6.契約婚約
「君には紛れもなく才能があった。私は……育てようと思った」
「ジウス様が錬金術を手ほどきしてくださったこと、忘れるはずがありません」
曽祖父が亡くなるまで、フィリアはジウスに師事をした。ジウスも一時期、宮廷錬金術師になろうとしていたから好都合だった。
だが、彼の夢は途切れた。
「しかし父から錬金術を諦めて政治に専念するよう言われ――私の夢は終わり、君との教師関係も終わった」
「……はい、でも私は宮廷錬金術師になれました。それはジウス様のおかげです」
フィリアの胸がちりちりした。他の人には感じたことがない痛みだった。
「いいや、君へ教えたのはあくまで初歩の初歩だ。宮廷錬金術師になれたのは、君の努力に他ならない。だからこそ、私は……」
ジウスは言葉に詰まり、テーブルに置かれたティーカップに手を伸ばした。
「もしあのとき、君に錬金術師になるよう言わなかったら、こうはなっていなかっただろう」
甘酸っぱいレモンの添えられた紅茶をすするジウス。
「いいえ、多分何も変わっていません。結局、私は錬金術師になろうとしたでしょうから」
これが偽らざるフィリアの気持ちだった。ジウスがいなければ、宮廷錬金術師になれなかったかもしれない。あるいは遥かに遅れたかもしれない。
しかし目指すのを諦めはしなかっただろう。
「それよりも噂に聞きました。スレイン家に介入されたとか?」
「……あれは別件だ」
「でも助かりました。少なくとも経済的なダメージは最小限になりましたから」
「副次的な効果にすぎないが、それならよかった」
どうやら昔の思い出から引き戻されると、事務的な口調になるらしい。
世間ではジウスを冷徹で狡猾な政治家とみなしている。実際、多分そうなのだろう。
(……自分には到底、マネできない)
「しかしいつまでもスレイン家が黙っているとも思えない。恐らく、また手出しをしてくるだろう」
「やはりそう思いますか?」
憂鬱なのはその点だった。スレイン家とは婚約をしていた関係上、それなりに気質は把握している。
「もう私は放っておいてくれればよろしいのに、報復せずにはいられない方々ばかり……」
フィリアのため息にジウスが応じる。
「だから私は考えた。君を守るための最善の策略がある」
「そんな魔法のような策が……?」
「ああ、驚かないで聞いてほしいのだが」
「わかりました、なるべく驚かないようにします」
こほん、とジウスは咳払いした。顔は平静だが、どこか迷いがあるようだ。
「私と君で婚約をする」
「……えっ……えええっ!?」
ここ数年で一番の大声が出た。しれっとジウスが続ける。
「もちろん本当に結婚する必要はない。執念深いスレイン家が諦め、君の評判が元に戻るまでの間だ」
「ちょっと待ってください」
フィリアは目を見開き、すーはーと深呼吸した。ジウスはすでに宰相の顔をしており、本音はほとんど見えなくなっていた。
「……本気ですか?」
「私は君に嘘を言ったことはない」
「それはそう、確かにそうです……」
真剣な目つきのジウス。フィリアは息を整えるため、手を付けていなかったレモン添え紅茶をごくごくと飲んだ。隠し味のハチミツが染み渡る。
この甘酸っぱい紅茶は、フィリアの大好物であった。忘れていなかったんだ、とフィリアはじんわりとした。
「ジウス様が後ろ盾になれば、それは心強いと思います。ですが、ジウス様の評判はどうなのです? 現状、私は捨てられた扱いのはずですが」
「問題はない。私が悪者になれば、世間は納得するだろう」
ジウスがふっと微笑んだ。
「モードから君を奪った、という形になる」
「大変なことのようですが」
「……まぁ、荒れるだろうな。しかし悪くはない。強風は帆をあおり、船を進める力にもなる」
フィリアの頭もだいぶ、整理されてきた。
悪くはない――それはそうだ。冷徹に考えれば、フィリアにとって損はない。
貴族としての思考の横で、フィリアは純粋な疑問を抱いた。
(先生は、昔から……どうして私に優しいのだろう?)
曽祖父と親しかったから? 錬金術の同志だから?
よくわからない。考えると胸の奥がズキズキする。
「……ひとつだけ、聞かせてください。もし私が宮廷錬金術師になれなかったら、どうしていました?」
「もしフィリアが貴族令嬢として名誉挽回を望んでいたら――私は社交界でそれを助けただろう。状況に応じて策は変えただろうが」
ジウスは即答した。
「つまり私に合わせるつもりだった、と?」
「君の思う通りでなければ、意味がない」
その言葉は、すとんとフィリアの胸に落ちた。モードは決してそんなことを言わなかった。
それだけで良かったのに。
フィリアはジウスを正面から見つめる。心はもう決まっていた。
「婚約を、喜んでお受けいたします」
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