1.婚約破棄されたようです
「君との婚約を破棄したい」
骨董品の家具が並ぶ自宅の応接間で、突然の婚約破棄。しかし公爵令嬢のフィリア・エイドナはほとんど動揺しなかった。
読んでいた本をそっと閉じ、婚約者のスレイン大公家のモードにゆっくりと視線を向ける。モードから漂ってきている女性用の香水の匂い……は気にしないようにしながら。
(また私の嫉妬を煽ろうと、わざわざ……。それとも気付いていない?)
フィリアは軽くこめかみに指を当てた。
「理由を聞いてもよろしいですか?」
「……最近の君は僕との時間をないがしろにしている」
「それは前々から説明してます通り、宮廷錬金術師の勉強が忙しく……錬金術師は完全な実力主義です。公爵令嬢であっても忖度はされません」
宮廷錬金術師になるためには、国から独立した錬金術協会の試験に合格しなければならない。質を確保するため、その合格率は極めて低い。
しかし錬金術師となるには山ほどの知識を頭に叩き込み、繊細な魔力操作の技術を兼ね備える必要があった。
今、フィリアが読んでいた本もその勉強のためだ。
「だとしても僕と会っている時にも勉強は必要なのかい?」
「突然、押しかけてきたのはモード様ではないですか。今週はこの本を読み切らないといけない、そう先週の手紙には書いたはずです」
フィリアは本を片手で持って強調した。本の題名として『古代ルーン文字の解説――食料編』と書かれている。
「この国の宮廷錬金術師は数年前から増えていません。国王陛下も憂いておられます」
「そんなことは知っているけど……君がやらなくちゃいけないことなのかい? 夜会にも出ず、僕との時間を削ってまで、さ」
モードはあからさまに不満げだった。
「やらなくちゃいけないことではなく、私がやりたいのです。古代文明は今よりも遥かに高度な魔術文明でした。この目の前の茶葉も、元は古代ルーン文字の解明で……」
現在、日々の生活の隅々にまで錬金術師の恩恵は行き渡っている。もちろん地道な研究あってのことだが。
フィリアは昔から細々とした作業が好きだった。ダンスも歌も嫌いではなかったが、ひとりで小さくコツコツやることのほうが性に合っている。
「もうそれは何度も聞いたよ。つまりフィリアには改める気持ちはない、ということだね?」
「……ええ、そうなります」
「本当に婚約を破棄するよ、構わないかい?」
フィリアはちょっとイラッときた。
モードとの付き合いはそれなりに長いが、この思わせぶりな性格には呆れてしまう。
「仕方ありません。性格の不一致です」
「フィリア、これが最後だよ。この婚約破棄がどういう意味なのかわかっている?」
モードが身を乗り出して凄んでくる。フィリアは天井を見ながら、すらすらと答えた。
「スレイン大公家は大変に高貴で裕福な貴族であって、他国にも多大な影響力を持ち、私の今後の人生も左右できる――そういう意味でしょうか」
「わかっているじゃないか」
抑揚のない声で答えたフィリアであったが、モードはなぜか満足していた。
「君は頭の良い子だからね。じゃあ、どうすればいいか――」
「婚約破棄で構いません」
フィリアは本を持って立ち上がった。最後に思ったことを伝えて終わりにしよう、とフィリアは決心した。
「私が気付いていないと思いましたか。毎回、会うたびに違う女性物の香水の匂いがしていることに。それと夜会でもずいぶん派手に遊んでおられます」
「スレイン家では当たり前だよ。悪いことじゃない。君もそうすればいいじゃないか」
フィリアはため息をついた。スレイン家が昔から異性関係が派手な家柄であり、決して誉められる貴族ではない。しかし婚姻とは力なり。それもまた、覆しようのない事実だった。
だが、フィリアにはどうしても複数の人間とそうした関係になるのが理解できない。
「それよりも勉強、物作りに熱心な君のほうが変わってるよ。そんなの本当に自分でやる必要があるのかい?」
「……やはり根本的な性格の不一致です。では、読書に集中したいと思いますので。ごきげんよう」
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