冥界と生界の狭間
……ここは何処なんだわ?
ラッツはゆっくりと起き上がると、周りを見渡した。
あれ……ここ……。
ラッツの目の前に広がるのは、見覚えのある景色だった。
(あたしの村なんだわ……)
ラッツは呆然と立ち尽くし、その村を見ていた。
「ラッツ!」
背後から声をかけられた。
(!!!)
聞き覚えのある声に目を見開いて、ラッツは後ろを振り返った。そこにいるのはラッツの大親友ルーナ。柔らかな赤茶色の髪を2本の三つ編みにしていて、黒縁の大きな眼鏡をかけている。地味そうな女の子だ。
「ルーナ……」
「ラッツ! 何して遊ぶ?」
(何でルーナが……)
ルーナはラッツの手を引くと、楽しそうに笑って走り出した。
「どこに行く? あたしの家? それともラッツの家?」
「ちょ、ちょっと…」
「それとも出かける? ああ、でもお金を使う遊びはラッツは嫌かぁ〜!」
「ま、待つんだわよルーナ! 何でルーナがここにいるんだわ!!」
すると、村の奥から「キャアアアア!!!」という叫び声が聞こえた。
「!!」
「な、何っ?!」
(これ……知ってる………)
「お母さん?!」
叫び声はルーナの母親だ。ルーナは声のする方に駆け出していった。
ラッツは愕然とした表情を浮かべた。
「ルーナ!! 行っちゃ駄目なんだわ!!!」
(これ……あたしの………記憶………?)
「いやああああ!!!」
「結界!! 結界で身を守れ!!!」
村から騒がしい声が飛び交い始める。
「お母さん!!」
ルーナはラッツが止めるのも聞かずに、声のする方へと向かっていく。
(駄目! 駄目なんだわっ……!!!)
ラッツもルーナを追いかける。
「ぎゃあああ!!」
「結界が効かない?!?!」
「ぐわっ!!!」
ラッツはその斬撃を目の前にする。
「っ……!!」
この時あたしは、まだ5歳だった……。
だからこんなに鮮明に、覚えてなどいない……。
だけれど確かにあの日のように、その男は1本の剣で、あたしの村の一族の皆を、斬り殺していったんだ。
男の顔なんて、見えなかった。
黒いローブを纏っていたから。
男が剣を一振りすれば、たちまち誰かの身体が血飛沫を上げた。皆おんなじように、右肩から斜めに一振り、心臓の真ん中を通るように、見事に斬り裂く。
「お母さん!!」
ルーナは既に斬られた母親に近寄った。
「危ない!! ルーナ!!」
ラッツの声にルーナも振り返って守護結界を張った。
しかしその結界なぞないに等しく、男はルーナを斬った。
「っ!!!」
ルーナが殺された瞬間を、あの時も私は見ていた。
同じだった。
あの時と全く同じように、親友が目の前で殺された。
「あぁ………」
ラッツは震える両手を顔にやった。
恐怖と絶望がラッツを襲って、目には溢れるほどの涙が浮かび上がる。
(か、隠れなきゃ………殺される……っ!!)
あの時ラッツは、透過結界を使用した。それが使えたのは初めてだ。命の危険を察して、ラッツの能力が開花したのだ。
しかし覚えたてのその透過結界の範囲はすこぶる狭い。身を隠せるのは自分だけだった。
男はどうやらラッツには気づいてはいない。ルーナを斬ったあとも、次々に逃げまどう村の人間たちを斬り殺していく。
「ようし……」
(え……?)
あの時には聞いたはずもない、その男の声が聞こえてくるのだ。そしてその声の主を、ラッツも知っている。
「殺した殺した……」
(…………嘘…)
男はラッツの方をちらっと向いた。
あの時見ていないはずの男の顔が、はっきりと見える。
(シルバ……)
ラッツは完全に彼と目が合っていた。死んだような黒い瞳だった。
だが彼はラッツのことは見えてはいない。
(嘘だ………)
『どうしてもこれ買ってあげたくって!』
『無駄じゃないよ。ラッツが喜ぶ顔が見れるからね』
シルバのあの笑顔が、嘘なわけない…。
『女の子を守るのは、騎士の役目だから!』
シルバはあたしを守ってくれた…。
彼はあたしの、大好きな人なんだ…。
黒いローブの中の顔は、シルバで間違いなかった。
「あ。まだいたんだね」
あたしは無意識のうちにかかっていた透過結界を、その意志で解除した。シルバはあたしに気づいて、血だらけの剣を右手に持って、ゆっくりと歩み寄ってくる。
犯人を見つけたら、すぐに殺してやろうと思っていた。一族の復讐に燃えて、そのための力をつけたんだ。
『皆には内緒だよ! 2人の秘密!』
にこやかに微笑んだシルバの顔が、脳裏から離れない。
(殺せないよ……)
ラッツは泣きながら、笑みを浮かべた。
どんなに憎くても、仲間の仇でも、あたしにあんたは殺せないよ……。
だって…好きなんだもん……。
裏切られていたんだとしても…
あの笑顔が嘘だったんだとしても……
あたしは……
殺せない……
シルバは枯れたような目でラッツを見ると、右手に持ったその剣を大きく振り上げた。
(あれ……右……手………?)
「ラッツ!! そいつはシルバじゃねえ!!」
「っ!!」
リルイットの声が聞こえて、ラッツは既のところでシルバの攻撃を避けた。
ラッツが黒いローブの中を見ると、その顔は骸骨になっていた。
(騙されたんだわ?!)
「ちぃ!! もう少しだったってのによォオ!!」
シルバは先ほどのデスイーターへと姿を変えていった。
「うおらあああぁ!!!」
デスイーターを追うように空からリルイットが飛んでくると、その剣で斬り裂いた。
「ぐわあっっ!!」
デスイーターは腕を斬られて悲痛な声を上げた。
「剣が効いたんだわ?!」
驚くラッツにリルイットは答える。
「ここは冥界と生界の狭間だ! ここでは奴に物理攻撃だって効く!」
「そ、そうなんだわ?!」
「だから何だァア!! ここからてめえ等は二度と生界に戻れねえんだぞォ?! さっさとぶっ殺してやるゥ!!」
デスイーターは鎌を持って、リルイットに向かってくる。
(だったら…あたしだって……)
デスイーターの大鎌は、リルイットの剣とかち合った。
(お、重い…!!)
リルイットは剣に力を込めるが、押し返せない。
「リル…そのままじっとしてるんだわ!」
「え?」
リルイットがラッツの方をちらっと見た時にはもう、彼女の姿はなかった。
「はああっ!!」
そしてその瞬間、デスイーターはその顔に激しい衝撃を受け、大きく吹っ飛んだ。
(み、見えねえっ…!)
リルイットは彼女のその攻撃の速さに目を見張った。
「ぅぐっっ!!」
デスイーターは地面に落ちる前に再び身体を蹴り上げられる。
(な、何だァ?)
「まだまだなんだわ!!」
「ぅがあっ!!」
デスイーターは身体の節々に攻撃を入れられる。素手ってことは間違いない。けれど、その一撃は驚くほど重い。
(どこだッ……どこにいやがるっっ!!)
デスイーターの目でもまた、彼女の姿を追うことはできない。
見えるのはほんの一瞬遅れて現れる、彼女の残像だけだ。
「ぅぐぐぐっ!! かはっっ!!」
深いところに攻撃が入った。デスイーターは血反吐を吹き出す。
(絶対許さないんだわよ! シルバを使ってこのあたしを陥れようなんて!!)
「砕けろぉおおおおお!!!!」
ラッツは強化結界を一点集中したその拳を、デスイーターの身体に向かって振り下ろした。
「ぎぃゃああああああああ!!!!!」
デスイーターのその骨の身体は、粉々に砕け散った。
「殺ったのか?!」
ふぅーっと息をついて、ラッツはやっとその動きを止めた。拳法の中段構えをしたまま、深呼吸を繰り返す。リルイットも歓喜の表情で彼女を見た。
しかし喜ぶのもつかの間、ラッツの住んでいた村の景色だったその場所は、真っ暗な闇に染まっていく。
「ううっ!! 何だ?!」
「リル!!」
ラッツはリルイットに駆け寄った。
一瞬にして辺りは真っ暗闇となり、その足元から、先ほどのデスイーターの骨の腕が現れる。
「終わってたまるかァアアアア!!!」
腕は異常なほどに長く伸びると、こちらに向かって襲いかかってきた。
(やばい!!)
リルイットがすかさず炎を吐くが、その腕に跳ね返された。
デスイーターは手のひらを大きく開き、2人を捕らえようとしている。
(効かない?!)
「食ってやる!!! 絶対にィイイ!!!」
その骨の手のひらから、先ほどのデスイーターの顔が浮かび上がった。そのおぞましいほどの骸骨の怒りに、リルイットとラッツは顔を引きつらせた。
すると、「ピィィ!!」と鳴き声をあげて、ひな鳥のロッソがリルイットの懐から飛び出した。
「ロッソ?!」
【私の力を……使ってください………スルト!!!】
「?!?!」
リルイットは、その身体にたぎるような力を感じた。
(ロッソの……力………?)
それはみなぎるような炎の力だった。しかしそれは、呪われてでもいるような、闇に近い力だった。
【あなたなら受け入れられます…! 私の炎を…!!】
(ロッソ……)
そうだ……俺は……
俺は、炎なんだ……!!
デスイーターは耳をつんざくような声を上げて、リルイットを飲み込もうと大きな口を開けた。その口はあっという間にリルイットを飲み込んだ。
「リル!!」
デスイーターはリルイットを食べようと、その歯を動かそうとするのだが、すぐに異変を感じる。
(く、……食えない……?! 何故だ……?! こいつ、人間じゃ……)
「燃えろぉおおおおお!!!!!」
すると、デスイーターの身体が膨らみ始めた。
(この炎……フェネクスの………)
そのままパアアンンと破裂すると、激しい真っ黒な炎がデスイーターをあっという間に灰にした。黒い炎の中からは、血にたぎる目をしたリルイットが現れる。
「リル?!」
「ラッツ!」
リルイットはラッツの手をとって抱き寄せた。
「ここを燃やす…!!」
「え…?」
「生界に帰る!!!」
「え…ちょ、ちょ……」
リルイットはフェネクスから譲渡された黒い炎で、その暗黒の世界を燃やし始めた。ゴオオオオと激しい音を立てて炎は燃え上がり、その炎は闇のように黒いはずなのに、明るく世界を照らすのだった。
(こんなに燃えているのに……熱くないんだわ……)
ラッツは唖然としながら、リルイットの胸に身体を寄せ、激しく燃え上がる生界と冥界の狭間の世界をただ見ている。
(いや……リルが守ってくれてるんだわ……)
「見えてきたぜ…」
「え…?」
「ピイイ!!」
リルイットはラッツを抱えて、その真っ赤な翼で飛び上がった。ひな鳥のロッソも、リルイットの頭に乗っかった。
「帰るぞ…!」
目の前に垣間見えた一筋の光に向かって、彼らは飛んでいく。
「ひゃああっ!!」
出口を抜けると、先ほどいた場所に出た。
「ピイイ〜!」
ロッソは気絶したままのシルバのところに飛んでいくと、再び頬を擦り寄せた。
「あれっ?!」
「きゃあっ!!」
突然リルイットの翼が消えてしまって、リルイットとラッツはそのまま地面に落っこちた。リルイットはラッツをかばうように抱きしめて、背中を打ち付けた。
しかしそこまでの高さではなかったので、尻もち程度の痛みで済んだ。
「痛って……」
「リル! 大丈夫なんだわ?!」
リルイットの姿は人間のそれに戻っていた。自分の上に覆いかぶさっているラッツは、慌てて彼の顔を見て言った。
「大丈夫だよ。……ラッツが無事でよかった」
「リル……」
彼はラッツと目を合わせると優しく微笑んだ。
その笑顔にラッツは、ほんの少しだけ、ドキっとした。




