棲みし者
イグはリルイットが話すのを、黙って最後まで聞いた。
リルイットが気絶した後のことは、基本的には彼が誰かから聞いた話でしかない。
初めて記憶をなくしたのは、シピア帝国のホテル街裏通りだった。そこで確かにフェンモルドを怒らせたリルイットだったが、ウルドガーデの話だと、兄貴に剣をふるい、それを庇ったシェムハザを実際に斬ったという。
その次はシピア帝国が突然の魔族の襲撃に合い、巨人ロキを目の前にした後だった。目が覚めたリルイットは、ラスコの故郷イスタール国周辺のアルバダの森にいた。シピア帝国から馬車で1週間はかかるその場所にどうして自分がいたのかは全く疑問であった。その時は2週間気絶していたとラスコが言った。
その時の記憶が、少しだけある。恐らく自分が巨人ロキを倒し、その後ウルドガーデとほんの少しだけ話をしたのだ。
『なあ、お前、俺のこと愛してる…?』
『え……な、なんですか突然……』
『愛してはないか。オトモダチだしな』
『な、何を……』
『お前は要らね』
その後俺は、ウルドガーデに手をかけた。あり得ないけれどそのような記憶がある日薄っすらと蘇ったのだ。
最後はアデラを仲間にした後、ドワーフの襲撃にあった時のことだ。ドワーフたちにリンチされていたアデラを見て、記憶がとんだ。アデラは俺がドワーフたちを皆焼き尽くしたといった。そこにはオルゾノという、スルトを慕うドワーフもいた。
(オルゾノだと……)
イグはリルイットの話を聞きながら、はっきりと違和感を覚えていく。イグだけではない。『雷』もだ。スルトをよく知る『雷』は、その話を非常に不審に思う。
「そして、今回も」
リルイットは言った。イグは腕を組むと、うーんと唸った。
「一体俺、どうなった?」
リルイットに尋ねられ、イグもありのままを答えるしかなかった。
「んあ〜…、魔族みたいに変身したぜ。翼生えて空飛んでたし。俺のことをオーディンって呼んで、背中を蹴飛ばしやがった」
「え…」
リルイットは気まずそうにしながら、小さな声で「何かごめん」と言った。
「その後ヤムロとやり合った。俺も聴力強化して、会話を聞かせてもらったけどよ」
その時の話をする。一字一句、覚えている限りの二人の会話を話す。リルイットは信じられないという顔つきだ。本当に記憶がなかったのだろう。ていうか…
「別人だな、ありゃ」
「……」
「リルお前、二重人格かなんかか?」
「違うと思うけど…」
「だよな」
過去のことは難しくとも、数時間前のことくらいと、リルイットは何とか記憶をしぼりだそうとした。しかし無意味である。酒にのまれて記憶がとぶのとはわけが違う。まあ俺はまだ酒なんて飲んだこともないが。
「俺の身体を使ったのは、スルトなのか……?」
「そのことなんだけどさ」
イグは話始めた。
「そのスルト、俺の聞いたスルトと印象違うんだよな」
「……」
「俺が『雷』に聞いたスルトは、もちろん力こそあるが、もっと、何というか、大人しくて優しい魔族ってイメージだったんだ」
リルイットにも心当たりがある。ロッソに話を聞いたときも、スルトとユッグの夢を見たときも、スルトは人間に近い感情を持っていた。
そんなスルトが、俺が大切に思っている兄貴や親友のウルに手を出したり、ましてや旧友のオルゾノを殺すなんて、信じられない話なのだ。
「誰かがお前の身体を操ってるってのは、有力説だけどな」
「……」
これまでリルイットは、自分の身体を操ったのは『炎』だと思っていた。『炎』はいつだって、俺の身体を動かして、助けてくれた。スルトの意思を継ぐ『炎』。最期に彼と話もした。彼は確かに俺の聞いていたスルトのイメージにも合っていた。
でも俺が気絶した後の行動。イグがいう魔族モード。こいつは違う。『炎』じゃない。だけどヤムロさんにスルトと呼ばれ、否定しなかった。
(一体誰……)
「んで、俺が知らないその気絶した3回の行動を、俺の能力で見てほしいわけだ」
「そういうこと!」
リルイットはうんうんと頷いた。
「結論を言うと、その時の記憶は読めねえと思う」
「え? 何で?」
「お前自身に記憶がないんだ。俺が見れる記憶は、お前自身が覚えている記憶だ。仮に今思い出してなかったとしても、お前自身が経験し、所謂引き出しをひけば出てくる思い出だけだ。わかるか?」
「何となく…」
俺が知らない記憶は、イグにも読めない。
「でも俺の身体を操る何かがいるなら、そいつの記憶を読むってことで、見えたり…?」
「その可能性もあるけど…。そんな人間会ったことねえし。身体に何か別の奴が憑いてるってことか? おばけかよ。気持ちわりい」
「……」
(お前にも『雷』が憑いてるじゃん…)
「とにかく、1回見てくれよ! 俺の記憶!」
「ったく…」
(正気かよこいつ)
イグは何度も思った。いくら事実を知りたいからって、他人に己の記憶を読ませることに抵抗がないのか?!
「後悔すんなよ」
「しねえよそんなの。俺が頼んでんだ」
「知ってると思うが、ピンポイントで見たいモノは見れねえ。多少の早送り巻き戻しはできるが、基本的には最初からお前の人生をこの目で見ることになる。お前が消し去りたいような恥んずかしい記憶だって、俺は見ちまうんだぞ」
「だから、別にいいって」
「はぁ…」
(そこまで言うなら、知らねえぞ)
イグは仕方無しにリルイットに手を向けた。火傷跡の大きく残る彼の額を、そっと掴んだ。リルイットも目をきゅっとつぶって、彼に身を委ねた。
『………ルト…』
暗闇の中、誰かの声が脳裏に響く。イグはゴクリと唾を飲み込みながら、声が呼ぶ名前を確かに耳にする。
『……スルト』
声が呼ぶ名前はリルイットではなく、スルトである。これがリルイットの記憶…? そうは思えない。リルの奴は夢で見た以外に前世の記憶などないと言っていたはずだ。
『スルト……。お前の名前はスルトだよ』
(まじかよ……)
これはスルトの、誕生の記憶に違いない。声の主は彼の生みの親だろうか。スルトはゆっくり目を開けたようだ。
『俺は……スルト……』
(?!)
イグは驚いた。誕生したばかりのスルト自身が口を聞いたからだ。スルトは自分の両の手の平を見た。それは赤子のものじゃない。そして黒い巨人の手の平でもない。白い肌をした、人間の手だ。
『そう。君はスルト』
そしてスルトは、声の主を見た。彼の前にいたのは、金色の短い髪の女だった。
(誰だあの女……)
まるで見知らぬ女だ。波打つ髪はリルイットのパーマに似ている。異様に白い肌をしていて、真紅の瞳はどちらも一重で細かった。鼻は高く、何となく血の気のない唇。ローブから見える腕や脚は今にも折れそうなほど細い。声のトーンや表情を見る限り愛想は良さそうではない。近寄りがたい印象を覚えた。
『俺はスルト。お前は誰だ?』
スルトは女に尋ねた。女は答える。
『私はあなたの生みの親です』
『へぇ……』
スルトは女を見上げる。どうやら彼は地面に座っているようだ。ここがどこだかわからない。辺りは濃い霧に覆われているのだ。地面は硬い土で、冷え切っている。
(あいつがスルトを産んだのか…?)
【あの女性、魔族ではありませんね】
突然『雷』が口を聞いた。
(うわ! 何だよ、いたのかよ)
【もちろん】
(びっくりさせんなよ……)
【この記憶は、一体……】
この女、『雷』にも覚えがなさそうだ。まあしかし、女が魔族ではないことはわかった。
(記憶の中でも魔族の匂いとやらがわかんのか)
【ええ。何度もいいますが、あなたたちの持つ嗅覚とは別物でして…】
(はいはい。お前がそう言うならそうなんだろ)
【なんですか、聞いておいて】
『雷』はちょっとイラついた雰囲気を出したが、イグは構わなかった。
(だけど、スルトは魔族だろ。普通に考えて魔族から産まれたんじゃねえのか?)
【ええ。ですがこのスルト、私の知っているスルト様ではございません。このスルトからも、魔族の匂いが致しません】
まあ俺も、そんな気がした。だってこのスルト、手の平白いから。黒の巨人のスルトの手は、真っ黒だ。スルトの手はもっといかつくて、でかくて、見るからに熱そうな手なのだ。
『雷』が俺に見せたスルトの姿。リルイットには似つかない、不細工で、だけど最強の戦士だ。
(まあいい。続きを見る)
【ええ】
スルトは話し出す。
『それで、俺はこれから、どうすればいい』
女は答える。
『自由に生きるのです、スルト』
『ん? それだけか?』
『そうです。あなたの人生は今、始まったのです。私はあなたの人生に、一切干渉いたしません。私とはもうここでお別れです。さあ、行きなさい』
(……)
そうしてスルトは、世界に放たれた。霧の向こう側を目指して進んでいく。やがて霧が晴れ、外の景色がやっと見えるというところだった。
(……!!)
【何ですか?!】
突然、視界が真っ暗になった。ワープでもするかのように一瞬身体が浮いた後、地面に着地した。カツンと響くような音がする。室内だ。異様に高い天井にその音が響くのがわかる。どこかは不明だが、先ほどの場所でないのは明らかである。
そしてイグは、この感覚が自分自身のものだと気づく。そこに着地したのはイグ自身だ。これは記憶映像ではない。そのことを察する。
「おい」
背後から先ほどのスルトと同じ声がした。その声はイグに向けられている。イグはゆっくりと振り返った。
「……!」
王様のような椅子に、スルトと思しき人物が座っている。彼にだけスポットライトが当てられたように、その周辺は照らされている。
「勝手に見ようとするんじゃねえよ」
「スルト……なのか……」
スルトは冷たい視線をイグに向ける。
「ああ。俺がスルトだ」
スルトは足を組み、肘たてに右腕をたて、頬杖をつきながら、堂々たる様子でそう答えた。
イグの能力は行使されているというのに、彼の記憶にはこれ以上踏み込めない。そしてその場所から出ることさえも、イグの意思ではかなわないのであった。




