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洗礼と変貌

「うん?」


男は何かを察したように顔を上げた。フロディア山脈の頂から、快晴の空を見上げ、その眩しさに目を細めた。


「とんだお客さんを連れてきたもんだな」


男は1人、ボソッと呟いた。


男はボサボサの乱れた薄水色の短髪で、猫のように細く鋭い目をしていた。一際細い瞳孔もまた猫のようで、人間味のない瞳であった。ちょっと、いや、かなりの猫背で、髪だけでなく全身清潔感がまるでなかった。山暮らしを続け、滅多に風呂には入らないというその男からは、近寄りたくない悪臭さえ漂っていた。


「どれ、出迎えてやるべさ」


男は一瞬のうちに頂から姿を消すと、とんでもない速さで山を駆け下りた。まるで鳥が飛んでいるかのように、地面に足がつく時間はほんの僅かな一瞬だ。とにかく人間離れした動きで、その男は山脈に近づく2人の人間たちの元へ向かうのだった。




「そろそろ着くぞ」


イグが言うと、リルイットは緊張した面持ちでうんと頷いた。


「いいな。さっき言った通りだ。どんな洗礼をされるかわかったもんじゃねえ。絶対に俺から離れるなよ」

「わかってるって」


わかっているとは言ったものの、何なんだよ洗礼って、とリルイットは思っていた。


ここに着くまでにイグとは色々と話をしたものだが、ヤムロの話も多少は聞かされた。


イグの師匠、ヤムロさん…という男は、とにかく()()()()()()そうだ。どんな風に変わっているんだと聞いても、説明が難しいんだと具体的な話は聞いていない。とはいえ、人を強く育てるその実力は折り紙付きだ。イグに槍術を教えたのもヤムロさんだし、確かレノンに戦闘技術を仕込んだのもそうだったよな。


ヤムロさんは、人を強くすることにしか興味がない。その強くなった人たちが、その戦闘技術を使って何を行おうとも、まるで興味がない。その話を聞くと無責任というか、非人情さを感じてしまうが、とにかく人を育てるのが好きで、金銭なんかの見返りを求めないというから、その点では最高の条件下である。


世間はヤムロさんの存在を知らない。ゴルドがどんなツテでヤムロさんと知り合ったのかは不明だが、この世に彼を知る者はイグを含めても指おるほどだというところだそうだ。


「………」


イグは空の様子を伺っている。雲一つない晴れた青を、さっきからずっと睨んでいる。


「来る」


ふとイグが呟いた。「何が?」とリルイットが尋ねる前に、腕が強く引かれるのを感じた。


「いっ」


その一瞬、2人が今まで乗っていた馬車が粉々に砕け散った。あまりのインパクトにリルイットは瞬きする間もなく目を見開いていた。だというのに、何が起こったのか、全く見えやしないのだ。


(な、何だ?!)


「ったく…相変わらず荒々しい奴だな」


イグがボソッとそのように呟いた声が聞こえた。その時にリルイットは、自分の腕を引いているのがイグだとようやく理解した。


「久しぶりの再会だべさっ。もっと派手に、楽しく行くべ」

「ったく…」


リルイットはイグの高速結界の中にいた。凄まじいスピードで動いているのに、声だけは聞き取れるから不思議だった。


「落ちんなよ!」


イグはリルイットの腕を引いてすぐさま彼を背負った。リルイットは無我夢中でイグにしがみついた。


(は、は、速すぎっっ!!!)


イグはリルイットを背負うハンデなどものともせず、やたらと訛ったその声の主に立ち向かう。恐らくヤムロさんなのだろうが、未だに姿が見えない。

イグは槍を片手に持つと、何も見えないその空間に槍を突き刺した。


カキン!!


歯切れのいい金属音が鳴り響く。

リルイットにはまるで見えなかったその空間の先で、ヤムロのものと思われる何らかの武器とかち合った。


(何も見えねえ!!)


「まだまだ甘いべ、シルバ」

「うるせえな」


2人の声だけが聞こえる。速すぎる視界には残像さえもはっきりと映らない。


「ほれ!!」


ヤムロの軽い掛け声と共に、リルイットは背後から近づく何かの気配を感じ取った。だが到底、おぶられているリルイットはそれを避けられはしない。


「おい! やめろって!!」


イグの焦ったような声が響いた。リルイットはその一瞬、死を覚悟した。確実に何かの攻撃をされたはずだ。それも相当な威力のものに違いない。


【リルイット様!!】


イグの脳内には『雷』の焦った声が響く。イグも背後からの攻撃に気づいてリルイットを守ろうと試みるが、間に合わない。


「出たべさ、この化け物!」


しかし、すぐにヤムロの楽しそうな声が聞こえた。


「?!」

【??】


イグと『雷』が不審に思ったのもほんのコンマ何秒の出来事だった。


(あれ…?)


リルイットはようやく思考を開始する。ダメージが全くない。攻撃を受けたはずなのに、何の痛みもないのだ。そしてそう思ったが最後、意識が遠のくのを感じた。


「下ろせ、オーディン」


そしてそう呟いたその声は、確かにリルイットのものであった。


「え…?」


イグが背後のリルイットを不審に思った頃には、既にリルイットはイグの背中を蹴ってその場を離れていた。


(な、何なんだ…?)


背中を蹴られた痛みを感じながら、イグが後ろを振り向くと、そこには変貌したリルイットの姿があった。


(は……?)


頭には2本の角、口から伸びた長い牙に、獣のような手。背中から生えた翼は悪魔のものと同じ形をしていて、血を浴びたように鮮明に真っ赤なのである。


「ひゃは!」


ヤムロは彼が何者かを既に知っているようだった。高らかに笑いながら、まるで魔族のごとく変貌したリルイットと戦い始める。


「な、何だありゃ……」


1人取り残されたイグは、呆然とリルイットを見ていた。これまでに何度かその姿を変貌させていたリルイットだったが、イグがその姿を見るのはこの時が初めてだった。


「魔族みてぇだ……」


血に飢えたようにヤムロと戦い始めるリルイットから、イグは目が離せなかった。この前見た時はポンコツだったリルイットからは想像もつかない動きだ。赤い翼で軽々しく舞い、師匠のヤムロと互角にやり合っている。2人は空高く飛び上がると、激しい空中戦を始めた。


【……】

「なあ、お前はあの姿が何なのか知ってんのか?」

【……】

「おい、無視すんじゃねえよ、雷野郎!」


あの姿になったリルイットのことを、『雷』も知らないというのだろうか。いつもはお喋りな『雷』はずっと無言で、イグと一緒になってリルイットをその目で追い続ける。


「久しぶりだべな! スルト!」

「ふっ……こんなところで生きていたなんて、驚いたよ」

「人間界は実に居心地がいいんだべな。もうここから離れらんねえだよ」

「もう帰れないだけだろ?」

「いやぁ〜追放されるとは参ったもんで」

「ふふ…」


リルイットとヤムロは空中にて戦いを続けながら、そんな話をしていた。その話がイグに聞こえることはなかった。


「おいらの愛弟子がお前を連れてくるなんてねぇ。世界は狭いべな」

「愛弟子ね…」


リルイットはほくそ笑むと、地上からこちらを見上げるイグに目をやった。


「……っ!!」


イグはリルイットと目が合った。いつものリルイットとはまるで別人の、魔族のような姿の彼の、冷たい瞳だ。


だけれどその冷たさの中には、どこか哀れみにも近い温かさもあって、イグの心は確実に彼に掴まれていった。


(スルト……)


そして……俺は、オーディンだった………。


敬愛してもしきれないほど、スルトに心を奪われていたオーディン。その頃の形容し難い想いを思い出したような不思議な感覚。


「こら、よそ見すんなべよ」


ヤムロが懐に隠し持っていた短剣を、リルイットに突き刺した。しかし気づいてみれば、その短剣はヤムロの心臓に突き刺さっていた。


「ああ、もう疲れた、また今度」


リルイットは低い口調でそう言って、短剣を抜いた。


「へへ……楽しかっただ……」


ヤムロもそう呟くと、そのまま地面に落ちると、バタリと倒れた。ヤムロの身体からは、一滴の血も流れることはなかった。










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