穴底での攻防
『俺と…結婚してほしい……』
男はボソボソとプロポーズをしたが、彼にとっては決死の思いで絞り出した言葉だった。相手の女は村一番の美人である。
『あはっ』
女は開口一番、心からの嘲笑の声を漏らすばかりだった。やがて女は、腹を抱えて笑い始めた。その目には涙すら浮かんでいるように見えた。
『ど、どうして…笑っているんだ……』
男はその美女の様子を見ながら、わけもわからず困った様子だった。すると、女は笑うのをやめ、ゴミを見るような目で男を見下した。
『無理に決まってるでしょ』
『え…?』
『気持ち悪いのよ、その顔』
『……』
男は放心としているが、美女が罵倒を止めることはない。
『生理的に、無理っ!!!』
その時の美女の顔は、今もまだ覚えている。
「やっぱりここかよ」
夜ご飯の後片付けをさっさと終えたイグは、その暗闇の山からヤムロを見つけ出した。
「おおシルバ。スルトの奴、頑張ってるべよ〜」
「ったく……」
ヤムロがリルイットとイグの呼び名を改めるつもりは、さらさらないようだ。イグももう、自分がシルバではないと言い改めることを非常に面倒くさく思っていた。もう何でもいいやと思うばかりだ。彼と話すのはストレスがたまる。彼は変わり者だ。まともに話をしようとしてはいけない。確かにそうだったと、イグは思い出すのである。
「またあのキノコの穴かよ」
「アバタイトタケだべよ」
「名前なんて知るかよ。キノコでいいだろ」
「よくないべ。ちゃんと知識も身につけるだよ」
どの口が言うのかとイグは思う。いや、思ったら負けだ。こんな奴との会話で苛つく気力が惜しい。
「まあでも、よく覚えてるべな」
「1番最初の修行だったからな」
アバタイトタケは確かにキノコであるが、魔族の一種である。敵が現れると、そいつと同じ姿になって戦う。同じなのは姿だけではなく、その者の持つ能力すらも使うことができる。そして身体能力に関しては、映した相手の最大限の力を持って戦うことができるのだ。
つまりアバタイトタケの生み出す分身の持つ力は、映した者の最大値、または限界値ともいえる。自身に変身したアバタイトタケを倒すには、自分の限界を超えるしかないのだ。
しかし、アバタイトタケの変身持続時間は6時間。それを過ぎるとエネルギーが切れて、元のキノコの姿に戻ってしまうという。
(俺は結局俺の分身を倒せなかったんだよな…。タイムアップしちまったんだっけ…)
穴の前にだらりと座るヤムロの横にイグもやってくると、穴の中を見下ろした。遥かに深いその穴の底など、まるで見えはしないはずだが、そこには何故だかリルイットがキノコの作る分身と戦う姿が映っている。空中に大きな鏡のようなものが浮いていて、そこに映像が流れているとでも言おうか。恐らくヤムロの力なんだろうが、彼の力がどういった能力ものなのかは一切不明だ。
「何だか分身も弱っちいべ。それにすら負けそうだべよ。スルトの奴、何であんなに弱くなっただ?」
「弱くなったって、元々ポンコツなだけだろ…」
イグはリルイットと分身の低レベルな戦いを見ながら、ハァとため息を漏らした。剣の振りも、立ち回りも、何もかもがまるでなっていない。
「そもそもあれでよく騎士団に入れたな…」
「騎士団だべか?」
「魔族討伐騎士団だってよ」
「ほへぇ〜」
(まあ、今は長期休暇中だけどな。あんなに弱けりゃ予備軍にも必要ねえな)
今までのリルイットの活躍は、全てスルトの『炎』によるものだったのだろう。『雷』がシルバの奴を強くしたことがあったように。
(んま、俺には雷野郎の力なんて必要ねえけど)
【私の力はリルイット様のためにあるのです。その時がくれば、お貸ししますよ】
(いらねえよ。そんなもん)
俺には呪術も結界術もある。ついでに記憶を消す力もな。これ以上、力は必要ない。
(まあでも、その力を引き出させてくれたのがヤムロだった)
涙が出そうなほど辛かった修行を思い出す。あの時俺は絶望を通り越してヤケにもなっていたが、ゴルドにマキを殺されないためには強くなって奴の右腕になるしかなかった。
ゴルドはもういない。俺の力は今、誰のためにあればいいのだろう…。
リルイットはその画面の中で必死に格闘している。何かに困惑しているその表情が少しばかり気になった。
(うん…?)
リルイットを目で追っていて気が付かなかったが、やっと分身の顔を見た時、イグは顔をしかめた。
「あ、あの顔……」
「うん? どうしたべ?」
その顔は、リルイットの記憶の中に棲む、スルトと全く同じものだったのだ。
「この野郎っ!!」
リルイットは歯を食いしばりながら剣を振るい、分身と戦う。どの振りも簡単にかわされ、かすりもしない。
分身と戦い、既に2時間ほど経過していた。正直体力の限界だ。長時間寝ていたおかげで眠気こそなかったが、分身は休むことなく攻撃を仕掛けてくる。
(思い出したぜ…こいつ、魔族のアバタイトタケだ…!)
魔族の知識だけはエーデルナイツの騎士にも負けない。シピア帝国の騎士団在職中、剣の修行よりもしっかり身につけていたことだ。
実物を見たことがないからすぐに気づかなかった。青緑色に光るキノコに似た魔族、アバタイトタケ。分身となって戦い、その力は本人の力量の最大値を引き出す。倒すのは簡単。先に弱い人間を向かわせ、その分身を作らせればいい。しかし一対一の戦闘では、倒すのは至難の業。一時退却し、エネルギー切れを待つ他ない。
(時既に遅し……。退却場所もねえし、あと何時間耐えればいいんだ?!)
「そりゃっ!!」
(耐えられるわけない! 倒すしかない! じゃないと死ぬ!)
無駄に声を荒げながら、リルイットは果敢に分身に挑む。
(とはいえ、俺の分身なんて、そもそも大したことねえはず!! よく見てみりゃ、そんなに速くも強くもない!)
自分でに対してそんな風に思うのは情けないけれど…。ていうか、俺、修行したところで、マックスこのレベルにしかならねえってこと?!
「くっそおおおお!!!」
リルイットを突き動かすのはもはや気合だけだ。その渾身の振りを、分身は自身の剣で受け止めた。兄のフェンモルドに似た瞳をきゅっと細めて、リルイットを睨みつける。
「ぐぬぬ」
今にも弾き返されそうなその剣を、必死で抑えつけた。相手は自分の最大限の力で押してくるのだから、こちらも最大限の力を振り絞れば、勝てずとも負けるはずはない。
「うわっっ」
理論上はそうだが、リルイットは負けてしまう。なけなしの体力の自分に対して、相手は常にフルパワー。勝ち目などあるだろうか。
(それにしても、こいつの顔…)
これが俺の、本当の顔だったのか。
やっと見ることができた。こんな形で拝めるとは思いもしなかった。
確かに不細工だ。顔のパーツは歪んでいて、世間でいう格好いいからは程遠い。
だけど別に、嫌じゃあない。だって兄貴に似ているから。
(ああ、最初からこの素顔で良かったのに)
だったら兄貴も、俺を疎ましく思って辛い気持ちになることもなかった。変な喧嘩もしないですんだ。
イケメンになんて、ならなくて良かった。
スルトは自分の顔が嫌いだったというが、だからって俺はこの整った顔が別に好きなんかじゃなかった。
そんなことを言っては、自称不細工の野郎共から反感でも買うだろうか。
最初から本当の顔で生きていたら、どれだけ違う人生を送ったのだろうかとももちろん思う。この顔で得をしたことはたくさんあった。それは間違いないのだから。
だけどその理不尽な損得が、存在すること自体が好ましくないのだ。
(人間も、見た目に干渉なんてしなけりゃいい。魔族みたいに)
俺の顔を好きになるのは、俺じゃなくて俺の周りの女の子だった。女の子が好きなのは、俺じゃなくて、俺の顔だった。
『私、リルの顔は一般的にかっこいいとは思いますけど、私の好みなんかじゃありません。勘違いしないでください』
生まれて初めて俺の顔を罵ったのはラスコだった。
でも
『お友達だと思ってますから!』
イケメンは嫌いだと口癖のように言っていた彼女が、俺を友達だと認めてくれた。
俺は嬉しかった。ラスコは俺の顔なんかじゃなくて、俺自身を見てくれると思ったんだ。
「くっそぉおお」
本当の俺には何もない。イケメンでもなけりゃ、力だってない。
(負けねえ!!)
リルイットは分身の剣に押し返されると、そのまま勢いよく尻もちをついた。床がキノコじゃなけりゃ、打撲傷だらけになっているだろう。
「君は、僕には勝てない。そろそろ死んでもらうね」
アバタイトタケは、冷え切った瞳でこちらを見下ろすと、長剣を片手に迫ってきた。
「誰が死ぬか!!!」
とはいったが、もう体力が限界だ。こいつは俺の百パーセント。普通に戦っても勝ち目はない。だけど、俺にはこいつにないものがある。
「いらねえ…」
リルイットはボソッと呟くと、分身に剣を勝ち合わせた。押し合いが始まり、一瞬動きが止まった。
「いらねえんだよ!!」
リルイットがそう叫ぶと、自身の顔が歪み始めた。歪みはだんだん分身の顔に近づくと共に、激しいほどの炎が現れ、分身に襲いかかる。
「あいつ…!」
画面を見ていたイグは驚いた。彼の中にはまだ炎が残っていたのだと。
しかし、炎はリルイットの意思に反して、彼の顔の中に戻っていく。
(な、何で…?!)
リルイットは顔をしかめた。自分の顔を守っている炎、それを使って分身を倒そうと思っていたのだ。
【駄目だよ…】
自分の脳裏に見知らぬ男の声が聞こえた。そいつはリルイットの心臓をぐっと掴むように力を込めた。




