二刀流の女
(やった………)
解毒剤を新たに作り上げ、ルルの母親にそれを飲ませ終えたメリアンは、安堵して息をついた。目はまだ覚ましてはいないが、彼女の顔色は明らかによくなった。検査したところ、体内に毒素はない。成功だ。
子供ヒドラは、麻酔の効果で未だに眠りについている。
ルルは彼に抱きつきながら、泣いてお礼を言った。メリアンも彼女に軽く手を当てると、優しく微笑んだ。
「ちょっと! リルぅ?」
無線がジージー鳴っているのに、メリアンがやっと気づいた。
リルイットから預かって、僕が持っていたんだった…。
「ラッツさん! す、すみません!」
「うん? メリアンなんだわ? んもう! 何で連絡よこさないんだわよ! 心配したんだわ!」
「すみません…。ヒドラの毒にやられた村の人を助けるのに必死で…」
「ふーん。まあ無事ならいいんだわよ。ついさっき、あの人がヒドラ討伐に飛んでったわよ」
「えっ……」
「もうそろそろ着く頃だと思うんだわよ」
あとはよろしくなんだわとだけ言って、ラッツの無線は切れた。
「ぼ、僕も行かなくちゃ…!」
メリアンもその家を後にし、急いで谷へと向かった。
女はプカプカと湖に浮かんだヒドラの頭を両足に踏みつけにしたまま、俺とミカケさんの方を見ると、鋭く睨みつけた。
腰までまっすぐに伸びた灰色の長い髪の、やたら目つきが悪くて俺より背の高い女。
メリアンが確か彼女のことを、マキと呼んでいたような気がする。
「おい」
マキはあの日みたいに、威圧的なその目で俺を見ている。
「は、はい……」
「ヒドラを、上まで運べ」
「はい……」
リルイットたちはそのままヒドラの上に着陸した。
「マキさん、来てくれたんですね〜。いやぁ、助かりました〜」
ミカケがへこへこしながらお礼を言ったが、再びキッと彼女に睨まれて、ミカケは縮こまった。そんな彼をよそに、リルイットは炎の縄でヒドラを縛り上げると、そのまま翼を生やし、こいつを持ち上げようと試みた。
「痛う……」
噛まれた手足がクソ痛い…。ここにきて痛みを思い出して、俺は顔をしかめた。
「そのくらいでだらしない奴だな」
(なんなんだよこの女……めちゃめちゃ怖いし……)
おまけに鬼かよ。俺のケガ見ろよ…。
いや、助けてもらったんけどさぁ……。
リルイットは何とかヒドラをうーんと持ち上げた。大きくした翼をバサバサとはためかせ、ゆっくりと上に上がっていく。その間もマキは、じーっとリルイットのことを睨んでいる。
(くっそ……重い……。けど……このくらいで…根をあげるか…って…の……)
リルイットは傷だらけの身体で、必死でヒドラを谷の上までに持ち上げた。
「ハァ…ハァ……」
リルイットはゼーゼーと息切れしている。
「おい! 大丈夫かいな!」
ミカケはヒドラを運びきったリルイットに駆け寄ると、背中をとんとんと擦った。
「ミカケさぁ〜ん!!」
と、兵士たちが集まってきた。総勢50人ほど、皆無傷でこちらにやってくる。
(あれ……皆元気になってる……。ああ、メリアンか…)
「マキさんも…来てくれたんですね…」
騎士たちはバツが悪そうにしながら、彼女にへこへこと
しだした。
「本当にだらしないやつらだ」
皆はミカケの後ろに隠れだす。ミカケも退きながら、マキの威圧を代表して受けた。
「すんません……」
「ヒドラの首をあんなに増やして…バカなのか?」
「すんません……」
マキはミカケたちにも、リルイットと同様に叱責を始める。西軍兵士たちは全員縮こまっている。とにかく彼女の顔が、鬼のように怖い。
「燃やせ」
マキはリルイットの方を見ながら、顎で彼にヒドラを燃やすようにと命令した。リルイットは息切れしながら彼女を見た。この女、鬼だ。
「ちょ…待ってください……」
「何だ、だらしない新入りだな」
「……」
リルイットが顔をしかめていると、ミカケがやってきては、「自分がやります」と言って、火遁でヒドラの焼却を始めた。
(た、助かった……)
リルイットは腰を下ろして、僅かな休息をとり始めた。
「マキさん! リルさん〜!!」
メリアンもあとから走ってやってきた。数名の騎士たちも一緒に駆けつける。西軍の負傷を再び完全に治し終えたようだ。
「うわ! すごいケガ!!」
「メリアン〜」
リルイットは安堵の表情を浮かべた。メリアンはリルイットの怪我を速やかに治し始める。
「あの子のお母さんは…?」
「治ったよ!」
メリアンはリルイットに笑いかけた。リルイットもそれを聞いて、安心した様子だった。
「リルのおかげだよ…! リルが子供ヒドラを連れてきてくれたから…!」
「いや、メリアンの力だよ。メリアンがあの子のお母さんを助けたんだ」
「ううん……」
リルのおかげなんだ。全部。
だって僕は、諦めてしまいそうだったから…。
ありがとう……リル……。
「メリアン…ヒドラの子供は……?」
「寝てますけど…」
俺が安堵したのもつかの間で、マキは怒ったようにメリアンを睨みつけた。
「何故生かす」
「え…いや……採血しただけで済んだので…」
「ちっ!」
マキはそれを聞いて、背中から羽を生やすと、村に向かって飛び立った。
(飛んだ?!)
その羽はまるで鳥の羽毛のように柔らかそうだった。それは天使のものともハーピィのものとも少し違う、鷲のように大きくて茶色い羽だった。
「わいらも追うで!!」
「はい!!」
西軍の兵士たちも、マキを追いかけ、谷に沿って村を目指して走っていった。
「リル! 僕らも!」
「あ、ああ!」
身体を治してもらいすっかり状態が良くなったリルイットも、メリアンと共に後を追った。
「きゃあああああ!!!!」
村の方から叫び声が聞こえた。それを聞いたリルイットたちも、焦って顔をしかめる。
「先に行く!!」
「リル!」
リルイットは翼を生やして飛び上がり、声の方へと急いで向かった。
「何だありゃ…」
「ウガアアアア!!!!」
村にはヒドラが人間を襲って暴れまわっている。先ほどのヒドラと似ているが、首は1つだけだ。しかし9つ首のヒドラよりも格段に、動きが激しくい。見境なく荒ぶっている。
「っっ……!」
たくさんの村人たちが負傷している。中には手足を噛みちぎられて多量に出血をしている者もいた。
「ウガアアアア!!!」
マキはヒドラと戦闘中だ。2本の刀を用いてヒドラに斬りかかる。その刀は騎士たちの持つ長剣よりは少し短く、その刃はどちらも銀色に煌めいていた。
シュン! シュン!!
マキはヒドラの首を斬り落とした。
(く、首を斬っちまったらまた…)
しかし、そのあとすぐにもう1本の刀でヒドラの身体をえぐった。彼女の見事な刀さばきにリルイットは目を見張った。首が復活する前に、心臓を落とした。一瞬だった。
(つ…強っ!!)
「ガアアアア!!!」
ヒドラは声を上げてその場に倒れた。
(た、倒した……)
マキはその茶色の羽をしまい、地面に着地すると、2本の刀を鞘にしまった。ふわっと彼女の髪が広がったかと思うと、流れるようにストンと落ちた。
するとそのまま、マキは怒った顔で、あとからやって来たメリアンのところに走っていった。
「マ、マキさん…!」
後ずさるメリアンの顔は、全力でビビっていた。
ぱしぃんんん!!!
(げっ!!)
リルイットが空から見ていると、マキはメリアンの頬を思いっきりひっぱたいた。その音はあまりにいい音で、空にいたリルイットにもすこぶるよく聞こえた。
メリアンはその勢いで激しくぶっ飛んで、顔面を地面に打ち付けた。彼は半泣きになりながら起き上がった。そんな彼を見下すマキは、鬼の形相。
「村人をさっさと治せ」
「はいぃっ……!」
それからメリアンは、急いで負傷した村人たちを治してまわった。奇跡的にも死人はいなかった。かなりの重症者もいたが、彼の療術で治せない者はいなかった。最悪の事態は防げたようだ…。
リルイットも地上に下りると、その残劇を見て唖然とした。
「何でヒドラが…」
「子供ヒドラが成長したんだ」
「そ、そんなにすぐに…?」
「魔族の成長を促している奴がいる」
「え?」
「ついでに魔族が人間を襲うように、仕向けている奴もな」
マキは村の真ん中にたくさん立っている木のうちの、1本を睨みつける。
(木……?)
見た目からは他の木との違いはわからない。しかしマキはその中の1本の木を指差すと、リルイットの方を見て言った。
「リルイット」
「は、はい!」
「燃やせ」
「っ!」
(こ、この木を……?)
「ちんたらするな!!」
「はいぃっ!!」
リルイットは背筋をピンっとして歯を食いしばると、炎を生み出してその木を燃やした。
「ふむ」
リルイットが木を燃やすのを、マキは腕を組んで見ていた。
すると、息を切らしながらメリアンがこちらに合流した。
「お、終わりました…!」
「村人は全員無事だな?」
「はい…無事です……ハァ……ハァ……」
朝から西軍兵士を2回も復帰させた上に、村人多数の治療を行った。メリアンはもうヘトヘトで、倒れる寸前だ。
「マキさん…この木何なんです…?」
ミカケが尋ねると、マキは眉を吊り上げて答えた。
「この木はウイルスを飛ばす植物バクト・ツリーだ。ウイルスにやられると、魔族はその能力が使えなくなるんだ。だが人間は高熱が出ることがわかってな。品種改良して種を作ったのはエーデル大国の研究員だ。その種が何者かに盗まれたと、研究所から情報がきたんだよ」
「え?!」
「この村で最近、疫病が流行っていたそうだな。そこにあったバクト・ツリーがウイルスを飛ばしていたからだ。解熱剤になるクコの実が、ドルムン谷に生えているのは知っていた。村の奴らがそれを採取するのは目に見えているな」
「クコの実は……ヒドラの子供の餌……」
リルイットは呟いた。
「え…?」
「そうなんか…?」
マキもうんと呟いた。
「ここではない別の場所だが、クコの実の採取中にヒドラに襲われたという事例があったが、同じような理由だろう」
「……」
俺にはヒドラの親の声が聞こえた。人間を襲ったのは、人間がクコの実を取り尽くしたからだと…。
「この1ヶ月何も手を出してこなかったヒドラが、急に谷に寄り付く人間を襲ったと聞いてな、不審に思っていたんだよ」
マキは続けた。
「ミカケたちが向かったと聞いたが、討伐に失敗したと聞いてな」
マキに睨まれたミカケは、面目ないという様子で彼女と目を合わせたあと、顔を引きつらせながら沈黙のまま俯いた。同様に、西軍兵士たちもだんまりだ。
「子供ヒドラは……どうして急にでかくなったんですか…?」
「それに…あの麻酔は、数時間は目を覚まさないはずなのに…」
リルイットとメリアンが恐る恐るマキに尋ねると、彼女は答えた。
「敵は魔族の成長を促進させる力を持っている」
「……」
「別の依頼現場でも似たような事例があった。魔族の繁殖が早すぎるし、明らかに凶暴化して暴れまわる者が増えている。私は意図的に誰かが魔族を強力化しているのではないかと、推測している」
「な、何でそんなこと…」
マキはまたその鋭い目で、リルイットを睨みつけた。
「魔族が人間に勝つために決まっているだろう」
「……!」
「よもやこれは人間と魔族の戦争だ。そして今回のことでわかった。種を盗んだ奴と、魔族を強力化させている奴は同じ人物、あるいは集団だ」
リルイットにメリアン、そして西軍の皆も目を見張る。
「魔族は無知だとよく言われているが、どうやら敵には知恵のある奴がいるようだな」
「……」
「油断するな。どんなに弱い魔族も、人間を襲わない魔族も、そいつらが力を貸せば脅威になり得る。魔族は皆殺し。それを忘れるな」
リルイットはマキの言葉にゴクリと息を呑んだ。
(やっぱりもう……情けはかけられないんだ……)
バクト・ツリーは燃えて消え去り、村人たちも全員無事で事なきをえた。しかしマキがいなかったら、もう村人ごとヒドラに殺されていただろう。そのことを誰もが、理解していた。
マキは再び茶色の羽を生やすと、空に飛びあがった。
「ど、どこに行くんですか?!」
「敵の気配はしないが、念の為見回ってくる。お前たちの仕事はもうない。そこのヒドラを処理して、さっさと帰れ」
「……」
マキはそう吐き捨てて、さっさとどこかに行ってしまった。




