夕闇ロンリネス その1
短編連作のジュヴナイルホラーです
「暑い……」
夕陽に照らされる街を眺めながら、私有沢陽子はポツリと呟いた。季節は夏、夕方になって日光が弱まっても、ここが高所で木々に囲まれた日陰であっても暑さは容赦してくれない。辺りからは物悲しいヒグラシの鳴き声が聞こえていて、今はその声だけが暑さを少し和らげてくれている。
ここは近所の丘の上にあるお寺で、私はその境内に一人ぼっちで座り込んでいる。お寺にはもうずいぶん前から人がいないみたいで建物は傾き、屋根にはコケや雑草が生えていて夕闇の中でみるといかにも何か出そう。実際、夜中なんかに誰もいないのに鐘の音が聞こえるという噂もあったりする。そんな不気味なところだけど、私は不思議と怖さを感じなかった。むしろ、誰にも必要とされず離れたところから街を見ているという感じが、今の私の状況と似ていて少し親近感を持っていた。そう、私には友達がいないのだ。
私は今年の春、転校してこの街に来たばかり。それでも社交的な子なら数か月という時間は友達を作るには十分すぎるはずだけど、内気で引っ込み思案な私はクラスに馴染むことが出来なかった。転校した最初の一週間、クラスメイトと親しくなるチャンスはいくらでもあったのに、聞こえないくらい小さな声しか出せない、うつむいたまま黙り込む、挙句の果てにはパニックになって逃げだすなどして全部不意にしてしまったのだ。
そういうわけで放課後友達と遊んだり、勉強したりすることもなく家に帰るのもちょっと気まずい私は長い階段を汗だくになりながら寂れに寂れたお寺の境内に座ってじっと待ちを眺める毎日を送るのだった。
「でも心は寒いよ、すきま風びゅーびゅーだよ……」
そう独り言を呟くと縮こまって体を震わせる。長いこと一人でいると独り言が増えるし考えることも暗くなっていく。
このまま私はずっと一人ぼっちなんだろーか……。
あまりの恐ろしさにもう一度体を震わせた。
「話し相手が欲しい…… 幽霊でもいいから友達になってほしいなぁ……」
人と向かい合うと一言もしゃべれない癖に。はぁぁと大きくため息をついて街を眺めるのを再開した。
夕暮れの街を見ていると心が落ち着いてくる。街の中は日が当たっているところは赤く染まりまだ明るいけど、当たらないところは暗く明かりがともり始めている。その中を夕飯の買い物に出かける人や家に帰る人たちが行ったり来たりしているのが小さく見える。駅前には建築途中の建物が見えるし、逆に郊外には取り壊されている最中の建物もある。街は生きている。起きて眠って、血液みたいに人が行ったり来たりして、成長している。このお寺はそれをずぅっと丘の上から眺めてるんだ。私みたいにみんなに置き去りにされて、一人でひっそりと座っているんだ。私は一人じゃない、夕方の時間が一番それを実感できて、寂しさは消えないけどなんだか心が安らぐ。
「君、こんなところで一人でいるなよ。集まってきちゃうだろ」
そう、ぼんやりと考えているとき突然正面から声をかけられた。
「へっ!?」
いきなりのことで私はびくりと顔を上げる。すると正面に見たことのない男の子が立っていた。背丈は小学校高学年くらいで、可愛らしい顔をしている。情けないことに人見知りの私はそんな自分よりずっと小さな男の子にすらびくびく怯えているのだけど。
なんでこんなところにいるんだろう? さっきまで誰もいなかったのに。
「やあ」
驚きと恐怖で固まっている私に向かって、男の子はにこやかに微笑み軽く会釈した。辺りは薄暗いのになぜかその表情だけははっきり見えた。一点の曇りもない笑顔なのにどこか疲れているような、どう見ても子供なのに何故かおじいさんみたいな、不思議な表情だ。
……これが噂の幽霊!? そんなわけはないのだが私は反射的にそう思った。
「だ、誰!?」
怯えて震える体を必死で抑え込んで、私は男の子に尋ねた。
「いきなり声をかけたのは悪いけど、そこまで怖がることないだろ? 僕は速水正四郎、怪しいものだが危ないものじゃあない」
正四郎という名前らしい男の子は、困ったように肩をすくめて答えた。その動作がやけに大人びて芝居がかっていてやっぱり気味が悪い。
「ほら、僕は答えたぜお嬢さん。震えてないで君の名前も教えてくれない?」
男の子、正四郎くんは再びにっこりと笑って私に問い返してきた。口調は柔らかいけどなんだか有無を言わせない迫力がそこにはあった。
「あ、有沢、陽子……」
私はのどから絞り出すようにたどたどしく名乗った。
「陽子ちゃんか、いいね。明るくて元気な感じがする」
正四郎くんは何が気に入ったのかうんうん頷いている。
「あ、あの正四郎くんは、その、幽霊だったり、するの……?」
気が付くと私は恐る恐る彼に尋ねていた。自分でも馬鹿馬鹿しいとも思うし、幽霊なんているわけがないけどそう聞かずにはいられなかった。突然目の前に現れたり、子供なのに妙に大人びてて普通の人間とは思えなかったから。
「幽霊?僕はそんなものじゃない、ほら足だってある」
正四郎くんは鼻で笑うと自分の足を指さして言った。
「そ、そうだよね!? ご、ごめんね……?」
私は今までの怖さも忘れて、思い切り頭を下げた。初対面の人にこんな馬鹿な質問するなんて、とっても恥ずかしい。赤面しながらおずおずと上目遣いで謝る。
「まぁ人間じゃないんだけどね」
でも、その恥ずかしさを一瞬で吹き飛ばすような一言を正四郎くんはますます深めた笑みで付け足した。
今なんと?
「今君の足元にいる奴らに近いね」
そして目を丸くしている私の足元を指さす。
見ちゃいけない、本能はそう危険信号を出していたけど思わず私は足元に目を向けてしまった。そこには子犬くらいの大きさの黒い塊が五、六、七、八……十匹くらいいてのそのそと歩き回っていた。
「きゃあああ!なにこれ、なにこれえええ!」
あまりの不気味さに絶叫した。逃げ出そうと思ったけどそこで前は正四郎くん、他も全て黒い塊に囲まれて逃げ場がないことに気づく。
「そいつらはノツゴ、野山に捨てられて一人ぼっち死んでいった子供がなった妖怪さ」
どうすればいいか分からず、縮こまって震えている私を見て正四郎くんは楽しそうに笑っていった。さっきまでのにこやかなものと違ってとても暗くて冷たい笑い声で。
「は、ははは、妖怪? そんなものいるわけ」
私は現実逃避気味にひきつった笑みを浮かべて目の前の光景を否定する。そう、ただの目の錯覚に決まってる……
「へええ、君幽霊は信じてるのに妖怪は信じないのかい?」
あ、墓穴掘ってた
彼の容赦ない指摘に私は精神的な逃げ場さえ失った。怖いからかもしれないけど、首を傾げながらにやにや笑う正四郎くんの体が二回りほど大きくなってる気がする。しかもさっきまでまだ明るかったのに、いつの間にか辺りは真夜中のように真っ暗になっていた。
なのに私たちの周りだけぼんやり光っているかのように正四郎くんの顔も、ノツゴとかいう黒い塊もはっきり見える。
「あ、あははは、さ、さっきのは冗談だよ。幽霊だっているわけ……」
「じゃあ君はなんでそんなに怖がっているのかな?」
やっぱり大きくなってる。なおも現実逃避しようと空笑いする私を大きく目を見開いて追い詰める彼の背丈は、さらに二回りほど大きくなっていてもう私よりずっと大きい。顔だけはっきりしてて胴体はぼんやりしているので影法師に男の子の顔をくっつけたみたいだ。
「無理はしちゃいけない、信じてるんだろう君は。だから、僕はここにいる。僕らは君たちの恐怖そのものなんだから」
ぞっとするほどやさしい声音で私に語り掛ける。頷いてしまったらどこかに引き込まれてしまいそう。体もどんどん大きくなって、笑っている口は耳まで裂けて、見開いた眼は光もないのにらんらんと輝いている。
ごぉぉぉぉん ごぉぉぉぉん
誰も鳴らす人なんていないのに、お寺の鐘が鳴り始めた。
正四郎くんはおもむろに腰を曲げて顔を近づけてきた。届くような距離じゃないのに生暖かい息が顔全体にかかる。
「あ、あ、あ……」
怖い、怖い怖い怖い怖い! 私は恐ろしさのあまり悲鳴も出なかった。
「子取り坊主って知ってるかい? 夕方、一人でいる子供をさらっていく妖怪だよ。僕はねぇ、危ないものじゃないけど、怪しくて怖ーいものなのさぁ」
包み込むように、ゆっくり、ゆっくり両手が伸びてくる。真っ黒で長い、大きな、大きな手が……
そこで私の中で何かが切れた。跳ねるように立ち上がり、目をつぶってなりふり構わず走り出す。何も考えず正面に向かって走り出したはずだけど、何にぶつかることもなく階段までたどり着き、そのまま駆け降りた。後ろから鐘の音とけたたましい笑い声が追い立ててくる。
「あははははは! 僕らは君みたいな怖がりや寂しい子が大好きなのさぁ! 一人が寂しくなったらいつでもおいで。必ず迎えに来てあげるから!」
私は構わず夢中で逃げた。目をつぶってたのによく階段から転げ落ちなかったな、と後で思ったけど、その時はそんなこと考えられなくて、気が付いたら自分の部屋で布団にくるまって震えていた。鐘の音とあの暗くて冷たい笑い声が耳に焼き付いて離れなくて、目を開けたらまだあのお寺にいて目の前であの子が笑っている気がしてずっと目を閉じていて、その内眠った。