男友達
「私、女として生きていくことに決めました」
ウルが決意して俺にそう言ったのは、17の頃だった。
帝国のフリー術師として就職することを考えていたウルは、働きに出る前にその答えを出したいと願っていた。
それまで、彼女はこれまでと同じように、女として生きていた。俺はそのことに、下手に首を突っ込むことなんてしない。俺はただ、ウルの友達として、ウルのそばにいるだけだ。
彼女はもちろん、辛そうにすることもたくさんあった。作り笑いもたくさんしていた。でも俺の前でだけは、本当の笑顔を見せてくれた。俺も彼女の背中を全力で支えようとしたんだ。
彼女が辛い時、俺は一緒に風呂に入ってやったんだ。俺が彼女を見て何とも思わないのがわかって、彼女はそれが嬉しかったんだ。自分を女として見ない奴が1人でもいることを確認できて、それが嬉しかったんだ。本当は男なら、そうは行かないのが普通だろうが、俺はちょっと変わっているから。その度俺は、俺の身体が変でよかったって、心から思うんだよ。ウルを傷つけないことができて、良かったって。もう一生、性欲なんてなくていいやって。
だけど彼女はやっと結論を出して、女として生きることを選んだみたいだ。そう決めるまでに、俺が想像もつかないほど悩んだに違いない。
ウルがそう決めたのなら、俺に何か言う権利はない。言いたいとも思わない。
俺はただこれからも、彼女を応援するだけだ。
「ウルはさ、女の子が好きなわけ?」
「そういうわけではありませんけど」
「じゃあ男が好きなの?」
「さあ……誰も好きになったことがありません!」
「あっそ…」
いや、俺も同じだったか。
「自分が男か女かもよくわかりませんから、他の人を好きになる余裕もありませんでした」
「なるほど」
「でも私は女として生きるので、男の人を好きになれたらいいなと思います」
「何で?」
「子供は、欲しいですから!」
ウルはまた、はにかんでそう言った。
俺が彼女に暴露を求めたあの日から、俺は彼女の性別が、よくわからなくなったんだ。可愛い美少女なのは間違いないけれど、たまに男に見える時があるよ。
でもそんなのどうでもいいんだ。
俺にとってウルは、
ウルだ。
「リルさんもまだ運命の人に出会えませんか」
「ああ、出会えないね。さっさと出会いたいわ」
「ふふ!」
出会ってもその子だと気づけるだろうか。ああ、俺も一目惚れしたいなあ。
「まあでも、ウルは女として生きるんだろ? だったら俺のことも今後好きになるかもね!」
「ふふ!」
まあ、冗談だけどな! ウルもわかってると思うけど。
「リルさんと結婚出来たら、私はどんなに幸せでしょうか」
「え…?」
だけど、そう言ったあの時の彼女は、間違いなく女の子に見えた。
「冗談ですよ」
「んだよ! わかってるよ! ああつまんない!」
「ふふ!」
いいよ。その代わり俺は、これから君を女として扱うよ。
まあでも安心して。これまでと、何も変わらない。
一緒に風呂に入んねえくらいだよ。
「俺もこれから、ウルを好きになる可能性もあるかな」
「さあ、どうでしょうね」
「その時は俺、ウルに告白するよ」
「まあ! 嬉しいですよ」
「振るなよ!」
「それはわかりませんよ!」
そのあと俺達は笑い合った。
ウル、君は俺の、愛すべき親友だよ。
そして、彼女はもう、いない。
「………」
「リル……?」
アデラが俺の目の下に指を触れた。
「あ……」
俺は、その時初めて、泣いたんだ。
「あれ……」
「リル…大丈夫か…?」
(涙が……出る……)
俺にも……涙がある………
リルイットは、せつなそうに笑みを浮かべた。
(俺にも………愛があった………)
ウルが死んで、すごく悲しい。
すごく悲しいほど、彼女のことが、大切だった。
それが間違いじゃないってわかって、
俺は、
少し、嬉しい。
「リル…ごめん。俺、そんな病気があるなんて知らなくて…」
「だろうな。お前は何にも知らねえんだから、しょうがねえよ」
「友達……死んだんだな」
「うん……。俺が殺したのかも」
「え…?」
アデラは驚いたように俺の方をじっと見た。俺はぶんぶんと首を横に振って、「何があったのか、本当は覚えてないんだ」と言った。
「俺、女になるのはやめるよ。でも、リネのことは諦めない」
「うん。リネは今、お前のことが好きだよ。お前が男でも、変わらず受け入れてくれるといいんだけど」
「リネが好きなのは俺の顔だよ。俺自身じゃない」
「そんなことねえだろ。知らねえけど」
「ふふ……何だよそれ……」
そう言いながら、アデラは軽く微笑んだ。
(あ……)
リルイットはそれを見て驚いた。
何だか本当に、変わったよな。すっごく人間らしくなった気がする。
恋したら、人って変わるんだ…。
(いいなあ……)
「まあ、俺を草原に捨てた親に、この顔で産んでくれたことだけは感謝するよ。それ以外は許さないから、見つけたら」
アデラは弓を射つ真似をして、「ばしゅうん」と呟いた。
「即射つ」
「いや、怖えよ!」
「冗談だ」
俺はおかしくなって、声を出して笑った。アデラも、ほんの少しだけ笑ってたよ。
「根絶やしにするのは魔族だけでいい」
「とりあえず、エルフの奴らを放っておけねえな」
「絶対皆殺しにする。この俺が」
「はいはい。だけど今度は勝手に行くな。エルフは強いし頭がいい。こっちも対策を練って行かねえとな」
「ふうむ」
今は笑っていられるけど、実際命懸けだ。
戦争だ。どちらかが滅びるまで、終わりはない。
「部屋に戻る」
「ああ」
「リル…」
アデラは部屋を出る前に、俺の方を振り返って言った。
「ありがとう」
「!」
初めて、お礼を言われた。彼に。
「どういたしまして」
「……どういたしましてとは何だ」
「……面倒くさいな! もういいから! 部屋帰れ! 寝ろ!」
「ふうむ」
彼は首を傾げながら、部屋に戻っていった。
「はぁ……」
部屋に1人になって、やっと騒々しい1日も終わったなって、まあそんなに何かしたわけじゃあないけど、何か落ち着いたんだ。
ゴミ箱を見たら、大きく丸められたティッシュが捨てられている。
「ちっ!」
(俺の部屋に置いてくんじゃねえよ! 持って帰れクソ! 気持ち悪いな本当に!!)
『リル…ありがとう』
「はぁ……」
俺はしょうがないからベッドにごろーんと転がって、何の模様もない天井を見上げる。
(変な友達が出来た…)
アデラだけは、俺と同じで一生1人だと思っていた。俺と同じで人間にすら興味がない奴だと思ってたんだ。だけどあいつの方が、先に恋をした。先に、自慰もした。
別に勝負じゃないから負けたっていうのはおかしいけど、何となく、羨ましかった。
(おかしいな……。夢の中じゃあ、俺だって恋をして…)
そういやあの子、名前、何だっけ……。
リルイットはそのまま眠りについた。
彼女の夢は、見れなかった。
本部ではリーダー会議が終了した。5日後、エーデルナイツ全軍の体制を整えて、エルフ討伐に向かうことが決定した。
とはいえ、ミカケの話じゃ里にいるエルフはせいぜい30人。騎士団を全員連れて行く必要はない。正面突破なんて野暮なことはしない。うまくいくなら奇襲で仕留める。会議後半ではメンバーの選抜にあたった。
やっと話がまとまって、各リーダーたちは自分の塔に戻っていった。本部の部屋には、マキとシルバだけが残っている。
「ハァ……ハァ……」
「マキ、大丈夫……?」
皆がいなくなると、我慢していた体調不良を、マキはついに表に出した。シルバは心配そうに彼女を見ている。
「大丈夫だ。このくらい」
「ねえ、やっぱり……マキはエルフの討伐に行くのやめたら…?」
マキはいつもの怒ったようなキツイ顔で、シルバを睨む。
「ヒドラも倒せない奴らだぞ。私がいないと全滅してしまう」
「そう簡単に死なないって。ヒドラはA級だもん。しょうがないよ」
「お前らもブルーバーグの狼を仕留めそこねたらしいな。全く、どうなってる?」
「それは…ほら、ご主人様が僕らを置いて、途中でどっか行っちゃってさ〜」
「はあ? おい、イグ! どうなってる!」
マキが怒ってそう言うと、シルバの後ろから、別の男が突如姿を現した。
「ご主人様!」
「お前、団員を置いて逃げるなんて最低か」
「うるせえな…怒んなよ。可愛い顔が台無しだぜ、マキちゃん!」
「ちっ!」
イグと呼ばれたその男の顔は、シルバと瓜二つだった。ただ顔つきは全然異なっていて、ものすごく悪そうにニヤついている。そして髪の色は、銀ではなく、深紅だ。背中には大きな白金の槍を背負っている。
「この役立たず」
「しょうがね〜じゃん! 敵の魔族はS級の珍種だぜ。でも知ってるか? あいつら、寒いとこでしか生きられねーから、外には出てこれねーんだよ。だから放っておきゃあいいんだ」
「だからって、急に僕たちを置いてかないでくださいよ! 皆死ぬところだったじゃないですか!」
シルバも口を挟んで、ご主人様と呼んだ同じ顔の彼に意見する。
「連れてったのは捨て駒みたいな騎士共だろ。別に死んだっていいじゃねえか」
「いい加減その考えを改めろ。命を無下に扱うな」
「まあでも、それをあのネズミ女、まさか倒しちまうとは驚いたぜ」
「ラッツはネズミじゃないですよ! いいですか? ラッツの名前の由来はグラッツで…」
「黙れシルバ! どうでもいいんだよそんな話! その口二度と使えなくしてやろうか!」
「ぐぬぬ!」
イグは、シルバのことを怒鳴りつけた。シルバは口を膨らませながら、イグを睨みつけた。
「ラッツも私の許可なしに勝手に討伐に行ったんだ。無事だったから良かったが、困ったもんだよ。それを知って私に黙っていたシルバ、お前もだぞ」
「あはは〜ごめんごめん。でもラッツは一度言い出したから聞かないから〜」
マキは、ハァとため息をついた。
「だったらマキ、魔族の命ももう少し大切にしてやったら? 見てたぜ実験。許可はお前が出したんだろ。ネズミを扱うより酷えじゃねえか」
「魔族はネズミ以下だ。魔族は皆殺しでいいんだ」
「じゃああのクソ鳥は? あいつも早く殺せよ」
「ちょっと〜! 駄目ですよロッソは! 僕の友達なんですから!」
「お前もいちいちうるせえな…俺に意見するようになりやがって」
「してはいけないとは言われてませんから!」
「ロッソは重要な移動手段だ。みすみす殺しはしない」
「ちょっと、マキまでそんな言い方〜!! ロッソは仲間だよ! 友達だよ!」
「はぁ…まあいいや。んで、今度の標的はエルフってか〜」
シルバと同じ顔の赤髪の男は、会議室の椅子にどんっと座って、机に足をかけた。
「ちっ!」
マキは舌打ちをして、マナーの悪いその足を小突いた。
「イグ、お前も選抜だ」
「はぁ? 俺は術師だぜ。エルフはエネルギーを吸い取ってくんだろ? 俺は確実に勝てる相手としか戦わねえんだよ」
マキは彼の背中の槍を蹴飛ばした。
「痛!!」
「そんなものお前に必要ない!」
マキはゲシゲシと彼の背中を蹴り続ける。
「痛い! 痛い! わかった! やるよ! ついてく! ちゃんとついてくから!!」
「ついてくるだけじゃだめだぞ。ちゃんと戦闘に参加するんだ」
「わかってる! わかってるから! 痛い! やめろ! やめろぉ!!」
シルバは、ご主人様がマキにボコボコにされている、いや、じゃれ合っているのを、にこやかに見ている。
「マキ…お前は来んなよ」
「行くに決まっているだろ。こんな大仕事を部下だけに任せてられるか」
「休養しろよ…死んだらどうすんだ」
イグはマキのお腹を指さしながらそう言った。
「無理はしない。大丈夫だと言っている」
「ったく…」
彼は悪態をつきながらも、立ち上がるとマキの頭をわしわし撫でた。
「おい、やめろ」
「仕方ねえな。本気でやるか、たまにはよ」
イグはそう言って、ふっと姿を消した。




