いただきますから始めましょう
「アデラ様! おはようございます!!」
「……」
アデラはふわあと欠伸をして起き上がった。身支度を完璧に済ませたリネは、アデラの目の前にずんっと顔を近づけた。
(寝起きの乱れた姿もお美しいですわ!!)
リネはとろーんとした目でアデラを見つめると、幸せそうにデレデレとした表情を浮かべていた。
人間の姿になれるユニコーンのリネは、アデラと出会ったあの日以来ずっと金髪美女の姿をしている。能力を使用しているので確かにエネルギーを使うが、微々たるものだ。そしてリネは未だに、アデラが男だとは気づいていなかった。
「邪魔」
「も、申し訳ございませんアデラ様!!」
アデラはタンスの中から着替えを取り出した。いつも適当に突っ込んでいるからしわくちゃのはずなのに、綺麗にたたまれているのを目にする。リネがやったに違いない。しかしまああまり気にせず、それを持って個室備え付けのシャワールームに入った。
シャワールームの外でリネは、彼のベッドの布団を綺麗に畳んで、シャワー上がりの彼のためにコップに水を用意した。
リネは献身的な性格だった。尽くしたい系女子、いや、馬だ。そして人間の世話が、得意だったのだ。
既に生まれてから200年は過ぎているユニコーン・リネ。その昔、どこぞの国の美人王女にベタ惚れし、人間に化けたリネは王女側近の召使いになって、彼女の世話をした経験がある。召使いになるためには色々と苦労や努力をしたけれど、それはまた別の話だ。
まあとにかく、リネは人間にお仕えし、お世話することに無駄に慣れたユニコーンなのである。人間としての振る舞いや常識なんかを覚えたのもその時だ。リネの女性口調も、その女王のものがうつったのである。
その王女が死んでからは、王女を超える美人には巡り会えず、ユニコーンの仲間たちを見つけ、馬のごとく生活をしていたようだ。
アデラが着替え終わって出てくると、リネは速やかにコップの水を差し出した。
「アデラ様、どうぞ!」
「ふうむ」
アデラは出されたコップを、何も言わずに奪い取って飲み干した。
「風呂場が綺麗だった」
「今朝掃除しておきましたわ!」
「ふうん」
個室は与えられるが、ホテルではない。部屋の掃除は自身で行わなければならないが、アデラはそんなことしたこともなかった。1ヶ月何もしなかった風呂場はなかなか汚かった。リネは今朝その部屋のシャワーを借りたあと、大掃除に励んだ。
「腹が減った。食堂に行く」
「わ、私も行きますわ!!」
リネはストーカーのようにアデラにつきまとった。アデラは無関心といった様子だ。リネがいようがいまいが、特に興味はない。
リネは初めてその食堂にやってきた。アデラに聞いたところ、好きなものを好きなだけ取って食べていいらしい。
バイキング形式で山のように並べられた料理たちを目にし、リネは大変驚き、興奮していた。
(こ、こんなにたくさんあるんですの?! 何が何やら……)
アデラはその皿に、次から次へと食材をのせていく。料理が混ざろうとお構いなし。皿に乗りさえすればいい。出来る限り、多くだ。
(あ、あんなに山のように……さすがアデラ様…うん?)
リネは数々の野菜が並ぶサラダバーを見つけると、目を輝かせた。
(あ、あれは、ニンジンではありませんかっっ!!!)
白い大きな皿の中に、大量に茹でられたにんじんが入っていた。綺麗に輪切りにされている。
そしてリネは、その大皿ごと自分のトレーに乗せた。隣でそれを見たどこぞの騎士は、もちろんぎょっとした顔を浮かべたが、彼女に何か言うことはなかった。
(うん? あ、あれは……リンゴではありませんかっっ!!!)
そしてリネは、薄切りにされた大量のリンゴを、大皿ごとトレーに乗せた。
アデラが席についたのを見つけると、リネも慌てて駆け寄った。2人は向かい合わせに席についた。
アデラのお盆には、野菜も肉も魚もフルーツもスイーツも全部ごちゃまぜになって、山のようになっている皿が、2枚分。
リネのお盆には、にんじんの大皿、そしてもう1つ、リンゴの大皿がまるごと置かれていた。
周りの席についている騎士たちは、不審な顔つきでその2人を見ていた。また、ニンジンとリンゴが皿ごと消えたのを見つけたシェフたちは、どうしてだと言わんばかりに、きょろきょろと辺りを見回している。
アデラはもちろん何も言わずに、ばくばく目の前の食べ物を食べ始めた。
「いただきます」
リネは手を合わせて目を閉じ、食べ物に向かって礼をすると、丁寧にそう言った。目を開けると、アデラがこちらを見ていた。
「ど、どうかしまして…?」
「いや…どうして皆、食べる前にそう言うのかと思って」
アデラが聞くと、リネは優しく微笑んで答えた。
「私も最初は知りませんでしたわ。でも昔お仕えしていた方に教わりました。いただきますには、2つの意味があるそうですよ」
「ふうむ」
「1つ目は、この料理を作るのに携わった全ての方たちへの、感謝を表しているんだそうですよ」
「ほお」
リネは自分の皿に乗ったニンジンをフォークで突き刺すと、彼に見せた。
「例えばこのニンジン。畑でこれを作ってくれた方、これを洗って皮を向いて、切って茹でてくれた方、皿に盛り付けてくれた方、配膳をしてくれた方、皆さんにお礼をしているのです」
「……ふうむ」
(またお礼か…)
「2つ目は、このニンジンにお礼をしているのです」
「……」
「ニンジンの命をいただいて、自分の命にしていることに、感謝をするのです」
「ニンジンに命なんてないだろ」
「いいえ。肉や魚と同じように、野菜や果物にも命はあるのです。命あるものを食べるから、私たちは生きていけるのですよ」
リネはそのニンジンを、パクリと食べた。
「ふふ。すごく美味しいですわ」
「ふうむ」
「でもこのフォークは食べられませんよね。フォークを食べても私達は生きていけませんからね」
「そりゃそうだろう」
アデラが白けたような顔でリネを見ていたので、リネはまた笑って、彼に言った。
「そのように、教えていただいたんですわ。人間の考えることは奥深くって、私も最初はよくわからなかったんですのよ。でも最初は見様見真似で、口に出すだけでもいいと思いますわ」
「ふうむ」
(はっ! 私としたことが! これでは私が人間じゃないみたいではありませんか!)
とリネは焦ったが、アデラは彼女が思ったほど気にも止めていなかった。それよりも「いただきます」の意味について、彼なりに理解しようと頭を動かしていた。
アデラはフォークを置くと、リネの真似をして手を合わせた。
「いただきます……」
アデラは生まれて初めて、食前の挨拶をした。まあ、少し食べてしまったあとだったのだけれど。
それを見たリネは、にっこりと微笑んだ。
それからリネは、大量のニンジンを、フォークで突き刺しながら、バクバクと食べていた。
「ニンジンとリンゴだらけ」
「はい! 大好物なんですの!!」
「ふうん。アデリアみたい…」
「だ、誰ですのそれは…」
(ま、まさか、アデラ様の恋人じゃありませんでしょうね?! アデラ様が汚らわしい男なんぞの物になりさがるなんて絶対に許されませんわ! しかし私の見立てでは、アデラ様は間違いなく処女……!! そうですわ、アデラ様に男の影なんぞあるわけ…)
「俺の飼ってた馬」
「っっ!!!」
アデラにそう言われ、リネは顔を引きつらせた。
(ユニコーンだとバレまして?! また私としたことが! 浮かれてこんなに山盛りのニンジンとリンゴを!! いや、しかしだからといってバレるはずは…。というか今、『俺』と言いましたか?)
アデラが再びご飯を食べ始めるのを見て、リネは安堵すると共に、一人称に関しては聞き間違いだろうと思って、自分も同じようにニンジンとリンゴを交互に口に入れた。
(それにしてもこのニンジンとリンゴ、美味しすぎますわ〜!!)
そうして2人は、朝食とは思えないほどの量を各自平らげて、席を離れた。そしてまたリネは、腰巾着のように、アデラについていく。
「どこに行くんですの?」
「リルのところ」
「ああ、あの気絶中の…」
私たちが助けに向かった、えんじ色の髪の男、確かリルイットと聞きました。私は黙っていましたが、彼からはほんのりと、魔族の血の匂いがしたんですの。
(ま、まさかアデラ様、あの男のことが好きなんてことはっ)
リネはまたハラハラしながら彼のあとをついていった。アデラはガチャリと、リルイットの寝ている部屋のドアを開いた。
リルイットは未だに気絶中だ。ラスコは今日もリルイットに栄養注射をしている。窓の外から伸びたツタは、リルイットの手首に繋がっている。
(やっぱり少し、匂いますわね…)
リネはリルイットの匂いに反応した。魔族は魔族を判別する特殊な嗅覚を持っている。魔族の血の匂いに反応する。無意識に。
「アデラさん。それにリネさんも」
「リルはまだ寝てるのか」
「この前と同じみたいです。深い昏睡状態です。いつ目覚めるかわかりません…」
「ふうむ」
スースーと小さく呼吸をしている音は聞こえる。リネはアデラの背中に隠れながら、そうっと彼の様子を伺っていた。
「リルのことはラスコに任せる」
「魔族討伐に行くんですか?」
「そうだ」
アデラは眠っているリルイットを指差すと、いつもの無表情のまま言った。
「仲間を傷つけた魔族を、許しはしない。すぐに見つけだして、血祭りにしてやる」
「アデラさん…」
表情は変えないが、どうやら怒っているようだ。
アデラはさっさと部屋を出ていった。
「ま、待ってくださいまし! アデラ様ぁ!!」
リネも彼を追って、部屋を出た。ラスコは呆然と、瞬きしながら彼らの去った後を見ていた。
アデラは城の外に建つ馬小屋にやってきた。騎士たちは、馬も馬車もここで借りることができる。
「アデラ様! 私も一緒に連れていってくださいまし!」
「お前、馬に乗れるのか?」
「もちろんですわ!」
「ふうむ」
(女王様と乗馬をした日々が懐かしいですわ!)
何と言っても私はユニコーンですから! 馬は私のお友達ですのよ! 乗るのも乗せるのも得意ですわ! おーっほっほ!
「すみません。先程南軍のゾディアス様が、大量に馬を連れて行ってしまって……もう貸し出せる馬がいないんですよ」
そこで馬を貸し出している担当の男は言った。
『がーっはっは! 南軍全員参加で、難易度Aの魔族討伐に向かうぞ!!』
『うおおお!!!』
(ゾディアスめ……)
アデラの表情は変わらないが、心では悪態をついている。リネはそれ以上に彼の悪口を脳裏で唱えた。
「ヒヒ〜ン!!」
「ヒヒヒ〜ン! フガッフガッ!!」
しかし馬小屋の中から、元気な2匹の馬の声が聞こえた。
「まだいるじゃないか」
「いやあ…こいつらは人の言うことが聞けない暴れ馬でして…。絶対に誰も乗せないんですよ…」
「ふうむ…」
「み、見せてくださいまし!」
リネに頼まれ、男はアデラとリネを馬の前まで案内した。
小屋の中を進んでいくと、1番奥にそいつらがいた。黒い2匹の暴れ馬だった。3人がやってくると、2匹は怒ったようにフガフガ鼻息を荒げながら、ヒヒーン!!と威嚇をしてくる。
「ほらね。こんな風に人間見るだけで殺気立っちゃって…」
「初期のアデリアみたいだ」
「ヒヒ〜ン!!」
「フガフガフガッ!!!」
リネは歩いていくと、2匹の前に立って、彼らと目を合わせた。
「ちょっと、あんまり近づくと危ないですよ!」
男が言うのも聞かず、リネは2匹の馬にニコッと笑いかけた。
「ヒヒ〜ン!(おい、何だコラ!)」
「ヒヒヒン!(俺たちに乗りたいってか?)」
【ええ、そうですわよ】
「っ!!」
馬たちは驚いたようにリネを見た。
「ヒヒン?(俺たちの言葉がわかるのか?)」
【もちろんですわ】
「ヒヒン!(だったらな、そこの男に言っておけ。スイカの皮ばっかり食わせやがって、たまには実の部分も持ってこいってな!)」
「ヒヒヒン!(俺はニンジンが食いたい! 山ほど食いたい!)」
【まあ、ろくに働きもせずに、よくそんなことが言えますわね】
「ヒヒヒン!(なんだとコラ!)」
「ヒヒーン!(女のくせに調子乗りやがって!)」
男とアデラは、馬が余計に怒っている様子を見ていた。
「お嬢さん…もうそれ以上近づかないほうが……」
「馬たちにお話があります。少し退席していただけますか?」
「え…?」
「退席していただけますか?」
「は、はい……」
リネは笑っていたが、何となく怖いオーラを感じた男は、アデラの腕を引いて速やかに外に出た。ドアが閉まったのを確認すると、リネはユニコーンへと姿を変えた。リネはその馬たちよりも遥かに大きく、美しいたてがみだった。馬たちは確実に自分より格上のリネを見て、完全に感服した。
「ヒヒン?!(ま、参りました……)」
「ヒヒヒン?!(な、何て素晴らしい毛並み…)」
リネはその強靭な角を、馬の喉元に向けた。
「ヒヒッ!(ひぃっ!)」
「ヒヒヒン!(その角をおしまいください!!)」
リネの殺気が2匹の馬にも伝わったのか、馬たちは完全にビビっていた。
【……乗せますわよね?】
「ヒヒン!(乗せます!)」
「ヒヒヒン!(乗せますとも!!)」
2匹の馬はぎょっとして、必死で彼女にひれ伏した。
リネは人間に姿を変えると、にっこりと微笑んだ。




