結婚
どのようにすれば自分が幸せになれるのか、今私は選択を迫られている。多分その選択が出来るのは三つの内のどれかだ。未だに答えは空に漂い、ずる賢くもまだそれを三つの中から的確に掴もうとしない。私と彼が理不尽な結婚という誓いを強制的にさせられて、一年と九ヶ月が経つ。理不尽な結婚生活を今までやめなかったのは、私が彼の側にいることを望んだからだ。この人の静かで、穏やかな残酷さに惹かれた所為で、私はまだ彼の心地良さから離れられないままでいる。何より女としての自分を求められないことは、私にとって救いで、癒しだった。実際には別れた方が良いと理解している。それが私自身の幸いに繋がっていることも。彼に他の恋人がいることも。それが世間の常識であることを。それでも後少し、後少しと、引き伸ばしてきた。
彼の綺麗な恋人を、愛人とか囲い女とか汚らわしい呼び方で表現するのは、きっと間違っている。少なくとも私には彼の恋人が綺麗に見えたし、光の燈った大きな瞳は鋭く、恋人は賢そうだった。なのに何故周りの人間は恋人を恥知らずと罵り、私に同情するのだろう。きっと私の方が恥知らずで、ずるくて、世界に流されっぱなしで、少しでも楽をして過ごしていたいと思う、一番最低な女だというのに。しかし皆上手く騙されてくれてる。私の周りに馬鹿な人間が多くて本当に助かったと思う。自分の内面を見透かす人が、私を暴いたらきっと生きていけないから。私は一生、あの彼の持っている、純粋な宝物にはなれない。利用されて、それが哀しくて、たまに泣いてしまうのだ。彼は私を必要としてくれたことは、ただの一度もない。勿論彼の恋人も例外ではなく、楽しい駆け引きを私が飽きるまで付き合うだけだ。
バスタブ、水の中に浸かっていると、余計な考え事をしてしまうのは何故だろう、滑らかで脆く、纏わりつく水は、人の気持ちを緩めるのかもしれない。お陰で私はいつも長湯してしまう。余計なことを考えつくして。二人は望んで、望まれてそこに存在する。だからそれに気付かないように過ごしてきた。彼の側にいたいから。これは恋愛感情とは違う。私達は白い結婚の間柄なのだから。それでも彼に抱かれたいとは思わないし、彼も思っていないだろう。じゃあ何だろう?と考えると分からない。一言では言い表せないし、色々な思いが交差しているのだから当然か。彼は私にとって何だろう。一番近い例えとして、会ったこともない、顔の見えない、誰かも分からない文通相手みたいだ。大事なのに理解できない遠い相手。それが心地良くもあり、寂しくもある。けれど彼には恋人がいる。寂しいのは多分私だけだ。
そろそろのぼせそうなので浴槽から立ち上がった。最後にシャワーを浴びる。幾つもの細い水の流れが飛沫となって私を洗う。汚れが流されているように。と、その時足元に小さな血液がポタリと落ちた。足元から伝ったものだろう。鮮血は私を戦かせ、すぐに排水溝に無理矢理シャワーで流した。どうして女は皆、子供を産む仕組みが組み込まれているのだろう。私には必要ないものなのに、年頃になれば月経を迎え、身体は着実に男性を受け入れる、滑らかな柔らかい肌を作り上げていく。意思に反し、女は知らず知らず、嫌というほど早急に端整に出来上がっていくのだ。それがとても忌々しい。
彼の恋人は、それを羨ましいと言う。女のこの面倒な機能が羨ましいと。こんなもの何が羨ましいというのだろう。勝手に男から視線で汚され、性の対象として常に見られている。その不安定な立場を逆手に取りながら、強かに生きていかなければならない。私にとって、性別は邪魔なだけだ。汚す男と、汚される対象として繁殖を一族から受け継ぐ、女。性に関して、それだけ女はいつも危うい位置に立たされているのだ。それを私は知っている。大分前から。
羨ましいと言う恋人は、まだ、純粋で無垢な世界にいる。
髪をタオルで乾かしながら、裸足でリビングへ戻ると、彼がソファーに行儀良く座りながら、テレビを見て、アイスを食べていた。恋人といる時は、もっと寛いでいるのだろう。その様を想像すると、何だか微笑ましい寂しさが胸の奥を軽く引っかかれた様な、ザラリとした気持ちになった。
「お風呂上がったの?」
「うん、息吹も入ったら?」
「俺はいいよ。今まだ夕方じゃないか。詩織はこの時期は早いよね」
「だって暑いんだもん。汗かいちゃった。また夕飯の後に入るけどさ」
充実と虚しさは紙一重だ。満たされるからこそ乾いていく。寂しさが残る。私は一度この腕の中で満たされた。その後に待っているのは幸福の破滅だけだ。それを全て迎えるまで、私はただこの人と共に過ごし、私が絶望が迎えに、絶望が私を迎えに来るまで、ひたすら立ち直る日を待っている。私が彼に唯一のことは、二人の未来を見守ることしかな。ただ最後の日を待ち続ける。