ナイゴラの滝
「うーん……」
次の日、リネは目を覚ました。隣ではアデラがまだ眠っている。いつも毎朝そうしているように彼に顔を近づけて、その美貌を堪能した。
(今日もとっても美しいです…)
昨日アデラ様に抱きしめていただいて、私すごく幸せでした。
私、アデラ様のことが大好きなんです。それはどうしてかっていうと、アデラ様が美しいからです。
だけど何だか、それだけでは、ないような気がするんです。
『また明日』
ライのことを抱きしめるアデラ様を見て、私はすごく羨ましいなと思いながら、嫉妬をしたんです。生まれて初めて。
私は女王様のことも大好きでしたが、その時の気持ちとは明らかに違うんです。
どうしてでしょうか。
『アデラ様! 向こう岸に着きましたわ!』
『……死ぬかと思った』
『うふふ!』
アデラ様が私にも笑顔を見せてくれた時、心が掴まれるような思いでした。この笑顔が私だけのものになったらいいのになんて、そんなことを思ったんです。
でも私は、魔族…。
彼の憎んでいる、魔族。
彼の言う通り、私は仲間を簡単に見捨てるユニコーン。身体は化けられても、本当の人間のようにはなれない。だってこの心は、私が魔族として生まれた時から、何かが欠けている。
だけど私今、その欠けている何かを、見つけられそうな気がするんです…。
「アデラ様、大好きですわ…」
アデラもようやく目を覚まし、布団をどけて起き上がった。
「おはようございます! アデラ様!」
「……!」
リネが俺の顔を覗き込んでいた。いつものことなのに、今日は心臓が飛び出そうだった。
また昨日みたいな気持ちになりそうなのが怖くて、彼女から離れて顔を背けた。
(目的に集中しよう……俺はエルフを殺しにきたんだ…)
「あれ? いつの間にお着替えに?」
「いや…えっと…」
「やっぱりクモの糸のベトつきが気になっていたんですね! でも予備の服がなくなってしまいましたね」
「また買えばいいだろ…」
「お店はないと思いますよ、アデラ様」
「…?」
俺とリネはまたトロッコに乗って、地下道を進んだ。起きたのが朝の何時だったか知らないけれど、数時間経つと上り坂に突入した。
「もう少しで終点ですわ!」
やがて線路は途絶え、リネはトロッコを停車させた。入ってきた時と同じようなはしごがあった。リネがボタンを押すと、天井の扉が開いていった。眩しい日差しが入り込んできて、俺は一瞬目を瞑った。
「………」
地上に出ると、そこに広がるのは大自然だった。
「海…?」
「湖ですわ」
色濃い緑の木々やゴツゴツした立派な岩の広がる大地の横には、空を鏡のように映す巨大な湖が広がった。遥か向こうには連なる山がそびえていて、その頂は霧で覆われていて姿が見えない。
「あれがナイゴラの滝ですわ」
湖の奥には巨大な滝が見えていた。あれは、滝なんだろうか、と疑うくらい、その幅はあまりに大きかった。まるで巨大な穴のように大きくカーブした絶壁を、轟音をとどろかせながら激しく水流が落ちていく。
リネの言った通り……店はなさそうだ。
崖のこっち側は、自然界だったんだ…。こっちといっても、トロッコで相当進んだから、遥か南の地なんだろうが…。とにかく、人間の手が加わった様子がない。
「……」
「圧巻ですわよね」
「そうだな…」
「私もここに住んで、この高原を駆け回りたいものですわ」
「え…?」
「はっ!(私としたことが、また魔族目線で変なことを!!)」
リネがオロオロしていると、アデラはふっと笑って答えた。
「俺も……」
「ア、アデラ様も…?」
「うん……」
彼の育ちは平原。ケンタウロスの子は、自然の中で、生きてきた。
そしてユニコーンもまた、目を見張るようなこの大自然で暮らしたいと夢を見た。至極当然の願いだ。
人間の暮らしもいいが、自然に触れて生きるのは素晴らしい。
「でもだからこそ、縄張り争いが途絶えなかったのですわ。ここは魔族にとっても、本当に住みよい環境ですからね」
「なるほどな…」
縄張り争いに勝利し、この自然をモノにする強者、それがエルフたちだ。
「行きましょう」
「ふうむ」
2人は湖に沿って、生い茂る草の上を進んでいった。あまりに緑が豊富で、土の色が見えやしない。その地は草が幾層にも重なってふわふわしている。人間の俺たちには、少し歩きにくい。
ナイゴラの滝、その近くにエルフの里があるというが、詳細な場所は不明だ。
見渡す限り、人間はもちろん、魔族1匹見当たらない。エルフが支配しているこの理想郷に、よもや他の魔族は寄り付きもしないのだろうか。
やがて、滝の近くまでやってきた。高さは50メートルを越えるだろうか…。その大きさに感服する他ない。激しい水飛沫は真っ白な霧のように、滝壺の何メートルも上まで、その落水を覆い隠した。
「あれ……」
突然のことだった。
何だか頭が、クラクラする……。
(熱い……)
そうだ、リネは……?!
俺が後ろを振り向いた時、そこには誰もいなかった。
「リネ…? ぅう……」
酷い目眩が襲ってきて、俺はその場にしゃがみこんだ。立っていられない、それくらい……頭が重くて…
(何なんだ…これ……)
リネは……どこに………
クラっとして、アデラはその場に倒れた。顔が真っ赤になって、汗が吹き出していた。
熱い。
節々の痛みが身体を襲う。意識はあるけれど、だんだん朦朧としてくる。数ミリ空いた彼の片目の中に、誰かがやってくるのが見える。
ザッ ザッ
「人間だ。珍しい」
「どうします? サリアーデさん。殺します?」
見知らぬ声だ。彼らの足だけが視界にうっすらと映った。何だかものすごく、真っ白な肌だ。
1人…2人……
「連れて行け。何か吐くかもしれん」
3人……
ふと目の前の葉っぱを見ると、青い斑点がたくさんついていた。
(こ、これは……)
気づけば視界に入る葉は全て、それと同じだった。
(やられた……)
駄目だ……思考出来ない……。
アデラはそのまま気を失って、どこからか現れたその謎の3人のうちの1人に背負われた。3人は皆、バサっと自身の透明な羽を広げると、滝の上まで飛び上がっていった。
「はぁ…はぁ……出来たっすよ……ラッツさん……」
トニックの目の下には、真っ黒いクマが出来ている。想いを寄せるラッツの頼み事を果たすため、この数日まともに寝ていない。
(ぅう…ドピンク……)
ラッツにその品を届けにやってきた彼は、彼女のピンク1色の部屋を見て、目が痛くなった。
「おお! さすがなんだわね!」
「当たり前っすよ…おいらが本気を出したらこのくらい…」
ラッツはトニックから、さっさとその薬を奪い取った。
「じゃあ、さっさと試してみるんだわ」
「わかってるっす…」
2人は部屋から出ると、北軍のアジトへ向かった。
(やぁ〜ばぁ〜いぃ〜ですわ〜〜!!!!!)
ナイゴラの滝に向かっている最中のことだった。るんるんと足早に進むアデラのあとをついていくリネだったが、突然変身が解けて、人間からユニコーンに戻ってしまったのだ。
とにかくパニックになって、その場から全速力で離れた。
ある程度距離をとったあと、大きな岩の影からアデラの様子を伺った。
(良かった………バレてはいないですわ……)
しかし、安心したのもつかの間、アデラが頭を抱えてしゃがみこんだかと思うと、クラっとその場に倒れてしまったのだ。
(アデラ様…?!)
すると、滝の上から3匹のエルフが降りて来るのが見えた。遠目だったが、よく見ると皆、鼻から顎までをがっちりと守った、見慣れぬ黒いマスクをつけている。しかしあの尖った耳に、白髪の頭、そして透明な羽は、エルフのものに間違いない。
(そうか…滝の近くの木はバクト・ツリー! 魔族である私は、しばらく能力が使えなくなったんですわね…)
その3匹はアデラを滝の上まで連れて行ってしまった。
(アデラ様!!)
私1人で、ここを牛耳るエルフに敵うはずがない…。
「……」
『俺は仲間を見捨てない。絶対に』
だけど私も……あなたみたいになりたいから。
あなたに認めてもらいたいから。
(見捨てません…絶対!!)
リネの前には巨大な絶壁がそびえ立つ。ユニコーンは、空は飛べない。このまま登ることは難しいだろう。
(待っていてください! アデラ様!)
リネは絶壁に沿って駆け出した。




