンプライアンス違反だな。初対面の女をいきなり温泉に連れて行くってヤバいだろ?」

 達也が光石村のホームページを見せてくれた。素人がHTMLの本を見ながら適当に作ったような古くてシンプルなデザインだった。しかし人口720人の村にホームページがあるだけマシなのかもしれない。

「天女伝説の残る村か。何かサスペンスドラマみたいだな。」

「なあ、兄貴?この令和の時代、ネットにも電話帳にも載ってないペンションってマジで存在するんだな。どうやって客を呼び込むんだよ?」

 以前、前川が僕達に「ペンションの場所は絶対に探せない。」と言っていた。その意味がようやくわかった。

ペンション月光の情報はネットに一切載っておらず、地方の電話帳にもなかった。


「これからの時代、身を守るにはアナログ一択だな。ウザい奴等を完全にシャットアウトするにはこれしかねえよ。」

 スピバスターズに届いた血文字の手紙。それが僕等の元へも届き始め、今日で11日目になる。

僕等は釣りに行くのを止め、この事件に真剣に向き合う事にした。

「でもさ、ネットに情報がないのにスピバスターズはどうやってこのペンションを探し当てたんだ?兄貴と俺があんなに必死に探しても見つからなかったのに。」

「前川が調べて、あいつらに場所を教えてやったらしい。」

「でも前川はどうやって調べたんだよ?」

 ペンションの場所を自分達で突き止めようと僕等は三日間徹夜で頑張った。しかし四日目に降参し前川に電話をかけた。悔しかったが前川にペンションの場所と電話番号を教えてもらった。

「企業秘密ですって前川は言ってたよ。」

「前川の野郎、恰好つけやがって。」

「よし、今からペンションに予約の電話を入れるぞ。達也カメラの準備はいいか?」

「OK」

 僕は前川から渡されたメモを見ながら慎重に電話番号を押した。9回目の呼び出し音の後、年配の女性が電話に出た。


「もしもし、ペンション月光です。」

「あの、宿泊の予約をしたいのですが大丈夫ですか?」

「はい。お日にちはいつでしょうか?」

 明るい声で好感が持てる。

「今週の木曜日、男二名、一泊でお願いします。」

「少々お待ちくださいね。今確認します。」

 エーデルワイスの保留音を聞きながら僕はビデオカメラの方を見た。

「はい。その日大丈夫ですよ。お客様、こちらにお泊りになるのは初めてですか?」

「はい。初めてです。」

「電車で来られますか?」

「はい。」

「××駅から午後1時丁度に出るバスに乗ってください。そして終点の光石村役場前で降りてください。そこから真っ直ぐ山道を下って40分の所にある赤い屋根の建物です。午後1時のバスを逃すと次の日までバスは来ないので乗り遅れないようにしてくださいね。」

「わかりました。」

「じゃあ、お電話番号と、お名前お願いします。」

 僕は携帯の番号とフルネームを告げた。 

「それでは来週の木曜日お待ちしております。」

 電話を切ると僕はカメラに向かって親指を立てた。

「はい。今、無事にペンションの予約が終わりました。電話の対応はとても良く今のところ普通のペンションです。何も怖い事はありませんでした。」

「別の意味で怖いのがバスが一日一本しかないって事。そしてバス停から徒歩40分ってとこだな。」

 達也がちゃかすように言う。

「達矢、この日は絶対に寝坊するなよ!」

「わかったよ。」

 一旦、録画を止めた。正直、拍子抜けしてしまった。もっと勘繰られるかと思ったが何も聞いて来ない。

すんなり予約が取れたという事は他のユーチューバーにはまだ見つかっていないという証拠だ。

「達也、編集でペンションの名前を消すの絶対に忘れるなよ。」

「わかってるよ。他のユーチューバーに嗅ぎ付けられたら面倒な事になるからな。」

「兄貴、俺は呪いなんて絶対にあるわけないと思ってる。でも少しだけビビってるよ。二人も人が死んで、俺達も同じ手紙を受け取った。ペンションへ泊りに行くの兄貴は怖くないのか?」

「正直言うと少しだけ怖いよ。でもペンションに泊ったから死ぬなんて事は絶対にあり得ない。それを僕達が証明するんだよ。」

「俺達もあいつらみたいに殺されたらどうする?」

「そんなの殺されてから考えようぜ。」

 僕は達也の手前強がって見せた。


 東京駅から東北新幹線に乗車し3時間、更にそこから在来線に乗り換え55分。

寂れた無人駅で下車し、そこからバスに乗り換え70分。

光石村は腰の骨が砕けそうなくらい辺鄙な場所にあった。

「呪いで殺されるより熊に殺される確率の方が高いな・・・。」

 達也の言う通り光石村は熊が出そうな暗く深い山の中にあった。四方を高い山に覆われているせいで昼間なのに薄暗い。緑の脇道からひょっこりと熊がいつ出て来てもおかしくない場所だった。


「漫画ではこういう田舎を見た事がある。でもこんな村が今の日本に存在するなんて驚いたよ。」

 東京で生まれ育った僕等にとって、ここは未知の世界だった。

 電話で言われた通り僕達は光石村役場前という場所でバスを降りた。

 しかしバスを降りてから10分程、経つが誰一人歩いていない。それどころか車も自転車も走っていない。

「おい、俺達、今、死後の世界にでもいるのか?」

「死後の世界の方がまだ賑やかだろう。」

 

バス停の近くにあるのはプレハブ小屋一軒だけだった。僕は建物の中をそっと覗き込んでみた。すると窓ガラスの内側に紙が貼ってあった。

 

出張光石村役場 営業時間 月曜日・火曜日 10時~17時迄

 

どうやら、ここが光石村役場のようだ。出張役場なので常時、人がいるわけではないらしい。

「月曜日と火曜日に営業か。」

「智也のポケットから発見された(水土)っていうメモとは何も関係なさそうだな。」

 

 光石村のホームページには人口720人と書いてあった。しかし本当に720人も人が住んでいるのかも疑わしい。バス停の前でタクシーでも拾おうかと思っていたが、かなり甘い考えだった。仕方なく徒歩でペンションへ向かう事にした。


「兄貴、覚えてるか?小さい頃、母さんに連れられて布教活動で四国の田舎に連れて行かれた事があったよな?あまりにもしつこく母さんが勧誘するもんだから塩を捲かれよな?」

 都会とは違う緑の匂いを感じながらゆっくりと山道を歩いた。

「ああ、覚えてるよ。」

「しかし、何で母さんは小林多喜子なんか信じたんだろうな?あんなババアの為に必死に稼いだ金、貢いでさ。本当にアホだよな。」

「全部あなた達の為なの!って言われるのが一番しんどかったよな。僕達はそんな事、一度も望んだ事ないのに。」

「ほんと。俺達の為って言われる度、罪悪感で胸がいっぱいになったよ。」

「母さんには自分の幸せを見つけて欲しかった。」

 中学の時、ある事がきっかけで僕と達也は母と離れ暮らす事になった。

父方の親戚に引き取られたが正直あまり居心地はよくなかった。だから高校を卒業するとすぐ僕は家を出た。そして住み込みの仕事をしながら必死に金を貯め六畳一間のアパートを借りた。

高校を卒業した達也も僕のアパートに転がり込み二人での生活が始まった。


 14歳の時から母とは一度も連絡を取っていない。でも時々、母の夢を見る事がある。昔の優しかった時の母の夢だ。

 夢の中で僕は母の柔らかい膝の上でゆっくりと目を覚ます。しかし次の瞬間、母は髪を振り乱し僕を痛めつける。母の本当の姿は一体どっちだったのか?今でもわからなくなる。


「おい兄貴、あの建物じゃねえか?」

 緑の世界に突然、赤い屋根が現れた。その強烈な赤は、僕等に何かを警告しているかのようだった。

「随分と強烈な建物だな。これじゃあペンションじゃなくてラブホテルだろ。」

 きっと開業したばかりの頃は童話に出てくるような可愛らしい建物だったのだろう。しかし時が経ち、建物全体が劣化し今では不気味なオーラを漂わせている。

「長閑な田舎の景色をこの建物が完全にぶち壊しにきてるな。」

 錆びて茶色になった丸いアーチを潜り、玄関へ向かう。ドアには色褪せた趣味の悪いバラの造花が飾られている。

 呪われたペンションというより悪趣味の館という感じだ。扉を開け建物の中に入った瞬間、独特の匂いが臭覚と脳を刺激した。

 決して臭いわけではない。長い年月をかけ建物と人が作り出した家の匂いだ。

「すみません!今日予約している者です!」

 誰も出て来ないので奥に向かって何度か呼びかけた。

「はーい。今行きます!」

 出てきたのは真っ赤な口紅を付けた女だった。濃いアイラインとブルーのアイシャドーそして肩までの巻き髪。

 一見、年齢不詳だが年齢は60代後半だろう。どんなに若作りしても隠せない老いが滲み出ている。

「靴を脱いでこのスリッパに履き替えてね。」

 赤い花柄のスリッパが出された。しかし履くのを躊躇する程、古ぼけている。潔癖症の達也はそのスリッパをみて明らかに動揺していた。

「チェックインの手続きがあるから、そこの談話室で待っててくれる?」

 僕達は玄関のすぐ脇にある談話室という場所に通された。

 そこは20畳程の大きさで、テーブルや古い革のソファなどが置かれている。壁一面の本棚には小説や漫画本がびっしりと並んでいた。しかし漫画のラインナップは全て一昔前のものだった。しばらくするとお盆を持った女がやって来た。

「いらっしゃいませ。私、このペンションのオーナー四宮和子と申します。お兄さん達バス停から歩いて疲れたでしょ?よかったら冷たい麦茶どうぞ。」

 和子がテーブルの上にグラスを置いた。毒が入っていたらどうしようと一瞬躊躇した。 しかし喉の渇きには勝てず一気に飲み干してしまった。

「じゃあ、ここにお名前と住所をお願いします。」

 和子は真っ赤なマニュキアの塗られた爪で宿帳を指さした。

「今日、宿泊しているのは僕達だけですか?」

 宿帳を記入しながら達也が尋ねた。

「今日はもう一組お客さんがいますよ。お兄さん達と同じで東京からのお客さんよ。少し前にチェックインして今頃、温泉にでも入ってるんじゃないかしら?」

 悪い予感がした。

「お兄さん達も、後で温泉に入ってきたら?うちの泉質は最高よ。一回入っただけでお肌が、すべすべツルツルになるんだから。」

「あの、ここに泊りに来る方ってどんな方達が多いんですか?」

 変な事を聞いてしまったと後悔した。それに気付いた達也がすぐにフォローを入れた。

「ほら、ここってかなり山奥にあるじゃないですか?だから何しに泊りにくるのかなって思って。」

「お兄さん達はどんな目的で来たのよ?」

 和子はニヤニヤ笑いながら僕達に尋ねた。

「えっと・・・俺達は田舎が好きで・・・そしたら光石村を見つけて・・・たまたまこのペンションを見つけたんです。」

 慣れない嘘を付き達也がしどろもどろになっている。

「先月も東京から若い人が泊りに来たのよ。うちのペンションが呪われてるっていう噂があるんだって?それで面白半分で泊まりに来たみたい。どうせお兄さん達もそうなんでしょ?」

 先月、東京から来た若い人。スピバスターズしか考えられなかった。

「すみません・・・。実は僕達もそれで泊まりに来ました。」

 全て見透かされているようなので正直に白状した。

「いいのよ。気にしないで。呪いなんて嘘だから。ここに泊った人が全員呪われるんだったら、35年もここで商売なんか出来ないわよ。うちのペンションは殆どが常連のお客さんなのよ。呪われた人なんて一人もいないわ。残念だけどうちに泊っても怖い事なんて何も起こらないわよ。」

 僕等はただ黙って頷くしかなかった。

「でもせっかく来たんだし温泉と食事だけは楽しんで行って。今日はこの山で獲れた猪鍋よ。」

 何だか拍子抜けしてしまった。確かに今のところ全く怪しい所はない。僕等は部屋の鍵を受け取り僕等は二階へ上がった。

「まじかよ?」

 部屋のドアを開けた瞬間、僕等は固まった。

 レースのフリルのついたピンク色の枕カバーと掛け布団。壁に飾られた色とりどりの色褪せた造花。キャビネットの上に並べられた薄汚れたフランス人形。外観だけではなく部屋の中もかなり悪趣味だった。


「まるで昭和の悪趣味なものを寄せ集めて作った博物館だな。完全に時間が止まってる。」

「そういえば、あの、おばさんの化粧も昭和で止まってたな。妖怪人間のベラと同じ真っ青なアイシャドーと真っ赤な口紅。」

 確かにかなりインパクトのある化粧だった。化粧と言うよりも舞台メイクに近いものを感じた。

「この部屋にいるのもなんだし温泉に浸かりながら動画の構成でも考えるか?」

「いいね。それで四宮和子にインタビューをお願いしてみよう。とっつき難い感じでもないしOKしてくれそうだ。」

「じゃあ、長旅の疲れを癒しに行くか。」


 僕達は気を取り直し、一階にある温泉へ向かった。ちょうど先客が風呂から上がったようで脱衣所で着替えをしていた。

「えっ、ちょっと待って!インチキオカルトボーイズさんですよね?!」

 赤いボクサーパンツ一丁の男が僕等に話しかけてきた。

「ヤバッ!やっぱり本物だよ!本物のインチキオカルトボーイズさんだよ!って事は、ここは間違いなく呪いのペンションだって事だ!やっぱりここだったんだな!」

 興奮しながらもう一人の黒いボクサーパンツを履いた男とハイタッチしている。

「一体、何の話ですか? 」

 厄介な事に巻き込まれているのだけはわかった。

「自己紹介遅れてすみません!俺達ユーチューブでビビルカンパニーって名前で活動してます。僕がビーフでこいつがチキン。お会いできてマジ光栄っす!」

 全く聞いた事のないユーチューバーだった。

「いやマジで嬉しいっす!スピバスターズさんが死んで、皆、血眼になって呪いペンション探してるじゃないですか?俺達も必死に探したんですよ!地方の電話帳まで取り寄せて。ここにインチキオカルトボーイズさんがいるって事はやっぱりここが呪いのペンションなんだ!俺達ついてるー!」

「ちょっと、待って。このペンションはどうやって探し当てたの?」

 僕等は三日徹夜してもこのペンションを見付けられなかった。この場所をこの二人がどうやって探し当てたのか知りたかった。

「実はここだけの話、僕の元カノがMAAMOで働いてるんですよ。元カノに土下座して教えてもらったんです!あ、でもこれ絶対に内緒ですよ!バレたら元カノ会社クビになっちゃうんで!」

 前川が従業員に敷いた緘口令は何の意味もなかったようだ。

「それより、このペンション、くそダサいだけで全然何も怪しくないですよね?動画に出来るネタがなくて困りましたよ。何か面白そうなもの見つけました?」

「さっき到着したばかりで、まだ館内をよく見てないんだ。」

「正直言って何もないっすよ。ただの古くて、くそダサいペンションです。ちなみにインチキオカルトボーイズさんに、ここで会った事、動画にしてもいいっすか?」

「いや、それはちょっと・・・。」

「やっぱ、そうっすよねー。バックに大きな事務所がついてると無理っすよねー。俺達まだ登録者数1万人の底辺ユーチューバーなんでこれから頑張ります!」


 彼等はきっと、ここで僕等に会った事をすぐにSNSに投稿するだろう。初対面にも関わらず「ここだけの話。」という奴は信用できない。

「そういえば、このペンション携帯とWi-Fiが繋がらないですよ!マジでやばくないですか?日本にこんな場所あるんですね!」

 そう言えば、光石村に着いてから一度も携帯を見ていなかった。携帯もWi-Fiも繋がらないとは知らなかった。

「とりあえず、俺達、夕飯の時間まで外で煙草でも吸って来ます。温泉ゆっくり入って来てください。こいつ、さっき湯船でおしっこしてましたけど!」

「バカ!してねえよ!」

 二人は馬鹿笑いしながら脱衣所を出て行った。

 彼等のチャンネルは見た事がない。しかし大体検討は付く。

「よりに寄ってあいつらと一緒なんて、俺達とことんついてないよな・・・。」

「変な事にならなきゃいいけど。」

 僕等は憂鬱な気持ちのまま湯船に浸かった。



 18時になり一階へ降りて行くと、何とも言えない良い匂いが空腹を刺激した。赤い絨毯の敷かれた食堂には四人掛けのテーブルが5つ配置されている。

このペンションの客室が5つなので、それに合わせての事なのだろう。

 テーブルの上には既に小鉢が数品並んでいる。

「どうぞ、お座りになって。」

 フリルの付いたピンクのエプロンを身に着けた四宮和子が僕等を出迎えた。

「お飲み物はどうします?」

 僕と達也は瓶ビールを注文した。温泉上がりの火照った体に冷えたビールは最高だった。

 僕達に少し遅れてビビルカンパニーのビーフとチキンがやって来た。僕達がビールを飲んでいるのを見ると彼等も真似してビールを注文した。

「それじゃあ、こんなクソ田舎での出会いに乾杯!」

 隣のテーブルに座ったビーフとチキンが僕達にコップをつき出した。仕方なく僕等は乾杯した。出された食事はどれも絶品だった。新鮮な野菜と獲ってきたばかりの鹿や猪の肉。全く獣臭くなく最高だった。

「四宮さん、ちょっといいですか?!」

 食事が一通り終わり、デザートの果物を食べている時だった。突然ビーフが和子に声をかけた。チキンはカメラを和子の方に向けている。

「顔は絶対に出さないし、声も加工しますのでお話聞かせてくださいよ。」

「そういうのは困るわ。」

「いいじゃないっすか!顔は出さないんだし。」

 彼らはスピバスターズのように強引だった。

「あなた達もう録画してるの?顔は絶対に写さないでよ!」

「顔は絶対に出しませんって!約束します!先月、8月19日の事を聞きたいんですよ。ここに東京から来たこの二人が泊りましたよね?」

 ビーフが女に携帯の画面を見せた。智也と三平の画像だった。

「いらっしゃいましたよ。二人とも珍しい髪の色をしてたので覚えてるわ。」

「ここに泊った時、二人はどんな様子でしたか?」

「どんなって普通よ。あなた達と同じ。携帯とWi-Fiが繋がらない事に散々文句を言ってたわ。温泉に入って、夕飯を食べて、一泊して帰って行きました。」

「その間、何か変わった様子はありませんでしたか?」

「特にないわよ。夕飯の時、ご飯を5回もおかわりした事くらいじゃない?」

「それだけですか?」

「館内は禁煙なのに部屋で煙草を吸っていたから注意をしたわ。」

「朝は何時頃チェックアウトしましたか?」

「詳しい時間なんて覚えてないわよ!Wi-Fiのない生活が耐えられないとか言って朝ごはんも食べずチェックアウトして行ったわ。」

「この旅館は呪われているという噂があります。過去にこのペンションで何か事件などあったんですか?」

「あなた、随分失礼な事聞くのね。」

 和子は呆れたように大きなため息をついた。傍で見ているこちらの方が緊張してしまう。

「実は、さっき見せた写真の二人、遺体で発見されたんです。それはご存じでしたか?」

「いいえ。どうして亡くなったの?」

「殺されたみたいです。」

「可哀想に・・・。まだ若いのに気の毒ね。」

「このペンションが呪われているっていう手紙が彼等の元に届いたんです。その手紙については何か心当たりはありますか?」

「そんなのあるわけないでしょ。」

「血で書かれた手紙が19通も送られて来たんです。このペンションに客を呼び込むため送ったとか?本当に心当たりありませんか?」

「ないっていってるでしょ!ここは、あなた達がまだ生まれてない昭和の時代からずっと営業してるの。これまでたくさんの人達がここに宿泊してきたわ。そして今もたくさんの常連さんが毎年泊りに来てる。ほら、そこを見てご覧なさい。ここにたくさんの手紙や葉書が飾ってあるでしょ?よく読んでみて。皆さん、来年また来ます。今年も来れてよかったっていうお礼の手紙をくれるの。ここが呪われていて泊ったお客さんが全員死んでたら常連客なんて一人もいないはずでしょう?」

 四宮和子に完全に論破され二人は押し黙ってしまった。

「こっちは食事の後片付けで忙しいのよ!あなた達は礼儀をもう一度学び直した方がいいわよ!」

 和子は怒ってキッチンへ引っ込んでしまった。

「やべー怒られちゃました!」

 ビーフが舌を出してカメラに向かってお茶らけている。チキンが録画を止めた。

「はい!オッケーですー。いいのいただきました!」

 僕達はただ唖然としていた。

「インチキオカルトボーイズさんには悪いですけど女将さんの独占インタビューいただいちゃいました!」

 怒られて少しは反省しているのかと思ったが違ったようだ。

「このインタビューバズり確定でしょ!何だか俺達、横取りしちゃったみたいでスミマセン!」

 僕も達也も何も言う気になれなかった。最初からこんな奴等だと思っていたが想像以上に最悪だった。

「歳を取るとフットワークが重くなるって言うけど、本当みたいっすね。お二人が劣化版って呼ばれている理由がわかりましたよ。ボヤボヤしてたら美味しいネタ、これからも僕等が全部横取りしちゃいますよ。」

「お前ら俺達に喧嘩売ってんのか?」

 達也が二人を睨んだ。

「そんなー。大先輩に向かって喧嘩を売るつもりなんてありませんよ。僕達、登録者数たった1万人の底辺ユーチューバーですから。」

 チキンがお道化て見せた。

「俺ら事務所とか関係ないんで、どんな無茶だって出来るんですよ。あなた達があのオバサンにインタビューしたら俺達と丸被りになっちゃいますよ。パクられたって告発動画出しちゃうかもしれません。気を付けてくださいね!」

 僕等の前でインタビューしたのは最初からそれが狙いだったのだろう。

「俺達、日本一有名なユーチューバ―になるのが夢なんですよ。その為にはどんな事だってしますよ。じゃあ、俺達部屋に戻ります。おやすみなさい先輩!」

 二人は笑いながら談話室を出て行った。

「何だあいつら?」

 達也が舌打ちした。

「きっと俺達の事、ずっと嫌いだったんだろうな。」

「いかにもスピバスターズの申し子って感じだもんな。」

「こうなると俺達はもうインタビューは出来ない。無駄足だったな。」

「ああっ、ちくしょう!ムカつく!マジでムカつく!ムカつきすぎて今夜は眠れなそうもないよ!」

「落ち着け達也。」

「あの趣味の悪い部屋にも戻りたくないし、今から歩いて東京まで帰るか?!」

「とりあえず談話室に行って漫画でも読んで落ち着こう。」

 僕等は談話室へ行き、くたくたになった古い漫画本を手に取った。どれも昭和の作品でタイトルは聞いた事はあるが読んだ事のない作品ばかりだった。しかし期待せずに読んでみると、かなり面白く僕等は時間を忘れ夢中になっていた。

「やべえ兄貴!この本38巻まであるよ!絶対に明日のチェックアウトまで読み終わんねえよ。どうする?」

 本を読み進めて行くうちに僕は妙な事に気付いた。たまにだが漫画の吹き出しの台詞の一部が黒く塗りつぶされている箇所がある。

それは一冊の単行本に一か所か二か所あるかないかだった。最初は気のせいかと思った。しかし達也の一言でそれは気のせいではないというのがわかった。

「何だよこれ?台詞が所々マジックで塗りつぶされてるんだけど。戦前かよ?」

 僕の読んでいた漫画と達也の読んでいた漫画は別の物だった。しかし達也の方も塗りつぶされている箇所がある。

「何て言う文字が消されてる?」

「わかんねえ。マジックで、しっかり塗りつぶされてるから。」

「台詞の前後から何となく推測できないか?」

 僕達はかたっぱしから漫画本を手に取り黒塗りされている箇所だけを探した。

「多分だけど、(火)っていう言葉じゃないか?いいかこの台詞見てみろ。」

(●を点けて燃やしてやる。)

「確かに。他の台詞もそうだ」

(あなたは私のハートに●を点けた。)

(辛くて口から●が出るよ)

「間違いない!火だ!」

 僕達は、謎が解けた事に歓喜した。しかし1分も経たないうちに冷静になった。

「俺達一体何してんだよ?」

 時計を見るともう午前3時を過ぎていた。

「おい。達也、いい加減もう寝よう。」

「ああ。」

 僕等は何だか、がっかりした気分で部屋へ戻った。



 翌朝、食堂へ行くとテーブルにはベーコンエッグとサラダがセットされていた。

「おはようございます。」

 キッチンにいる和子に挨拶する。昨夜の事があったので怒っているか心配だった。しかし機嫌は良さそうだった。

「あら、おはよう。昨夜は遅くまで起きてたみたいね?」

「談話室にある漫画。面白くてハマっちゃいました。」

 達也が寝ぐせの付いた頭を掻きながら言った。

「常連のお客さん達が色々置いて行ってくれたの。いつの間にかあんなに増えちゃったわ。」

 炊き立てのご飯と味噌汁がテーブルに並ぶ。「どうぞ」と和子が言った瞬間、僕達は味噌汁を飲んだ。出汁が効いていて美味い。

「あいつらはまだ起きて来ないんですか?」

 会いたくはなかったが気になった。

「あの子達、朝ごはんも食べずにチェックアウトしたわよ。」

「何時頃ですか?」

「6時30分頃かしら。」

 時計を見ると9時30分だった。

「チェックアウトって10時でしたっけ?何だか遅くなっちゃってすみません。」

「光石村役場前発のバスが10時20分出発。早くご飯を食べて用意しないと間に合わないわよ。そのバスを逃したら明日までバスは来ないからね!」

 僕等は急いで飯を掻きこみ部屋へ戻った。そして荷物を纏め階下へ降りた。

「すみません。チェックアウトお願いします。あとお会計も。」

 僕は和子にルームキーを返した。

「えっと、一泊8500円×二名様、ビール代が1500円、合計18500円ね。カードは使えないから現金でお願いね。」

 ぴったりの金額を渡すと和子が名刺サイズのカードをくれた。

「これポイントカード。10泊、泊ると1泊無料になるわ。」

「さすがに10泊は厳しいな・・・。こんな遠くまで中々来れませんから。」

 達也がやんわり断ろうとすると和子が大きな声で言った。

「出会いは必然、縁は切れない、例え仏に頼んでも!」

 あっけにとられていると和子はもう一度繰り返した。

「出会いは必然、縁は切れない、例え仏に頼んでも!さあ、急がないとバスに乗り遅れるわよ。また会えるの楽しみにしてるわ。」

 和子に見送られ僕等はペンションを後にした。玄関を出て振り返ると和子はまだ僕達に手を振っている。僕は愛想笑いをしながら手を振り返した。

和子が見えなくなる距離まで来ると達也が大笑いし出した。

「っていうかポイントカードいる!?」

 僕も達也に釣られ吹き出した。

「あそこに10泊するのは、かなりきついって!」

 しばらくの間、僕達は笑いながら山道を歩いた。

「どうする兄貴?こんな遠くまで来たのに取れ高ゼロだぞ。前川に何て説明すればいい?」

「他のユーチューバーに先を越された。そう正直に言うしかないよ。そして素直に謝る。」

「ちくしょー!あいつらのせいで全てが台無しだよ!」

「悔しいけど、あのインタビューバズるだろうな。僕達が一足遅かった。」

 ペンションを出た時は爆笑していた。しかしバス停が近づくにつれ現実に引き戻され憂鬱になっていった。

「午前中だっていうのに誰一人歩いてないな。この村、本当に人が住んでるのか?」

 人だけではなく車も自転車も走っていない。

「昔観た映画を思い出すよ。実はここは架空の村で本当は誰も住んでい。っていうオチのやつ。」

 何というタイトルの映画だったか思い出せない。

「おい、兄貴!文明が!文明が戻って来たぞー!」

 携帯電話を見ながら達也が興奮している。どうやら携帯が繋がったようだ。

「さすが、光石村役場前!やっと携帯が繋がったよ!ここまで来ればもう安心だ!」

 バックパックに入れっぱなしの携帯から通知音が聞こえて来た。僕達はまた騒がしい世界へ戻らなければ行けない。電波のない生活に少し後ろ髪を引かれながら僕はバスに乗り込んだ。



 東京に戻った僕達はすぐ前川に会いに行った。そしてペンションで起こった出来事を正直に話した。


「ペンションでのインタビュー動画、今出しても、あまりバズらないと思いますよ。」


 何か苦言を呈されるかと思ったが前川の反応は予想外のものだった。

「スピバスターズの失踪理由ですが現在、ヤクザ復讐説がトレンドです。」

 どうやら、僕達が東京を留守にしていた間、状況が変わったらしい。


(スピバスターズ、坂口系暴力団から総額6000万円の借金!返済が遅れヤクザに拉致されたか?!)


 登録者数70万人の裏社会系ユーチューバーが解説動画をアップしていた。

「智也と三平が闇金から多額の借金をしていた事、週刊誌がすっぱ抜いたんです。」

「あいつら、相当稼いでましたよね?なのに何で闇金なんかに手を出したんですか?」

 スピバスターズは僕達の数倍、いや数十倍の収入があったはずだ。

「あの二人、闇カジノに嵌まっていたそうです。かなり通い詰めていたようで闇金に手を出したみたいです。僕も知りませんでした。」

「何だか全然驚かないな。あいつらならやりそうだ。」

 達也が鼻で笑った。

「どうします?君達もヤクザ復讐説でも取り上げてみますか?それなりにバズるかもしれませんよ。坂口組に突撃取材でもしたら24時間以内に200万再生は行くでしょうね。」

「そんな事したら俺達、殺されますよ。」

 前川がスピバスターズの記事が載っている週刊誌を差し出した。

「よかったら参考に読んでみてください。」

 この業界で生き残るには常にトレンドを意識しなければならないようだ。たった一日東京を離れただけなのに取り残された気分だった。

 事務所からの帰り道、僕等は駅前のラーメン屋に立ち寄った。店に入ると客はおらず店主はカウンターで漫画を読んでいた。醤油ラーメンを注文すると面倒くさそうに厨房に入って行った。

「兄貴これ見てみろよ。」

 達也が携帯の画面を見せた。それは、ペンションで会ったビビルカンパニーのSNSだった。


(噂の呪いのペンション潜入成功!人気ユーチューバー、インチキオカルトーボーイズに遭遇!!呪いは本当か!?今夜動画公開!)


「あいつら俺達の名前ばっちり書いてるし。ほんとクソ野郎だな!」

 予想はしていたが腹が立った。

「今夜動画公開って書いてあるけど、これ一昨日の投稿だよ。2日も経ってるのに何もアップされてない。あいつら口だけだな。」

「ヤクザ復讐説がトレンドになって不貞腐れたのかもよ?もう誰も呪いのペンションになんか興味ないみたいだし。」


 達也の言う通りビビルカンパニーのSNSのコメント欄には辛辣な言葉が溢れていた。


(今頃呪いのペンションの潜入って古っ!そんなの誰が興味あるんだよ?)

(呪いのペンションって騒いでた頃が懐かしいわ!)

(そんなのどうでもいいからヤクザの事務所、突撃取材して来いよ!)


「俺、このスピード感についていけそうにないよ。情報が温泉みたいに沸き出して次々と入れ替わっていく。」

 達也が冷水を一口飲んで呟いた。

「でも、一体誰が、あの手紙をスピバスターズと俺達に送ったんだ?」

「俺達がペンションに行った日に手紙はぴたりと止んだ。まるで誰かに監視されてるみたいだよ。」

「あの手紙、寂れたペンションに客を呼ぶ為、四宮和子の自作自演かと思った。でも、それはなさそうだな。」

「そもそもあそこにはネット環境がない。ユーチューバーを宣伝に使おうなんて考えつくはずがないよ。多分ユーチューバーって言葉さえ知らないよ。」

「だったら誰が何の為に、あの手紙を送って来たんだよ?」

 僕達に手紙を送って来た犯人。それは、あのペンションに酷く執着している奴だ。そこまでしてあのペンションに執着する理由は一体何なのだろう?その理由を解明しない限り先には進まないような気がした。



10

 朝起きるとビビルカンパニーがSNSのトレンドになっていた。

「あいつら、やっとペンションのインタビュー動画をアップしたのか?」

「本当は俺達が四宮和子にインタビューするはずだったのに、マジで腹立つ。」

 前川から電話がかかって来るまで僕と達也はそんな呑気な事を言っていた。


(やばっ!ビビルカンパニー死んだ!)

(あいつら確か呪いのペンションに泊ってたよな?)

(嘘だろ?あいつらも呪われて死んだの?!)


 僕は訳が分からずとりあえずニュースのリンクをクリックした。


(先週、秋田県の山林で発見された遺体の身元が判明しました。遺体は東京都の牛込淳さん(22歳)鳥飼健吾さん(22歳)とわかりました。警察は事件として捜査を進めています。)

 

無名だったユーチューバー、ビビルカンパニー。遺体が発見された事によって彼等は夢だった日本一有名なユーチューバーになれた。


(やっぱり全部呪われたペンションのせいじゃねえか!)

(じゃあ次に殺されるのは一緒に泊ってたインチオカルトボーイズだ!)

(インチキオカルトボーイズ完全に死亡フラグW南無阿弥陀仏。)


 すっかり下火になっていた呪われたペンション説が再びトレンドに返り咲いた。

 電話では埒が明かないと僕等は前川の事務所に呼び出された。


「僕もあなた方と同じで呪いとかスピリチュアルを一切信じない人間です。しかしあのペンションに泊った人間が4人も死ぬと、さすがに気味が悪いですよ。」


 確かに四人も亡くなれば、偶然では片付けられなくなってくる。

「今、君たちは世間の注目の的です。」

「なんか俺達が死ぬか死なないかで世間はかなり盛り上がってるみたいですね?」

「ええ。SNSのアンケートでは、死んでほしくないが42%死んでほしいが43%どちらでもよいが15%らしいです。」

「おい!どちらでもよいって何だよ!?」

「前川さん、ここまで騒ぎが大きくなってしまったらもう収集がつきません。僕達はもうこの件を追うのは止めた方がいいと思うんです。」

「止める?何馬鹿な事を言っているんですか?」

 前川は眼鏡の奥から鋭く眼光を光らせた。

「今がチャンスなんです!あのペンションに泊ったスピバスターズ、ビビルカンパニーが死んだ。でも君達はまだ生きている!これは凄い事なんですよ!」

「まだ生きてるって何だよ?いずれ死ぬみたいじゃねえかよ。」

 達也が舌打ちした。

「あのペンションに泊った君達が今後どうなるか?世間は興味津々です。だから毎日、動画を配信し続けてください。世間はあなた達が生きているか死んでいるか気が気じゃない。ビビルカンパニーの遺体が発見されてから君たちの登録者数は180万人を超えました。スピバスターズを超えたんです!皆が君達を心配しているんです!」

 心配などしている訳がない。僕達が本当に死ぬかどうかを見たいだけだ。

僕達が死ぬかどうか賭けをしている奴等が大勢いる。

上等ではないか。これはまさに僕達がやりたかった事だ。この世に呪いなど存在しない。呪いで人が死ぬわけがない。絶対に死なないと言う事を証明してみせる。

「わかりました。僕達がちゃんと生きてる事を動画配信します。」

 僕は半分やけになっていた。

「お願いですから絶対に死なないでくださいよ。」

 前川は僕等の肩を力強く叩いた。しかし死なないでくれという言葉は信じなかった。事件が起これば必ずバズる。その事を一番よく知っているのは前川だからだ。


(ユーチューバー殺人事件!遺体から臓器が取り出されていた?!突撃系ユーチューバーへの恨み?呪いのペンションの噂は本当か?!)


 地下鉄に乗ると週刊誌の中吊り広告が目に入った。ニュースでは発表されていないが、ビビルカンパニーの二人も遺体からも心臓と肺が取り出されていたそうだ。

そしてスピバスターズと同じく左手首と足首がなくなっていた。本当は詳細など知りたくなかった。しかし前川が知り合いの週刊誌記者からの情報を無理矢理教えてくれた。

スピバスターズもビビルカンパニーもいけ好かない連中だった。しかし、こんな残酷な方法で殺されてしまった事には心から同情する。


「あいつらの過去の動画を調べてみたんだけど、スピバスターズもビビルカンパニーも同じ場所に突撃取材に行ってるんだよ。」

「じゃあ、この二組の共通する点は、あのペンションに泊った事だけではないという事か?」

「ああ。パワーストーンを高額な値段で売り付ける女占い師ラビスタ・ヒーラーミリー。それと病気が治る水を高額な値段で販売している神の泉の光。あと駅前で僧侶の恰好をして数珠を売る中国人のグループにも二組とも突撃取材してる。」

「突撃取材された連中が奴らを恨んで殺したっていう説も考えられるよな?」

「とにかくあいつらは敵が多い。まあ俺達も人の事は言えないけど・・・。」

「4人の遺体から抜かれていたのは、目、脳みそ、腎臓、肺、心臓。だから臓器売買目的の外国人犯人説を唱えている奴もいる。目、腎臓、肺、心臓なら臓器売買説もわかる。でも脳の移植なんて聞いた事が無い。臓器売買目的ならどうして脳みそを抜いたんだ?それに何で4人とも左手首と足首が切り取られていたんだ?さっぱりわからないよ。」

「なあ、達也、もう一度あのペンションに行ってみないか?」

 呪いなどない事はわかっている。しかし、あのペンションの事がずっと気になっている。

「そう言うと思ったよ。」

「達也が嫌なら僕一人で行くけど。」

「俺が断る訳ねえだろ?談話室に読みかけの漫画があるんだよ。」

「まさか、あのポイントカードを使う日が来るとはな。」

「え?あのポイントカード捨ててなかったのか?」

「一応な。」

「また行く気満々じゃねえかよ。」

 僕等はペンション月光へ予約の電話をかけた。すると、まるで電話の前で待ち構えていたように四宮和子が出た。

「この前、東京から来てくれたご兄弟よね?」

「はい。」

「あなた達にはまた会えると思ってたの。」

 まるで全てをわかっているような口ぶりだった。



11


「えっ?もう繋がってる?はいっ。皆さんこんばんわー幽霊はあなたのベストフレンド!霊と会話できるスピリチュアル芸人、城之内金太郎です。今日も金太郎のスペシャルライブ配信に遊びに来てくださってありがとうございます!今日は僕、とっても興奮してるんです!何故かと言いますとスペシャルゲストにお越しいただいているからなんです!なんと今日は巷で話題のあの方たちが遊びに来てくれました!インチキオカルトボーイズの優斗さんと達也さんです!はい皆拍手!」


 スピリチュアル芸人、城之内金太郎とのコラボ企画。以前から前川に頼まれていたが適当な理由を付け14回程断っていた。

 しかし、今回ばかりは断る言い訳が見つからず仕方なく依頼を受ける事にした。


「今日のライブ配信、かなり話題になってます。頼むから怒らず最後までやりきってください。」

 僕等が途中で逃げ出さないよう前川も事務所から撮影スタジオまで付いて来ていた。そして見張りのようにカメラの横で腕組みしている。

 

ここまで来たからには、もうやるしかない。僕も達也もやっと腹を括った。しかし実際に会う城之内金太郎はとても横柄な奴だった。

 テレビでは涙を流し依頼人に寄りそう善人キャラを演じている金太郎。しかし実際の金太郎は金にうるさくスタッフを恫喝してばかりの最悪な奴だった。

 これが芸能人の裏表というやつなのだろう。ある意味プロフェッショナルすぎて感心してしまった。


「インチキオカルトボーイズさんは、あの呪われたペンションに宿泊したんですよね?」

「はい。しました。」

「でも何事もなくお元気で過ごされている。これは偶然ではなく必然なんです。実はお二人の守護霊様がとても徳の高い方なんですよ。大昔江戸の町を取り仕切っていたお代官様だったんです。だから守護霊になってもお二人を強力な力で守っているんですよ。」

「それは、違うと思います。」

 達也が呆れて笑った。

「そう言われると思ってました。お二人は普段から霊とかスピリチュアルなものを全く信じていませんよね?」

「ええ。信じていません。」

「でも、この世には科学では説明できない事がたくさんあるんですよ?あのペンションに泊った四人が亡くなったというのもただの偶然ではないんです。ペンションに住まう悪い霊が彼等を死に追いやったと考えられます。」

「この世に科学では説明の出来ない事があるのは認めます。でも霊が人を殺す事はありません。」

「はっきり否定してきますね~でも逆に気持ちいいですよ。うわっ凄い!見てください!現在18万人の方達が同時接続で、このライブ配信を見てます!さすが今話題のお二人だ!」


 画面に映し出される視聴者からのコメントは僕達の悪口3割と金太郎の悪口7割といった感じだ。

金太郎を胡散臭いと思っている人達も多いのだろう。


「ペンションに泊って亡くなった4人は、あのペンションで悪い霊を連れて帰ってしまったんです。」

「金太郎さんはどうしてそう思うんですか?理由を教えてください。」

 達也が静かに尋ねた。

「僕は霊と会話をする事が出来るんです。僕の守護霊様が亡くなった4人と話し僕にそう伝えてるんです。」

「金太郎さんは霊と会話出来るんですよね?だったらスピバスターズを呼び出して誰に殺されて内臓を抜かれたのか聞いてもらってもいいですか?」

 金太郎はムッとした顔で達矢を睨んだ。

「僕が言っている事はそういう事じゃないんですよ!霊が間接的に僕にサインを送って来る。そのサインを読み解いて伝えるのが僕の仕事です。」

「じゃあ霊とは直接、会話が出来ないって事でいいですか?」

「君たちは本当に失礼だな!僕は霊と会話が出来るんじゃなくてコンタクトが出来ると言ってるんだよ!」

「詐欺師は痛い所を突かれると徐々に主張を変えて来る。タイトルコールで霊と会話できるって自分で言ってたじゃないですか?あれ嘘だったんですか?」

「僕は詐欺師なんかじゃない!霊と会話出来るんだ!」

「コンタクトじゃなくて会話が出来るんですね?だったら聞いてみてください。一体誰に殺されたのか?」

「この人達とは話にならない!今すぐ配信切って!早く!」

「金太郎さん逃げないでくださいよ。あなた達は都合が悪くなるといつもそうだ。落ち着いて話しましょうよ。」

 金太郎は、部屋から出て行ってしまった。しかしまだ配信は接続されたままだった。

「という事で金太郎さんは気分を害されて出て行ってしまいました。これを読んで気持ちを落ち着かせた方がいいですね。」

 達也が手に持っていたのは金太郎が書いた本。タイトルは(霊が教えてくれる。穏やかな気持ちで生きる方法)

「とりあえず、僕達はあのペンションに再度宿泊する予定です。」

「生きて帰って来るのでその時またお会いしましょう。それではまた!インチキオカルトボーイズでした。」

「はい!オッケーです!」

 前川がスタッフに声を掛けた。



12

 前回の光石村滞在、僕等はあまりにも無計画過ぎた。一番の失敗は光石村があんなド田舎だと想定していなかった事だ。

今回はペンション周辺だけではなく光石村全体を散策したい。それには車が要る。

 僕達は最寄りの新幹線駅からレンタカーを借り村へ行く事にした。そして出張役場が開いている日に日程を合わせた。あの村に人が住んでいる事をこの目で確かめたかったからだ。

 僕達は気合を入れ東京駅から始発の新幹線に乗り込んだ。ペンションへ行く日は前川にだけ伝えていた。万が一の事があった時の為だ。東北新幹線の××駅に到着すると予約していたレンタカーを受け取りに行った。

 借りたのは一番安い四人乗りのコンパクトセダンだ。久しぶりの運転で緊張したがすぐに慣れラジオを聞く余裕も出来た。途中、トイレ休憩で僕等は道の駅へ立ち寄った。

 ここはビビルカンパニーが失踪前にSNSで投稿していた場所だった。

「ビビルカンパニーはペンションを出た後、ここで一服してたみたいだな。SNSに写真が載ってたよ。」

 僕はベンチに座り辺りを見回した。美しい山に囲まれた長閑な道の駅だった。

「ここで一服してた時は、ビーフもチキンも、まさか殺されると思わなかっただろうな。」

 達也が煙草の煙をゆっくり吐きながら言った。

「呑気に一服してるけど僕達も殺されるかもよ?」

 僕はニヤリと笑い達也を見た。

「ふざけんなよ!絶対に殺されてたまるか!俺はそんなの二度とごめんだ!」

 そう。僕達はあの時、殺されてもおかしくなかった。

「クリーンソウルズ」という新興宗教に嵌まっていた母は僕等が悪い事をすると罰した。

 それはただの罰ではなかった。「取り憑いている狐を追い出す。」そう言って熱した鉄の棒を僕等の背中や腹に押し当てた。

 それも洋服で隠れる場所ばかり狙ってだ。中学の時、体育教師が僕の身体の火傷の跡を見つけ児童相談所へ通報した。背中や腹に無数にある火傷の跡を見て教師は泣きながら言った。

「どうして、こんなに酷い事をされたのに黙ってたんだ?」

 自分でもよくわからない。誰も助けてくれるなんて思っていなかった。

だから言わなかった。虐待の事実が公になり、母は逮捕された。

 そして僕達は父方の親戚の家に引き取られた。初めて出来た彼女が僕の火傷の跡を見た時、恐怖で目を逸らした。あの怯えきった顔は今でも忘れない。無理もない。僕だって鏡で自分の傷跡を見ると気持ちが悪くなる。

 でも不思議な事に母の事は恨む気になれなかった。何故ならあの時、母は母ではなかったからだ。

 得体の知れない恐怖に支配された囚人だったのだ。あの時、僕達は死なずに済んだ。だから少しくらいは無茶してみるのもいいかもしれない。

 光石村役場前に到着したのが午後1時35分。真昼間なのに相変わらず人っ子一人歩いていない。

 車を降りた僕等は祈るような気持ちで出張役場へ向かい中を覗いた。

「おい達也!人がいるぞ!人がいる!」

 僕は嬉しくなって思わず叫んでしまった。

「まじか!?この村に人がいた!」

 役場には職員と思われるワイシャツ姿の男と2人の老人がいた。

「こんにちは!」

 僕は笑顔で引き戸を引いた。

「何か御用ですか?」

 スーツを着た男が怪訝な顔で尋ねた。

「えっと・・・実は特に用事はありません。僕達、旅行でここへやって来て、たまたまこの役場が目に入ったので来てみました。」

 男は冷めた目で僕等を見て言った。

「ここは観光案内所じゃありません。役場の出張所です。お帰り下さい。」

 男は突き放すように言った。すると近くで話を聞いていた老人が突然立ち上がった。

「おめえ、せっかぐ若い兄ちゃん達が訪ねて来たのに、そんな冷てえ事言うもんじゃねえよ!これだからおらは、影山村の人間は好かねえんだよ。少しばかり村が大きいからってすぐ、でけえ顔すんだ。調子に乗るんじゃねえぞ!」

「んだんだ。影山村は都会の工場が来たから、たまたま栄えただけだべ!昔は熊しか住んでねえ土地だった!飢饉の時は光石村が食料わけてやったから助かったんだ!それなのにあんまりでけえ態度すんじゃねえぞ!」

「あのですね・・・何度も言いましたが僕は、神奈川県相模原市出身なんです!妻が影山村の出身だったのでこちらへ引っ越して来ただけです!そんな昔の事なんて知りませんよ!」

 男は負けじと老人達に言い返した。

 影山村と言うのは光石村の隣にある村だ。しかし光石村よりもだいぶ栄えている。

どうやら影山村役場の人間が出張で週に二度、光石村に来ているようだった。

「それより、あんちゃん達こんな田舎に何しに来た?ここは何もねえ田舎だぞ。」

 亀のような顔をした老女が言った。

「この村は空気も綺麗だし、食事も美味しい。とてもいい所ですよ。」

 そう言うと老人達は笑い出した。

「この村には人間よりも猪と鹿の方が多いんだ。こんな何もねえ所さ来ても、すぐにつまんなぐなるぞ。若い人達が遊ぶところなんか何もねえんだがら。」

「でも素晴らしい温泉がありますよね?この前、入りましたが濁り湯が最高でした。」

「どごの温泉行ったんだ?」

「この少し先にあるペンション月光です。」

 この一言で場の空気が変わった。

「おめえ、あそごさ泊ったのが?」

「はい。」

「この罰当たりが!あの旅館の客はこっから早ぐ出て行け!早く出て行け!」

「んだんだ!あんなろくでもねえ所さ泊って早く家さ帰れ!」

 老人達が急に怒り出した。あまりにも凄い剣幕だったので僕等は退散するしかなかった。

「何であんなにキレるんだ?危うく杖で殴られるとこだったよ。」

「ペンション月光って名前を出したらいきなりキレたよな?一体何なんだよ。」

 やっと見つけた村人に、まさかこんな仕打ちを受けるとは思ってもみなかった。

 気を取り直し、僕等は車で村を一周する事にした。

 相変わらず人は歩いていないし車も走っていない。険しい山道と枯れた畑が目立つ。

 途中大きな古民家をいくつか見かけたがどの家も人が住んでいる様子はなかった。

 暗い山道を登っている途中、色あせた鳥居を見つけた。鳥居の神額には天女神社と彫られている。

 やはり、この村は天女伝説と深く結びついているようだ。

「どうする?てっぺんまで行ってみるか?」

 真っ直ぐに伸びた石段は200段以上ある。

「明日は筋肉痛確定だな。」

 僕達は車を停め急な石段を上り始めた。30段ほど上った時引き返そうとしたが達也に励まされ何とか最後まで上り切った。

「苦労して階段を上った割に地味だな。」

 膝が笑う程、険しい石段を上ってはみたが、そこにあったのは軽自動車程の大きな石と賽銭箱だけだった。

「え?ちょっと待って。この石が例の天女が置いていった石?」

「いくら何でもこれはデカすぎだろ?」

 その時、石の裏から突然、人が出てきた。

「ウワーーーッ!!」

 僕等は驚きのあまり思わず叫んでしまった。

「すまねえな。脅がすつもりじゃながったんだが。」

「こ、こ、この神社の方ですか?」

 震えた声で僕は尋ねた。

「おらは、この神社の清掃を任されるもんだ。誰かが掃除しねえど天女様に申し訳ねえべ?英語で言うところのボランティアってやつだ。」

 老人は穏やかな笑顔を見せた。さっきの攻撃的な老人達とは違い少し安心した。

「ここは光石村に伝わる天女伝説に纏わる神社なんですか?」

「あら兄ちゃん、よぐ知ってんな!昔々、山火事で火傷を負った天女様がこの村に降りて来た。天女様はこの村の温泉に浸かってその傷を治した。お礼に天女様はどんな病気も治す石を置いてった。」

 村のホームページに書いてあった話と大体同じだ。しかし天女が怪我をした理由が山火事というのは初耳だった。

「じゃあ、この大きな石が天女の置いていった石なんですか?」

「んだ。これが天女様が置いて行った石だ。」

「想像してたよりも大きいんでびっくりしました。」

「俺達、勝手に持ち運びで来るサイズだと思ってたんで。」

 こんなに大きいなら盗まれる心配もなさそうだ。

「それより、あんちゃん達、こんな山奥の村に一体何さしに来たんだ?」

「えっと・・・俺達、日本の秘境を巡ってまして・・・たまたまこの村に辿り着いたんです。」

 達也がまた苦しい嘘をついている。

「この村の見どころって他に何かありますか?」

「昔は天女が傷を治した温泉が有名だったけど、もう、あの温泉には自由に入れねえからから何もねえよ。」

「どうして温泉に自由に入れなくなったんですか?」

「この山を降りた所にある赤い屋根のペンション知ってっか?」

「はい。さっき前を通りました。」

 また怒られるのが怖かったので宿泊した事は黙っておく事にした。

「ペンションが建つ前あそこには天女の湯っていう村の共同浴場だったんだ。濁り湯でとってもいい湯だった。光石村の人間なら誰でも自由に入れたんだ。んだけどもバブルの頃、東京の会社があそこの土地を丸ごと買いあげちまった。それでチンドン屋みてえな趣味の悪いペンション建てちまったんだよ。それで村人はあそこの温泉に入れねぐなったんだ。村の温泉を東京の奴らに奪われたんだ。」

 役場にいた老人達が何故あんなに怒っていたのかわかった。

「それより、あんちゃん達、あんまり、この辺ウロウロしてっと猪か熊に襲われるぞ。暗くなんねえうちに早く帰れよ。」

 僕達は老人に礼を言って神社を後にした。



13

 改めてペンション月光の外観を眺めてみた。神社で出会った老人はこの建物の事をチンドン屋と表現していた。実にうまい例えだ。

 今、思えば四宮和子の奇妙なメイクも、部屋のインテリアも、どこかチンドン屋っぽい雰囲気がある。

「あら、いらっしゃい。」

 玄関を開けると四宮和子が談話室から出てきた。

「また来てくれて嬉しいわ。」

 そう言って前回と同じ古びたスリッパを差し出された。

「あなた達は絶対にまた来てくれると思ったの。今、冷たいお茶煎れるから談話室で待っててね。」

 談話室には先客がいた。上品な身なりをした70代くらいの老夫婦だった。夫の方は背筋も伸びピンとしているが妻の方は青白い顔をして骨が浮き出る程痩せている。

「今日は満室なのよ。」

 和子がコップに麦茶を注ぎながら言った。

「5室、全部埋まってるって事ですか?」

 思わず聞き返してしまった。

「そうなの。全員常連さん達よ。少し前にチェックインされて今はお部屋で休んでるわ。」

 このペンションが満室になる事があるなんて思ってもみなかった。しかも今日は平日だ。

「満室だから夕飯の仕込みで忙しいの。何か用があったら直接食堂まで来てちょうだいね。」

 和子は談話室から足早に出て行った。僕は隣のテーブルでお茶を飲んでいる老夫婦に話しかけてみる事にした。

「もう何回くらい、このペンションに泊ってるんですか?」

「そんなの数えきれないよ。開業当時から来てるからね。」

 夫の方が答えた。しかし妻の方は具合が悪いのか下を向いたまま僕の顔を見ようともしない。

「僕達は先月、初めて泊ったんです。料理がどれも美味しくて驚きました。」

 また来たいとは思わないが料理が美味かったのは本当だった。

「君達、もう温泉には入ったか?ここの温泉は本当に最高だよ。」

「はい。もうちょっとしたら入りに行きます。」

「そうか。ゆっくり浸かって行きなさい。」

 

お茶を飲み終えると今日、宿泊予定の部屋へ向かった。

 前回とは違う部屋だったが相変わらず悪趣味な内装だった。黄色の水玉模様の壁紙にピンクのベッドカバー。そして壁に飾られた色褪せた造花。色が渋滞していて頭がおかしくなりそうだった。

「とりあえず、今回は俺達の他にユーチューバーはいなさそうだな。」

 達也が電気のスイッチを除菌ティッシュで拭きながら言った。前回の反省を踏まえて今回はマイスリッパを履いている。

「光石村の人達にとって四宮和子は大事な温泉を取り上げた悪者って事か・・・。」

「でも本人は全く気にしてなさそうだな。」

「周りの目を気にする感覚があるなら、こんな趣味の悪い部屋を作れないよ。」

「この部屋にいると気が狂いそうだ。達也、温泉に行こう。」

 僕達は着替えを持って一階へ降りた。温泉の手前には(管理人室)と書かれた部屋があった。

 以前、和子はこのペンションに住んでいると言っていた。ここが和子の部屋という事になる。


「やった!俺達だけだ!貸し切りだ!」

 脱衣所に入ると達也が小さくガッツポーズした。火傷の跡を見られたくない僕等は人前で裸になる事を極力避けていた。

 脱衣所には3つある洗面台を繋ぐように横長の大きな鏡があった。裸になった僕達の体を鏡がありのまま映し出す。

 引きつった皮膚が凸凹していて、まるで夏ミカンのようだ。

 僕の身体もそうだが達也にもたくさん火傷の跡がある。僕達の裸を母が見たらどう思うだろう?

 母は自分のした事を後悔するだろうか?

「兄貴、俺もう限界だよ。頭がボーっとしてきた・・・。」

 まだ湯船に1分も使っていないのに達矢が弱音を吐いている。

「駄目だ。せめてあと50は数えろ。せっかく温泉に来てるんだからちゃんと楽しめ。」

 達也は19まで数え「無理!」と言って湯船から逃げ出した。すると入れ違いに誰かが入って来た。湯気でよく顔が見えなかったが、さっき談話室で会った老人だった。何となく気まずいので僕は軽く会釈をし湯船から出た。

「おいちょっと君、その身体の傷はどうしたんだ?」

 こんなにストレートに火傷の事を聞かれたのは久しぶりだった。

「昔、火傷したんです。」

「どうして、そんな場所に火傷した?」

「まあ・・・色々あって・・・。」

「その傷は治らないのか?」

「火傷の跡は一生残ります。」

 僕の倍以上生きているくせに、あまりにも無知な質問だと思った。 

 脱衣所に行くと達也がドライヤーで髪を乾かしていた。

「あの爺さんに火傷の事、聞かれたよ。」

「だから、長風呂なんてするもんじゃねえんだよ。俺みたいにさっさと出てくれば絡まれなかったのにさ。」

 達也にそう言われ何も言い返す事が出来なかった。



14

「今日のメインは鹿と雉です。新鮮なお肉を楽しんでくださいね。」

 食堂に集まった五組を前に花柄のエプロンを身に着けた四宮和子がにこやかに言った。

 僕達以外の客は全員70代~80代前後の老夫婦だった。

「俺達かなり平均年齢を下げてるな。」

 達也がボソッと呟いた。

 正直言って、この場に僕等がいるのは場違いのような気がした。それは僕達が若いからではない。

 僕等以外の4組の客、夫婦のどちらかが健康上の問題を抱えていたからだったからだった。

 隣のテーブルに座った老夫婦は夫の方が鼻からチューブをつけ酸素を注入している。また別の老夫婦は妻の目が不自由らしく夫が食事の介助をしていた。

 二人とも健康体でいる僕達がここでは何だか異端に思えた。

「あのーよかったら食事の後、皆で談話室で飲み直しませんか?このペンションの思い出話とか色々聞かせてください。」

 場の雰囲気をぶち壊したのは達也だった。前回の失敗を取り戻そうと必死なのはわかるが完全に空回りをしている。

突飛な事を言い出す達也を老人達は不思議そうな顔で見ていた。

「お話ならここですればいいじゃない?皆あなた達みたいに若くないのよ。」

 キッチンにいた和子が口を開いた。

「そうっすね。すみません・・・。」

 達也は頭を掻いて顔を真っ赤にしている。

「君達はどうしてここへ来たんだ?」

 さっき温泉で会った老人が口を開いた。

「どうしてと言われてましても・・・。たまたま、このペンションを見つけて泊まってみたら飯が美味かった。だからもう一回来ました。」

 達也が適当な事を言って場を乗り切ろうとしている。

「君達はテンプウカイの人間じゃないだろ?テンプウカイの人間じゃないのに、どうしてここに泊っているんだ?!和子さんこんなのおかしいだろ!」

 何故か老人は怒っていた。

「高木さん、怒らないで。その件に関しては後からちゃんと説明するから。さあ料理が冷めないうちに食べて。」

 和子は老人の肩を擦り宥めるように言った。それから何となく気まずい空気が続いた。

食事が終わると僕達は逃げるように部屋に戻った。

「おい、兄貴、テンプウカイって何だよ?調べたいけどネットが繋がらなくて調べられねえよ。ちくしょうー」

 達也は窓際で背伸びし必死に携帯の電波を受信しようとしている。

「ネットが使えないんだったら、アナログな方法で調べるしかないよ。」

 僕はバッグの中から小型のボイスレコーダーを二台取り出した。

「達也これを仕掛けるぞ。」

「兄貴、絶対にバレないよな?!もし見つかったら俺達、殺されかもしれないぞ!」

「これがボイスレコーダーだなんて絶対に気付かないよ。」

 ボイスレコーダーはライター程の大きさしかない。

「とりあえず、談話室と食堂に一個ずつ仕掛けよう。何か面白い話が聞けるかもしれない。」

「でも、もう午後9時過ぎだぜ。老人達は皆、部屋で寝てるだろ?仕掛ける意味はあるのか?」

「病人が何でわざわざこんな山奥のペンションに来るんだよ?飯を食って温泉に入るだけだったら近くの旅館でもいいだろう?わざわざ、ここに来るというのは何かしら目的があるはずだ。」

 僕等はボイスレコーダーをポケットに忍ばせ談話室へ向かった。

「兄貴、ここはどうだ?」

 達也が部屋の中央にある棚を指さした。そこには木彫りの熊や赤べこなど全国各地の民芸品が飾ってあった。しかしどれも埃をかぶって白くなっている。長い間掃除されていない証拠だ。僕はこけしの裏にそっとボイスレコーダーを置いた。あれだけごちゃごちゃしていたら絶対にバレないだろう。

「よし次行くぞ。」

 僕達は食堂へ向かった。キッチンでは和子が洗い物をしていた。

「あら?何か御用?」

 僕等に気付き和子が顔を上げた。

「温泉入ったら喉が渇いちゃって。ビールを二本お願いしてもいいですか?」

「はい。ちょっと待ってね。」

「忙しそうだし、冷蔵庫から出すだけなら僕がやりますよ。」

 キッチンの中に入り冷蔵庫に手をかけた僕を和子は慌てて止めた。

「そういうのは私の仕事だから座ってて。」

 和子は冷蔵庫から瓶ビールを出し栓を抜いた。

 改めてキッチンを見回すと、ここだけ昭和ではなく令和の雰囲気だった。最新のIHコンロが設置してあり食洗器まである。 

「キッチン改装されたんですか?何かここだけ雰囲気が違いますね?」

「7年前に改装したのよ。やっぱりIHコンロは最高ね。」

 僕が和子に話しかけ気を逸らす作戦だ。その間に達也がボイスレコーダーを仕掛ける。

「火力に拘る料理人って多いですが、IHでもこんなに美味しい料理が出来るならいいですね。」

「IHコンロはね。お掃除も楽なのよ。使い終わったら、さっと拭くだけでいいんだから。あなたもお家を建てるならIHにした方がいいわよ。」

「残念ながら家を建てる予定は当分ありません。」

「あら、あなた、彼女いないの?勿体ないわね。でもカッコイイから、その気になればいつでも結婚なんてできるわよ。」

「お世辞でも嬉しいです。」

 本当は和子に「ご結婚はしてますか?」と聞いてみたかった。しかし触れてはいけないような気がしてグッと呑み込んだ。

「明日も早いし私はもう寝るわね。飲み終わったらグラスは流しに入れておいて。明日は寝坊しないでよ。朝ご飯の時間は7時~9時までだからね。」

 和子はそう言ってキッチンを出て行った。

「うまく設置できたか?」

「ああ、ばっちりだ。」

「何が録れているかは明日のお楽しみって事だな。」

「これで何も録れてなかったらマジで凹むよ。」

「そしたら二人で前川に謝ろう。」

 僕等はビールを一気に飲みし干し部屋へ戻った。



15

 午前4時に携帯のアラームをセットした。しかし二度寝してしまい起きたのは午前4時30分だった。僕は慌てて一階へ降りて行った。

和子が起きる前にどうしてもボイスレコーダーを回収したかったからだ。

昨夜はもしバレたらどうしようと気が気ではなかった。しかしボイスレコーダーは二台とも昨夜セットしたままの状態だった。

回収し終え部屋に戻るとまだ達也は鼾を掻いて寝ていた。朝食の時間まであと一時間、まだ少し寝れる。僕はもう一度ベッドに入り目を瞑った。


「兄貴、起きろよ!ヤバイって!」

 達也の声で目を覚ました。時計を見ると9時20分だった。

「まじかよ・・・。」

 僕等は顔も洗わないまま食堂へ向かった。

「あなた達また寝坊?」

 和子がキッチンから顔を出した。

「すみません!もう朝食の時間もう終わってますよね?」

「あなた達の分ちゃんと取っておいてあるから大丈夫よ。」

 テーブルの上には厚焼き玉子とソーセージそしてサラダがあった。

「他の皆さんはもうお帰りになったんですか?」

「もうとっくに帰ったわよ。今回もあなた達が一番最後のお客さんよ。さあ早く朝ごはん食べちゃって。」

 油揚げの味噌汁とご飯が運ばれて来た。

「何だかいつもすみません。」

 僕は頭を下げ味噌汁を啜った。出汁が効いていて美味い。

 急いで朝飯を掻き込むと僕等は部屋へ戻り帰り支度をした。一階に降りると午前10時ぴったりだった。

「よかったわね。今回は車で来て。バスだったら明日の朝まで帰れなかったわよ。」

 会計をすると和子がポイントカードにハートのスタンプを押してくれた。

「あと、8回泊れば1泊無料だからね。」

「8回か・・・道のりは遠いな~。また来れるように頑張ります。」

 僕は愛想笑いをしながら言った。

「大丈夫よ。あなた達はきっとまた戻って来ると思うわ。」

 去り際、和子は不敵な笑みを浮かべていた。

 ペンションから最寄りの新幹線の駅まで車で約4時間。僕等はドライブしながら昨夜仕掛けたボイスレコーダーを聞いてみる事にした。

「何だか緊張するな。探偵にでもなった気分だよ。」

 達也が運転席でにやけている。

「まず、談話室の方から聞いてみるか?」

 僕はボイスレコーダーの再生ボタンを押した。長い間、不気味な沈黙が続く。再生速度を10倍にしてみた。しかし最後まで何も録音されていなかった。

「昨夜、談話室に人の出入りはなかったみたいだな。」

「何だよー。期待してたのに!」

「じゃあ、次は食堂の方を聞いてみるか。」

 僕は祈るような気持ちで再生ボタンを押した。やはり先ほどと同じく不気味な沈黙が続いている。再生速度を10倍にしてみた。

「おい、何か言ってるぞ!早く巻き戻して!」

 達也が興奮しながら言った。

 録音時間を確認すると昨夜午前2時。僕はボイスレコーダーのボリュームをギリギリまで上げた。

 最初に聞こえたのは全員で何かを唱えているような声だった。お経のようにも聞こえるし、折りとのようにも聞こえる。しかし何を言っているのかは、よくわからない。

それは3分以上続いた。しかし次の言葉ははっきり聞こえた。


(与えたまえ。)


 和子の声がする。


(さあ、どうぞ召し上がって。食べやすいように工夫したから。)


「何だよあのババア!俺達に内緒でみんなで夜中に美味い物食ってたのかよ?」

 達也が笑った。

「いいから黙って聞け。」


(和子様、妻はすっかり食が細くなっています。食べられるどうかわかりません。)

(食べなければよくならないわよ。一口だけでもいいから口に含んでみて。そうしないと病気が治らないわ。)

(おい、孝子、和子様がこう言ってるんだ。頑張って一口食べてみなさい。せっかくここまで来たんだ。食べて病気を治して帰ろう。さあ口を開けて。)

 咀嚼音の後、激しく咳込み嘔吐するような音が聞こえた。

(さあ、新三郎さん。これを食べてみて。鹿肉をソテーする時と同じソースを作ったの。これなら癖もなく食べやすいわ。)

(和子様ありがとうございます。いただきます。)

(そう。しっかり食べて。そうすれば新三郎さんの心臓が生まれ変わるわ。若者のような力強い丈夫な心臓に生まれ変わるの。)

(和子様、美味しいです。何だか心臓の鼓動が今までよりも力強くなったような気がします。)

(そうよ。あなたの心臓は強く生まれ変わる。)

(横道さんも、これをどうぞ召し上がって。これを食べれば脳から腫瘍は消えるわ。)

(ありがとうございます和子様。いただきます。)

 咀嚼音が聞こえる。

(和子様、何だか力が湧いてきました。)

(そうでしょう?横道さん、あなたの脳は今、健康な脳に生まれ変わっているのよ。)

(和子様、すみません。やっぱり私には無理です。食べられません。)

(どうしたのよ美代子さん?しっかり食べなくちゃだめじゃない。)

(だって、私のような老人の為に、大切な命が犠牲になってるんでしょ?申し訳なくて食べられません。)

(何を言ってるの美代子さん、私達人間は生きる為にたくさんの命を頂いているの。それを嘆き悲しんだらダメ。あなたに食べられて、あなたの役に立てると喜んでるはずだわ。)

(ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・。)

(ほら口を開けて。)

(罠にかかって怯えている時のあの子達の目。キラキラしてとても綺麗だったわ。これを食べればあなたの目もきっとすぐに良くなる。さあ食べてみて。)

(食べるのが怖いです・・・。)

(何も怖くなんかないわ。しっかりと煮込んだから大丈夫。目玉の原型は留めてないわ。はい口を開けて。)

 咀嚼音と泣き声が聞こえる。

(ほら、食べれたでしょ?)


「兄貴、止めてくれ!」


 僕は震える指でボイスレコーダーの停止ボタンを押した。

 次のサービスエリアまで僕達は一言も話さなかった。しかし達也と僕が考えている事は同じだった。昨夜、僕等が寝た後、一階の食堂ではとても恐ろしい事が行われていたのだ。

 レンタカーを返却し終え上りの新幹線を待っている時、達也がやっと口を開いた。

「あいつら、遺体から取り出した臓器を食ってたのか?」

 達也が缶コーヒー握り締め目線を合わさずに言った。こんな味のしないコーヒーは久しぶりだった。

「遺体からなくなってた部分と話の内容が一致してる。」

「兄貴!今すぐ警察に電話しよう!」

「電話して何て言うんだよ?年寄りが集まって、人間の臓器を食ってましたって言うのか?そんな事、言ったら僕達が狂ってると思われるよ。」

「俺達には証拠のボイスレコーダーがあるだろ?!」

「人を殺して食べたなんて一言も言ってないだろ?狩りで仕留めた動物の話だって言われたら何も反論できない。」

「じゃあ、どうすればいいんだよ!?」

 達也は貧乏揺すりをしながら頭を掻きむしった。

「俺達も殺されて、目玉とか脳みそとか取り出される?そして、じいさんやばあさんに喰われるのか!?俺、そんなの絶対嫌だよ・・・。」

 殺すつもりがあったならもう僕達はとっくに死んでいるはずだ。それなのにどうして僕等はまだ生きているのだろう?

「なあ、達也、力のない老人がどうやって20代の若者を拉致して殺したんだ?殺された奴等を思い出してみろ。全員180センチ以上ある。三平もビーフも格闘技経験者だぞ。チキンなんて体重は100キロ以上ある。そんなデカい奴等を老人がどうやって拉致して殺したんだよ?おかしいと思わないか?」

「薬でも飲ませて眠らせて拉致したんだろ?」

「スピバスターズはペンションをチェックアウトして3日後に殺された。どこで薬を飲ませて拉致したんだよ?」

「どこかで待ち伏せして飲み物にクスリでも入れたんだろ?」

「20代の若者の行動をいちいち把握できる老人がいるか?東京に戻ってきて次の日には静岡へフェス、それから東京に戻って来て渋谷のクラブで遊んでたんだぞ?」

「確かにそんな場所で老人がウロウロしてたら浮くかもな・・・。」

「ビビルカンパニーは東京へ戻ってきて、他のユーチューバーとコラボ動画を撮影した翌日にいなくなった。いちいち尾行してクスリを飲ませるなんて出来る訳がないんだよ。」

「じゃあ、どうやって奴らを拉致して殺したんだよ?」

「あいつらが自分達で出向いて行ったとしか考えられない。和子は罠にかかったって言ってた。あいつらを誘き寄せる為に何か罠を仕掛けたんだよ。」

「どんな罠を仕掛けて和子はあいつらをおびき出したんだよ?」

「それがわからないんだよ。」

「兄貴、変な事考えてないよな?俺、絶対にもう泊りに行きたくないからな。」

 達也が怯えた顔で僕を見ている。しかし僕達はもう一度四宮和子には会わなければいけないと思った。



16

「よくぞ無事でいてくれました。」

 MAAMOのオフィスに行くと前川が僕等を待ち構えていた。

「呪いのペンションに二回も泊ったのに、またお目にかかれるとは思いませんでしたよ。よ。よほど強い守護霊に守られてるんですね。」

 前川の金太郎ジョークに付き合う気分にはなれなかった。

「前川さん、とりあえず、これ聞いてみてください。」

 達也がテーブルの上にボイスレコーダーを放り投げた。

「あれ達也さん、なんだか機嫌が悪いたみたいですね。どうしました?」

「いいから早く聞いてみてください。」

 僕は達也の代わりにボイスレコーダーの再生ボタンを押した。

前川は椅子に深く腰掛け目を閉じながらそれを聞いていた。まるでクラシック音楽でも聴いているかのようだ。再生が終わると前川はゆっくりと目を開けた。


「非常に興味深い内容ですね。」


「あのばあさん、殺した奴等の臓器を取り出して客に食べさせてたんですよ! 興味深いなんて、そんな悠長な事言ってる場合じゃないですよ!警察に通報するべきです!」

 達也がテーブルを叩いた。

「しかし、具体的に人を殺したという発言はしていません。罠にかかった鹿を和子が調理して老人達に振舞った。そう反論されたら何も言えませんよ。ジビエ料理、今流行ってますからね。」

 前川と僕が同意見だった事に達也は不満そうだった。

「そういえば君たちが話していたテンプウカイというものを少し調べてみました。」

 前川の事だ。少しと言いながらかなり細部まで調べ上げているはずだ。

「テンプウカイ、天の風の会と書きます。天風会は光石村の隣の影山村で生まれた土着信仰をしている団体の事です。」

「土着信仰?一体何を信仰してるんですか?」

「天女信仰だそうです。」

 天女伝説があるのは光石村のはずだ。隣の影山村でも天女信仰をしていたという事なのだろうか?

「残念ながら天風会に関しての詳しい資料はありません。だいぶ前に解散していると聞きました。」

「そうですか・・・。」

「資料はありませんが、昔、天風会にいたという人間なら見つけました。」

 改めて前川の情報収集能力が怖くなった。

「福島県に住んでいる大河原美智子という女性です。これが電話番号です。」

「あの、どうしてこんなに僕達に協力してくれるんですか?」

「真実が知りたい。ただそれだけです。」

 時々、前川という人間がわからなくなる。この男は善人なのか?悪人なのか?しかし変人である事は間違いない。



17

 福島と聞いて、何となく山深い場所を想像していた。しかし大河原美智子が住んでいるのは福島でも浜通りと呼ばれる太平洋に面した場所だった。

美智子が住む町はかつて漁港として栄えていた。しかし三十年前、廃港になったようで今ではすっかり静まり返っている。船のない港では数人の釣り人達がのんびり糸を垂らしていた。

「やっぱり海はいいよな。明るいし釣りも出来るし最高だよ。俺もう山には行きたくねえよ。」

 達也が凪いだ港を見つめながら呟いた。

 大河原美智子の家はバス停から10分程歩いた場所にあった。平屋の大きな家で庭も綺麗に手入れされている。

玄関のチャイムを鳴らすと70代くらいの品の良さそうな女性が出てきた。

「遠かったでしょ?どうぞあがってちょうだい。」

 僕等は日当たりの良い大きな居間に通された。

「15年前まで東京の中学で家庭科の教師をしていたの。退職した途端に夫が亡くなってね。これからどうしようと思っていた時、娘夫婦が一緒に暮らそうって言ってくれたの。ここは東北地方なんだけど冬は暖かいし夏も涼しいのよ。」

「僕達、釣りが趣味なんでこんな所に住めたら最高です。」

 お世辞ではなく本当にそう思った。

「家族には、この話はあまり聞かれたくないの。だから孫が帰って来るまででも大丈夫かしら?」

 急須でお茶を煎れながら美智子が言った。

「勿論です。お孫さんが帰って来たら僕等はすぐに退散します。」

「これ、よかったら召し上がってください。」

 達也が東京駅で買ってきた土産を渡した。

「まあ、わざわざありがとう。じゃあ早速だけど、あなた達が聞きたいのは天風会の事よね?」

「大河原さんも天風会の信者だったんですよね?」

「影山村に住んでた頃ね。かなり昔の話よ。」

「影山村って光石村の隣の村ですよね?」

「あら、随分詳しいのね?」

「ええ。色々と勉強してきたんで。」

 達也が自慢げに言った。

「影山村に生まれたら天風会の信者になる。それが村のしきたりだったわ。」

「天風会とは一体、どんな団体だったんですか?」

「誤解しないで欲しいんだけど、天風会はカルト宗教じゃない。古くから村に伝わる天女様を神として祀っていただけ。土着信仰みたいなものよ。」

 光石村で僕達が訪れた神社でも天女を祀っていた。隣り合う二つの村で同じ信仰をしていたという事なのか?

「天風会を取り仕切っていたのは誰だったんですか?」

「代々、今泉家一族が天風会の総代を務めていたわ。」

「天風会は大分前に解散したと聞いたんですが本当ですか?」

「ええ。だいぶ前にね。」

「解散した理由はなんですか?」

「綺麗な言い方をすれば、天風会の目指す方向性が変わってしまったからかしら?」

「変わってしまった?」

「あなた達、光石村に伝わる天女伝説は知ってる?」

「はい。怪我をした天女を光石村の太之助が助けた。天女は助けてもらったお礼に太之助に石をあげた。その石のおかげで太之助の娘、久乃の目が見えるようになった。ですよね?」

「それは光石村で伝わってる話ね。影山村で語り継がれている話は全く違うのよ。」

「えっ、別のバージョンがあるんですか?」

「影山村で伝わっている話はこうよ。天女は太之助に石なんか渡してない。天女は助けてもらったお礼に自分の片目を繰り抜き久乃に食べさせた。そして久乃の目が見えるようになった。その噂を聞きつけた光石村の村人達は太之助の家へ押しかけた。そして太之助を殺し家に火を点け天女を攫って行った。天女は村人達にバラバラにされ全部食べられてしまった。」

 全身に鳥肌が立った。

「僕等が光石村で聞いた話とは全然違うんですね・・・。」

「そりゃあそうよね。天女を殺して食べたなんて話、残忍で後世に伝えられる訳ないわ。だから光石村の人達は石を貰ったなんて都合の良い話にすり替えたのよ。」

「でも光石村には天女神社がありましたよ。」

「あの神社、本当は神社じゃないのよ。」

「神社じゃない?」

「あそこは殺された天女のお墓なの。でもそれを隠す為、後から鳥居を作って神社だと偽った。」

 そう言われれば、あの神社には大きな石しかなかった。あの石が墓石だと言われれば納得する。

「話はこれで終わりじゃないの。太之助が殺された後、久乃は酷い火傷を負いながらも影山村に逃げて来た。そして影山村に祠を建て自分を助けれくれた天女を神として祀ったの。その信仰は影山村の人達の間でも広がった。それが天風会の始まりよ。」

 二つの村に伝わる異なった伝説、どちらの村が正しいのか真実なのかわからない。しかし、これはただの伝説だ。真剣に捉える必要はない。

「天風会を宗教団体と呼ぶ人もいたけど納得がいかないわ。天風会は宗教団体と言うより村の互助会みたいなものなの。信者が寄付したお金は、生活が苦しい村人や困っている人を助ける為に使われた。私の祖父母の入院費や父の大学の費用も天風会が援助してくれた。とても感謝しているわ。」

「天風会の方向性が変わったのは、いつ頃からなんですか?」

「今泉義邦が天風会の代表になってからよ。あの男が代表になって妙な儀式をするようになった。」

「妙な儀式というのは?」

「天風会の信者が病気になると山で鹿を狩ってくるの。それを一晩温泉に入れて次の日、鹿は捌かれる。腎臓が悪い信者がいたら、鹿の腎臓を食べさせ、目が悪い信者には鹿の目を食べさせる。そうすれば病気が治ると義邦は信じてた。」

 あのペンションで四宮和子がやっていた事と同じだ。

「私の母は肺癌だったんだけど、鹿の肺を無理矢理食べさせられたわ。でもそんな事をしても癌が治る訳がないじゃない?義邦の変な儀式に嫌気が差して皆、天風会を去って行ったの。」

「どうして今泉義邦は急にそんな事を始めたんですか?」

「義邦が光石村の出身だったからよ。光石村の人間は昔、天女を殺して食べた。野蛮人の末裔なのよ。 光石村の人間なんかに天風会を任せたからこうなったの。」

 光石村の役場でも老人達は影山村に対して敵対心を抱いていた。二つの村の確執は僕等が考えるより相当根深いようだ。

「でも光石村出身の義邦が、どうして影山村の天風会の代表になれたんですか?」

「義邦は婿養子で影山村にやって来たの。よりによって今泉家の一人娘、明穂さんと恋仲だったのよ。」

「二人の結婚に今泉家や天風会の人達は反対しなかったんですか?」

「勿論反対したわよ!でも明穂さんは義邦の子供を妊娠していてどうにも出来なかった。」

「なんかロミオとジュリエットみたいっすね。恋愛って反対されればされる程燃え上がりますもんね。」

 恋愛経験ゼロの達也がわかっったような口を聞いている。

「義邦には天風会の跡を継がせない。明穂さんが天風会の総代になるって事でようやく天風会が二人の結婚を認めたの。」

「なんか、良かったっすね。二人が結ばれて。」

「良い事なんてないわよ。二人が結婚した3年後に総代が癌で亡くなった。約束通り明穂さんが跡を継いだんだけど総代になった翌年、明穂さんも亡くなったの。線香の不始末が原因の火事でね。光石村の人間と結婚したから天女様が怒って罰が当たったって影山村の人達は噂してたわ。」

 立て続けに人が死ぬとすぐに呪いだと決めつけてしまう。それは自分達が納得できる理由が欲しいからだ。

「明穂さんが亡くなって義邦が天風会の総代になったんですか?」

「ええ。本当は今泉家の血を引いた子供が跡継ぎになる予定だった。でも和子ちゃんはその時まだ4歳だった。だから義邦が継ぐ事になったの。」

「和子?」

 僕は達也と顔を見合わせた?

「まさか和子って・・・四宮和子じゃないですよね?」

「確か義邦の旧姓は四宮だったと思うけど・・・。」

「四宮和子・・・。」

 僕も達也も平静を装うのに必死だった。しかしお互い膝が震えているのがわかった。

「和子ちゃん、喘息の持病があって小さい頃はずっと家に引き籠ってたの。でも、ある時から急に元気になって学校にも通えるようになった。鹿の肺を食べさせたから喘息が治ったって義邦は言ってたわ。」

「四宮和子は今どうしているか知っていますか?」

「さあ・・天風会が無くなって、義邦と一緒に別の土地に引っ越したと聞いたわ。それから何をしているかはわからない。」

 光石村に戻って薄気味悪いペンションを経営していると教えてやりたかった。

「あの、全然関係ないを話してもいいっすか?」

「どうぞ。」

「四宮和子に弱点とかってありますか?」

 達也の質問に美智子は呆れたように笑った。

「弱点?いやだわー吸血鬼じゃないんだから、そんなものあるわけないでしょ!」

「ある意味、吸血鬼みたいなもんですよ・・・。」

 僕は小声で言った。

「でもそうね・・・あるとしたら火かしら?天風会の一部の人達は火をとても怖い物だと思ってる。山火事で天女様は火傷を負ったでしょ?そして久乃も家に火を点けられた。明穂さんも火事で亡くなった。だから火は縁起が悪いものだと思っているわ。」

 そういえば、ペンションの台所にガスコンロはなかった。全てが一昔前の設備なのに調理コンロだけはIHを使っていた。

そして談話室に置かれた漫画本からも全て火という字だけマジックで消されていた。

「どう?昔の話だけど少しは役にたったかしら?」

 どうやら孫が学校から帰宅したようだ。美智子は話を終わらせたがっていた。

「はい。とても役に立ちました。わざわざお時間を作っていただいてありがとうございます。」

 玄関から「おばあちゃん、お腹空いた!」という声がする。僕達は退散する事にした。



18

 東京に戻ると僕等は真っ直ぐ前川のオフィスに向かった。あのペンションに行く前に、どうしても、はっきりさせておきたい事があったからだ。

 もっと早く解決しておかなければならなかったがずっと後回しにしていた。


「前川さんですよね?スピバスターズや僕達にあの変な手紙を送りつけたのは?」


 回りくどい事はせず直接本人に聞いてみる事にした。

「どうして僕なんですか?」

「僕達がペンションへ泊りに行く前日、手紙はぴたりと止みました。僕達があのペンションへ行く日程を知っていたのは四宮和子と前川さんだけです。」

「だったら、四宮和子が送り付けたのではないですか?」

「それは考えられません。」

「そう言い切れる根拠は?」

「この事務所に初めて来た日、僕等はタワマンから今のボロアパ―トに引っ越したばかりでした。だから新しい住所をまだ覚えていなかった。この事務所で契約書を書いた時、僕はメモを見ながら住所を書きました。コーポ・チェリーというアパート名を僕は間違ってコーポ・ジェリーと記入していた。そして届いた脅迫状にはコーポ・ジェリーと書かれていた。僕が間違ったアパート名を記入したのはこの会社だけだからです。」

「なるほど・・・・。」

 前川は何も言わず腕を組んで窓の外を見ていた。

「どうして、こんな事をしたんですか?スピバスターズは殺されたし、ビビルカンパニーも殺された。俺も兄貴も殺されるかもしれないんですよ!」

「前川さん、正直に話してもらえませんか?」

 前川はしばらくの間、黙っていた。そして覚悟を決めたように僕等を真っ直ぐ見据えた。


「仕方ありませんお話ししましょう。僕には美咲という姉がいました。僕より7つ上の口達者でとても気の強い姉でした。やたらと僕の世話を焼きたがり、まるで母が二人いるようでした。子供の頃はそんな姉をウザったいと思っていました。でも今思うと姉はいつも僕を守ってくれていた。大学生になった姉は探検部というおかしなサークルに入部しました。日本の秘境を訪れ探検家気取りになれるサークルです。何とも姉らしいチョイスです。姉は同じサークルの彼氏と旅に出かけました。そして、そこから一枚のハガキを送って来ました。ハガキにはこう書かれていました。大昔にタイムスリップしたような田舎に来ています。明日は可愛い赤い屋根のペンションに泊ります。その葉書を最後に姉と彼氏は姿を消しました。」


「それが、ペンション月光だったんですか?」


「姉のハガキには具体的なペンション名は書いてありませんでした。ハガキの消印も雨に濡れ滲み判別できない。だから、あのペンションを探し出すのに二年もかかりましたよ。高校生の時、初めて両親とあのペンションを訪れました。そして四宮和子に会いました。そして宿帳を見せてもらい二年前、姉が泊った事を確認しました。姉の事を尋ねると和子は二年前の事など覚えてないと言いました。でも僕はその時気付いてしまったんです。四宮和子が髪に付けていたヘアピンが姉と同じものだった事を。ただの偶然かもしれない。僕はそう自分に言い聞かせました。高校生だった僕は怖くてその事を両親に言えませんでした。でもずっと心の中に引っかかったままでした。そして今から8年前、姉と彼氏の遺体が茨城の山奥で発見されました。遺体は完全に白骨化していました。しかし他殺だという事はわかりました。何故なら姉の頭蓋骨は綺麗に穴があけられており二人とも遺体から左手首がなくなっていたからです。その時僕は思ったんです。二人はあのペンションで殺されたんだと。これはただの直感です。僕は非科学的な事は信じません。でもそう感じたんです。」


「だったら、どうして、自分で調べに行かなかったんですか?」

「何度も行きましたよ。そして行く度に警察を呼ばれた。2度とペンションに近づかないという誓約書も書かされました。」

 いつも冷静な前川の、そんな姿を想像できなかった。

「自分が行けないからスピバスターズに手紙を送りペンションへ行かせたんですか?」  

「はい。でもまさか彼らが死んでしまうとは思いませんでした。格闘技経験もある厳つい男二人です。だから大丈夫だと思ったんです。でも駄目だった。その時、僕は確信したんです。やはり姉はあのペンションで殺されたのだと・・・。」

 前川は確証が欲しかった。だからスピバスターズを送り込んだ。何とも身勝手な話だ。

「スピバスターズが死んだのに何故、僕等をまたペンションへ行かせたんですか?」

「俺達の命なんてどうてもいいって事だろ?ねえ前川さん?」

 達也が前川を睨みつけた。

「でも君たちは無事だった。何故ですか?」

「そんなの知らねえよ!四宮和子に聞いてみろよ!なあ、兄貴もう帰ろうぜ。コイツと喋ってるとムカついて頭がおかしくなるよ!」

「前川さん、四宮和子はどうやってスピバスターズやビビルカンパニーを罠にかけたんだと思いますか?いくら考えてもわからないんです。」

 前川は呼吸を整えいつもの冷静な自分に戻ろうとしていた。

「罠には餌が必要です。何か魅力的な餌を撒いて誘き寄せたんでしょう。」 

「その餌とは何ですか?」

「それはわかりません。彼らが飛びつきたくなるような餌ですよ。」

「前川さん、僕達もう一度だけあのペンションへ行ってきます。決着を付けてきます。」

 前川は深く頭を下げた。そして小さな声で呟いた。

「ありがとうございます。」

「別にあんたの為じゃねえから!まだ談話室に読み終わってねえ漫画があるんだよ!」

 達矢が席を立ち会議室のドアを開けた。

「どうか気を付けて行ってきてください。」

「他人事みたいに言わないでくださいよ。前川さんにも大事な事を手伝ってもらいますから。」

「えっ?僕もですか?一体何をすればいいんですか?」

「迷惑系ユーチューバーになってください。」

 前川は一瞬黙った後、静かに頷いた。



19

「到着は遅くなります。夕飯は食べて来るので用意しなくても大丈夫です。」

 電話で和子に伝えるとは残念そうに言った。

「せっかく美味しい兎の肉が手に入ったのに。私一人で食べちゃうわよ。」

 二十数年前、前川の姉は、あのペンションに泊った後、失踪し遺体で発見された。僕等が知らないだけで、実はもっと前から人が殺されていたのかもしれない。前川の姉は茨城、スピバスターズは群馬、ビビルカンパニーは山梨と遺体の発見場所はバラバラだ。操作を攪乱するために意図的に遺棄しているとしか考えられない。

 僕等はペンションへ向かう途中、隣の影山村へ寄る事にした。ここは天風会が誕生した村だ。もしかしたら四宮和子について何か話を聞けるかもしれない。

 しかし影山村は違う意味で期待外れだった。

 影山村は光石村よりも、かなり栄えていた。当たり前のように人は歩いているし、小さなスーパーや食堂、理容店まである。ここまで人がいると逆に誰に話を聞けばいいのかわからなくなって来る。

 僕等はとりあえず駐車場の目の前にある理容店に入ってみる事にした。理容院は町の噂が集まる場所だ。髪も伸びているし散髪の途中話が聞ければ一石二鳥だと思った。

「いらっしゃい。」

 店に入ると60代くらいの坊主頭の白衣を着た男が出てきた。

「あの、予約してないんですが大丈夫ですか?」

「うちは予約なんていらないよ。そっちのお兄さんも散髪?」

 男は達也を指出した。

 達也が頷くと男は奥から誰かを呼んだ。すると同じ白衣を着た女性が出てきた。どうやら男の妻のようだ。

「珍しいね。観光客がこんな田舎に来て散髪するなんて。こんな田舎に遊びに来てもつまらないだろう?」

 シャンプー台を倒しながら男が言った。

「そんな事ないですよ。東京で生まれ育つとこういう田舎に憧れます。」

「それは東京生まれだから言える台詞だよ。俺はこの村の出身だけど田舎が嫌で高校を出て千葉の理髪店に就職したんだ。」

「そうなんですね。全然訛ってないのでこの村の方じゃないのかと思ってました。」

「9年前こっちに戻って来てこの店を開いたんだよ。この村には、ちゃんとした理容店がなかったから丁度いいなと思ってね。でも帰って来るんじゃなかったよ。田舎は本当に息息が詰まる。」

 男はそう言って笑った。

「でも、この村にはまだ活気があります。人も歩いているしスーパーも食堂もある。」

「隣の光石村に比べたらうちの村の方がマシだな。光石村にはもう何も残っちゃいない。そのうち、影山村に合併されるんじゃないかって噂もあるよ。光石村の住民達は大反対してるけどさ。」

「どうして反対するんですか?合併したら今より、もっと便利になると思うんですが?」

「あそこの村と、うちの村には古くから因縁があるんだよ。」

「どんな因縁ですか?」 

「本当にくだらねえ話だよ。どっちの村が天女伝説の発祥の地かって。しょうもないお伽話で争ってる。これらから田舎から出た事がない人間は嫌なんだよ。視野が狭くてプライドだけ高い。娯楽もないからどうでもいい事に拘るのさ。」

 心地良い男の語りと気持ちの良いシャンプーで思わず寝そうだった。

「この村は天風会が誕生した村だと聞きました。信者さんはもう残っていないのですか?」

「天風会?お兄ちゃんあんた随分詳しいな。そうだよ。天風会は影山村で生れた。俺の爺さんも婆さんも親父もお袋も天風会の信者だった。でも光石村から来た婿養子が総代になってから殆どの信者が辞めちまった。」

「殆どっていう事は少しは残ってたって事ですか?」

「8割方、信者はいなくなった。でも少しは残って細々と活動してたよ。」

 義邦が総代になってからも天風会は辛うじて存続していたようだ。

「天風会が完全に解散したのはいつなんですか?」

「義邦が死んで娘の和子ってやつが跡を継いでからだよ。これがまずかった。」

「どうしてですか?」

「和子が天風会の金を使い込んで光石村に悪趣味なペンションを建てたんだよ。」

 あのペンションが天風会の金で建てられたのは驚きだった。

「それが決め手になって天風会はこの村から完全に消えた。この村にはもう一人も天風会の信者は残ってねえよ。」

「一人もですか?」

「ああ、一人もいねえよ。和子の味方をする奴は泥棒の片棒を担ぐって事だ。だから村から追い出したんだよ。」

「強制的にですか?」

「ああ強制的に追い出した。元々あの金は天風会の信者達が寄付した金だ。生活に困った信者を助ける為に使われるはずだった。それなのに和子はその金を使って趣味の悪いペンションを建てやがった。」

 あのペンションが醸し出す独特の不気味な雰囲気。もしかしたら、こういったバックグラウンドも関係しているのかもしれない。

「いいか兄ちゃん、田舎の人間ってのは執念深くて怖いんだよ。輪を乱す奴は絶対に許さねえ。そういう奴等は、はじき出すんだよ。だから俺は田舎が好きじゃないんだ。」

 仕上がった髪型を鏡で確認する。今風で思ったより悪くない。奥さんの方に髪を切ってもらっていた達也も良い感じに仕上がっていた。

「ありがとうございます。さっぱりしました。」

 僕等は礼を言っては理容院を後にした。

「兄貴、色々と話し込んでたみたいだけど、何か収穫はあったか?」

「ああ。色々とな。お前は?」

「俺の髪を切ってくれたオバサン、四宮和子と小学校の同級生だったそうだ。」

「世界は狭いって言うけど、田舎はもっと狭い。皆誰かと繋がってる。」

「兄貴、そろそろ決着をつけに行こうぜ。準備はいいか?」

「ああ。」

僕等は和子が待つペンションへ向かった。



20

 午後8時過ぎ、僕等はペンション月光にチェックインした。恐らくこれが最後のチェックインになるはずだ。

「本当に夕飯はいらないの?食べても食べなくても同じ値段なのに勿体ないわね。」

 急須でお茶を煎れながら四宮和子が言った。

「ここへ来る前に影山村に寄って食べてきました。」

「どうして影山村になんか行ったの?」

「美味い蕎麦屋があると聞いたんで。」

 影山村の名を出すと和子の口調が急に棘のあるものに変わった。

「和子さんは影山村へは行かないんですか?」

「光石村より少しばかり大きいだけで特に何もないじゃない。だから行かないわ。」

「そうですか?スーパーもあったし食堂もありましたよ。」

「理容店もあったので兄貴と一緒に髪を切ってもらいました。そこの理容店の奥様が和子さんの同級生だと言ってました。すごい偶然ですね。」

 和子の顔色が変わったのを見逃さなかった。

「理容院で聞いたのですが和子さんのお父様。影山村に伝わる天風会という団体の代表だったそうですね?」

「あなた達こそこそ調べてたの?」

「すみません。」

「天風会は父の代で終わった。だから私には何の関係もないわ。」

「変わった方法で信者達の病気治療をしていたと聞きました。ご存じですよね?」

「さあ。昔の事だから覚えてないわ。」

 和子は急須をお盆に乗せ談話室から立ち去ろうとしていた。

丁度その時、外から騒がしい声が聞こえてきた。誰かが拡声器を使いこちらに向かって何か叫んでいる。


「ここは呪われたペンションだ!!!」

「お前が人殺しなのは知っている!!!」

「さっさと出て来い四宮和子!!!」


 僕は談話室のカーテンを開けた。

 そこにはスーツ姿で拡声器を持つ前川が立っていた。


「出て来て話をしないと納屋に火を点けるぞ!」

 前川演じる迷惑系ユーチューバー。あまりにも新鮮で思わず笑ってしまいそうになった。しかし僕も達也も必死に堪えた。

「一体何なのよ!?面倒臭いわね!」

 大きなため息を付くと和子は玄関へ向かった。

「ちょっと行って来るわ。」

「大丈夫ですか?」僕はわざとらしく尋ねた。

「以前も何度か来て難癖をつけてきた奴よ。ほんと頭にくるわ!」

 和子は大きなため息をつき外へ出て行った。

「今だ、達也。」

 和子が出て行った事を確認し僕等は急いで管理人室へ向かった。和子の部屋にはきっと殺人に関する証拠があるはずだ。前川には和子との会話をなるべく長引かせるよう頼んである。

 達也が管理人室のドアノブに手をかける。鍵がかかっていない事を祈った。

「兄貴、開いてる!」

「よしっ、入るぞ!」


 勢いよく扉を開けた。その時見た光景は、決して忘れる事はないだろう。恐らく何年経っても夢に出てくるはずだ。それくらい強烈な光景だった。

 

和子の部屋の壁は一面マジックミラーになっていた。そしてマジックミラーに映っていたのは温泉の脱衣所だった。


「あのババア変態かよ!」

 達也が叫んだ。

 この部屋で和子は宿泊者達の裸を見ていた。そして僕達も見られていた。


「人殺しだし、変態だし、汚部屋だし 何なんだよこのババアは!」

 達也が転がっていたピンクのクッションを蹴った。和子の部屋はゴミやガラクタが散乱し足の踏み場がなかった。

 この中から短時間で証拠を見つけ出すのは無理だと判断した。僕等は管理人室を諦めキッチンへ向かった。

 冷蔵庫の中に体の一部が残っているかもしれないと思ったからだ。

 キッチンへ向かう途中、談話室の窓から外の様子を伺った。外では前川と和子が激しく言い合いをしている。「頼む前川。あと10分は持たせてくれ」僕は祈った。

 キッチンの冷蔵庫は二台ある。業務用と家庭用のものだ。最初に業務用の冷蔵庫を開けた。しかしこれといったものは見つからない。

「脳みそや内臓を保存するなら冷蔵じゃなくて冷凍だろ?」

 達也にそう言われ冷凍庫を開けた。ナイロン袋に小分けにされ凍った肉がたくさんある。しかし、それが人間のものなのか動物のものなのかは区別がつかなかった。


「決定的な証拠はどこにあるんだよ・・・。 」

 その時、外からひと際、大きな声が聞こえてきた。拡声器を通し前川が僕等に何かを伝えている。


「ペンションに戻って警察に電話するだって?!逃げるのか!?上等だ!警察に電話してみろ!!!」

 

 和子がこっちに戻って来ると前川が遠回しに伝えている。僕等は台所から出て急いで談話室へと戻った。タッチの差で和子がペンションへ戻ってきた。危なかった。

「たまに、ああいう変な奴が来るのよ。本当に参っちゃうわ。」

「警察には通報はしないんですか?」

「しないわ。脅かしただけ。ああいう奴は警察っていう言葉を出すとすぐに逃げていくの。本当に情けないわね。」

 談話室の窓から外を見ると前川の姿はなかった。ああ見えて一応、有名企業の代表取締役社長だ。警察に捕ったら洒落にならないので退散したのだろう。


「騒がせてしまったお詫びに奢るわ。」

 和子はキッチンから瓶ビール2本とグラス3つを持って来た。

「あと、一ヶ月もすれば、雪が降るわ。ここは豪雪地帯で冬には信じられないくらい雪が積もるの。そうなったら春まで誰も来ないわ。」

 3つのグラスにビールを注ぎながら和子は独り言のように言った。

「こんな山奥に一人で居て寂しくなりませんか?」

 僕は和子に尋ねた。

「賑やかな場所にいても孤独な人はいくらでもいるでしょ。」

 赤い口紅がべったりついていたコップを見ながら和子が呟いた。

「和子さん、ちょっとこれを聴いてもらえますか?」

 僕はテーブルの上にボイスレコーダーを置き再生ボタンを押した。あの夜、食堂で録音した会話だった。

「盗聴してたの?随分、悪趣味な事するのね?」

 ボイスレコーダ―から流れる忌々しい会話に和子は全く焦っている様子はなかった。

「わかったから止めてちょうだい。録音した自分の声を聴くのは好きじゃないのよ。」

 僕は再生ボタンを止めた。


「和子さん、回りくどいのは嫌なんで直接、聞きます。どうして、僕達を殺さなかったんですか?」

 僕は賭けに出た。誤魔化されても否定されてもいい。ストレートに聞きいてみたかった。

 

和子はしばらく黙っていた。しかしビールを一口飲んだ後ニヤリとして僕の顔を見た。その表情にはどこか軽蔑の念が含まれていた。


「だって、あなた達、全く使い物にならないんだもん。」

 

僕等の知っている四宮和子とはまるで別人のようだった。

「どうして俺達は使い物にならないんですか?」

「あなた達の体。」

「俺達の体が何なんですか?」

「あなた達の体、火で焼かれたでしょう?穢れていて美しくない。全く使い物にならないわ。」

 和子は部屋のマジックミラーで生贄にする人間の体を品定めをしていたようだ。

「私達が求めているのは若くて美しくて健康な身体なの。火で焼かれた汚れた体なんて使い物にならないのよ。」

 和子は首を横に振った。

「あなたは4人の屈強な男達をどうやって殺したんですか?あいつらは老人が拉致して殺せる相手なんかじゃない。」

「老人ですって?失礼な事を言わないで。私はまだまだ若いつもりよ。」

 和子の化粧と服装を見れば若さに対する執着心がいかに強いのかわかる。

「いい事教えてあげるわ。若い鹿ほど罠にかかりやすいの。彼等は未熟で無知で恐れを知らないから。」

「あいつらに罠を掛けたんですか?」

「そうよ。」

「どんな罠を仕掛けたんですか?」

「どんなって動物と同じよ。餌を置いてじっと待って罠に掛かるのを待った。」

「どんな餌を使ったんですか?」

 悪戯な笑みを浮かべ和子は僕達を見ている。

「どうしようかなー。教えてあげようかな?やっぱり止めようかな?」

「教えてください四宮和子さん。」

 僕は和子の目を真っ直ぐ見た。

「いいわ。教えてあげる。あの子達が庭先で煙草を吸ってた時、そっと聞いてみたの。裏の山で取れた野生の大麻があるけど吸う?って。そしたら目の色変えて飛びついてきたわ。」

 あいつらを誘き寄せる餌と言うのは大麻の事だった。

「あの子達、とても気持ちよさそうに大麻を吸ってたわ。だから教えてあげたの。この裏山に野生の大麻畑があるって。害獣除けの電流柵が設置してあるけど水曜日と土曜日は電源を切ってあるってね。」

 智也のポケットに入っていたメモには(水曜日、土曜日)と書かれていた。この事を指していたのだ。

「後は簡単。畑に大型害獣用の罠をいくつか仕掛けておくだけ。夜中に叫び声が聞こえたら畑を見に行くの。罠に足首をパックリ喰われた獲物が引っ掛かってるからね。」

「だから4人の遺体から片足が無くなっていたんですか?」

「そうよ。罠に引っかかった痕跡を消す為にね。ここはね山奥だからどんなに泣き叫んでも誰も助けに来てくれないのよ。」

「罠に掛かったあいつらを殺したんですか?」

「ええ。鹿や猪を殺す時と同じようにね。死んでしまえば人間も動物も一緒。ただの肉の塊よ。」

 和子はそう言って二杯目のビールを注いだ。

「どうしてそんな事をしたんですか?」

「あなた達、天女伝説は知ってる?」

「光石村と影山村、それぞれに伝わる話を知っています。」

「じゃあ話が早いわ。光石村の私のご先祖様はね天女の心臓を食べて病気が治ったの。そして百歳まで長生きした。天女伝説は伝説なんかじゃない。本当にあった事なのよ。」

「天女なんか存在するわけないじゃないですか!?サンタクロースや人魚やビッグフットと同じ。人間が作った空想の産物ですよ。」

 達也が面倒くさそうに頭を掻いた。

「空想なんかじゃないわ!光石村の村人達は天女の身体を食べて病が治ったの。天風会の総代になった父は病に苦しむ信者達を助けたかった。だから光石村で伝わる天女伝説を再現した。」

「でも、あなたのお父様は誰も殺さなかった。」

「ええ。父は人の代わりに鹿を使った。だから誰も救う事が出来なかったのよ。鹿なんて四つ足の不浄の動物。そんな物を食べても病気が治るはずがないわ。 」


「だから、あなたは人間を使ったんですか?」


「そうよ。私は忠実に天女伝説を再現したかった。身体を食べる前、天女の湯に入れ、穢れを落とす。そして天女と同じ美しい体になった肉体を食べさせる。そすうれば私のご先祖様のように100歳まで生きる事が出来る。」


「何でそこまでする必要があるんですか?!」

「助けたい人達がいるからよ。」

「それは、あなたと共に影山村を追い出された人たちの事ですか?」

「そうよ。故郷を捨ててまでも私に付いてきてくれた人達。」

 

以前、このペンションで僕等が会った老人達。彼等は影山村から追い出された天風会の信者だ。病気の彼等を助ける為、和子は天女伝説をここで再現していたのだ。


「このペンションは影山村を追い出された人達が集う場所なの。日本各地に散らばった天風会の信者達が安心して集まれる場所。それがここなのよ。」

 和子は薄っすらと目に涙を浮かべていた。

「どうして正直に話してくれたんですか?」

「どうしてかしら?あなた達の穢れた体に同情したのかもしれないわ。」

「天風会は解体したと聞きました。でも、まだ信者達は残っているんですよね?一体どれくらい残っているんですか?」

「ご想像にお任せするわ。」

 和子は意味あり気に微笑んだ。

「和子さん警察に行きましょう。」

 達也が席を立った。

「嫌よ。捕まる訳にはいかないわ。私はこのペンションを守らなくちゃいけない。」

「あなたがした事は殺人です。」

「私が4人を殺した証拠がどこにあるの?証拠がなかったら警察は何も出来ないわ。」

 その時、談話室のドアが勢いよく開いた。振り返るとそこには全身泥だらけになった前川が立っていた。


「証拠ならあります!」

 

 前川が手に持っていたのはホルマリン漬けにされた手首だった。


「前川さん、それ、どこから持って来たんですか?!」

「庭の手入れなんか全くしてないのに花壇の土が柔らかかった。怪しいと思って掘り返してみたんですよ。そしたらこれが出て来た。しかも出て来たのはこれだけじゃない。もっと沢山の手首が埋まってました!」

 光石村の村人に食べられた天女は左手首だけが残されていた。和子はそれも忠実に再現したのようだ。 

「おい君達!今の全部録れてるか?!」

 前川が声を張り荒げた。

「はい。録れてます!」

 僕は談話室の本棚の隙間にセットしてあった小型カメラを指さした。

「すみませんが携帯が通じないのでお電話をお借りします。」

 前川は律儀に百円玉を電話機の横に置いた。

「どこに電話するのよ?」

「警察です!」

「勝手にすれば。」

 前川が電話している間、和子は赤い口紅を丁寧に塗り直していた。

「ここは山奥だから警察が到着するまで30分はかかるわ。」

 そう言ってポケットから煙草を取り出し火を点けた。

「館内禁煙じゃなかったんですか?」

「いいのよ。もう。」

 そう言ってゆっくりと煙を吐き出した。

「あなたに一つお聞きしたい事があります。」

 電話をかけ終えた前川が和子の前に立った。

「24年前、僕の姉を殺しましたか?」

 和子は何も答えなかった。

「警察が来たら、もうあなたと二度と話せなくなります。だから教えてください。僕の姉を殺しましたか?」

 前川は和子を睨んだ。

「昔の事は忘れたわ。数えきれないくらい殺してきたから。」

 和子はそう言って煙草の煙を前川の顔に吹きかけた。遠くからサイレンの音が聞こえる。


 

21


「型破り社会学者、東条武史のニュースをぶった斬れ!にようこそ!アシスタントの柚木桃菜です。早速ですが先生、今日は今話題の光石村の天女伝説を斬っていきたいと思います。」

「今どこへ行ってもこの話題で持ちきりだよね。」

「このチャンネルでも天女伝説を取り上げて欲しい!ぶった斬って欲しい!と視聴者の皆さんから、たくさんのメールを頂いています。」

「伝説っていうのは何百年、何千年もかけた伝言ゲームなんだよね。途中で事実と全く違う話になっちゃうっていうのはよくある話なんだよ。光石村の天女伝説なんてその典型的な例だと思うよ。」

「典型的な例というと?」

「光石村って東北の山奥のかなり雪深い場所にあるでしょ?あの地域は昔から何度も大きな飢饉に見舞われてるんだよ。食べ物がなくて餓死する人も多かった。食い扶持を減らす為、老人を山に捨てる。産まれた赤ん坊の息の根を止める。なんてことは日常的に行われてた。想像も出来ないくらい食べ物に困っていた時代があった。」

「そんな時代に生まれなくて良かったです。」

「あくまでも個人的な意見だけど、大昔、光石村の人達は本当に人を食ってた事があるんじゃないかな?あれ、こんな事言ったら炎上する!?やばいかな?」

「カニバリズムがあったって事ですか?!」

「大飢饉のとき、人々は空腹に耐えきれず木の皮や草の根っこを食べたっていう文献はたくさん残ってる。でも極限で追い詰められた人間が木の皮を食っただけで我慢できる思う?目の前に美味そうな肉があったら食うよね?」

「東条先生、さすがにそれは飛躍しすぎじゃないですか!」

「怪我を負った天女っていうのはたまたま山に迷い込んで来た女性だったんじゃないの?その女性を村人が襲って食べた。空腹を満たしてくれた女性を村人は天女として祀ったんじゃないのかな?さっきも言ったけど、これは僕の個人的な意見ですからね。」

「先生、さすがに、それは光石村の方達に失礼ですよ!」

「天女の目玉を食って目が見えるようになった。っていうくだりがあったよね?それって、ただの栄養失調で目が見えずらくなったんじゃないの?それで肉を食ったら精が出て治ったって話じゃない?」

「先生、もうそろそろ、この話は止めて次のトピックスへ移りましょう。また炎上しちゃいますからね。」

「炎上は慣れっ子だからどうでもいいよ。結局さ伝説なんて都合の良い作り話なの。それを真面目に捉えちゃだめって事だよ。」



22

 四宮和子が捕まり、僕等は一躍、時の人となった。

(犯人逮捕オメ!インチキオカルトボーイズお手柄!)

(警察無能!やっぱり、これからの時代私人逮捕W!)

(インチキオカルトボーイズ無双!)

 警察の捜査でペンションから身元不明の手首が数十個が見つかった。年代はバラバラでかなり古い時代の物もあるようだ。

 しかし四宮和子は黙秘を続けており捜査は難航しているようだ。


「この事件、全部、和子一人でやったとは思えない。」

「遺体を遠くに遺棄したり、解体したりするには必ず助けがいる。」

 遺体を車に乗せ、山に穴を掘って隠す。こんな事が和子一人で出来るわけがない。

「最後にあのペンションを訪れた時、談話室に最近出た漫画が置いてあった。あそこに出入りしてる奴がいるはずだ。」

 天風会の信者に二世、三世がいてもおかしくない。彼らが和子の手伝いをしていたという事も考えられる。


「食堂の壁に貼ってあった、リピーターからの葉書や手紙。そして宿帳が全て処分されていたそうだ。」

「和子は薄々気付いてたんだ。もう逃げられないって。だから天風会に関わる痕跡を全て消し去った。」

 影山村を追い出され全国各地に散らばったと天風会の信者。彼等を守る為、和子は黙秘を続けるだろう。

「それにしても前川さんの迷惑系ユーチューバー、かなりハマってたな。社長なんか辞めてユーチューバーになればいいのに。」

 達矢が段ボールから荷物を出しながら思い出し笑いをしている。

「ああ。感情剥き出しの前川さんも案外悪くなかったな。」

 あの事件の後、前川は会社を辞めて海外へ放浪の旅へ出てしまった。理由は聞かなかったが、心を整理したかったのだろう。

「何だか急に普通の日々が戻ってきたな。」

 このボロアパートに引っ越して来てきてからすぐ、あの事件が起こった。持って来た荷物はまだ段ボールに入ったままだった。

 

事件後、僕達のチャンネル登録者数は240万人を超えた。再生数も伸び続け収入は格段に増えた。しかしここから引っ越すつもりはない。当分このボロアパートに住み続けるつもりだ。

「皮肉な話だけど俺達が殺されなかったのは火傷の跡があったからだ。」

「だからと言って、これがあってよかったとは思えない。この傷は一生、僕達に付き纏い続けるんだから。」

「兄貴、これからどうする?あまりにも強烈な体験をしたせいで、やる気が出ないよ。」

 僕も達也と同じ気持ちだった。あの事件が解決して何だか魂が抜けてしまった気がする。前川が会社を辞めてしまった気持ちもわかる。


「釣りにでも行くか?ずっと行きたいって言ってたのに忙しく行けなかっただろ?」

「いいね!釣りでもしながら今後の事でも考えるか。」

「よし、じゃあ今日中に引っ越しの段ボールの荷解きを終わらせるぞ。」

 僕はガムテープでしっかり止められた古い小さな箱を手に取った。これは高校を卒業した時、親戚の家から持って来たものだ。ガラクタしか入っていないと思いずっと開けていなかった。

「うわー懐かしい!」

 箱を開けると中学時代に集めていたアニメのカードや外国のコインが入っていた。そして薄いアルバムも一冊入っていた。

「おい、達矢!ちょっとこれ見てみろよ!」

 アルバムを開くと幼い頃の僕の達がいた。あどけない表情でアイスクリームを食べたりボールを蹴ったりしている。

 次のページを開くと写真には亡くなった父と母が写っていた。母は笑顔で達也を抱っこし僕は足元でピースサインをしている。今の僕達の年齢と変わらない両親を見て何だか不思議な気持ちになった。


「おい、何だよこれ・・・?」

 

アルバムの最後のページにあった写真。それを見て全身に鳥肌が立った。

 

 そこに写っていたのは、あの光石村の赤い屋根のペンションだった。家族四人で、ペンションの前に立ちピースサインをしている。


「俺達、昔あのペンションに行った事があるって事か・・・?」

 

 身体から変な汗が滲み出て来る。家族であのペンションに泊ったのか?

 たまたま前を通りかかっただけなのか?真実はわからない。しかし僕達は昔、あのペンションを訪れていた。

 その時、ふと四宮和子の言葉を思い出した。


「出会いは必然。縁は切れない。例え仏に頼んでも!」




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