対戦・ヒドラ
(ヒドラの子を捕まえるとは言ったものの……)
リルイットは空を飛んで、ドルムン谷まで戻ってきた。
谷は静寂としていて、谷底には濁った色の長い長い川が、ずっと続いている。
(どこにいるやら……)
リルイットは谷に近づき、飛びながらヒドラの子供を探す。
(親の近くにいるはずだ…)
鳥のように素早く、谷を這うように進んでいく。
(花……?)
しばらく飛んでいると、桃色の花を見つけた。真っ赤な実もついている。一面岩色の谷の中で、その桃色はとても目立っていた。
リルイットがふとその花に近づくと、シュルルルっと音を立てて、1メートルほどの長さの蛇が姿を現した。土色の鱗の中には黒い皮も混ざっている。
(こいつか…!)
「シャーっ!! シャーっ!!」
子供といえど全長1メートル強だ。明らかにこちらを威嚇している。
「シャーーっ!!!」
蛇はリルイットに向かって襲いかかった。彼を噛み付こうと、大きな口をあけて飛びかかる。リルイットは空高く飛んで、その攻撃を避けた。
(あっぶね! 噛まれたら毒にやられる!)
リルイットが空に逃げると、蛇はその花にしゅるしゅると向かっていった。花についている赤い実を、その大きな口でパクリと食べた。
(あれが餌なのか…)
蛇はリルイットにはもう、興味がないといった様子だ。
(食べる瞬間、とっ捕まえてやる!)
次に蛇がその実を食べようとした瞬間、リルイットは炎で創造した網で、その蛇を捕らえた。
(ラスコのツタ網を真似てやった!!)
素材は炎だが、その蛇を燃え尽くしはしない。あくまで捕獲用の網だ。リルイットの想像通りに機能した。
(燃えない…! うまくいった!)
「シャー! シャー!」
蛇は怒ったような声を上げるが、どんなに暴れてもそこから出ることはできないようだ。
(あとはメリアンに届けるだけ!)
リルイットが捕獲された蛇を持って、村に戻ろうとすると、ウガアアアア!という獰猛な叫び声が何重にも響き渡った。
(来たな!!)
リルイットが後ろを振り返ると、彼の何倍もある親のヒドラが、その姿を現した。鱗は子供よりも艶めいている。ミカケの言っていた通り、1つの胴体から首が9本生えていた。
ヒドラは非常に怒った様子だ。その理由は、俺ももちろんわかる。
「ゥガアアアアア!!!」
ヒドラは地上から、ものすごい速さでリルイットを追っていく。
【返せ…我が子を返せ……!!】
リルイットの脳内にヒドラの声が響いた。
(ロッソの時と同じ…!)
【返せ…! 返せ……!!】
(お前の子供が人間に噛み付いたんだ! 今にも毒で死にそうなんだよ!)
【お前たち人間がクコの実を根こそぎ奪っていくからだ…! 我が子の大切な餌なのに!! この谷にたくさんあったクコの実を…お前たちが取っていったんだ!!】
クコの実……? さっきこいつが食べていた赤い実のことか?
こいつが人間を襲いだした理由はそれなのか…?!
【返せ! 我が子を返せ…!!】
ヒドラは地上をものすごいスピードで這い、空飛ぶリルイットを必死で追ってくる。
(このままじゃ、村までこいつを連れてっちまうな…やっぱり倒すしかねえか…!)
「リル!」
声が聞こえ、下を見ると、ミカケたち西軍兵士が、馬に乗ってやってきていた。
「ミカケさん! 子供ヒドラを捕まえました!!」
「ほんまかいな! はよ持っていけ! こいつはわいらが食い止める!」
「ウガアアアア!!」
ヒドラはリルイットの持つ子供を助けようと必死だ。
(そうだよな…でもこっちもあの子の母親の命がかかってる…!)
リルイットは全速力で村に向かって飛び立った。ヒドラもまたそれを追う。
「ウガアアアア!!」
「行かせへんでぇ!!」
ミカケはヒドラに向かって炎を吐き出した。
「食い止めろ!!」
「うおおお!!」
西軍兵士はヒドラに群がっていった。
そのうちにリルイットは村へと帰還し、メリアンに子供ヒドラを見せた。
「リル、これ……」
「メリアン! 最後まで諦めるな!!」
「うぅ……」
泣きじゃくったあとのルルが、メリアンの元に駆け寄った。立ち尽くす彼の膝に、きゅっとしがみついた。
「先生お願い!! お母さんを助けて!!」
「ルルちゃん……」
(僕は…医者じゃない……だけど……)
『私ね、医者になりたい!』
僕も……医者になりたかった……。
メリアンは、カバンから注射を取り出した。
「諦めない!!」
メリアンは子供ヒドラにその針を打ち付けた。麻酔だ。子供ヒドラはすぐに眠りについてしまった。
「メリアン…こっちは1人で大丈夫か?」
メリアンはリルイットの方を振り向くと、力強くうんと頷いた。
「ミカケさんたちが心配だ。俺は戻る!」
「誰も死なせないで! そうすれば僕が絶対助けるから!!」
「わかってる!!」
リルイットはすぐにドルムン谷を目指して飛び立った。
メリアンは再び別の注射を取り出し、子供ヒドラの血をとった。それを使って毒の生体を調べていくのだ。
(患者を前にして、諦めるなんて絶対しない……)
医者なら……絶対……!!
メリアンは、その真っ赤な血を吸いとった注射器を睨みつけて、ゴクリと息を呑んだ。
「まじか!!」
リルイットがドルムン谷に駆けつけた頃には、まるでデジャブのように西軍の兵士たちが皆倒れていた。むしろ先ほど駆けつけた時よりも、多くの兵士たちがやられている気がする。
「ウガアアアア!!」
ヒドラはその9つの首をにゅるにゅると伸ばし、まだ立っている兵士たちに向かって攻撃を仕掛ける。空から見ていると、首は伸びたり縮んだりしているのがよくわかった。最大5メートルくらいは伸びるようだ。
西軍リーダーミカケもまだ戦っている。しかし首を切れば頭が増え、火遁も効かないので防戦一方だ。何とかヒドラが村に進むのを食い止めてくれていた。
「ミカケさん!」
「リル! 間におうたか?!」
「無事メリアンに渡しました! あとは彼次第です!!」
「さよか! でもこっちももうやばい! もう手がつきる!!」
ヒドラはすすすっと首を伸ばして、ミカケに巻き付いた。
「ミカケさん!!」
しかしミカケは、そこからにゅるんと通り抜けた。
「擦り抜けた?!」
「擦り抜けの術やで〜!」
(忍術か! 便利だな…)
ヒドラの別の首は他の兵士たちを狙っている。兵士たちは盾を使って防戦中だ。しかしそのうちの1人が背後をとられ、頭からヒドラに食いつかれた。
「うわあああ!!!」
リルイットはすぐさま、兵士に噛み付いたその首を斬り落とした。兵士は何とか脱出して、一命をとりとめた。
「ハァ…ハァ……助かった…!」
斬り落とされた蛇の先からは、炎が燃え上がる。それを見たミカケたちは目を丸くした。
「何や?!」
「燃えてる!!」
炎は蛇の首のつけ根にたどり着いた。
「燃えろっ!!!」
リルイットは炎の威力をあげようと念じる。ヒドラを襲った炎は威力を上げて、燃え盛る。
(何やあの威力…っ!)
ミカケはリルイットの炎を見て、あんぐりと口を開けた。
ヒドラは炎に身をよじりながら、谷底へと飛び込んだ。
「くそ!」
リルイットもヒドラを追って谷底へ向かう。
(燃やしきれない…! 相性が悪いからなのか……?! いや、炎が足りないんだ…。ファイアードレイクを倒した時の炎は、この程度の熱さじゃなかったはずだ…)
ヒドラは谷底に広がる湖の中に飛び込んだ。
(ちぃ…!)
水の力でリルイットの炎は消されてしまった。
(駄目だ…燃やしきれない…!!)
水に負ける……!!!
バシャアアアンンと水飛沫をあげて、消火に成功したヒドラが姿を現した。下半身は湖に浸かったままだ。むしろ地上よりも活き活きとしている。
(ヒドラは元々海蛇なんだっけか……? くそ…)
「ゥガアアアアア!」
ヒドラはリルイットに向かって、その口から水流弾を放射する。9つの首から連射される水流弾は、リルイットの逃げ場をなくす。
「何だいきなり!!」
リルイットは咄嗟に炎で壁を張るのだが、その水流弾の数と威力に耐えきれない。やがて壁を貫いて、そのうちの1つがリルイットの翼に直撃した。
「痛っつぅ!!!」
翼は破かれ、湖に向かって墜落していく。
(この痛み……炎でできてるはずなのに…翼は俺の身体の一部なのか…?! いや、それよりも、新しい翼の創造を…!!)
駄目だ…! 痛みですぐに……生み出せない…!!
バシャアアアンンとリルイットも湖に落ちた。
「っ!!!」
力が………吸い取られる……?!
ウガアアアアと唸り声をあげ、水中に潜ったヒドラは、たくさんの口を開けて、リルイットに襲いかかってきた。
(水の中……ここで創造なんて……とても無理だ……!!)
俺は炎……水との相性は最悪……
あっという間にヒドラの頭に捕まり、腕や足を噛みつかれ、そのたくさんの長い首にがんじがらめにされた。
「っっ」
(痛い……! 息もできない……っ!!)
水中で捕まったリルイットは、身動きがもうとれない。そこでは炎もまるで形をなさない。
(当たり前だよな…子供を連れて行かれたんだ…怒るに決まってるよな…)
「ウガアアアア!!!」
(ごめんな……)
そうか……俺の炎は、俺の怒りだ……
ヒドラ……君に対する俺の怒りは弱い……
だから俺は君を……燃やしきれないだ…
リルイットはそう思って、もう抵抗をするのもやめた。
人間と魔族は……どうして争うのか……。
どうしてもう、止められないのか……。
その理由はもうわかる。
(世界には、憎悪が溢れている……)
大切な命を奪われること。それは激しい憎しみを生むんだ。
それはこの世の何よりも、強い力なんだろう…
魔王に会った俺は、彼を纏う強大な闇に触れた。
それは心を劈かれるような、激しい痛みだった。
俺の手足が食いちぎられて、傷口に水が染みこんでいく。そんな悶絶するような痛みも忘れて俺は、あの心に突き刺さる深い闇を思い出したんだ。
それは人間の心にも魔族の心にも、同じように深く宿る憎しみの力だ。
【許さぬ! 人間共!!!】
そしてその憎しみってやつは、元々俺の心に欠けているものに違いない。だから俺の火はヒドラに勝てない。
祖国の皆の死を知っても俺は、涙1つ流れやしないんだ。
情がない。
だから俺は誰1人、愛することもできないに違いない。
俺の心は寂しく冷たい。俺の身体は全てを燃やし尽くす炎だったはずなのに。
俺よりもこの大蛇の方が、人間らしい心を持っている。
魔族は無慈悲?
いや…俺の心は魔族以下だ。
リルイットはその時、死を受け入れた。身体中の痛みと酸素の限界と重くのしかかる水圧を感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
「リルイット!!」
バシャアンン!!
「えっ?!」
誰かが飛び込んだ。俺を助けようと、泳いでくる。
ミカケさんだった。
(えっ……?!)
(こんのぉ〜!!! 離れろやっ!!!)
ミカケさんは果敢にヒドラの頭の群れの中にやってくると、持っていた剣でヒドラの首をグサっと突き刺した。
「グワア! グワアア!!」
ヒドラは一瞬その痛みに首を緩んで、その瞬間にミカケさんは俺の手を引いて水面に顔を出した。
「ぶはっ!!」
「大丈夫か?!」
あと数秒…遅ければ溺れていた。
「グワアアア!!!」
水中からヒドラはこちらに向かってくる。
ミカケさんに持ち上げられて、俺は水中から這い出した。
「はよ飛べ! リル!!」
水中から出た俺は、力を振り絞って羽を生やした。そのままミカケさんを掴んで、上空へと飛び上がった。
俺たちを狙ってヒドラは水中から跳ね上がったが、間一髪ミカケさんの足すれすれで届かずに落ちた。
「ひぃっ!」
すると、自分たちの前面を高速で落ちるようにして、ヒドラに突っ込んでいく瞬間が見えた。
「うん?」
スパアアンンン!!!
そのままそいつは、ヒドラの身体を斬り裂いた。
「っっ!!」
「?!」
ヒドラは死んでいた。
どれだけ斬っても再生して倒せなかったヒドラを、その女の剣は一撃で仕留めた。
そのまま倒れたヒドラの上に、女は乗っかった。
冷めたような平然とした、だけどもビビるくらい怖い顔で、ヒドラを踏みつけにし、睨みつけている。
(この人……)
リルイットがその女を見るのは初めてではなかった。
それはメリアンの部屋の前で鉢合わせた、灰色の長い髪の女だった。




