氷山地下
「うわぁぁあああ!!!!!」
ザブーン!!!!っと、リルイットは水の中に落ちた。
(ん……これ……水じゃない………?!)
「ぷはぁ!!!」
リルイットはその水面から顔を出した。
(あったかい!!!)
「お湯だ…!!」
氷で一面の景色とは打って変わって、まるで洞窟の中のようだ。リルイットは岩で囲まれた巨大なお湯の中にいる。そのお湯は不思議と水色に濁っている。そして……まるでこの景色は……
(温泉……!!)
「リルっ!!」
「ラスコ!!」
ラスコもぱぁっと顔を上げた。
「な、な、何なんですか?!」
「知らねえ! とにかく落ちた!」
「ハァ……ハァ……」
リルイットとラスコは端まで泳ぐと何とか陸に上がった。
「ラッツとアデラは……?」
「いませんね……」
周りを見回すが、そこにいるのは自分とラスコだけのようだ。
「完全に油断しました……ツルを出して落下を防げたかもしれないのに……」
「しょうがねえよあんな突然じゃ…」
それにしてもびしょ濡れだ…。
そういえばここ……
「ラッツがいねえのに寒くねえな…」
「もしかして、この辺の岩が粘板岩なんでしょうか…」
「ああ…熱を帯びてるとか何とか言ってたな…」
だけどこの服着てちゃあ風邪ひいちまうよ…。
リルイットは衣服を脱ぎだした。
「ちょっ、リル…!!」
ラスコは真っ裸になるリルイットから顔を背ける。
「ラスコ、お前もさっさと脱げ。そこの岩に置いて乾かすんだ」
「ええっっ?!」
「ええじゃねえよ。風邪ひいて死んだらどうすんの」
「……」
リルイットはさっさと服を広げて粘板岩の上に置くと、その水色の温泉に入った。
「む、む、無理ですよ! そんなの!」
「無理じゃねえよ。ほら、何も見ねえから」
「そういう問題じゃありません…!! ……っくしゅん!!」
リルイットはハァとため息をついて、ラスコに背を向けた。
「はぁ〜いいお湯」
「呑気に温泉に浸かってる場合ですか!」
「そういうならお前もさっさと服乾かして体制を整えねえと」
「んもう……わかりましたよ! 絶対見ないでくださいよ!」
「見ねえよバーカ」
「ふん!」
ラスコはリルイットが向こうをむいてるいるのを確認しながら、仕方なく服を脱いで、温泉に浸かった。
(はぁ……でも本当にいいお湯……)
何でこんなことに……
と思いながらも、ラスコはチラッとリルイットを見ては顔を赤くした。
(ちがうちがう。温泉で火照ってるだけだから!)
「でも参ったな。防寒結界なしじゃあ、そもそもここから出られねえんじゃねえの」
背中越しに2人は会話を始めた。
「大丈夫です。植術でラッツさんの位置を探しますから」
「おいおい、一面氷だったろ? 植物は土がねえと出せねえんじゃなかった?」
「粘板岩の中には土がありますから! ここからツタを這わせて探すんです。というか、もうやってますから!!」
「そりゃ頼もしいぜ」
リルイットは呑気にふわ〜と欠伸なんかしている。
ラスコはふぅと白い息を吐きながら、索敵を続けた。
どうやら思ったより深くは落ちていないようだ。
防寒さえなんとかなれば、脱出も可能そうだ。
しかしラッツとアデラの姿はない。
自分たちを落とした敵の姿も見当たらない。
この氷山はあまりに広い。すぐには見つけられそうにない…。
「そういやラッツにさ…」
「はい…?」
「20歳になったら結婚してくれとか言われたんだよ」
「ええ!」
ラスコはびっくりして変な声が出た。
「するんですか?!」
「しねえに決まってんだろ……」
(ほっ……)
と何故だか安堵してしまうラスコだった。
「お互い会ったばかりで、何で結婚したいなんて言うのかね」
「そりゃあリルがイケメンだから一目惚れしたんでしょう」
「一目惚れかぁ……そんなんで誰かを好きになってみてえもんだよ…」
「何言ってるんですか。そのうち好みの女の子の方から寄ってくるでしょう」
「そうだといいけどねぇ!」
「んま! 彼女も選びたい放題ですね!」
「はぁー? いねえよそんなもん」
「あ……もしかしてシピアの襲撃でお亡くなりに……すみません私、軽率な…」
「いや、違う違う! 1人もいたことないからそんなの!」
「えっ?!」
ラスコはびっくりして、リルイットの方をバっと振り向いた。
粘板岩の洞窟内に、バシャンっと大きな音が響いた。
「え?! 何?!」
リルイットもびっくりして、ラスコの方を振り返った。
「あ……」
「うわっ! 見ないでください!」
「見てない見てない!! わぶうっ!!!」
ラスコは植術のシャワーを手のひらから放出して、リルイットの顔面にぶっかけた。
「やめろ! やめろっての!!」
「んもう! あっち向いてください!!」
「わーかってる! わかってるから!!」
リルイットは急いでラスコに背を向けた。
お湯は水色に濁っているから身体はもちろん見えない。
だけど肩から上は見えていて、もちろん何も着ていないから…
(はぁ………)
リルイットの心音は、目で見えそうなほどバクついていた。
(女に興味なんてないのに……)
そういや一瞬だったけど、ラスコの胸元に、何か見えたんだ。
いつも首元が隠れるようなローブを着ているから、わからなかったんだけど…。
何か真っ赤な…アザのような…傷のような…。
「リルは…」
「うん?」
俺はハっとして、考えるのをやめた。
「彼女いたことないんですか…」
「…ねえよ」
「どうしてですか? リルはモテるでしょうに」
「俺が好きにならねえんだよ…誰のことも…。好きじゃないやつとは付き合えないよ」
「そうですか……。随分ハードルが高いんですね」
「そういうわけじゃないんだけど……」
(一体どんな子なら好きになるっていうんでしょう……)
「ラスコもイケメンに振られて、もう恋はしないって言ってたな」
「しませんよそんなもの…。私みたいなブスがするものじゃないんです」
「顔なんて関係ねえよ。俺の兄貴なんてな、すっげーブサイクなんだけど、すっげー美人と子供作ったんだぜ!」
(さすがに相手が魔族とは言えねえが…)
「そ、そうなんですね……」
「そうそう! って別にラスコかブスとか言ってねえからな! 勘違いすんなよ!」
「いいですよもう、ブスコで」
「いや、だから言ってねえじゃん!!」
またラスコが怒ってるんじゃないかと思ったけど、ラスコはどうやら笑っているみたいだったから、俺は安心した。
「さて、そろそろ乾いたかね」
リルイットは自分のそばに置いた衣服に手を触れた。
「どうですか?」
「もう全然行けそう! あ、でもタオルねえじゃん」
すると、地面からにょきにょきとツタが生えてきては、大きな葉っぱを咲かせて、リルイットに巻き付いた。
「うわ!」
「吸水性があります」
ラスコは向こうをむいたまま答えた。
(なるほどね…また便利な…)
あっという間にリルイットの身体は、タオルで拭くよりも水気がなくなった。
さっさと衣服を着ると、ラスコに背を向け、彼女にも着替えてもらった。
「それで、ラッツとアデラは見つかったのか?」
「いえ…ですが、粘板岩はまだ奥へと続いています! 進みましょう!」
「おっけー!」
リルイットとラスコは洞窟の奥へと駆け出した。
「おい、いつまでこうしてりゃいいんだ」
「いつまでもクソもないんだわ! こうしてないと死ぬんだわよ!!」
アデラとラッツは割れた氷の上に立ち尽くしていた。その足場は、人間2人が何とか乗れるほどの小ささだった。
彼らの周りは全て水だ。それも恐ろしいほどに冷たい水だ。防寒結界は水中までは効果がないらしい。ここに落ちたら凍死するのは確実だとラッツは言う。
「さあ! もう逃げ場がないんじゃな〜い??」
青い髪と毛並みの狼人間ハティは、水の中から2人を面白そうに見ている。
ピューン!!
とハティは氷柱を吐きだした。
その攻撃はラッツの守護結界に弾かれた。
敵の攻撃から身を守るための結界だが、かなりのエネルギーを要する。
「無駄なんだわよ!」
「諦めないわね〜!」
(ぐぬぅ……もう30分くらいこうしてるんだわ。守護結界と防寒結界……ついでにシピアの周りに聖結界を張り続けてるんだわ……。さすがの私もそろそろ限界なんだわよ……)
足場の氷は最初はもっと大きかったけれど、だんだん溶けて小さくなってしまった。
「くそが……」
アデラは弓を構え始める。
「ちょっとアデラ! 相手は狼、ここから当てるなんて無理なんだわよ!!」
「殺らねえと死ぬだろうが」
「そうだとしても、もうちょっと考えてからだわねぇ!!」
バシュウウウンンン!!
「そんなの当たんないよ〜ん!!」
ハティは動物の身のこなしで、さっと矢を避けた。
青い狼は水中でもまるで陸地と同じように、素早く動くことができるのだ。
「完全に奴のテリトリーなんだわ」
「ちっ!」
(周りは水中……この足場じゃ、さすがに私も戦えないんだわよ……。それにイケメンリルとブスコはどこに行ったんだわ…。防寒結界なしじゃあいつら…)
ピシぃと足場の氷が割れる音がした。
(ま、まじかぃ……!)
ラッツは顔を引きつらせて足元を見た。
(お、落ちるんだわ…!!)
ラッツは涙半分で、きゅっと目を閉じた。
ザバーン!!!
(あれ……)
パッと目を開けて、ラッツは愕然とした。落ちる瞬間、アデラが自分を抱えて水に落ちたのだ。アデラの下半身はその氷のような水に浸かっている。
「浅いな」
「ちょっ! あんた! 死ぬんだわよ!!」
「かもな。でも2人死ぬよりましだろ」
(な、な、何なんだわよ……)
ラスコは顔をひきつらせながら、自分を守ったアデラを見ていた。
(下半身の感覚がない……)
「あははは! スコルに酷いことするからよ〜! ハティ、許さないんだから!!」
青い狼人間ハティは、再びラッツたちに向かって氷柱を放つ。
「ぐうう!!!」
ラッツは歯を食いしばって、守護結界で耐えた。
しかしエネルギー切れも目前のようだ。少しの反動でアデラの体制が崩れた。
(下半身が動かせない…)
(だ、駄目だ!! 落ちるんだわ!!!)
2人が落ちそうになった時、地面からわいてきたツタが2人の身体に巻き付くと、水の中から引き上げた。
「うん?!」
ハティも不可解な表情でそのツタを睨んだ。
ツタは壁をつたって大きく広がり足場を作ると、ラッツとアデラをその上におろした。
「ブスコちゃん?!」
ラッツたちの元に、ラスコがツタに乗って駆け寄ってきた。そのままラッツたちの前に着地した。
「アデラさん!」
アデラの下半身は凍りついて、痛々しいほどに真っ青になっていた。
(間に合わなかった……)
すると、ハティの背後に迫りくる人影を垣間見た。
「てめぇえええ!!!!」
「っ!!」
後ろから猛烈な熱気を感じ、ハティは後ろを振り返った。
えんじ色の髪の男が、剣を振り上げている。足元にはたくさんのツタが広がって、水上に頑丈な足場を作っている。瞬く間に水面は全てツタで覆われていった。
ハティは攻撃を避けようと試みるのだが、足にツタが絡まっては動きを封じている。
「!!」
リルイットがその剣を振り下ろした時、白い狼人間が空間から這い出るように、ハティの前に飛び出した。
「ハティに手を出すなァ!!」
(な…?! どっから出やがった…?! それにこいつはさっき倒したはず…?! まだ生きてやがったのか…?!)
リルイットはその勢いのまま、白い狼を斬り裂いた。白い狼はその切り口から大きな炎をあげて燃え上がっていく。
「スコル!!」
「ハティ……」
(スコルに……ハティ………?!)
リルイットは知らないはずのその名前に、何故だが聞き覚えを感じる。
ハティは白い狼人間をぎゅっと抱きしめた。
ハティの身体から溶け出す水がスコルの炎を消し去っていく。
また、スコルの冷気がハティの足に絡まるツタを凍らせ、ハティを脱出させる。
(炎を消された?!)
「あの白い方、死んでなかったんですか?!」
ラスコも白い狼人間の再来に目を見張った。
「もう1回、まとめて殺ってやるよ!!」
リルイットは間髪いれずに剣を振るうが、2匹の狼人間は瞬時に
跳んでそれを避けた。
(速いっ……)
「スコルとハティ……」
「私達は……」
「俺達は……」
「「2人で1つ……」」
2匹の狼人間はそう呟いたかと思うと、それぞれその姿を変貌させた。
可愛らしかった人間の顔は、まるで恐ろしいドラゴンのように変化していく。
身体もぐんぐん大きくなり、狼から巨大な猛獣へと姿を変えた。
「「人間殺す。魔王様のため……」」
先程の狼人間の彼らからは似つかぬような低く淀んだ声が響く。蒼白の獣は、リルイットたちの前に立ちはだかった。




