ラスコ覚醒
リルイットは下を見下ろし、唖然とした。標高50メートルを越える高さのところにいた。
下には巨大な大樹の幹が続いているのが見えた。
(そうか……この感触は…木だったんだ……)
景色は圧巻だ。巨大も巨大、まるで城だ。ラッツの部屋の窓からの眺望と相違ない。
「っ!」
その窓の前には、透明なバリアがあるみたいだ。バシバシ叩いても、ここから出られない…。恐らく俺を、守ってくれているんだろうが…。
真下には先ほどいたと思われる洞窟が、完全に崩壊していた。その洞窟の真ん中から、俺の乗っているこの大樹が生えているのが見える。
(助かった……のか……?)
顔から汗が滴った。それは大木の見えない窓に、ポタっと落ちた。
「ぅう……」
「アデラ様! 大丈夫ですか?!」
アデラとリネもまた、その大樹の幹の一部にいた。その木にできた穴は2人を取り囲み、守っている。上裸のアデラを傷つけないようにか、その穴の中には、ふわふわの柔らかい葉っぱが敷き詰められている。
「ラスコがいない…」
「えっ?!」
背負っていたはずのラスコが、いなくなっている。周りを見渡そうにも、それが出来る広さですらない。2人は体を寄せ合ったまま、大樹の幹の穴の中に、すっぽりと収まっているのだ。
「……」
2人は呆然としたまま、その穴の中にとどまっていた。
「何なんですか?!」
ステラは突然生え広がったその大樹に驚き、目を見張った。岩の精霊の最大の力を振り絞った隕石を落としたというのに、それをはねのける力の大木…。
ステラは精霊の力で出した浮かぶ岩、浮遊石に乗って、その大樹を見据えていた。
『私は植術師なんです』
『そうなんですね! 同じ術師だなんて、何だか嬉しいです! お名前は?』
『ラスコです! ラスコ・ペリオット』
(あの女の術か……くそっ……)
ステラは歯を噛み締めて、怒りを顕にした。
「殺してやる!!!」
再び岩の精霊は隕石を生み出し、その大樹に向けて思いっきり放った。
「っ!!」
しかしその隕石は、大樹から生えでた木の腕に掴まれ、その勢いを失うと、地面にそっと置かれた。
(あ、あり得ない!!!)
【どうしてそんなに怒っているのですか…】
「?!」
ステラは驚いた表情を浮かべた。脳内に語りかけるような優しい声。それはあの植術師の女の声で間違いはなかったのだけれど…。
(何なんだろう……)
【どうして…怒るのです……?】
ステラがハっとした時、彼女は見知らぬ場所にいた。柔らかな色の花々が咲き誇り、緑が広がる、美しい景色だ。幻覚なのか、夢なのか、それとも本当に、こんな場所があるのだろうか。
(美しい……)
「ステラさん!」
「?!」
ステラがハっとすると、あの植術師のラスコという女が、自分のところに走ってやってきた。ステラはきょろきょろと周りを見回すが、岩の精霊の姿はない。ここにはステラとラスコの2人だけだ。
「な、何?!」
「どうして国の皆を殺すのですか」
「どうして?」
ステラは怒ったように、その口調も荒ぶり始めた。ラスコに向かって声をあげる。
「決まってるじゃない! あいつら皆、私をバカにして!! だから殺してやったのよ!」
「ステラさんは優しい人です。こんなことをする人じゃありません」
「私は優しくなんてないの! ずっとこうしたいって思ってた! 私がブスだからって、男も女も皆私をバカにして!! だから殺してやった!! そうよ! 今度は私をバカにした男たちも、皆殺してやるんだから!!」
「そんなことはやめてください。ステラさんは、本当はそんなことしたくないはずです」
「何言ってるの?! 私がしたいって言ってるの! あんたに私の気持ちなんか…!!」
ラスコはステラに近づくと、彼女の両手をぎゅっと握りしめた。そして彼女に、にっこりと笑いかけた。
「わかりますよ! だって私、ブスですから!」
「な、何言って……」
「本当嫌になりますよね! この世界は美人が得して、ブスが得することなんて何一つない。だけど生きていくしかない。この顔に生まれたんですもの」
「そ、そうよ……。私は生まれた時から負け組なの…。でもそんなの理不尽よ。だから私は…」
「でも殺しては駄目です。ステラさん」
「嫌よ! いや! 私は勝ちたいの! あいつらを見返して…それで……」
ラスコは首を横に振った。
「皆を殺しても、あなたの顔は変わらない」
「うう……っ…っ」
ステラはこれまでの思いを吐き出して、無性に惨めな気持ちになった。彼女の前で、涙が溢れて止まらない。
「あなたの顔を受け入れてあげてください」
「っ……」
『ステラノ、カオハ、ステラノ、アカシ』
『え?』
『ステラノ、カオヲ、ミルト、アンシンスル』
(チャム……)
「それに、ステラさんは可愛いです」
ラスコはにっこりと笑った。ステラは彼女の笑顔がすごく可愛く見えた。私と同じくらいブスなのに。どうしてだろう。この子がすごく、可愛いんだ…。
「何言ってるの。私はブスよ」
「まあ、綺麗とは言えませんか」
「失礼ね! あんただって私と同レベルじゃないのよ!」
ステラは腕を組んで、怒るように言った。しかしラスコはふふっと微笑んだ。
何だろう。何だかずっと前から友達だったみたい。
何となくだけど、安心できる。
彼女は同士。私を傷つけない。そんな風に思う。
ああ、でも私と彼女は違う。
だって彼女は、すごくイキイキとしているから。
どうして?
彼女と私、何が違うの?
「何でそんな風に笑えるの。そんな顔に生まれて、惨めじゃないの」
「惨めだと思ったことはありません。顔のことで悪口を言われた相手を、ぶっ飛ばしたことならありますが!」
ラスコは軽くパンチの真似をした。ステラは呆然とした。
そうか。彼女は強いんだ。
「ラスコは強いのね…。」
「ぶっ飛ばしたのは植物さんですけどね!」
ステラは口元を緩めてほんのり笑いながら、首を横に振った。
「ラスコの心は強い。どうしてそんなに強くいられるの?」
「強くなんてありませんよ。私は臆病ですから。告白した相手に鏡見ろって言われて、それから恋も出来なくなりました」
「最低ね。そいつ」
「なので、ぶっ飛ばしました!」
ラスコは右腕のパンチをぐっと上にあげてアッパーの真似をした。今度はステラも声を出して笑った。
「私この前ね、すっごくかっこいい男の子に、生まれて初めて可愛いって言ってもらったんです。まあ、ただのお世辞でしょうけどね」
『ラスコは可愛いよ』
「……」
「でも、嘘でもそう言ってもらって、私、その子のことを好きになりたくなりました!」
ラスコははにかむような、しかし切ない笑みを浮かべた。
「……好きになったらいいじゃない」
「駄目ですよ。私みたいなブスじゃ、彼には似合いませんから」
「……」
ブスは恋もしちゃいけない。
なんて決まりはないけれど、私たちはいつだって、勝手に線を引く。
自分じゃ無理、自分には無理、とにかくたくさん、線を引く。
「そんなことない! だってラスコは…」
「はい?」
「ラスコは可愛いよ…!」
「!」
ラスコは驚いたようにステラを見た。
「な、何よ…。お世辞で言ったわけじゃないわよ…」
「うふふ! 女の子にも初めて言われました! ありがとうございます!」
何なのこの子……。
ちょっと変わってる…。
ああでも、ラスコとなら……友達になれたかもしれないのに。
【殺せ】
「?!」
再びステラの脳内に、淀んだ声が響いた。
【お前の大切な友達のチャムを、こいつらが殺したんだそ】
(そうね……。でも私たちも、ラスコを殺そうとしたの…だから…)
【綺麗事を言うな…。チャムの仇をうたなくていいのか】
(うう……)
ステラは頭を抱えてうずくまった。
どうしたら……私は、どうしたらいい……?!
止められない憎悪が彼女の心を支配する。
怒りを抑えるな。
そう言わんばかりに、ステラの心の闇が、溢れ出す。
(止められないっ!!)
「ステラさん?!」
「ラスコ……私やっぱり駄目……皆のこと…」
ステラの瞳は、再び真っ赤に染まっていく。
「殺さないと」
「!!」
ステラは闇に支配され、別人のような顔つきになり、ニヤッと笑った。
「?!」
2人を囲む美しい自然は、次々に枯れ果てて闇と化す。
(説得はもう……無理なんでしょうか……!)
ラスコは干からびる花々を横目に、焦ったように後ずさった。
(この憎悪は……闇は………一体何……!!)
これまでに見たこともないような激しい怒りの力に、ラスコは顔を引きつらせた。やがて、その景色全てを闇が覆った。ラスコもまた、闇の力に掴まれて、ここから逃げ出すこともできない。
(飲み込まれるっ!!!)
ラスコはきゅっと目を閉じた。
私は醜い……。
醜い醜い醜い!!!
それが私の憎悪の根源だ!!!
怒れ…!!!
怒りは、何よりも強い力になるんだ!!!
ステラはその夢のような世界から、現実へと戻っていた。目の前にそびえる大樹を完全に駆逐したいと、そう願っている。
(消えろ! 消えろ消えろ消えろ!!!)
この世の、美しいモノよ……。
やがて空には、大樹どころか、この国をまるごと押しつぶせるほどの、大変巨大な隕石が現れた。
「おお!! こりゃすごいって!!」
ステラに薬を打った茶髪の少年は、それを遠くで見物しながら、興奮したように目を輝かせて見ていた。
(これが人間の怒り?! すっごい力っ!!!)
「これ、殺っちゃうよ絶対!!!」
少年はケラケラ笑いながら、傍観を続けた。
ラスコがステラに見せていた植術も解かれ、彼女も現実世界に引き戻された。大樹のてっぺんに立っていたラスコは、上をふと見上げた。
「っ!!」
突然現れた超巨大な隕石は、空のはるか遠くに姿を現している。それを見たラスコは愕然とした。
「落ちろぉおお!!!!」
ステラの叫び声と共に、隕石は急降下を開始する。小さな隕石がだんだんその巨大さを顕にする。やがて空が、ラスコの視界からなくなっていく。
その時だった。
「!!」
ラスコの前に、栗色の髪の美しい女性が現れたのだ。彼女は美しい緑と青のドレスをまとい、翼もないのに宙に浮かんでいる。
(誰……)
後ろに緩く1つに結んだ長い髪が、さらさらと風になびいている。絶望の状況だったけれど、時が止まったようにその女性と目を合わせた。
「愛する人を、守りましょう」
「え…?」
その女性は、自分と全く同じ声で、語りかけた。
「あなたには、その力があるんですよ」
「だ、誰なんですか…」
女性はにっこりと微笑んだ。その美しさに、ラスコは呆然とするばかりだった。
「あなたは私です。ラスコ…」
「え……?」
「一緒に守りましょう」
女性はラスコに近づくと、彼女の手を握りしめた。
(あったかい………)
ラスコはわけもわからず、その女性に全てを委ねることしかできなかった。
「魔王の憎悪に、唯一勝てる力をご存知ですか?」
「魔王……? 憎悪……?」
(あの闇の力のことを、言っているのでしょうか……)
「それは愛です。ラスコ・ペリオット……いえ……」
女性はそのまま、ラスコの身体の中に、すぅっと入って消えてしまった。
(なっ、なんですか……この力……!)
ラスコは身体を巡る凄まじい力を感じると、反射的に目を閉じた。まるで血液のように、彼女の身体を隅々まで循環していく。それは、土と水と、それから日の恵みを得た、世界中の自然の力そのものだった。
ラスコはパッと目を見開いた。
「ユッグドラシル」
大樹は突然光り輝きながら、ぐんぐんと大きく広がった。その枝の先からは光り輝く赤い花を咲かせた。ラスコも見たこともない花だった。それは光源体となって、その国を明るく照らした。
巨大樹は大きな口のように枝を広げると、やがて国を覆い隠した。巨大樹の口は落下するその隕石よりも大きくなると、その石を飲み込んだ。
ラスコは穏やかな笑みを浮かべた。すると、その巨大樹の口が再び開き、先程の隕石が全て白い綿毛になって、空を舞った。
それは数えきれないほどの白い光の粒のように、柔らかい羽根をまとった種は例えば鳥のように、空を自由に巡っては、新たな大地を目指して旅立った。
世界は美しい。
自然は美しい。
山も海も、広がる大地も、その華も。
例えば荒ぶる雷や、嵐を呼ぶような風だって、
皆この世に生まれた命。
私たちは、生きる自然の1つ。
皆静かに息をして、時には少しうるさくて
優しくもするし、泣いたりもする。
怒ることもあるし、笑うこともたくさんあるだろう。
私はこの世界を守る者。
この世界を支えて、生かす者。
「お久しぶりです。随分大きくなりましたね」
あなたの名前はユッグドラシル。
私が初めて、名前をつけた木ですね。




