知らない感情
リルイットは、シェムハザに向けた剣を鞘にしまった。
ウルドガーデもそれを見て、ホっと胸を撫で下ろした。
「それは無理だよシェム」
「どうしてだ? 人間は皆、愛とは何か知っているんだろう?」
リルイットは、首を横に振った。
「俺は誰かを、そんな風に好きになったことがないから」
「ふうむ?」
シェムハザはうーんと首を傾げると、ウルドガーデを指さして言った。
「そこの女と愛し合ってはいないのか?」
リルイットとウルドガーデは一瞬目を見合わせたが、リルイットはふっと笑って言った。ウルドガーデもにっこりと微笑んでいる。
「ウルは友達だよ」
「そうなのか? チュロスを食べさせあっていたし、すごく仲良さそうに見えたのだが! 仲良しの男女で子作りするんだろう? お前たちは愛し合わないのか?」
リルイットはハァっとため息をつきながら、淡々とそんなことを話す天使を白い目で見ていた。ウルドガーデは苦笑いをしている。
「友達とは愛し合わないよシェム。男女の間にも友情ってやつは存在するんだよ」
「ほほう。確かに私も天使の友達はたくさんいるが、愛し合うことなぞないか!」
「……」
シェムハザはにっこりと笑っていた。
可愛い。シェムハザは。
特にこの笑った顔は。
きっとこの笑顔で兄貴を惚れさせたんだろう。
しかしリルイットは、これまで誰かを好きになったことがなかった。
もちろん家族は大好き、友達も大好きだ。
でもそれが恋愛というものではないことは、わかっていた。
どんなに可愛い女の子が寄ってこようと、好きになることなんてない。
興味すらない。
だからといって男の子が好きなのかとかそういうことでもない。
ただ漠然と、そういう感情を持っていないかのごとく、誰も好きにならないのだ。
そういう相手と出会っていないだけだろなんて、友達のベンガルからは言われもしたけれど、一生そんな出会いなどある気がしないと、リルイットは思っていた。
すると、シェムハザは言った。
「そこの女は知らないのか?」
「え? わ、私ですか?」
「ウルドガーデだよ、シェム」
シェムハザはベンチで足をばたつかせながら、困った様子のウルドガーデをまじまじと見ている。
「私も、誰かを好きになったことはありません」
「なんだ、そうなのか。人間は常に誰かを好きでいるものかと思っていたよ。そういうわけではないんだな」
「そうだよシェム。そう簡単じゃないんだぜ」
「ふうむ。まあいいか。フェンに教えてもらうことにするよ」
「おい! だから兄貴にもう会うなって…ああ!」
シェムハザはその翼で飛び上がると、颯爽と空の彼方へ消えてしまった。
「くそ…逃げられた……」
「まあまあ、落ち着いてくださいリルさん」
ウルドガーデはリルイットの背中をぽんぽんと叩いて、笑いかけた。
「このあと、どうしますか? シェムハザさんをまた探しますか?」
リルイットはベンチに腰掛けて、グーンと腕を伸ばした。
「もう今日はいいや! ウルとデートする!」
「まあ!」
そのあと2人は城下町に繰り出して、たまの休日を満喫した。
「はぁ〜楽しかった! やっぱ持つべきものは友達だな!」
その夜リルイットが帰ってきて家のドアを開くと、シェムハザが犬のように玄関に座って待っているのだった。
「な、何やってんだよ! お前!」
「何って、フェンの帰りを待っていたのさ!」
「はあ? てか兄貴まだ帰ってきてねえの?」
「そうだよ! だからこうして待っているのだよ!」
「はぁ……」
リルイットは呆れながらシェムハザの横を通って家に上がった。
「リルイット、何か夜ご飯作っておくれよ」
「はぁ? 何で俺が。俺はもうウルと晩飯も食べてきたんだよ。もう風呂入って寝るだけなんだよ」
「そう言わずにさ! カレーでいいから作っておくれよ!」
「何でお前1人のためにわざわざカレー作んなきゃいけねえんだよ! カレーは結構面倒くさいんだぞ! じゃがいもの皮むくのとかだるいし、20分煮込まなきゃいけねえから時間もかかるし!」
「そうなのか。じゃあすぐ出来るやつを作っておくれ!」
「うぬぬぬ…」
リルイットはシェムハザを睨みながらも、仕方なしに冷蔵庫を開けた。
(ちぃ…しかも、何もねえな…)
そもそも俺はあんまり料理とかしねえんだよ。
兄貴がいる時はいつも作ってくれるからな!
いない時は外食すりゃいいし。
彼の後ろから、シェムハザが顔を出した。
「どれどれ!」
「うわあ! なんだよ!」
「なあリルイット、ナポリタンを作っておくれよ! あれならすぐに出来ると言っていたぞ!」
「はぁー?!」
まあでもそれなら、作れなくもないかも…?
作ったことねえけど! パスタにケチャップかけるだけだろ?
ていうか何で俺は作ることになってんだ…。
はぁ…。
リルイットは材料を用意すると、ナポリタンを作り始めた。
シェムハザはわくわくしながらその様子を眺めていた。
「見んなよ!」
「何故だ? どうやって出来るのか見たいのに!」
「そんなに得意じゃねえから俺は! あっち行ってろ! しっしっ!」
「ふうむ〜…」
そうしてなんとかリルイットが作ったナポリタンは、なんだかベチャベチャしていた。
(……不味そう)
まあいいや。このアホに食わせるだけだしな。
「ほら、出来たぞ」
「おお!」
シェムハザは机の上に置かれたナポリタンを眺めた。
「いただきます!」
シェムハザは慣れてきたフォークでそれを食べた。
シェムハザが食べる様子を、リルイットは向かいに座って、しかめっ面で眺めていた。
「どうよ?」
「うむ、マズい!」
「……」
リルイットは更に顔をしかめた。
「お店のナポリタンの方が格段に美味しいさ!」
「店のと比べんなよ……」
「リルはあまり料理はうまくないのだな! これからはやはりフェンに作ってもらうとするよ!」
「……」
(く、クソうぜえ〜!!!)
「悪かったな! 食い終わったら洗っとけよ!」
「ふうむ」
しかしシェムハザは、そのナポリタンをしっかり完食した。
(フェンはなかなか帰ってこないな)
リルイットはイラつきながらシャワーを浴びていた。
(くそ天使! 本当にムカつくわ! 人がせっかく作ってやったのに!)
波打つえんじ色の髪は、シャワーで濡れて更にカールしていた。
(兄貴もあんなやつのどこがいいんだよ!)
心の中で悪態をつきながら、リルイットはシャワーを終えて部屋に戻る。
リビングにはシェムハザはいない。布団も端にたたまれたままだ。
(あれ? どこ行きやがった?)
リルイットが家の中をちょっと探すと、シェムハザはまた玄関の前に座ってフェンモルドの帰りを待っていた。
(またやってるよ…。ほっとこ!)
リルイットはそのまま自分の部屋に入って眠った。