必要な勘違い
「おはようリルイット君!」
「おはよう……」
朝、リルイットが起きて、宿の浴場に行こうと部屋から出ると、ちょうどシルバも向かっているところだった。
宿屋には個室にシャワールームが備え付けられているタイプと、部屋にシャワーはなく大浴場を利用するタイプがあるが、この宿は後者だ。
(はぁ……ラッツの長話のせいでクソ眠い……)
「リルイット君も朝風呂派なんだ〜!」
「あ、いや、たまたまだけど…」
「そっか! まあ何でもいいよ! 一緒に行こうか〜!」
2人は並んで歩きながら、浴場に向かった。話をしながら脱衣所で服を脱いで、中に入る。
「ラッツは?」
「まだ寝てるよ」
「そっか〜! ラッツは昔から朝が弱いんだよね〜! 無理矢理起こすと機嫌が悪いからさ、気をつけた方がいいよ〜リルイット君!」
「は、はぁ……」
「なんて余計なお世話だよね! 婚約者の君に!」
「いや、えっと……」
リルイットとシルバはかけ湯を済ませると、湯船に浸かった。
「え?! 婚約者じゃなかったの?!」
「うん…。ラッツが嘘ついただけなんだ」
「何だ〜そうだったんだ! 何でそんな嘘つくのかな」
「それは……(俺からは言えないんだよなあ……)」
「僕が結婚したから対抗心かな! ラッツは昔から僕に何でも競ってきてね! ああ、でもいつも僕が負けるんだけどね! ラッツって運動神経もいいし、頭もいいし、勝てることが1つもないんだよ〜!」
「はぁ……」
「拳法なんてさ、本当に天才的! 一族の仇をとるためだとしても、あそこまで鍛え上げるなんて恐れ入るよ!」
(うん?)
「一族の仇……?」
「ん? ああ、うん! 知らない? 昔、ラッツたち結界師の一族の住む村がさ、何者かに襲われる事件があったんだ。そこにエーデル大国の騎士団たちが駆けつけた時、一族はもう無惨に惨殺されていたんだって。そこで奇跡的に生きていた子供が1人いた。それがラッツだった。その時ラッツはまだ、5歳だったんだよ」
「……」
(ラッツの奴……そんな話は全く……)
「ラッツはそのままエーデル大国の貴族に引き取られてね。その貴族は僕の親とも仲が良くって、家も隣同士でさ。それから僕とラッツは、兄妹みたいに育ったんだ!」
(養子って……そういうことなのかよ……)
「一体誰なんだ? 襲った奴って…」
「さぁ…。犯人の目星も全くついていないんだ。ただ死んだ一族たちは皆、斬り殺されていた。ラッツは当時彼女だけに使えた透過結界で隠れて、ただ1人それを目撃していた。長い刀で、そいつが一族の皆を殺す、その残劇をね」
「……」
「ラッツにとってそいつは一族の仇だよ。そいつを倒すためにラッツは拳法を極めたんだ。付加結界を自身にかけたラッツは最強だよ」
(付加結界……。ラッツが使っていた防寒結界や守護結界の類か…)
「強化結界は、その結界に入った皆が強くなる。敵ももちろんね。だけど結界の範囲を自分だけにすれば、効果を得られるのも自分だけ。だからラッツは、自分が強くなるのが1番いい方法だと思ったんだ」
「なるほどな…」
「もちろん、相当な努力をしていたよ。ラッツはその集大成さ。それも全部、一族の仇をとるためさ。僕も犯人を探しているけど、なかなかたどり着けない。でも絶対見つけ出す。僕もそいつを絶対に、許さない」
そう言ったシルバの目からは、殺気を感じた。彼がそんな目をするんだと、俺はちょっと驚いた。
「なんて、暗い話してごめ〜ん! のぼせちゃうよね! 上がろうか!」
「う、うん……」
シルバはすぐに、いつもの調子に戻った。
着替えを済ませ、部屋に戻ってラッツも合流し、朝食を取った。シルバがロッソを呼ぶと、その茶色い巨大なフェネクスは、颯爽と現れる。俺たちはロッソに乗り込み、シピア帝国に向かって飛び立った。
「ラスコ、行くぞ」
一方同刻の朝、アデラはノックもなしにラスコの部屋のドアを開ける。
「きゃああ!!!」
着替え途中だったラスコは悲鳴を上げた。彼の前で下着姿をさらすはめになった。
まあ鍵をかけていなかった彼女も悪いのだけれど。
「早く行くぞ」
「し、閉めてください!!」
アデラはラスコの部屋に入ってドアを閉めた。
「何で入ってくるんですか!!」
「何故入ってはいけない」
「着替えてるでしょう!!」
「着替えている時に部屋に入ってはいけないのか」
「当たり前です!!」
「リルは俺の前で着替えてるぞ」
「リルは男ですから!」
「ふうむ…」
(本当にこの人はっ!!)
(面倒くさいなぁ…人間って…)
そうこう言ってるうちにラスコはさっさと服を着た。
「行くぞ」
「何でそんなに焦ってるんですか。一体どこに行くんです」
「魔族討伐に決まってるだろう」
「昨日東部の魔族はシルバさんたちが倒したから、しばらくは休んでいいってラッツさんが言っていませんでした?」
「だったら他のエリアに行けばいいだろう。南部の依頼を受けてきた」
「そ、そうですか…」
エーデル城1階に、各エリアごとに魔族討伐の出現情報や、騎士の派遣を求む依頼の張り紙が、難易度ごとに貼られている掲示板がある。
基本は各部のリーダーがそれを割り振るのだが、不在の場合はリーダーでなくても依頼は受けられる。
難易度は魔族の種類に分けられ、Sが最難関、そのあとA、B、C、Dと続く。ちなみにこの前のブルーバーグの魔族討伐依頼は難易度Aだった。
アデラに迫られ、仕方無しにラスコも準備をして外に出た。
まもなく城から出ようというところ、彼らの後ろから誰かが走ってくる。
「ちょ、ちょ、ちょっと! アデラ君!!」
「メリアンさん?」
「何だクソガキ」
「クソガキじゃないよ! メリアンだって! それよりアデラ君、駄目だよ南軍の依頼を勝手にとったりちゃあ!」
「いいだろ別に。南は広くてその分魔族も多いんだ。東は当分暇なんだろ。手伝いをしてやるだけだ」
「そうだとしても、勝手に向かったら…その……ゾディアスさんがっ……」
「ゾディアスさん……?」
ラスコとアデラがメリアンの顔を見ていると、彼がその顔をだんだんと青ざめさせていくのがわかった。
背後から、何らかの気配を感じる…。
ラスコとアデラは同時に、ゆっくりと後ろを振り返った。
「てめぇらか! 俺たち南軍の依頼を勝手に受けやがった、ラッツんとこのクソガキ共はァ!!!」
(ひいいいいい!!!)
ラスコは驚きと恐怖が相まって、なんというか、身体が固まった。
そこにいたのは見上げるほどの大柄の男だった。短めの黒髪は逆立っている。彼は相当お怒りのようだ。歳は40はすぎているだろう。異常な威圧感のある顔が更に圧を増して、まさに鬼の形相というやつでこちらを睨みつけている。おまけにドギツく濁ったその声もまた大きく響いて、ラスコの心臓を握りつぶす勢いだった。
「誰だお前」
「はぁああああアンン?!?!」
「あ、あ、アデラ君ん!! この人がゾディアスさんですよぉ!! 南軍のリーダーのぉ!!!」
アデラは微動だにせずに、ゾディアスと呼ばれるその大男を見上げては、睨み返した。
「それは俺らの獲物だ。東軍の雑魚は引っ込んでな!」
「東はもう狩り尽くしている。お前らの討伐を手伝ってやる」
「はぁアアンン?!?!」
アデラとゾディアスはバチバチと睨み合っていた。
ラスコもメリアンも、怖くて近寄れもしない。
ところが、思わぬ形で睨み合いは集結する。
「気にいった」
ゾディアスは眉を釣り上げ、アデラを見下ろしながら、堂々たる面持ちで答えた。
「え?」
「はい?」
ラスコとメリアンも顔を見合わせ、唖然とする。
アデラはもちろん、顔色1つ変えない。
「勝ち気な女は俺好みだ! 俺の側近にしてやろう! がっはっは!!」
「げっ」
「あっ」
ゾディアスは笑いながら、アデラの肩に手を置いた。
「気安く触るな。それに俺は女じゃ…」
「「ふわぁあああああ!!!!」」
ラスコとメリアンが叫びながら駆け寄って、2人がかりで彼の口を塞いだ。
「ゾディアスさん! 新人のアデラちゃんだよ! どうかよろしくお願いします!」
メリアンがゾディアスに彼を紹介する間に、ラスコはアデラの身体を後ろに向けてこっそりと話をつける。
「アデラさんっ! ゾディアスさんの前では女のふりをした方が無難です!」
「何故だ」
「何故でもです!!」
「ふうむ…まるで理解できない」
「いいから私の言う通りにしてください! 遠征先でご飯奢ってあげますから!!」
「なら仕方ない。手をうとう」
「いいですか?! 自分のことは、俺じゃなくて私ですよ!」
「任せろ。容易いことだ」
ラスコとアデラもゾディアスの方を振り返る。
「何をこそこそしてんだてめぇら!」
「いえ! 別に……」
「さっさと行くぞラスコ。馬を出せ」
ゾディアスはアデラの手に握られている依頼の紙をすっととった。
「おいおい! てめぇら2人でここに行こうってのか?!」
「そうだ」
「無茶言うんじゃねぇよ! 難易度Aだぞ? 幹部クラスだ。てめぇら新人なら、せめてCかDだろうが!」
「私は難易度Aのブルーバーグの狼野郎を討伐した。任せておけ」
(と、討伐したのはアデラさんじゃないですよね……まるで自分の手柄のように……)
というか、無理ですよ! あのレベル! 私達2人だけじゃあ!! アホなんですか本当に!!
「しゃあねえな。Aの依頼は魔族は強いが、まだ緊急性がないってんで放置しといたんだよ。だがアデラ、お前が行きたいってんなら、俺がついてってやるよ」
「はあ? 目障りだ。来なくていい」
「ふわぁあああああ!!! お願いしますぅ!! ゾディアスさんん!!!!!」
アデラがぼそっと言うのを打ち消すように、ラスコはアデラの頭を抑えて、2人でお辞儀した。
「がっはっは! 俺が一緒ならAの魔族なぞひとひねりよ! 新しい武器も実践で試したかったしなあ!」
そう言ったゾディアスは、30センチくらいのハンマーを背負っていた。
「それじゃ、あとのことは任せる、ダルトン!」
「承知しました。ゾディアス様」
ゾディアスの後ろに隠れて見えてすらなかった側近と思しき男は、ボソボソと答えた。
影が薄く(ゾディアスに比べれば皆そうかもしれない)、暗い性格で、いつも死んだような目をしている。
藍色の髪で、ゾディアスよりは少し若い地味な男だ。名前はダルトン・ポール。メリアン曰く、ゾディアスは自由奔放な男で、見かけ通り力はあるが頭は悪い。南軍の騎士たちへの指示はいつもダルトンが行っている。南軍の参謀って奴だ。
ラスコは地面からポニーを出した。アデラは1番最初に乗り込んだ。
「何だそりゃ?」
「いいから乗れ。私の馬だ」
「馬なのか…?」
「ポニーといいます。ゾディアスさん! 私は植術師のラスコ・ペリオットといいます」
「ほぉォ? まあいいか。どれ、アデラの馬の乗り心地を試してやるか」
(馬ではないんですけどね……。というか、私のポニーなんですけどね…)
ゾディアスはポニーに乗り込んだ。
ゾディアスの重さにポニーは一瞬うろたえたが、地面から土を補充し、強度を高めて踏ん張った。
「それじゃ行くぞ。南東の街、ロクターニェ」
ポニーは3人を乗せて、南へと足を進めた。




