夕闇ロンリネス その2
「で、陽子ちゃん。じゃあなんで君は今日もここにいるんだい?」
次の日、同じ時間、同じ場所に来た私は昨日とは打って変わって渋い顔をした正四郎くんに出迎えられた。私は石畳の上に立ち、正四郎くんは境内に座り込んでいて立ち位置は昨日とまるっきり逆だ。彼はもう大きくなったりしないし、口は裂けないし、目も光らない。ノツゴとかいう黒い塊は昨日と同じく私の足元をちょこちょこ歩き回っているけど、何かあまり怖くない。
「だ、だって私友達いないし、行くとこないし。お婆ちゃんやお母さんには友達たくさんいるって言っちゃったから家にすぐ帰るのも気まずいから……」
私は目を泳がせながら彼の詰問に答える。
「それに、正四郎くんだって寂しくなったらおいでって言ったよね……?」
「言ったけどさぁ。あれを額面通りに受け取るかい普通」
やれやれと困ったように彼は肩をすくめた。
「で、でも君が嫌ならでていくよ。他の場所を探すから」
でも他に安心して一人でいられるような場所なんて思いつかない。私は泣きそうな顔で正四郎くんを見つめる。
「はぁしかたない。そもそも君の方が最初にいたわけだ、僕にどうこう言う権利はない、か……」
「やった!」
私は居場所が守られたことが嬉しくて小さくガッツポーズした。うきうきしていつもの指定席、今は正四郎くんの隣に座り込む。学校でもこれくらいはっきり言えたらなぁ。
「……こっちの方が都合がいいかもしれないしな」
「何か言った?」
「何も。というかそれにしたってもうちょっと警戒したらどうかな? 臆病なんだか肝が太いんだか」
正四郎くんはふてくされたようにぶつぶつ呟く。そこで私もここに来るのに夢中ですっかり忘れてた昨日の恐怖がちょっぴり甦る。
「や、やっぱり君って昨日言ってたみたいな人さらいのおばけなの?」
恐る恐る尋ねてみる。
「今更かい? 違うよ、君をここに来させないための芝居さ。まぁ失敗に終わったわけだけど。あれは恐怖心を利用したトリックみたいなものだからもう使えないし、もっと念入りに脅せばよかったかな?」
心底疲れたと言いたそうなため息をついて正四郎くんは答える。
トリック?ということは昨日のあれは手品かなにかだったんだろうか。もうそういう域を越えてそうな迫力だったけど。私は内心首を傾げながらふと、いつの間にか足下にすり寄ってきていた黒い塊に目を向けた。
「じゃあこの子たちは?」
一匹抱えて掲げて見せる。見た目よりもずっと軽くて、感触もじかに触ってるのにぼんやりしてて毛皮なのか地肌なのかさっぱりわからない。こんな生き物、図鑑やテレビでも見たことない。でも、抱えられてよちよち動いたり、足下にもそもそすり寄ったりする姿は子供というより子犬みたいでちょっとかわいいかも?
「それは本物。大方君の寂しい心に惹かれて寄ってきたんだろう」
「寂しい心……?」
「ああ、妖怪は人の心から生まれるからね。昨日も言っただろ、暗い感情を抱えているとその分それに見合った奴らがつけ込んでくる。今回の場合は寂しく死んでいった子供から生まれたノツゴと、友達がいなくてたそがれてた君の寂しさが波長がぴったり合ったってとこ。場所が場所だし、僕がきっかけを与えなくてもいずれ見えるようになっていたと思うよ。幸いさほど害のないノツゴだったからよかったけど、下手すれば僕が名前を借りた人さらいの妖怪みたいな危ない奴を呼び寄せたかもしれない。あまりいいことじゃないね」
「妖怪はほんとなんだ……」
彼は私の知らない世界の話をすらすら語る。まるで漫画か絵本だけど、実物が目の前にあるんだから信じるしかない。
「どう? 怖くなってきたかい」
「うーんやっぱり、怖くないかも」
だって実物がこれだし。にやりと笑って凄む正四郎くんに抱えたノツゴをつつきながら答える。それ以上に根暗で寂しい奴だとはっきり言われてるのが事実だけどグサッときたよ。
「というかさっきの話だと正四郎くんは私を心配してくれてるってことだよね? むしろ嬉しいな」
「よしてくれ、僕は仲間内じゃ性悪で通ってるんだ」
目を輝かせて見つめる私を鼻で笑いながら首を横に振る。でもそれはなんだか照れ隠しに見えて、この大人びた男の子を初めてかわいく感じられた。
「なんだいその目は。……まぁいいや、ところで陽子ちゃん、最近変わったこととかないかい? 僕は探し物をしててね、君を追い返したのをやめたのはそれの特徴から考えて逆に君みたいな子の話から手掛かりが見つかるんじゃないかと考え直したのもあるんだ」
そんな邪な気持ちを見通したのか、正四郎くんは呆れた目つきで睨み逆に私に尋ねてくる。個人的には見た目相応の彼の姿がもっと見たいなと思うけど、怒らせちゃうのは嫌なのでここで止めておこう。
「変わったこと…… ない、かなぁ」
でもただものじゃない正四郎くんの探し物はただものじゃなさそうで、私の寂しいけどなんの変哲もない生活に手掛かりがあるとは思えない。 むしろ昨日と今日の出来事が人生最大の変わったことだ。
「君にとってはそうでも僕にとってはそうじゃないかもしれない。まぁとりあえず話してみなよ。日常生活の些細な出来事から家庭や学校での悩みまで何でも聞くぜ?」
正直胡散臭い快活な笑みに悪戯っぽいウィンクまでして促す。
「じゃ、じゃあ……」
そして私もそれにノせられて語り出すのだった。
つい最近の出来事から、転校してから今日までに街について知ったこと、家族に噓をついてる心苦しさ、このお寺に惹かれる理由など正四郎くんに関係ありそうなことから全くなさそうなことまで何もかも口にした。彼はそれに対して適当に相槌をうったり、短い感想を添えたり真面目に聞いてくれたけどやっぱり手掛かりになりそうなものはないみたいだった。
「やっぱりないよね…… つまらない話につき合わせてごめん」
「いやいや、僕が聞きたいと言ったんだ、謝ることじゃないよ。何もないってこともそれはそれで大事な情報さ。それに悩める少年少女の心情というのは中々聞けるもんじゃないから、それなりに面白おかしかったよ」
話し終えてからほぼ初対面の子に長々と自分語りしたことに急に恥ずかしさと申し訳なさを感じて体を縮こまらせる。そんな私を正四郎くんはやんわりと慰めてくれた。やっぱり優しい。
「うぅ…… わ、もう夜だ。そろそろ帰らないと」
お話に夢中で全く気付かなかったけど辺りはもうすっかり真っ暗だった。今は夏だからだいぶ遅い時間かも。
「おっと、あまり時間を気にしないたちだからうっかりしてたよ。夜道は危ないからね、家まで送っていこうか?」
「ううん、すぐ近くだから大丈夫! あ、でも」
慌てて帰る準備をしながら改めて正四郎くんを見る。明かりもないのにくっきりと見えるその姿は(これも時間を忘れた原因だと思う)底知れない雰囲気を漂わせてるけど、でも私より一回り小さな男の子のものだ。
「正四郎くんこそ、ここで寝泊まりするの? よかったらだけど、うちに泊まりに来ない? お母さんたちは優しいから事情を話せばきっと許してくれるよ!」
ただものじゃない彼には大きなお世話かもしれないけど、それでもこんなところで一人夜を過ごすのは寂しいんじゃないかと思うのだ。晩御飯やお風呂もどうするのか分からないし。
「……ふ、ははは! こんな得体のしれない奴を家に招くなんてどうかしてるぜ陽子ちゃん。むしろ警戒されると思って提案したのにさ。うん、お言葉はうれしいけど遠慮しておくよ。雨風を防げればそれでいいし、ご家族に警察を呼ばれたりしたら面倒だ」
その提案に正四郎くんは一瞬きょとんと眼を丸くし、すぐに吹きだして大笑いした。馬鹿にされたみたいでちょっとむっときたけど、その笑顔は昨日と今日何度も見た彼の笑顔で一番自然なものな気がして少し嬉しかった。
「もぅ、せっかく心配して言ったのに。じゃ、また明日。今度はお母さんたちからもお話聞いてくるね!」
「明日も来るのは確定かい? ま、期待して待ってるから気を付けて帰んな」
私はくるっと後ろを向き、昨日と同じ飛ぶようにお寺を後にする。でも昨日と違って足取りは弾んでいた。
「フ―フンフフンー♪」
私は上機嫌で鼻歌を歌いながら家路を急いでいた。何せずっと欲しかった友達みたいに接しられる人ができたのだ。人見知りの私が家族以外の人とこんなに話せたのはびっくりだけど、それ以上に嬉しさが勝る。明日はどんなお話をしよう?そう思うだけで隙間が空いていたようだった心が暖かな気分で満たされる。
パサ……パサパサ……
「ん?」
そんなこんなで夢心地だった私だけど、次の角を曲がればもう家はすぐそこだ、という地点で頭上から何か鈍い音がしているのに気付いた。
「蛾?」
見上げると街灯の周りを白っぽい蛾がひらひらと舞っていた。それだけなら別におかしなことではない。近くに丘があるんだから蛾くらいいるだろう。だけどその数が異常で、その街灯だけでも街灯がほとんど見えないくらい集まっているのに、等間隔で並んでいる他の街灯にもここと同じくらい、あるいはそれ以上の数が集まっていた。しかも、多分全部同じ奴。
……いつもこんなのだろうか。こんな時間まで外にいたことがなかったから知らなかったけど。
「まぁ、関係ないか」
芋虫ならともかく、成虫が沢山いてもあまり気持ち悪くない。こっちによって来るわけでもないし。そんな感じでご機嫌な気持ちを損なわず、角を曲がって家に向かった。
「わ、ここにもいる……」
家の前につくと、玄関の明かりにも蛾が集まっているのが見えた。飛んでいるのもいれば、扉の張り付いているのもいる。
全体的に真っ白だけど羽の両側に目玉模様が二つ、胸の部分には黒い点が三つついてて何だか人の顔みたいに見える。前言撤回、やっぱ近くで見ると気持ち悪い。
「そーっと、そーっと」
私は蛾たちを刺激しないように、しごく静かにドアノブに手をかける。
「わ!」
その時、張り付いてた蛾たちがいっせいに羽を開いた。開いたことで見えた羽には黒い帯があって、目玉模様と合わせるとまるで人の笑った顔みたい。気持ち悪いというより怖い。
私は素早く扉を開け、蛾が飛び立つ前に体を滑り込ませ中に入らないようにさっと閉める。
「なんだろアレ」
背筋がゾクリとした。あの蛾は何か嫌な感じがする。この不気味さは、昨日感じたのと同じ……
やめよう、楽しい気持ちをこれ以上損ねたくない。私はぶるぶる頭を振り、考えるのをやめた。
結局、その日はそれ以上おかしいことは起きなかった。ただやっぱり帰りが遅いとお母さんに怒られ、長々と説教を受ける羽目になってしまった。
明日はもうちょっと早く帰ろう、蛾も見たくないし。