魔族との交配
気づけば俺は、1日中シェムのことばかり考えるようになった。
俺の生きがいだった研究さえも、とうとう手につかなくなった。
シェムが何を考えているのか知らない。
俺のことをどう思っているのかも知らない。
だけど俺の頭はもうシェムでいっぱいで、どうしようもなかった。
その日の夕方、俺とシェムはリビングにいた。
リルイットはまだ帰っていない。他国との合同訓練で遠くまで行っていて、帰りは遅いと言っていたっけ。
「フェンよ! 今日の晩御飯は何だ!」
「うーん……たまには外に食べに行くか?」
「おお! デートかね!」
「……」
シェムハザとの生活も結構慣れた。
シェムハザも人間の国に、だいぶ慣れた。
フォークもスプーンも上手に使えるようになったし、今は箸の使い方を練習しているが、もうだいぶうまく食べられる。
洗い物や洗濯をたたむのも覚えたし、掃除までしてくれる。
おかげで俺の家はかなり綺麗になった。
買い物もできるようになった。お金の価値や感覚も覚えてきたようだ。貧乏ではないけれど、シェムを養っているともいえる今は、無駄に使うお金はない。なるべく安い食材を一緒に探して買い物なんかをしているうちに、シェムは節約という言葉も覚えた。
また、シェムは文字が読めるようになった。シェムに頼まれて、俺が教えた。難しい漢字はなかなか読めやしないが、小学生レベルの本なら読めるようになった。
シェムと外に出かける数も増えた。
未だに人が多いところは苦手だが、博物館にもまた行ったし、隣国のいくつかを観光なんかもした。古代遺跡やら、美術展なんかに行って、1日中だらだらと見物しているだけだったけれど。
隣国なら知り合いにも会わないし、なんというか、気は楽だった。
俺とでかけることをシェムはデートだと喜んでいたが、正直女の子が喜びそうなデートらしいところには連れてってない。
外食もするが、近所のラーメン屋かこの前行った喫茶店くらいだ。
と思って、俺はシェムを喜ばせようと、ちょっと気合いを入れて、高級レストランを予約した。
シェムが喜ぶかはわからなかったけれど、リルに聞いたら夜景も綺麗でおすすめだなんて言っていた。まあとにかく、女の子が好きそうな店だ。
その店の前にやってきて、その高級感漂う雰囲気にのまれそうになる。
「なんだかいつもと違うところだね!」
「まあ…たまにはいいだろう」
俺は内心ビビっていた。
(やばい、やっぱり浮いてる……)
そしてその不安は、的中するのだった。
「こちらです、どうぞ」
きちっとしたスーツの女性店員が、俺たちを案内する。
俺は既に中にいる周りの客たちを見て、顔をしかめた。
ドレスコードなんてものはこの店にはないけれど、皆すごくきっちりとした身なりと服装で、お似合いの美男美女たちのカップルが利用しているのだ。
俺たちはその客の間を通って席に案内される。
「見て…あれ」
「えー? カップル?!」
「女かわいい〜! 金目当てかなんかじゃね? それにしても男、ブッサイク!」
ぼそぼそとつぶやく客たちの声が聞こえた。
俺はうつむいて顔を隠しながら、早足で歩いていく。
「こちらです、どうぞ」
俺たちは席に案内されて、椅子に腰掛けた。
「メニューはこちらです」
「あ、はい…」
俺はそのメニューを見て、愕然とする。
こんな店に来たことがない。
料理名が難しくって、何なのかわからない…。
恥ずかしくて聞けもしない。
そして、ビビるほど高い…。
リル…なんでこんな店……。
「注文はどうされますか?」
「え、えっと……」
「フェン、私はラーメンが食べたいぞ!」
近くにいた客たちが、ぷぷっと笑った。
「ラーメンはご用意がございません。申し訳ございません」
「何? こんなにメニューがたくさんあるのにラーメンもないのか! ならカレーはあるかねお姉さん!」
「カレーもご用意がございません。大変申し訳ございません。当店はフレンチ料理のみを扱っているお店でございます」
「カレーもないのか! だったら何があるというのだね」
「こちらはいかがですか? 12品目野菜を使ったテリーヌです。女性の方に人気ですよ」
「私は野菜は好きではない。フェンよ、テリーヌとは何だ」
「え…」
「それに何だね、この値段の高さは。どれだけたくさんの野菜を私に食わせるつもりなのかね!」
周りの客たちは笑いをこらえきれない。
店員は非常に困っていた。
「す、すみません!!!」
その場に耐えられなくなった俺は、シェムの手を引いて、颯爽と店から飛び出した。
俺は人気のない通りまでやってくると、やっと足を止めて、道端にうずくまった。
(やっぱり駄目だった……俺には…あんな店……)
「フェンよ、私はあの店は好きではない」
「……」
シェムはそう言って、同じようにかがみ込むと、俺の顔を覗き込んだ。
「家の近くのラーメン屋があるだろう! あそこに行きたいぞ!」
「う、うん……」
シェムに手を引かれて、俺たちは家の近くのラーメン屋まで行った。
ここには何回か来たことがあって、シェムももう立派な常連だ。
そこで俺たちはいつも、その店で1番安いラーメンをそれぞれ頼んで、餃子を1皿頼んでは2人でシェアするのだった。
「いっただきまーす!」
シェムはにこにこしながら、ラーメンを食べた。
「あ〜! ラーメンというものは、なんでこんなに美味しいのだろう! こんなにあつあつで、こんなに安い!」
シェムはさっきまでの高級レストランでの出来事なんかすっかり忘れたように笑っていて、その笑顔に俺も救われるのだった。
「美味しい…」
俺も無意識に言葉が漏れた。
いつも食べているなんの変哲もないラーメンなのに、この子と食べると、すごく美味しいんだ…。
気づいたら、あっという間に食べ終わってしまった。
「ありがとうございました〜!」
店主のおっちゃんは明るく俺たちを見送った。
「あ〜! ポカポカとあったまったねえ!」
「うん…」
「冬は寒いが、寒い時に食べるあったかいものは格別だ!」
「うん」
俺はシェムを見ながらにっこりと微笑んだ。
それを見たシェムも、俺に笑いかけた。
(好きだ…この子が……)
俺たちは家に帰ると、それぞれ風呂に入って、歯も磨いて、もう眠るだけというところだった。
俺はいつもすぐに自分の部屋に行くのだけれど、その日は行かないで、リビングのソファに座り込んでいた。
「眠らないのか、フェンよ」
「シェム…俺といて楽しい?」
シェムハザは屈託のない笑顔で答える。
「当たり前ではないか! 今日1日も、とても楽しかったぞ!」
俺に嫌なことがあっても、シェムにとっては何でもない。
俺がどんなに駄目な男でも、シェムが気にすることはない。
だから俺は好きなんだ。
今までこんなに、人を好きになったことはない。
いや、人じゃなくて、天使かもしれないけれど。
運命だ…。
俺がこの身体に適合したのは。
そう思うことにしたんだ。
だって俺…
この子との子供が……欲しいって思ってしまっているから……。
「子作りしよう、シェム」
「おお! 待っていたぞフェン! それで、どうやって作る……んん!!」
フェンモルドは、シェムハザの言葉を遮るようにキスをした。
(ファーストキスが魔族になるなんてな…)
フェンモルドはそのままシェムハザを押し倒した。
シェムハザはキスされたことに驚いてしょうがないようだ。
「これで子供が出来るのか?」
「出来ない」
「なら、どうして…んんん!!」
俺はもう一度シェムにキスをした。
キスの仕方なんてよく知らない。
だってしたことないし。
でも、身体が勝手にシェムを求めるんだ…。
全てが終わったあと、俺はこれまで味わったことのないような優越感と、同時に理性が戻ったことによってシェムを好き勝手にした罪悪感にも襲われて、言葉もなくなった。
シェムハザはゆっくりと起き上がった。
「終わったのかい」
「終わった……」
「これで子供ができるのか」
「多分……」
「そうか。ありがとうフェン!」
シェムハザはただにっこりと笑って、俺にお礼を言うのだった。
(何だ…これ……)
俺はとてつもない虚無感に襲われた。
シェムハザは何事もなかったかのように衣服を着ると、立ち上がった。
「……」
しばらくぼうっとしていると、リルイットが帰ってきた。
「ただいま〜!」
「おお! おかえりリルイット! 随分遅かったではないか」
「いや〜疲れた疲れた! ったく、さっさと寝るぜ俺は。お前らまだ起きてんの?」
「いや…もう寝るよ…」
「あ、そう。おやすみ」
「おやすみ」
俺は流れるように自分の部屋に戻った。
(はぁ……)
俺はシェムが好きだ。
だけどシェムは別に、そうじゃないんだろう…。
これでシェムに子供ができたら、全て終わりなんだろうか…。
もう一緒に住む必要もない。
ご飯を作る必要もない。
大好きな研究だってまた始められる。
だけど…
すると、俺の部屋の扉がコンコンとノックされた。
「フェンよ、起きているかい」
(シェム……?!)
「お、起きてるけど…」
俺は胸が高鳴るのを感じながら、鍵を外して扉を開けた。
扉の向こうには俺の貸したパジャマを着たシェムが顔を赤らめて立っている。
「どうしたシェム…」
シェムは初めて恥ずかしそうな顔を俺に見せた。
そしてシェムは言った。
「さっきの子作りを思い出しては、興奮して寝られないのさ…」
「……!!」
俺は目を見開いてシェムを見つめた。
俺もまた顔を赤くしていたに違いない。
そして俺は、どんなに難しい実験が成功した時よりも、遥かに喜んでいた。
とりあえず俺は、眠れないというシェムを自分の部屋に招き入れた。
「奇妙なことをするんだね、人間は」
「き、奇妙…? 子作りのことか…?」
「そうさ。人間は子供をたくさん産んでいる。皆さっきの私たちと同じことをして、子供を作っているのだろう」
「まあ、そうだけど……」
「でもフェンの体温を感じた。それがすごく温かかったのさ。フェンと繋がっている感じがして、よくわからないけど私、嬉しかったよ」
シェムはそんなことを言った。
暫く沈黙が続いたが、俺は意を決して言った。
「シェム…、俺…シェムのことが好きだ…」
しかし俺がそう言うと、シェムはピクっと反応した様子で目を見張った。
「フェン、それは、私のことを愛しているということか」
「…そうだけど」
シェムは初めて引きつったような表情を見せた。
その時俺は、なんというか、これからふられるんだな、と思った。
当たり前だ。
何を期待していたんだ。
俺はリルと違って不細工だし、根暗だし、というか人間だしな…。
俺は諦めたような目でシェムを見ていると、シェムは言った。
「ありがとうフェン、だけど私の中には、愛などないんだ」
俺はそのあと、何も言えなくなった。