第6話:クールな彼女はアブソリュート
友人に本作の説明をしたところ、『その主人公は何が出来るの?』と問われました。
…………何が出来るんだろう。
胃痛の絶えない会長とのランチタイム、有言実行型クラスメイト達によるデコピンの刑(死ぬかと思った)を乗り越え、全身に激痛が走る中健気に午後の授業に耐え続けた僕だったが、しかしどうして世界は僕に対して優しい選択肢を与えてはくれないのだろう。
「うぅ……帰りたい……」
涙が止まらない、止められない。なぜって、僕の前には一つの扉があるからだ。
そう、『生徒会室』という名の扉が。
正直、逃げたい気持ちでいっぱいだけど、ここで逃げたらきっと翌日にはまた周囲からやいやい言われるのだろうなぁということは容易に想像がつく。かといって入ればそれこそ本当に逃げ道を完全に断たれることになる。どっちを選んでも地獄。世知辛い世の中とはいえ、ここまで理不尽かつ不条理な現実が有っていいものだろうか。もし神様という存在がいるのであれば、そいつはきっと一皮剥けば阿修羅のような形相をしているにちがいない。
「…………来世では、もっとまともな人生を歩めますように」
そんなことを願ってみるが、きっとこの願いは届かないだろう。来世の僕はどうせそこらへんに転がっている石ころか死骸に群がるハエなのだ。そうに決まっている。神様、僕はあなたが嫌いです。
とりあえず中に入る。もう十字を切る余裕すらない。明らかな負け戦に突撃していく兵士のような心境だ。
中は意外と広かった。中央に大きな長テーブルと椅子が幾つか。あとはホワイトボードとスチール製の本棚、最新型のパソコンといった感じ。しかし僕の関心はそこにはない。
「…………ぁ」
「………あら、こんにちは聖十郎」
椅子に座って本を読んでいた一人の女子生徒が顔を上げてこちらを見た。
腰まで届く艶やかな黒髪にかわいいというより美しいと評した方がしっくりくる容姿。あとひたすら冷たい印象を受ける瞳。
クラスメイトの一人、鎌池清羅さんだ。
「こ……こんにちは、鎌池さん」
自分でも分かるくらいものすごいビクビクしながら答える。彼女の氷のような瞳が僕の心臓を突き刺す。
はっきり言って、僕はこの人が苦手である。何て言うか、毒攻撃を受けたゲームキャラのように一緒にいるだけで寿命がみるみる削られていきそうな錯覚を覚えるからだ。
彼女は読んでいた本をパタンと閉じて、
「貴方どうしてここにいるの?」
「いえ、どうしてと言われると………生徒会長に、そう言われたので」
っていうか貴女今朝教室にいたでしょう。
「あら、あの娘に?」
「えぇ……」
頷くと、彼女は蔑んだ目を向けてきた。
「………貴方のような役立たずを引き入れるなんて………あの娘にも困ったものね。人選はしっかりしてもらわないと」
「は、はは……」
もう渇いた笑みしか浮かんでこない。とんでもなく居心地が悪いです。面と向かって役立たず呼ばわりされても反論できない。
というか、彼女に反論しようなんて命知らずはそうそういない。有無を言わせぬ迫力がこの人にはあるし、かといって暴力に訴えればそれ以上の暴力をもって撃墜される。絶対的な存在感と決して笑わない美しさからついたあだ名は『氷の姫様』。それが鎌池清羅さんという人間だ。
「ま、そのまま突っ立ってるのもあれだし、とりあえず座ったら?」
そう言う彼女は何故か自分の隣りの椅子を引いた。え? そこに座れと? 僕に心臓マヒで死ねと?
「い、いえ、お気遣いなく」
流石に猛獣の檻に自ら飛び込んでいく勇気はない。僕はテーブルを挟んだ彼女の向かいの席に座った。すると彼女はとても不機嫌そうに僕を睨んできた。え、なにゆえ?
「………まぁいいわ。貴方が馬鹿なのは今に始まったことでもないし」
「は、はあ………?」
何故自分はいきなり馬鹿呼ばわりされているのだろう。いや、彼女の唐突な罵倒はそれこそ今に始まったことでもないのだが、なんで? 誰か教えてください。
「え、えっと、会長達は?」
空気を変えるためとりあえず話を振ってみる。
「他のメンバーは今日は掃除当番らしいわね。でももうすぐ来るでしょう」
「そ、そうですか。じゃあ……」
「一応言っておくわね。逃げたらコロス」
「……………………………はい」
氷の眼光に射抜かれて僕萎縮。蛇に睨まれたカエルの気持ちが分かるなあ(他人事)。
「…………」
「……………」
「………………」
「…………………」
「……………………」
「………………………」
沈黙。ひたすらに沈黙。
本当に、誰か助けて………会長でも大翔先輩でもいい。この空気を誰かぶち壊して……!
「聖十郎」
「は、はいっ!?」
しかしぶち壊したのは会長でも先輩でもなく、意外にも鎌池さん本人だった。思わず声が裏返ってしまったが、彼女はそんなこと気にも止めず、
「一つ聞きたいのだけれど」
「な、なんでしょう?」
「貴方、ロングヘアーとショートヘアーはどっちが好み?」
「………………………………………………………………………はい?」
たっぷり十秒間は凍り付いてから聞き返した。
「だから、髪の長さは長いのと短いの、どっちが好きなのかって訊いてるの。なに、耳がイカれているの?」
いや、耳はイカれてません。ただ質問の意図が理解できないだけです。
「で、どうなの? さっさと答えろ」
こわ………。
どう答えたらいいんだろう。っていうか、僕の好みなんて聞いて彼女に何の得があるのかが全く分からない。けどいつまでも黙っているときっと僕は殺されてしまうだろう。暴力的な意味でも、精神的な意味でも。彼女は殺る時は殺るお方だ。
「その……、アレですよ。世間的にどのような目で映るのかは定かではないですけど、どちらも良さがあるというか、何と言うか………」
「ど・っ・ち・?」
「ひぃっ!! すいませんどちらかと言えばショートヘアーの方が好みですっ!!」
頑張って誤魔化そうとしたけれど凄まれてすぐに白状した。でもあくまでもどっちかと問われたら、ということであって、本当にどちらも素晴らしい………って、僕は誰に弁明しているんだろう。
「そう」
僕の答えを聞くなり、さっきまでの迫力はどこへやら、鎌池さんは一気に普段のクールガールに戻った。
「善処するわ」
何か小声で呟いたが、よく聞こえなかった。