ステラ・リーモル
「ハァ…ハァ………」
ステラはラスコたちを閉じ込めたあと、必死で走って洞窟の入り口まで戻ってきた。
(やった…。あとはチャムに任せるだけ…)
『これ、魔族を強くする薬だよ。これを飲ませたら、チャムもそいつらに負けないくらい強くなれるよ。時間は10分。その間は君のことも攻撃しちゃうから、チャムの前には出ないようにね』
少し前に、ある少年から、私たちは薬をもらった。
『エーデルナイツは強敵だ。チャムを守るには、こうするしかないと思うよ!』
ステラは息切れしながら洞窟を振り返って、安堵の表情を浮かべていた。
「うん? あれか?」
リルイットが洞窟の前にたどり着くと、1人の女が洞窟から出てきたところだった。その女の髪型に彼は反応する。
(三つ編みだ……!!)
「こんにちは!」
「ひゃっ!!」
リルイットが声をかけると、三つ編みの女はびっくりして声を上げた。
「な、何ですか? 誰ですか?!」
三つ編みの女は、栗色の髪の謎の美女を前にして、声が裏返った。
「エーデルナイツの者たちが先にここに来ていませんか?」
「エ、エーデルナイツ……!(ま、まだいたんですか…)」
「あれ? 来ませんでした? おかしいなぁ…」
「き、来ました! ブルートロールを討伐すると言って、少し前に中に入っていきましたよ」
(やっぱりこの洞窟だったか…)
それにしてもこの女、何だか挙動不審だな…。
「ふうん。じゃあ俺も…じゃなくて、私も行くとしますわ」
「そうですか…! お願いします!(まあいい! この女も奥まで進んだら精術で閉じ込めてしまおう)」
栗色の美女は颯爽と洞窟の奥へと入っていった。三つ編みの女ステラは、バレないように彼女の後を追った。
タッタッタッタッタ
リルイットは洞窟の奥へと駆けていく。
(さあて…もう誰もいなそうだし、変身は解いてもいいか。炎が勿体無いからな〜)
リルイットは元の姿に戻って足を進める。
「お、男?!?!」
「えっ?!」
リルイットが振り返ると、先ほどの三つ編みの女が追いかけてきていた。彼女が驚いて声を上げたのだった。
((し、しまった〜!!))
2人は互いに心の中でそう叫んだ。
「いや、これはその…検問が…だな…」
「………!」
三つ編みの女は両手を前に出して、手と首を激しく振っている。あれ……明らかに様子が変になったぞ…。
「魔族がいんだろ? 危ねえぞ?」
「っ…………っっ………」
「うん?」
リルイットはその女に近づいていった。すると女は顔から、いや身体中から汗を吹き出し、その手が痙攣を始めた。
彼から逃げ出したくて、足を動かそうとするのだが、それも震えてうまく行かず、ずてっと転んだ。
そう、ステラは男性恐怖症なのだ。それもかなり重度だ。男が近づくだけで、声が出なくなり、手足が震えて汗が吹き出し、呼吸困難にも陥ってしまうのだ。
「……っ……っ……!!」
「おい……大丈夫か?」
リルイットが手を差し伸べるが、彼女は半泣きで全力で拒否をする。
(ムリムリムリムリムリムリ!!!)
「えっ?」
しかし、彼の手は既に彼女の手を握っていた。
(あれ……?)
彼女は彼に握られたその手を見て、驚いた様子だった。震えが、だんだんとなくなっていく。
「あれ……」
思わず声も出て、自信が落ち着きを取り戻していくのを感じた。彼女が呆然としているのを見て、リルイットはふっと笑った。
「大丈夫か?」
「……!」
リルイットのいつものキラースマイルは、三つ編みの彼女の心にもほんの少しだが刺さったみたいだ。一瞬ドキっとしたステラだったが、フルフルと首を横に振った。
「だ、大丈夫です!!」
ステラは立ち上がると、すぐにリルイットの手を振り払った。
「さっさと洞窟から出とけよ。魔族が襲ってくるかもしんねえぞ」
「わ、わかってます…!」
(何で私、ドキドキなんて……)
そうです。どうせこいつは死ぬんですから。
「もっと奥の……水場のところにブルートロールはいます」
「そうなの? わかった。さっさと倒して来るよ」
「あ、案内します!」
「え? いいよ。危ないよ」
「大丈夫です! こっちです!」
「おい!」
彼女は早足で奥へと進んでいった。リルイットは仕方なく彼女を追いかけた。
「お前、名前は?」
「ステラです」
「そ! 俺はリルイット。リルでいいぜ」
「そうですか!」
(呼ぶことなんてもうありません!)
もうチャムにうった薬も切れているころですね…。まあでも、こいつ1人くらいなら、私とチャムで…。
「ステラってもしかして、男性恐怖症なのか?」
「えっ?! ど、どうしてそれを…」
「やっぱりな」
ステラが驚いて足を止めると、リルイットは彼女に追いついて横に並んだ。ステラは不審な顔で彼を一瞥する。
「女の姿の方がいいなら、またなってやろうか?」
「いえ……大丈夫です。あなたは何故か…平気です」
「ああそう? そりゃ良かった」
リルイットはもう一度彼女に笑いかけた。
「どうして私が男性恐怖症だと…」
「いや、昔ね、そういう心の病気について調べたことがあってさ。友達が性同一性障害ってやつでね。その時に、他の病気についても色々知ったんだ」
「そ、そうですか……」
昔私は、ブスな顔と引っ込み思案な性格があいまって、男の子たちから酷いイジメを受けていた。そのせいで男性恐怖症になってしまった。近くに男がいるというだけで、呼吸困難にすらなる。
だから私は、男のいない。この国にやってきた。
この国の噂を知った時、天国だと思った。でも現実は違った。
地味な私は、この国でもうまくやっていけなかった。派手できらびやかな女たちに馬鹿にされ、まるで奴隷みたいに仕事を押し付けられ、惨めな生活をしていた…。
私はこの洞窟に、よく素材をとりに行かされた。その時、私はチャムと出会った。
「?!」
洞窟の奥に進んでいくと、何かが岩陰に隠れるのを察した。
「誰?!」
岩の精霊は私の後ろで待機している。何かあろうものなら、この力で倒すしかない。
影からこっそりと顔を出したのは、青い肌のトロールだった。
「魔族……」
ブルートロールだ。しかし、怯えるようにして、私の方を見ている。
「ニンゲン……」
岩の精霊も構えをとったが、私はそれを止めた。このトロールに、敵意がないことを察したからだ。
「だ、大丈夫ですよ……」
私はゆっくりとトロールに近づいた。
「ボクヲ……コロス……?」
「殺しません……。あなたが何もしなければ……」
「ボク……ナニモシナイ………ダカラ……コロサナイデ」
私はうんと頷くと、トロールも私の前にようやく姿を現した。とても小さな身長で、私の膝くらいしかない。顔はしわがれていて、黒目が落ちてしまいそうなほど飛び出している。大変醜くて、正直恐怖すら覚える。
「どうしてここに…?」
「ボク……ヒトリ………イクトコナイ………」
「迷子なの……?」
「ニンゲン…マゾクコロス……ニゲテキタ……」
「………」
どうやら仲間もいないようだ。
数カ月前から、人間を襲う魔族が増えた。それに対抗して、魔族を殺す人間も増えた。人間と魔族、目と目が合えば、もはや敵対する存在だ。
とはいえ、こんなに怯えた小さな魔族を、殺す必要なんてあるだろうか。この子は何もしていないんだから。
「ミズ……」
「え…?」
「ホシイ……」
(水…? ああ、ブルートロールは定期的に水に浸かっていないといけないんでしたっけ)
「えっと……ここには…」
すると、岩の精霊が、洞窟の奥の岩を打ち砕き、道を開いた。
「!」
「ミズ!」
その先には水場があった。人が3人も入れば満員くらいの小さな水場だが、ブルートロールには充分だった。
ブルートロールは、バシャンとその水に飛び込むと、元気を取り戻してにっこりと笑顔になった。
「ミズ、アッタ!!」
「良かったですね!」
「ヤサシイ…ニンゲン……アエタ……ヨカッタ……」
「……」
ブルートロールはしばらくその水場に浸かって、プカプカと浮かんでいた。ステラは素材集めにやってきたことを思い出して、鉱石を掘り始めた。
するとトロールは、何かを思い出したようにどこかに行ったかと思うと、黄色いタンポポを彼女に差し出した。
「くれるの…?」
トロールはうんと頷いた。ステラはその花を手で持って、じっと見つめた。
(タンポポ……)
「あ、ありがとう」
「ヤサシイ…ニンゲン………ミズノ……オカエシ」
「ふふ」
ステラはトロールに向かってにっこりと微笑んだ。トロールもまた、にっこりと微笑み返した。
(ああ、笑ったのなんて、すごく久しぶりです)
ステラはトロールに手を振って、洞窟から出ていった。




