夕闇ロンリネス その3
次の日も私は約束通り放課後になると家にも帰らず、お寺に向かった。ただ今日の私は昨日までとは一味違う。
「やぁ、今日は随分大荷物だね」
汗だくになって階段を登りきると、昨日と同じように正四郎くんが軒下に座っていてにこやかに手を振ってきた。ノツゴたちもどこからともかく集まって足下にすり寄ってくる。
「はぁ、はぁ、こんにちわ! うん、今日はお土産持ってきたの!」
私は息を切らせながら片手に持った袋を掲げて胸を張った。そう、ここに来る前にお店に寄ってプレゼントを買ってきたのだった。
「へえ、そりゃお楽しみだね」
正四郎くんも私に合わせて大仰に反応してくれる。
「ふっふっふ、では早速…… じゃじゃーん!」
「これは、毛布と雨合羽かな?」
「うん! 正四郎くん野宿するのに何も持ってないみたいだったから、とりあえず雨と寒さだけでもしのげたらって。折り畳み式だから持ち運びも簡単!」
袋から出した品々を私は得意げに解説する。
「へぇ……」
「えと、迷惑だったかな……?」
無言で毛布と雨合羽を見回す正四郎くんを見て、私は途端に不安な気分になる。さっきまで舞い上がってて思いもしなかったけど、大きなお世話だったかも。
「いやごめん、僕にはない視点だから面食らっただけさ。有難く受け取らせてもらうよ」
彼は我に返ったように微笑み、それらを手に取る。
「よかったぁ。 こんなことしたの初めてだったから急に不安になっちゃって」
「はは、まぁ昨日今日会った相手に渡すのは重いかもね」
そうやって二人で笑いあう。そしてふと正四郎くんの傍に見慣れないものが置いてあることに気づいた。分厚い本の山と虫かごに見える。
「それなーに?」
「ああ、これかい? 昨日の夜捕まえたのさ」
尋ねると正四郎くんは虫かごを持ち上げてこちらに見せてきた。
「カブトムシかクワガタかな? ここたくさんいそうだもんね―――――― うわ」
どれどれと覗き込んだ私は中身を見て、ぎょっと声を上げた。虫かごの中には昨日見たあの蛾が入っていたからだ。街灯にたかってた時とは違って、一頭で怯えたように羽を震わせる姿にぞくっとした感覚はないけどやっぱり気持ち悪い。
「おっと蛾は苦手だったかい?」
「ううん、昨日家の近くにも沢山いて気持ち悪かったからつい……」
「ほぉ、君もこいつを見たのか。しかも沢山」
私の言葉に正四郎くんは興味深そうに目を細める。
「こいつ妙なんだ。街の中にはうようよとしてるのにこの寺がある山やその周りには一頭たりともいない。こっちの方が虫が集まる木も明かりもあるのにね。しかも図書館で図鑑を借りて調べたけどどれにもこんな模様の蛾は載ってないんだよ」
傍らに積んだ本の山をポンポン叩きながら、この蛾の奇妙さについて彼は語った。
言われてみれば、私は昨日自分の家の近くに来るまで蛾のことに気づかなった。私の家はここから近いといってもそれは他のところと比べて出あって、端とはいえ街の中にある。あれは夢心地になってたからじゃなくてあそこに来るまでほんとにいなかったんだ。にわかに昨日感じた不気味さが形になるのを感じて冷汗が吹き出る。
「つまりその蛾も妖怪、なの?」
「いや、こいつからは何もそういう気配がない、ただの虫なんだ。だからこそ調べてる。君と同じ大事な手掛かりってわけさ」
「そう、なんだ…… あ、手掛かりといえば」
専門家?の言葉で不気味さは消えないもののほっと一息ついた私は、もう一つお土産があることを思い出した。
「お、なにかあったのかい?」
正四郎くんも興味津々といった感じで身を乗り出して尋ねてくる。
「うん、今日学校でね……」
それは昼休みのこと、私はいつものごとく一人でお弁当を食べていた。正四郎くんとあんなにお話しできても誰かを誘ってお昼ご飯を食べる勇気はまだないのだ。でも放課後のことを考えるとそれもあまり憂鬱でなく、むしろ上機嫌で臨んでいる。
「有沢さん今日はずいぶん上機嫌なのね、何かいいことでもあったのかしら?」
いつもと違う様子を妙に思ったのだろう、クラスメートの一人が話しかけてきた。険の強いツリ目と長い黒髪、よりにもよってクラスで一番苦手な高坂文乃さんだ。高坂さんは気が強く言いたいことははっきりと言う性格で、それと真逆の私がとても気に入らないらしく何かと突っかかってくるのだ。楽しい気持ちがたちまち萎んで私は顔を俯かせた。
「ふん、露骨に態度変えちゃって。そんなに私の顔を見るのが嫌かしら?」
そんな私の変化に高坂さんは当然不機嫌そうに鼻を鳴らした。その気配に私はますます委縮してしまう。
「まぁいいわ。今日はあなたに聞きたいことがあるのよ」
高坂さんが私なんかに聞きたいこと? 心の中で首を傾げて私はびくびくしながらも顔を上げた。それが意外だったのか、高坂さんは目を丸くする。
「あら、答えてくれるの? じゃあ聞くけど、あなたの前の席の明石さん、ちょっと前からずっと休んでるじゃない?」
明石さん、その名前を聞いて目の前の空席に座っていた子を思い浮かべる。そういえば彼女はここ最近学校に来ていない。
「夏風邪かなんかだと思ってたけどどうも違うらしくて、なんか行方不明になったとか。あなた、あの子のことよく見てたじゃない、何か知ってたりしない?」
全くの初耳だった。明石さんは中々変わった性格の子で私とは違う意味でクラスから孤立していて、そんな彼女となら友達になれないかといつもちらちら様子をうかがっていたのは確かだ。でも言ってみればその程度のことで話しかけたことすらない私が高坂さん以上の情報を持っているわけがないのだ。というかなんで高坂さんはそれを知ってるんだろう? 疑問が頭を駆け巡る。でもそれ以上に行方不明という言葉が気にかかった。
正四郎くんが言う変わったことってこのことなんじゃないだろうか。詳しく聞けば少しは彼の助けになるかも。何も知らないことも伝えないといけないし、何か話さなきゃ。そう思って口を開こうとしたけどやっぱり言葉が出ない。
「何? 話してくれないと何もわからないわ。」
まごまごしてる私に高坂さんはいつものごとく業を煮やしたらしく、語気を強くして詰めてくる。とても怖い。でも高坂さんの言うことはもっともだし、ここで一歩踏み出せなかったら私はずっとどうしようもない寂しさを抱えたまま生きていかなきゃいけない気がする。そうだ、会ったときはあんなに怖かった正四郎くんにだって夢中になったら話せたんだから同じように!
「わ、私は何も……! 何も知らないよ…… それと、ゆ、行方不明ってどういうこと……?」
勇気を出して声を張り上げて、最後には消え入りそうになりながらもなんとか答える。
「……ふぅん、本当に知らないの。残念ね」
私が出した声の大きさに少し驚いたのか、高坂さんは少したじろいだけどすぐつまらなそうな顔でため息をつく。
「私だって詳しく知らないわ、近所の人たちが噂してるのを小耳に挟んだだけで。だからあなたに聞いたんだけど」
期待はずれだったわ、それだけ言うとさっさときびすを返して自分の席に戻っていった。
「ということなんだけど、どうかな?」
「はは、僕が求めてたのは正にそれさ。 ああ君と出会ったのは本当に幸運だった!」
私が話し終えると同時に正四郎くんは少し興奮気味に目を見開いて身を乗り出した。
「陽子ちゃん、日本中で似たようなことが起こってるって言ったら驚くかい? 君たちと同じくらいの子が次々行方不明になってるんだ」
「え、そんなことテレビや新聞でも……」
軽い気持ちで話したことがいきなりスケールの大きな話につながって私は戸惑いながら尋ねた。
「いや、東北のある街で二人消えたと思ったら四国の片田舎で一人みたいに、消えた子供たちや地域に全く関わりがないし一回ごとの人数も少ないんだ。だから警察やメディアもただの家出や誘拐と考えていて大事になっていない。でももうざっと百人くらいは消えている……」
正四郎くんはそれまでと一転して真剣な表情で語り始める。その変化で私は彼の言葉がきっと本当のことなのだと察する。
「僕はその原因を突き止めるためにこの街へ来た。そしてこいつと君の話で確信したよ、やっぱりこの事件は僕たちと同じ妖怪の仕業だ」
そう言って、虫かごの中の蛾を指さす。
突き止めるって正四郎くんは陰陽師か何か? 漫画やドラマに出てくる和服を着てお化けと戦う人たちの姿を連想する。全く現実感のない話だけどこの子ならありえそうな気もする。あと、その話題で今その蛾を指さすってことは――――
「じゃあその蛾が人攫いのお化けってこと……?」
もしかして、昨日の私はとても危なかったんじゃないだろうか…… 知らない間に何人も人が消える事件が起こっててそれに自分やクラスメイトが巻き込まれているかもしれない、そう思うと改めて昨日感じた悪い予感が実体を伴って襲ってきて冷汗が流れる。
「まだわからないよ。さっきも言った通りこの蛾自体はただの虫なんだ。前兆であるのは間違いないし気を付けるに越したことはないけど、怖がりすぎるのもこういう手合いにはあまりよくない」
正四郎くんは私が漏らした不安を否定しなかったけど、安心させるためか穏やかな声音で注意した。
「しかしよく頑張ったね、陽子ちゃん。怖くて人と話せないって言ってたじゃないか」
そしてその口調のまま、高坂さんと話せたことを褒めてくれた。
「そ、そんな、褒められるようなことじゃないよ! 普通ならできない方がおかしいことだし、それもたどたどしく話しただけだし……」
「でも今までできなかった。たとえ不格好に思えたとしてもそれは偉大な一歩さ。そのおかけで僕も得したわけだしね。そうだ、次は自分から話しかけるのに挑戦したらどうかな?」
突然褒められた私はびっくりしてしどろもどろになって首をぶんぶん横に振る。あまりそんなこと言われたことないから照れてしまって顔が熱くなる。ははは、と正四郎くんはそんな私の気も知らないで朗らかに笑い、さらにとんでもないことを提案してくる。
「うぅ、褒められたのは嬉しいけど、それは無理だよ。高坂さんに返事をするのだってすっごく勇気を出したし、結局がっかりさせちゃったんだから」
「そうかなぁ、僕ともこうやって話せてるわけだし、やろうと思えばできる気がするけど。それに、今なら失敗したって僕が鼻で笑ってあげるくらいはできる。 僕もずっとここにいるわけじゃないし、逃げ場があるうちにやっておいた方が得だぜ?」
言ってることはそれなりに妥当だけど、表情は楽しんでること丸出しのにやにや顔だ。
「もう、意地悪…… 無茶振りするなら話なんて聞かなきゃよかったかな!? そんなこと言うなら今日はもう帰っちゃうんだから!」
別に本気で怒ったわけじゃないけど、ここにいたら延々迫られそうな気がするので大声で叫んで立ち上がり、出口に向かって歩き出す。元々危ないから早めに帰る予定だったし。
「ごめんごめん、怒らないでおくれ。帰るなら送っていくよ。行方不明に起こってるのが分かった以上物騒だからね」
正四郎くんはそれを見て慌てて追いかけてくる。あっちも本気で慌ててるわけじゃないんだろうけど、一本取ったみたいで気分がいい。
「ふーんだ、今日のところは許してあげないんだから。で、でもせっかくだから送られてあげてもいいよ」
私は楽しくなってきてふざけた調子で謝罪を突っぱねる。そしてやっぱりちょっと怖いので送ってもらうことにした。
「ははは、手厳しいなぁ。でもからかい半分ではあるけど君のために言ったのはほんとなんだぜ? それに免じてさ」
「まだ言う!?」
そんな風にやいのやいの言い合いながらもこの日は二人で仲良く家路についたのだった。事件や蛾に対する不安もいつの間にか忘れていた。