美術室の怪
汐は美術が苦手だ。
今目の前にある机の上の林檎だって、スケッチするより食べてしまいたい。
そもそも芸術は自由なはずなのに、何故デッサン力等色々な技術が必要なのだろう。
「なんだこの落書きは!!」
背後の怒鳴り声に、汐はびくっとして振り返る。
自分に言われたのかと思ったが、男子生徒が、三十代くらいの男性美術教師に怒鳴られていた。
授業中なので、不真面目な態度を怒られるならわかる。しかし、教師はその生徒の絵にあれこれと文句をつけては無闇に怒鳴っている。
汐は嫌な気分になった。苦手なものは皆あるのに、なんであんな言い方をするんだろう。
汐も以前描いた絵を『紙と時間の無駄だったな。ゴミ箱に捨てた方がいい』と言われたことがある。
なんだか悲しくなってきた。
今日は放課後も、憂鬱だ。
絵の具を一つ、美術室に落としてきたらしい。忘れっぱなしにしておくと、またあの教師に怒鳴られそうだ。
というわけで、今日は図書室ではなく美術室に向かっているわけだが、あの教師と鉢合わせしたらどうしよう、と思うと胃が潰される思いである。美術部顧問なので可能性はあるのだ。
しかも、美術室にも怪談はある。
夜中に意味もなく高速回転する石膏像。
もう一周回って何も怖くない気がしてきた。
「おじゃましま~···す」
恐る恐る美術室に近づくと、電気はついておらず、誰もいない。
大抵は放課後は美術部が使っているが、最近は外で木々をスケッチしているらしい。多分そのまま解散したのだろう。
一気に気楽になった汐は電気をつけて中に入る。鍵は何故かかかっていなかった。
絵の具は授業で汐が使っていた机の下ですぐに見つかった。
あとはさっさと帰るだけ、なのだが、ふと、壁寄りに置かれたキャンパスが目に留まる。
多分美術部で描いた絵なんだろうが、全部布がかかっていてなんの絵なのか、そもそも本当に何かが描いてあるのかもわからない。
少しだけ興味はあるが、勝手に触るのも悪いし、それになんとなく不安だった。布の向こうに、何か怖いものがあるような気がして。窓の外がすでに暗くなっているからだろうか。
「をおぅ!」
いきなりぱさっと音がして、汐は飛び上がる。
何故か一枚だけ、謀ったように布が落ちていた。
反射的に拾い、再び絵にかけようとすると、当然ながらその絵が目に入った。
それは昨日階段で見た、あの女性の絵だった。
やっぱり実物の方が美しい、はずなのだが、
「きれい···」
汐は思わずそう呟いていた。
なんというか、この女性に対する並々ならぬ情熱が感じられる。
制作者名の記入はない。
まさかとは思うが、あの美術教師が描いたのだろうか。もしそうならば、あの教師への好感度が一割ほど上がる気がする。
とまぁ、ほんの少しだけ優しい気持ちになれたところで、さっさと帰ろう。高速回転する石膏像は、少し見たいがどう反応して良いかわからない。
しかし、
「·······を?」
誰かに呼ばれた気がして、汐は振り返る。
当然ながら誰もいない。いたら怖い。
でも、何かいる。
それは、まさに気配としか表現できないものだった。
こっちにおいで、そう言われている気がする。
「誰かいるんですかー?」
明かりもつけないで?
汐はぞくっとする。ミステリーは好きだがホラーは無理だ。
でも何故か、行かなければいけないような気がした。
向かったのは、隣の美術準備室。
電気をつけて、気配に導かれるまま、奥へと進み、机の上にあるそれの前に立つ。
ケースに入れられ、大事そうに飾られているのは、
「あれ?これって···」
見かけはただの黒い石だが汐にはわかる。
これはー。
「見たな」
背後に、美術教師が立っていた。
その表情は鬼気迫っていて、こんなときなのに汐は思った。
昔話の山姥みたいな台詞。
包丁を持っていないのが不思議なくらいだ。
ホラー映画は苦手です(スプラッタはわりと平気)。
というより、作者は突然脅かされるのが苦手なので、ゆっくり動くゾンビたちより、はらはらしているときに突如登場するおっちゃんの方に恐怖を感じます。