落ちる瞬間
パシャン!
先程のそいつが跳ねる音が、奥へと続いていく。
「いるよラッツ!!」
「ほ、本当にセイレーンなの?!」
しばらく追いかけていくと、奥から灯りが見えてきた。
そしてその景色を目にして、あたしは心底驚いたもんだわ。
(何ここ…!!)
そこには美しく輝く黄色い花が、数えきれないほど咲いていた。ただの花ではなさそうだ。その花は、神々しく光を放っていて、洞窟のその空間を明るく照らしている。
「光源体なの……?!」
「発光する花なんて、見たことない! これすごいよラッツ!!」
と、あたしたちが驚きと感動に浸っているのも一瞬だった。
パシャアアンン!!
ついに水の中からそいつは姿を現した。
その姿は、美しきセイレーンとはほど遠かった。
「スキュラだ!!」
上半身は人間、下半身は魚、それはセイレーンと同じだ。しかし、胴体の真ん中からは、6匹の犬が生えているのだ。
そしてスキュラは肉食で、人間をも餌にする恐ろしい魔族だ。
「逃げるよラッツ!」
「ちょ、ちょっと!」
シルバはラッツの手を引いて逃げようと試みるが、身体が動かない。
「え?!」
「し、痺れてるんだわ!!」
ラッツもまた、身体を動かせない。
「ふははは!! バカな人間を捕まえた!! この花の名前はエクレール。近づく敵を痺れさせて、身動きをとれなくするんだ」
スキュラは薄ら笑って、獲物の2人を見ている。
「さあ! お前たち! とっとと喰らいな!!」
スキュラが声を上げると、胴体の犬たちは、その首をにゅるにゅると長く伸ばして、こちらに襲いかかってきた。
「ラッツ!!」
シルバはラッツの前に立ちはだかると、犬たちからラッツをかばった。何匹もの犬に噛みつかれて、彼の身体から激しく血が吹きでた。
「シルバ!!」
ラッツはすぐさまハっとして、2人を覆う守護結界を張った。犬たちはその結界に弾かれたが、再び結界に向かって攻撃を始める。
「ご、ごめんなんだわ…!」
「ううん。大丈夫だよ。キズ浅いから」
「な、何で動けたんだわ…この痺れ…尋常じゃないんだわよ…!」
「本当だよね。すんごい痺れるよ〜」
「何でそんなに呑気なんだわよ!!」
「でも女の子を守るのは、騎士の役目だから!」
「はぁ?! あんたは騎士じゃないんだわよ!!」
「未来になるの! だからいいんだよ!」
「あんたの才能じゃ無理なんだわよ!!」
その間も犬たちは諦めずに攻撃を仕掛け続けている。
「くぅ……」
守護結界を幼いラッツが張り続けられる時間は数10分だ。ダメージを受ければ受けるほど、その時間も短くなっていく。しかし、身体が動かないんじゃ逃げることはできない。
「無駄だ! お前たちはもうこの子たちのエサだ!」
犬たちはウガアア!!と激しく声を上げた。
人間を捕まえて食べるために、この場所に誘い込んだんだ…。あたしたちはノコノコとこんな怪しいところまで来てしまった。完全に罠にハマった!
(し、死んだんだわ……)
ラッツは絶望した。ふと横目でシルバを見た。
シルバもこちらを見て目が合うと、彼はにっこりと微笑んだ。
「な、なんでこんな時まで笑うんだわ……! あたしたちもうその犬に食べられるんだわよ!!」
「あはは……そんなことさせないよ…」
(な、何言ってるんだわ?! この状況でぇ!!!)
「ラッツ、その結界、まだ持ちそう?」
「あと10分が限界なんだわよ…」
「うんうん! 充分だ! でもごめん、あとのことは任せるから」
「な、何のことなんだわ?!」
シルバはそれ以上は何も言わずに微笑んだ。
(え……?!)
「スキュラさん、この花はエクレールっていうんだね」
「何だお前。ヘラヘラしやがって! 話をそらそうったって無駄だぞ!」
「どのくらい痺れるか、試したことある?」
「ああ、あるよ! 他の人間共でなぁ!! 身動き1つとれやしなかった! だから喰らうのは簡単だったよ!! ふははははぁ!!!」
(こいつ……あたしたちだけじゃなくて、他の人間まで…!!)
「うんっとねぇ…、正座してたら足が痺れるでしょ、それの倍くらいは痺れてね、とてもじゃないけど動かせないって感じなんだよね」
「んあアァ?!?!」
「あ! でもスキュラさんは足は魚だから正座なんてできないかぁ!」
「てめぇ! 何ほざいてんださっきから!!」
(シルバ……?!)
「うんうん。雑談はこのくらいでいいかな。そろそろ落ちるかな」
「は?!」
シルバがそう言ったあと、耳をつんざくような激しい音がして、その洞窟の天井が崩れ、大きな穴が空いた。
「え……?!」
スキュラは驚いて上を見上げた。
叫ぶ間もなく、その穴から雷が落ちてくると、スキュラに直撃した。
雷はまるで流星のように、何本も落ちてくる。
(くぅうっ!!)
ラッツは守護結界でその落雷を耐え抜いた。
横目でシルバを見ると、堂々たる笑顔でその場に立っている。視線に気づいて彼はラッツの方を向いた。そして彼は、彼女にふっと微笑みかけた。激しい稲光が、フラッシュのように何度もあたしの視界を瞬かせた。
その時あたし、初めて彼を見直したんだわ。
あたしを守った彼のことが、頼もしく見えて仕方なかったんだわよ。
スキュラはその犬たち共々丸焦げになって、その場に倒れた。
(や、やりやがったんだわ……)
咲いていたエクレールも、その雷と天井崩壊の下敷きになり、まともに咲いているものはなくなった。その場は静寂に包まれた。
バタリ
と、シルバもその場に倒れた。
「シルバ!」
痺れの取れたラッツは、守護結界を解いて、彼に駆け寄った。
彼は気持ち良さそうな顔をして、眠っている。
「あんたほんとに、何なんだわよ……」
ラッツは彼の寝顔を見て、ふっと笑った。
それから強化結界の力で何とかシルバを背負い、崩壊した洞窟を脱出した。奇跡的に無事だったボートに乗って、街へと戻っていく。
その間シルバは、ずっと目を閉じたままだった。
街に帰ってくると、道なりに進んで、親たちのいるカフェを探した。
「あ……」
無意識のうちに、例の言い伝えのあるリーベノアール橋の手前まで来ていた。
「う……ん……」
「っ!!」
シルバが目を覚ますと、ちょうどその橋の下を通りすぎたところだった。
「あ…!」
シルバが上を見上げて声を上げたので、ラッツはびくっとした。
「ち、違うんだわ! たまたま道を進んでたらこの橋が…!!」
「セイレーン」
「は…?」
ラッツも眉をひそめながら、空を見上げた。
金色の羽をした妖精が、雲の方へと飛び立っていくところだった。
「セイレーンじゃないんだわよ。妖精なんだわ」
「何だ」
妖精はこちらを見てにっこりと笑うと、何処かへ飛んでいってしまった。
「それより、何なんだわよ、さっきのは」
「あは。ごめんごめん。僕ね、呪術師なんだ」
「え?! そ、そうなの?!」
突然のシルバのカミングアウトに、ラッツは大いに驚いた。彼と橋をくぐったことなんてもう忘れていた。
「でもね、ラッツも術師だからわかるでしょ? 術を使うための体内エネルギーっていうの? あれが生まれつき、すっごく少ないんだ。それにほら、呪術のセンスもなくってね、僕が生み出せるのは雷だけ。コントロールも悪いし、撃ったら最後、しばらく気絶しちゃうんだ」
「そ、そうなんだわね……」
「だから隠してたんだ。呪術師ってほら、何でもすぐに造れるっていうじゃない? でも僕それ出来ないし。だったら黙ってようって。だからラッツ以外は、誰も知らないんだ」
「ふうん……」
(知ってるの……あたしだけ………)
ラッツはなぜかわからないけれど、優越感に浸っていた。
「だから、皆には内緒だよ! 2人の秘密!」
シルバは人差し指を口に当てると、にっこりと笑って彼女を見た。
「っ!!!」
ラッツは不覚にも、その笑顔にドキっとしてしまった。
こいつがアホでよかった。
顔が真っ赤になっているに違いないけど、どうせ気づかないだろうから。
そして気づいたら、彼のことが好きになっていた。
シルバがあたしを妹のようにしか見てないのは知ってたんだわ。シルバはあたしより8つも歳上だったから。
子供の頃の8つって、結構差があるんだわよ。シルバはあたしをそういう目で見たことなんてのは、今までに一度もないんだわ。
あたしはそれが悔しくて、でも無理だってわかってるのに告白なんてする勇気もなくって、何年も何年も片想いする日々が続いたんだわ。
そして気づいたら……
「別の女と結婚したってか?」
「そうなのよぉおおお!!!!」
ラッツはリルイットに泣きながら抱きついた。
(な、な、な、長かった〜〜………)
リルイットがふと時計を見ると、深夜の2時を指していた。
(げっ!)
「聞いてくれなんだわリル! その女が実はねえ…!」
「ちょ、ほら、ラッツ、1回時計見ろって! もう寝ないとやばいって! 明日デスイーター倒しに行くんだろ? その話はまたほら、今度ゆっくり聞いてやるから…」
「ええ〜?!?! これからが本番なんだわよ?!」
「いいからもう……今日は寝るぞ……」
(まぶたが重い……)
リルイットはさっとベッドに横になった。
ラッツは無理矢理彼の布団の中に潜り込んでは、彼に背中から抱きついた。
「こら……あっち行けよ……」
「リル〜〜あたしと結婚してよ〜っ!!」
「しねえよ……俺のこと好きでもねえくせに」
「うわ〜ん!!」
子供みたいに泣くラッツは、ちょっと可愛い。
元々顔は可愛かった。性格がアレかな〜と思っていたけどな。
仕方なしに起き上がると、ラッツの身体を起こす。
「これから好きになるもん……」
ラッツはそんなことを言って、俺のことをじっと見ている。
「嘘つくな」
俺は目を腫らした彼女にデコピンを食らわせた。
「痛いっ!!」
「お前も疲れてるって言ってたろ。もう寝ろっての」
「むぅ〜……」
ラッツはしぶしぶ隣の自分のベッドに潜り込んだ。それを見たリルイットは、部屋の電気を消した。
「おやすみ、ラッツ」
「おやすみ、リル…」
はぁ……でも、羨ましいなぁ…。
ラッツはそんなに泣くほどシルバが好きなんだな…。
俺はもうこの際、振られてもいい。
振られてもいいから……
誰かを好きに…なってみたい…。




