日と火と水と、木とトマト
次の日俺は、ユッグが他の魔族たちに酷い目に合わされているのを見つけた。
「お前、スルト様に水をかけたらしいなァ!!」
「この新参者がッ! 許されると思うなよ!!」
「スルト様を誰だと思っていやがんだ!」
獣の姿の魔族たちは、ユッグを取り囲んで、持っている武器や自身のカギ爪なんかを使って、彼女をとにかくボコボコにしていた。
「すみませんっ! すみませんっっ!!」
ユッグはなす術もなく、彼らにひたすら攻撃され続けていた。顔も身体も傷だらけだ。流れているのは血というよりは樹脂のような、橙色の液体だった。
「やめろ!」
見かねた俺は、声を荒げて攻撃をやめさせた。
「スルト様っ!」
「スルト様……!」
俺の一声でそいつらは手を止め、道を開けた。
「あっち行ってろ」
魔族たちは深々と礼をして、俺の前から立ち去った。
ユッグは怯えたような目で身体を震わせ、俺を見上げていた。
「ス、スルト様……昨日は申し訳ございません……。スルト様がこの国で1番偉い方だなんて、私、知らなくて……」
ユッグは土下座をし直して、俺に頭を下げた。
「歩けるか?」
「は、はい!」
「ついてこい」
「は、はい……」
ユッグは立ち上がり、先へ行くスルトを追いかけた。ようやくたどり着いたそこには、茶色の羽をした巨大な鳥が、すやすやと眠っていた。
「おい、起きろ。ロッソ」
「ぅーん……」
声をかけられた茶色の鳥は、ユッグの顔よりも大きなその重そうな瞼を、ゆっくりと持ち上げた。
「ふわぁ……おや、スルト。どうしたのですか?」
ロッソと呼ばれた茶色の鳥は、やけに丁寧な口調で口を開いた。
「ユッグの傷を治したい」
「スルトが私に頼むなんて珍しい」
「いいから。早く治せよ」
「ふわぁ…。もう治っていますよ」
ユッグは驚いた。傷だらけだった自分の身体が、何事もなかったかのように完治している。痛みも傷跡も、何もない。
ロッソは優しそうな瞳で、ユッグに向かってにっこりと微笑んだ。
「あ、あなたは……」
「私はフェネクス。名前はロッソです」
ロッソが軽く頭を下げたので、ユッグも同じように礼をし返した。
「こいつは治癒の力を持ってるんだ」
「ふふ。どうぞよろしく」
「こ、こちらこそ…。私はユッグです…。あの、ロッソさん、ありがとうございます」
「ロッソでいいですよ」
「昼寝の邪魔して悪かった。それじゃあ」
「いえいえ。またいつでも」
ユッグはペコリとお辞儀をして、スルトと共にその場を去った。ロッソは終始優しい笑みで、2人を見送った。
「スルト様…助けていただいてありがとうございます…。それにすみません…。スルト様の身体は炎で出来ているのに、水をかけてしまって…」
「いや…こっちこそごめん。せっかく作ってくれた花壇を燃やしてしまった」
ユッグは首を横に振った。
「わざとありませんもの。ですが、植物は炎に弱いんです」
「ごめん…知らなくて……。ここの奴らは皆、炎に強いから」
「そうなんですね。私の身体も植物でできているんです。ですからここは…私には少し暑いです」
ここは灼熱の国、炎の国だ。
ここに魔族しかいないのは、人間たちには暑すぎるからだ。
しかし魔族とはいえ、炎が苦手なはずのユッグは、どうして此処にやってきたんだろう。それは俺にはわからない。
「他の国に行ったら?」
「いえ。大丈夫です」
「そう…」
そのまま2人は、歩きながら話を続けた。
「スルト様は、偉い方だったんですね」
「別にそういうわけじゃないけど…」
「でも他の皆さんが…」
「この国じゃ、俺が1番強いんだ。だから皆、俺を慕っているんだよ」
「強い方が偉いんですか?」
「さあ…」
俺が首を傾げながらそう言うと、ユッグもクスっと笑っていた。
2人がしばらく歩いていくと、ユッグの野菜畑にたどり着いた。昨日よりも更にまた、芽が大きくなってきたような気がする。
「ユッグ、ウツクシイって言葉を、君はどうして知っているんだ」
「人間たちが、そう言っていたのです」
ユッグは話した。
ユッグの身体は植物で出来ていると先程聞いたのだが、何と彼女はこの世界の全ての植物と繋がっているのだという。
他の場所には自然がたくさんあって、木々や花が至るところに咲いているのだと言っていた。
昨日見たようなウツクシイ花壇がそこら中にあるだなんて、俺には想像もつかなかった。
「人間たちは、満開に咲いた花々を見てよく言うんです。綺麗だなあ、あるいは美しいって」
「へぇ…」
「他にも、鮮やかな景色や、特定の外見の人間に向かっても、同じように美しいと言うのです。それらの共通点を見つけた時、私はそれらの意味が何となくわかりました。美しいは褒め言葉で、その姿に感動を受けた時に使う言葉なんだと」
「……」
ユッグにそう言われて、俺はすぐにピンときた。
それこそ俺が普段から気にしていた、他の魔族の奴らがすこぶる疎い、見かけに関する概念を表すための言葉なのだと。
「この国には、自然がありません。ですから私は、ここに自然をもたらすためにやってきたんです」
ユッグはそのように言っていた。
不思議だった。
これまで俺は、ユッグみたいな奴は、大嫌いだったはずなのに。
やっと覚えた言葉を使うなら、ユッグはすごく美しい。
その柔らかい髪も、真っ直ぐな瞳も、白くて細い肌も、彼女の全部が美しくって、それで……。
「ユッグ、また花壇を作ってよ。次はもう、触らないように気をつけるからさ……」
「もちろんです。スルト様」
「…スルトでいいよ」
「え……いや、ですがそういうわけには……」
ユッグはその綺麗な顔で俺を見つめる。
きっと彼女の目には、俺は美しいとは真逆の存在として映っているんだろう。
そんな彼女に敬ってもらうなんてこと、俺はどうにも恥ずかしくって、出来なかった。
俺はユッグと仲良くなった。
俺が仲良くするユッグのことを、酷い目に合わせようなんてアホな奴はいなかった。この前ユッグを酷い目に合わせた連中は、頭をついて彼女に謝っていた。彼女は優しいから、怒るなんてことはなかった。
灼熱の国にも自然が増え、土しかなかったその国には緑が増えた。その景色はまた美しくって、でもその意味がわかるのは俺とユッグだけだった。他の奴らは景色が変わったなあくらいにしか思っていないのだ。
「スルトの旦那、出来やしたぜ」
オルゾノは、俺が頼んでいた物を完成させると、俺のところにやってきた。
「さすがだな」
「旦那の頼みですからね! 腕がなりやしたぜ」
「ありがとう」
俺がそう言うと、オルゾノは不思議そうに首を傾げた。
「なんですかい? その、ありがとうってぇのは」
「ユッグに教えてもらったんだ。何かしてもらって嬉しくなった時に、そう言うんだってさ」
「へ〜ぇ。よくわかりやせんが、まあでも何だか、旦那に喜んでもらえたようなんで、こっちも気分がいいってもんですよ」
「そうなんだよ。言われた方もいい気分になるんだ。不思議だよな」
ユッグは『美しい』以外にも、色んな言葉を教えてくれた。『ありがとう』や『好き』もその中の1つだった。それはどれも、人間の作った言葉だ。同じ言語を用いているはずなのに、そんなにたくさんの知らない言葉があったんだって驚いた。
俺はオルゾノからそれを受け取ると、ユッグのところに行った。彼女が毎日懸命に育てていた野菜が、収穫できるようになったのだ。
ユッグはその野菜を灼熱の国の魔族たちに振る舞い、皆それを喜んで食べていた。ユッグは皆に、その感情を『美味しい』と呼ぶことを教えた。
俺たち魔族は食べなくても生きていけたけれど、味覚ってやつはどの魔族にも元々あった。だから皆は、食べることにはすごく興味があって、野菜をバクバク食べては、美味しいと声を出していた。
だけど野菜は、俺が触れるとすぐに燃えてしまうから、俺だけが食べることができなかったんだ。
俺も皆が美味しいという野菜の味が気になって、またユッグもどうしても俺に野菜を食べさせたくって、2人で悩んでいたところ、オルゾノが力になってくれたというわけだ。
「スルト!」
俺を見つけたユッグは、笑顔で手を振った。俺は彼女の元に駆け寄ると、オルゾノからもらったその手袋を見せた。
「それですか?」
「うん。耐火性グローブだってさ」
「では…」
ユッグはトマトを俺の目の前に持ってきた。
「トマト…」
「スルトは赤が好きですから!」
「それじゃ…」
俺はそのグローブをはめて、トマトを手にとった。トマトは燃えずに、俺の手に残った。
「触れた…!」
「やりましたね!!」
俺たちは喜んで、そしたら一瞬彼女と目が合って、俺は彼女から目をそらした。どうしてそんなことをしたのかは、よくわからない。だけどいつもそう。俺は彼女と目を合わせるのが、苦手なんだ…。
「食べてみてください! 採れたてですよ!」
「それじゃ…」
そして俺は、生まれて初めてトマトを食べた。すごく、衝撃的だった。
トマトを顔に近づけたら、土の匂いがした。
ユッグの耕した土は、彼女の身体から出る養分や水をよく吸っていて、他の土とは明らかに違うんだ。その色も、手ざわりも、そして匂いも。
トマトは俺の噛み合わせの悪い歪な歯に、簡単に食いちぎられた。皮の中はすっごく柔らかくって、言い表せないような旨味が、俺の口いっぱいに広がったんだ。
すっきりとしているんだけど、一度食べたら忘れられないような主張の強い味だ。そしてその丸々と太った赤色の野菜は水分だらけで、俺には必要のないものなんだと初め思ったんだけれど、意外にも俺の身体の中で1つのエネルギーとして備蓄されていくのを感じて、俺は驚いた。
「火が…入ってるのか…?」
「トマトに火は入っていませんよ」
「……どうして力を感じるんだろう」
スルトの第一声がそれだったので、ユッグは首を傾げたが、すぐに勘付いたようだ。
「もしかして、太陽の光じゃないでしょうか」
「た、太陽……」
知っている。それは神が作った、光と熱の根源だ。
空の遠くにいるのを見たことがある。この国は太陽の近くにあるらしいのだけれど、それでもまだ遠くて、近くで見たことがある奴は1人もいない。
熱を求める俺にとっては、太陽は非常に尊い存在だ。
「野菜は太陽の光をいっぱい浴びていますから、それがスルトのエネルギーになるのではないでしょうか!」
「……」
「うふふ。私たち植物にとっては、太陽は神のように尊い存在です。太陽が与えてくれる日光は、水と同じくらい私達の生きる源なのです」
ユッグは植物に毎日水をやっていた。だから植物を成長させるために、水が必要だということは知っていた。
でもそれだけじゃなかったんだ…。
「スルトは、太陽と同じ匂いがしますよ」
「え……?」
ユッグはいつものように優しく微笑んでいる。
「スルトは太陽でできているのかもしれませんね!」
「……」
そんなわけないだろと、言いたかったんだけど
俺は何にも言えなくなってしまった。
俺は、嬉しかったんだ。
ユッグは植物で、俺は炎だ。
美しいユッグと醜い俺は、その全てが対となる。
(俺と彼女じゃ、不釣り合いだ…)
炎を嫌うユッグに俺は、触れるのとも許されないことだと知っていた。
だから俺たちの相性は初めから、最悪なんだと思っていたんだ。
だけど、植物にとって、太陽は水と同じくらい大切なものみたいだ。
(俺……太陽になりたい…)
同じ熱なら、炎じゃなくって。
何でそんな風に思ってしまうのかっていう答えなら、俺は実はもう気づいていた。それは魔族には持ち得ないはずの感情だということも、本当は持ってはいけない感情なんだということも、最初から知っていたんだ。
だけど誰にも、言えなかった。
「ユッグ……」
俺はその手をゆっくりと伸ばして、ユッグの手を掴んだ。
「スルト?」
その日俺は、彼女に初めて、触れることができた。
俺は何も言えないまま、彼女の手をしばらく、握り続けていた。
「あったかいですね」
「……熱くないのか?」
ユッグは笑って頷いた。
「あったかいです。太陽の日差しを浴びているようです」
「……」
その時俺の目から、涙が流れだした。
俺の身体が水を作るなんてあり得ない。
きっとこれは、さっき食べたトマトのせいだ。
トマトの水分を、排出しているんだ。
そう思った。
「もう1つ食べますか?」
ユッグに尋ねられ、俺は泣きながらうんと頷いた。




