第69話 女神
「ぐ……うぅ……」
全身が酷く痛む。
だが、寝ている場合ではない。
俺は痛みを堪えて起き上がり、周囲を確認する。
「!?」
目に入って来た光景に、思わず息をのむ。
そこは地獄だった。
周囲にいた数万もの兵士や魔族達。
その全てが吹き飛ばされ、息絶えていた。
そうだ!?
二人は!
近くにいたはずの仲間の名を、俺は大声で叫んだ。
「エルザ!ジャン!」
「ここよ……」
「くっ……しゃれになんねぇぞ」
遠くから声が返ってくる。
離れた場所で、ゆっくりと起き上がってくる人影が二つ。
どうやら先ほどの攻撃で吹き飛ばされていた様だ。
全く、心配させてくれるぜ。
二人の無事を確認し、俺はほっと胸をなでおろす。
だが、今が絶望的な状況である事には変わりなかった。
「どうする?」
「……」
俺の元へとやって来たジャンが聞いてくる。
だが、俺はその言葉には答えられない。
――どうしようもないからだ。
敵は余りにも強大だった。
たった一撃で、人間と魔族で構成された連合軍が見る影もなく吹き飛ばされる程に。
生き残った俺達3人もボロボロで、とても戦える状態ではなかった。
戦っても、命を落とすだけなのは目に見えている。
逃げるしかないだろう。
――だが何処へ?
奴は人類を――いや、この世界に存在する全てを破壊しつくすと宣言していた。
である以上、何処へ逃げても必ず終わりはやってくる。
「どうしようもない……か」
俺が無言である意味を理解して、ジャンが呟いた。
本当にどうしようもない。
気休めをいった所で、滅びはすぐにやってくるのだ。
空を見上げる。
「……」
――破壊神ルグラント。
背に4枚の黒い翼をもつ、破壊の神を名乗る絶対者。
突如この世界に降臨し、生きとし生ける者全てに破壊を宣言した存在だ。
奴は最初の強烈な一撃――翼の羽ばたきの様な攻撃――以降、手を組んだまま沈黙している。
ひょっとしたら、俺達に気付いていないかも?
……そんな訳ないよな。
お花畑な考えに、思わず鼻で笑ってしまった。
視線こそ来ていないが、奴が此方を意識している事は流石にわかる。
動かないのは、攻撃に耐えた俺達に褒美として死ぬまでの時間を与えてくれているのかもしれない。
こんな時に、あいつがいてくれたら――
「竜也が居てくれたら……」
エルザの一言に、俺達3人はお互いの顔を見合わす。
どうやら全員、考えている事は同じだったらしい。
あいつなら何とかしてくれる。
鏡竜也はそんな期待を持たせてくれる男だった。
そして実際にそれを奴は実行し続けてきた。
だが――
「あいつはここには居ない。それに、仮にいても結果は同じだ」
いくら竜也でも、あれには流石にかなわないだろう。
あいつが元の世界に帰って2年。
その間、休む事無く俺は訓練を続けてきた。
今の俺なら、勝つとまでは言わなくとも、そこそこいい勝負くらいなら出来るはずだ。
だがその今の俺でも、まるで手が出ない。
ルグラントは正真正銘の化け物だった。
だから……この圧倒的な力の差による絶望的な状況は、あいつがいたとしても覆る事はないだろう。
「そっか……そうだよね。もう一度……会いたかったな」
エルザは竜也に惚れている。
幼いころから一緒に育った幼馴染である俺には、それが良く分かった。
何故なら、俺はエルザを……
「別れの挨拶は済んだか?」
音も気配もなく。
気づいた時には、直ぐ側に破壊神の姿があった。
どうやら冗談抜きで、奴は俺達に最後の時間をくれていた様だ。
完全に舐められている。
だがそれも仕方のない事だろう。
それ程までに、奴と俺達との間には隔絶した力の差があるのだから。
「無言は肯定とみなす」
奴が俺達に手を向ける。
その手からは閃光が放たれ、恐ろしい程のエネルギーが収束していくのを感じた
俺達は……ここで死ぬ。
「すまん。エルザ。ジャン」
最後に、せめて自らの気持ちを……
そう考えて――だがやめておく。
彼女を守り切れない俺に、その資格はない。
「お前のせいじゃねぇよ。気にすんな」
「そうそう。どうしようもない事だったんだよ」
ひょっとしたら竜也なら、こんな状況でも、最後まで諦めずにあがいて見せたかもしれない。
あいつはそういう男だ。
俺なんかより、勇者の称号はあいつにこそ相応しかった。
そして俺は……あいつの様になりたかった。
まあ叶わぬ夢だ。
「滅びよ」
破壊神の手がひときわ強く輝く。
それは俺達3人の終わりを告げる光。
俺は抗う事無く、ゆっくりと目を閉じた。
「「!?」」
その時、突如轟音が響いた。
それは自身の死を告げる音ではなく、何か別の音である事に気付き、俺は閉じていた瞼を上げる。
見ると、俺達の周囲には光り輝く結界の様な物が張られていた。
そしてそれを展開しているのは――美しい白い翼をもった女性だった。
「女神……ミラ様……」
その姿を見て、エルザが呟く。
始祖の女神ミラ。
それはエルザの所属する竜神教の崇める、世界を生み出したとされる女神の名だ。
俺も教会に飾ってある像を見た事がある。
――今俺達の横に立つ女性は、それに瓜二つの美しい姿をしていた。
恐らく彼女は、竜神教が称える女神本人なのだろう。
出なければ、ルグラントの持つ圧倒的な力をこうも容易く防げはしないだろう。
どうやら俺達は助かった様だ。
「助けて頂き、有難うございます。ミラ様」
エルザは興奮気味に顔を紅潮させ、女神に頭を深々と下げる。
俺やジャンもそれに続いた。
絶望的な状況を女神によって救われる。
こんな奇跡的な真似されたら、俺も明日から竜神教に入信するしかないな。
そう事を考えて苦笑する。
だが――その考えを俺が実行する事はなかった。
「この世界は、直に滅ぶでしょう」
思わぬ言葉が女神の口から紡がれる。
それを聞いて、俺達は完全に固まった。
「……え?……あの?滅ぶって?」
絶望的な状況に女神が駆け付けてくれた。
俺達の命も、そして世界の命運も救われたとばかり思っていた。
だが、彼女はこの世界が滅びるという。
神によって救われた高揚感が一気に吹き飛び、サーっと血の気が引いていくのが分かる。
「私とルグラントが戦えば、その余波でこの世界は滅びる事になります」
「そんな!?」
二神が戦ったら世界が滅びる?
そんなふざけた話……
そう思う反面、何故かすんなりと納得する自分がいた。
女神が存在しているのなら、何故もっと早く来てくれなかったのか?
この戦いでは、破壊神の一撃によって壊滅的な被害が出ていた。
全滅と言っていいだろう。
それ以前にも、奴の手によって多くの国が滅ぼされている。
だからこそ、人も魔族もない大連合が生まれたのだ。
だが女神が姿を現したのは、もう明らかにどうしようもない状態となってからだった。
――それは何故か?
女神が戦えば世界が滅びるから。
だから彼女は、どうしようもなくなる最期の最後まで出てこれなかったのだ。
そう考えると、女神の現れるのが遅かったのにも頷ける。
「残念ながら、この世界を救う手立てはありません。ですが、未来を救う事ならできるはずです」
「未来?」
女神は何を言っているのだろうか?
世界が滅びるのなら、そこに未来があるはずもない。
それとも、人間である身には理解できない深い考えがそこにはあるのだろうか?
「私に力を貸してください。そして、未来をどうかお願いします」
「そんな事、急に言われても……」
女神の言葉に、エルザが困った様に返す。
世界が滅びると聞かされたこのタイミングで、未来を救えと意味不明な事を言われても戸惑うだけだ。
女神を奉じているエルザですらそうなのだから、俺やジャンにとってもなおさらだった。
「では、言い換えましょう。鏡竜也のために力を貸してください。彼にはあなたたちの力が必要です」
「竜也の……どういう事ですか!?彼は異世界に帰ったんじゃ!?」
竜也の名を出され、エルザが食いつく様に聞き返した。
「詳しく説明している時間はありません。ですが、貴方方の協力は鏡竜也に必要な物です。どうか力を」
「分かりました!私にできる事なら喜んで!」
神に、惚れた男のためと言われれば返事は決まっている。
エルザの返答は早かった。
そんな彼女を見て何とも言えない気分になったが、俺はそれを顔には出さずに視線をジャンへと向ける。
どうするか?
まあ考えるまでもない事だ。
直ぐにそう結論を出した俺とジャンは頷き合い。
エルザと同じ返事を返した。
「分かりました。俺達の力で良ければ」
協力の内容は気になるが、女神からかつての仲間を助けるために力を貸せと言われたなら……断る理由はない。
「ありがとう」
女神のその言葉とほぼ同時に、轟音と共に彼女の張る結界が吹き飛んだ。
ルグラントが強力な攻撃でそれをしたのだろう。
「ふん、ミラよ。私とお前が戦えばどうなるか分かっているのだろう?」
「世界は滅び……共倒れになるでしょう」
「それが分かっていながら、俺の前に立ちふさがるか?」
「ええ。私は未来を……何より、自分を信じていますから」
女神ミラは俺達を見てほほ笑む。
彼女の両手が輝き、その光が俺達3人を包み込んだ。
「どうか世界を……」
その言葉を最後に、俺の意識は途切れた。




