スルトとユッグ
俺はその夢の中で、黒い巨人だった。
巨人だけど、小さくもなれたから、周りの奴らと同じ大きさになっていた。そうしないと、何でもかんでも踏んづけて殺しそうだったからだ。
俺たちは、魔王様が生んだ魔族だった。
この世には神が生んだという人間という生き物もいるらしい。
魔王様には、人間とは仲良くならないようにと教えられていた。人間はどうやら、自らを滅ぼす恐れのある「愛」という感情を心に宿しているらしい。
まあとにかく、人間のことは知っているが、今はまだ別の国で暮らしている。
そしてその頃は、魔族は皆、種族を問わず、1つの国で暮らしていた。
その国にあるのは空と水と土だけだ。あとは光と闇、それに音くらいか…。
水を覗き込むと自分の姿が映る。
他の奴のことは見えるが、自分の姿を見るには水を覗き込むしか方法がない。
「……」
その頃俺たち魔族の中に、美しいとか醜いとかそういう言葉や概念はないのだけれど、何となくそれを俺は、体感で感じていた。言い表す言葉をまだ知らないだけだ。
そして俺は後に知るその言葉で表すなら、凄く、醜かった。
顔も身体も真っ黒で、目は細くて、鼻は大きくて、唇が分厚くて、牙の並びも悪くて、皮膚はたるんでいて、猫背で、太っている。肩までつくくらいのえんじ色の髪はいつもボサボサで、手ぐしも通りゃしない。
だから、水面に映る自分の姿を見るのが、嫌いだった。
それを見せる水も、嫌いだった。
「おい、スルトの旦那!」
「何だオルゾノ」
1匹のドワーフが俺に声をかけた。名前はオルゾノ。ドワーフの中でもすっごく器用な奴だ。俺のことをスルトの旦那と呼んで慕ってくれる。
オルゾノの姿も、また醜い。顔がしわがれていて、けむくじゃらで、ヒゲがもじゃもじゃと生えている。種族柄背も小さい。だから何となく、自分と同類な感じがして、俺はこいつとは仲良くしていた。
「新しい魔族がこの国にやってきたらしいですぜ」
「そうなんだな、どんな奴?」
魔族はこの国に多く集まってはいるが、ここにいるのが全てというわけではない。昔はここにしかいなかったが、魔王様は他の場所でも魔族を生むようになったのだ。
「さあ、まだ会ってねえんで知りやせんが、何でもこの国に植物ってやつを作りたいらしいですぜ」
「へぇ。植物ってなんなんだろうな…」
すると、炎の巨人ロキがやってきた。
こいつは俺と同じ巨人なんだが、見た目がすごく綺麗なんだ。銀色の長い髪は艶めいてサラサラとしている。自分のものと比べると、同じ髪とは思えない。目はぱっちりと、輪郭は力強く角ばってたるみ1つない。すらっと背も高く、身体は引き締まっている。とにかく美しい巨人だ。
つまり俺はこいつのことは、あんまり好きじゃあないんだ。
「スルト様! 先ほど新入りを見つけましたよ! あっちの土の上で何かやっておりました」
「ふうん」
ここにいる魔族たちは、皆俺を慕っている。何故なら、ここにいる中で、俺が1番強いからだ。
魔族たちからしたら、そいつの見た目がどうかなんて、どうでもいい。美しいと醜いの概念は存在しない。それを気にしているのは、この国で俺ただ1人だ。
俺はその新入りの顔を見てやろうと思って、ロキに場所を聞き、そいつのところまでやってきた。
そこは、耕された畑だった。その頃は、畑なんてもの、誰も知らなかった。俺もその時、初めて見たんだ。
「はじめまして!」
新しくこの国にやってきたそいつは、俺を見つけて声をかけた。
そいつはすごく、綺麗だった。
「……」
俺は無言で、そいつを上から下までじっと見回した。
栗色の長い髪をしていて、後ろで緩く1つに縛っている。透き通るような青い瞳で、人間に例えるなら完全に女というやつだ。柔らかい印象の顔立ちで、肌が白くて、すごく細身なのだけれど、胸だけはふくよかだった。緑から青への美しいグラデーションに染まった、見たこともない型のワンピースを着ていた。そいつの姿は、人間に非常に似ていた。
「はじめまして。私はユッグです。あなたは?」
「……スルト」
「スルトさんですね! ふふ、覚えましたよ」
「……」
大人しそうなその見た目にしては、割と明るい口調だった。
ユッグと名乗ったそいつは、俺ににっこりと笑いかけた。
「何をしているんだ?」
「野菜の種を蒔いているんです」
「野菜の種……?」
「ふふ。畑を作っているのですよ」
「畑……?」
ユッグはその真っ白な腕を、真っ茶色に変えた。すべすべのそいつの腕はゴツゴツと固い姿に変わっていき、にゅるにゅると伸ばすと先が分かれていき、その土の中に潜り込んだ。
その茶色い腕は、後にこいつが作る木の枝ってやつに似ていた。
種を蒔きながら、俺に畑や野菜といったものが、一体何なのかを説明した。全く聞いたことがなかったので、話を聞いても正直よくわからなかったけれど、育つと食べることができるらしい。
そいつが蒔く種の間隔が、畑の列ごとにバラバラだったので、何故そうするのかと俺はユッグに尋ねた。
「野菜の種類によって蒔き方が違うんですよ。これはトウモロコシの種。5粒ほどまとめて蒔きます。これはニンジンの種。このようにバラバラに蒔きます。これはレタスの種。このように縦に並べるのです」
「ふうん……」
何だかよくわからないけれど、ユッグは楽しそうに話をした。
その笑顔もまたとても美しくて、つまり俺はそいつのことがとても嫌いだった。
俺は、外見が綺麗な奴は、好きじゃあないんだ。
でも俺は野菜ってやつのことが気になって、次の日もちらっとユッグが野菜を育てる様子を見に行った。
ユッグの畑に行くと、蒔いた種から芽というやつが出ていた。これがだんだん大きく成長して、野菜になるらしい。
「採れたての野菜はすごく美味しいですよ!」
「いつになったら出来るんだ」
「早いものでも1ヶ月ほどでしょうか」
「そんなにかかるのか」
「うふふ。待ち遠しいですよね!」
「……」
俺は呑気に笑っているユッグを、白けた目で見ていた。
「1ヶ月も待てねえよ」
「そんなこと言わないでくださいよ、スルトさん! そうだ、野菜が出来るまでに、一緒に花壇を作りませんか?」
「花壇……?」
「はい! とっても綺麗ですよ」
「……キレイ?」
ユッグは畑を離れて、別の何もない場所までやってきた。まあこの国は、基本何もないのだけれど。
「ここにしましょう!」
「……」
ユッグはまたその身体を木の枝のように多量に伸ばし、花の種を植え始めた。しばらくして、数平方メートルの広さに種を蒔き終えた。
「さあて、お水をあげましょう!」
ユッグが空に手を掲げると、空から水が降り出した。
「み、水っっ!!」
俺は焦って、両手を前にやって身を守ろうと試みた。
俺がこの世で1番苦手なもの、それが水なのだ。
「……」
しかしその水が、俺に降りかかることはなかった。
その水は、ユッグが種を蒔いたその地面にだけ降り注いでいた。
ユッグはふんふんと鼻歌を歌いながら、水をやっていた。
「咲きましたよ! スルトさん!」
「え……」
スルトは顔を隠したその指の間から、ゆっくりと目の前の景色を見た。
「あ……」
そこには、色鮮やかな花々が広がっていた。こんなにたくさんの色が集まるのを見たことなんてなかったから、俺は目を丸くした。
そこからは何だか、とても甘くていい香りが漂っていた。こんなにいい香りを嗅いだのも、初めてだった。
「何なんだ…これ……」
「花ですよ、スルトさん」
「ハナ……?」
スルトが自分の鼻を指さすと、ユッグはうふふと笑いながら首を振った。
「顔についている鼻ではありません。それとは別の、生き物の名前なのです」
「生きてる…? これが……?」
「はい!」
スルトはしゃがみ込むと、高さ数十センチほどの花をじっと見た。色々な形の花が咲いているのだが、彼の目の前に位置するのは赤色の花だった。その鮮やかな赤色の花びらの真ん中は、紫色だ。その紫は宝石のようにまあるい。よく見ると、細やかな粒の集まりであった。
「それはアネモネですよ」
「アネモネ……」
「私もとっても大好きな花なんです!」
「……」
「美しいでしょう」
ユッグはまた、俺に微笑みかけた。
「ウツクシイって、何……?」
「え? えっと…綺麗ってことです」
「キレイって、何……?」
「えっと……」
ユッグは驚いていた。どうして知らないんだろうという目で俺を見ていたが、彼女は言った。
「スルトさんが、この花を見て思った気持ちだと思いますけれど!」
「…!」
俺はもう一度その花を見つめた。ユッグも俺の隣にしゃがみ込んだ。
「赤が好きなんですか?」
「え?」
(好きって……何だろう……)
俺がその花を見ていたのは、それが1番、炎の色に似ていたからだ。
「ふふ。赤色のアネモネ、美しいですよね」
「……」
俺はじっと、その花を見ていた。
そしてその時俺は、ユッグの言っていた美しいの意味を、悟ったんだ。
それは、俺が大嫌いなもの。
だけど俺が1番、欲しかったものなんだって。
俺は無意識に、その花に手を伸ばした。
しかし俺の指がそれに触れた瞬間、目の前のアネモネは炎を上げて燃え上がった。
「お花が!!」
「っ!」
ユッグが悲壮な声を上げたので、俺はハっとした。
アネモネの炎はあっという間に他の花にも引火して、ユッグの作った花壇が燃え上がっていく。
「え、えっと……」
「た、大変! 大変です!!」
ユッグは非常に焦った様子で、空に手を掲げると、先程のように水を降らした。
ザーー
激しい水のシャワーが、広範囲でその辺りに広がった。
「ひっ!!」
それは今度は、スルトにもしっかりと降り掛かった。身体に激痛が走った。劈かれるような冷えた痛みだ。抵抗の術なく全てをかき消されるような恐怖だ。
(し、死ぬ…っ!!)
スルトはその場から一目散に逃げ出した。これ以上水がかかっては本当に死ぬと思った。
火が消えた時にはもう、花壇は無惨に崩壊していた。残ったのは湿った灰の塊だった。
「うっ……ぅっ……」
ユッグはそれを見ながらしばらく泣いて、その場に立ち尽くしていた。




