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未練と夢

僕はあの日、ご主人様のイグの中に還った。



シルバはゆっくりと目を覚ました。


(あれ……)


そこは真っ白な世界で、でも僕にはそこが、イグの心の深いところなんだってわかった。

僕はその世界に、閉じ込められた。いや、言い方に語弊があるな。僕はその世界に、守られているんだ。


「やあ、久し振りですね」

「うん?」


そしてそこには、僕の他にも、誰かいる。自分と全く同じ声で挨拶をされる。イグと全く同じ顔の…というか、自分とも同じ顔の……


「イグ? いや、誰……?」

「私は『いかづち』。君が死ぬまで、君の中にいましたよ」


髪色は僕と同じ、銀色だ。顔つきも口調も、イグよりも柔らかい そして。彼は自分を『いかづち』と名乗った。


「そうか。あなただったんですね! 僕に力を貸してくれたのは!」


僕はやっとわかった。僕に雷の力をくれたのは彼だ。イグじゃなくって、『雷』そのものだったんだ。


『雷』は優しく微笑んだ。


「シルバ、あなたは随分寛容なんですね。薬に混じっていた憎悪は、君の心を食い損ねましたよ」

「え…?」

「君の身体は朽ちました。だけど君の核だけは、無事だったんですよ」


『雷』に言われ、シルバはハっとした。


シルバはあの時、憎悪の手を取って、雷の力を引き出した。だけれどシルバは完全には死ななかった。『雷』が自分を守ったのだと、理解した。


「どうして僕を助けたんですか…?」

「確かに私はあなたの核を引き連れて、イグの中に入り込みました。しかし、私の力だけではあなたを助けることはできませんでした。あなたの未練が強く残って、憎悪の支配を耐えたのです」

「え…?」


(未練……?)


シルバは頭をひねった。


「僕に未練なんてありませんよ。僕の生きる意味はイグの身代わりになることです。僕はそれをちゃんとこなして…」

「それだけですか?」

「え…?」

「あなたの生きる意味は、それだけではなかったはずです」


『雷』は言う。


「あなたは私の力を求めました。それはあなた自身のためだったはずです」

「……」


僕は思い出した。忘れていたわけじゃなかったけど。

確かに僕は力を欲しがった。

それは僕が初めて、イグではなく僕自身のために欲しがったものだった。


ラッツの一族を殺した犯人を、僕が殺そうと心に決めた。

犯人のレノン君はもう死んで、それを命令した父さんももう死んで…


「僕の復讐は果たしました。結界師一族殺害の犯人を殺すことが、僕の生きる意味でした。イグもあの事件に関わっていましたが、イグを殺そうとは思いませんし…。僕の生きる意味はもう、なくなったはずです…」

「どうして犯人を殺したかったのですか?」

「それは…ラッツが……」


彼女の名前を口にするだけで、心が掴まれる気持ちになる。


「あの少女を愛していたのではないのですか?」

「僕は……人間じゃない。呪人です。呪人が人間に恋するなんて、おかしいですから」

「私はそうは思いません。あなたの核は、人間の心と同じく尊い命です。シルバ、彼女に気持ちを伝えてください。それがあなたの未練なのではないですか?」

「え……」


僕が……ラッツに……。


「そんなことしても、ラッツが困るだけですよ…。どうせ僕はもう、死んでいるのに」

「そうですね。あなたは本当はもう死にました。だけど最後に、彼女に一言伝えるために、あなたは生き延びているのです」

「……」


僕には無自覚だ。僕が僕自身のために未練を持つなんて、あり得ない……。あり得ないのに…。


「ほんの少しだけ、身体を貸してくれますよね、イグ」

「……!」


『雷』に呼ばれ、イグはシルバの前に姿を現す。


「イグ……」


主人を目の前に、シルバは呆然と立ち尽くす。イグはシルバを目にして、ハァとため息をついた。


「今日だけだかんな」

「えっ……」

「クソまずいパン焼いて持っていけ!!」

「っ!」




シルバはハっと目を覚ました。


「え?!」


そこはもう、エーデル城の自分の部屋だった。


部屋の私物も全てそのままだ。賃金をはたいて買ったパン窯と作業台が、部屋を占領している。


シルバはふと壁にかかった時計を見る。針は6時を指している。窓の外は明るい。早朝だ。


「パン焼いてけって……何だ…イグも知ってたのか」


僕がラッツを好きだと、話をしたのはロッソだけだ。でもイグにはバレていた。ご主人様だもんね…当然なのかな…。


シルバはベッドから起き上がって立ち上がると、自分の身体を見回す。


(全く同じだ……)


当たり前だけど…僕の身体はイグそのものだった。今僕は、イグの身体を借りている……。


ふと自分の髪の毛をつまんで横目で見る。真っ赤に染められた髪だ。イグはこれを父さんに…ゴルドに染められていたんだ…。


シルバは洗面台へ向かう。何度も目にしたイグの姿が鏡に映る。しかしそこに映る柔らかい表情は確かに、イグではなくシルバの顔だった。


シルバはイグに言われた通りにパンを作る。言われなくてもそうしたのだろうか。


パン生地をこねながら、ラッツとの会った日のことを思い出す。


『シルバだよ! よろしくね、ラッツ!』

『ふん!』


あの日のことは、よく覚えている。

初めて彼女を見て、すごく可愛い子でびっくりしたんだ。

でもラッツは初め、何だか怒っていた。養子に来たばかりで気が立っているんだと思った。


『何なんだわこれ』

『干支パンだよ〜! 可愛すぎるよね! これ買ってあげるね〜!!』


僕はラッツにパンを奢った。パンの値段の高さに、かなり驚いていたっけ。


『あのパン詐欺屋なんだわよーっっ!!!』

『ちょ、ちょっと何言ってんの! お店の前で!』

『メロンが入ってるメロンパンよりネズミパンの方が高いなんておかしいんだわぁあ!!』

『ラ、ラッツぅぅ?!』


シルバはそんなことを思い出して、ふふっと笑った。


それから僕たちは、兄妹のように仲良く育った。

でも不器用な僕はいつも失敗ばかりで、どっちかというとラッツの方がお姉さんみたいだった。


でも僕はラッツのことを最初から……

妹のように思っていたわけじゃなかった。


僕は呪人で、ラッツは人間。それを何度も自分に言い聞かせた。


でも彼女のそばにいればいるほど、自分の気持ちに気づいた。

この子とずっと、一緒にいたいと。


「よし、出来た」


シルバは焼き立てのパンを袋に詰めると、ラッツの元へ急いだ。


北軍の塔を降りて、東軍の最上階に向かう。東軍の塔に入ると、リルイットとメリアンが部屋から出てくるところだった。


「はぁ…やっぱり駄目だったね。何でだろう。火傷は治せるはずなのに」

「いいよいいよ」

「でも〜せっかくのリルのかっこいい顔が」

「何言ってんの!」


2人笑いながら話をしている。シルバがやってくるのにも気づいたようだ。


「あ…」

「お、おはよう」


シルバはイグを装って無愛想に挨拶をした。


「うわぁ、本当にシルバさんに瓜二つだ。初めまして。僕は療術師のメリアンです」

「どうも…」


既にシルバが死んだことは、エーデルナイツの皆に知れ渡っていた。そして生き別れたシルバの双子の兄のイグが、エーデルナイツに入団したと、そのように説明されていた。


「じゃあ、急いでるから…」

「あ、すみません! 怪我したらいつでも僕のところに来てくださいね。ここが療養室ですから」

「うん。ありがとう。それじゃ」


シルバはそれだけ言って、2人の元を立ち去った。リルイットはちらりと振り返りイグを見る。


(今の、イグじゃねえな……?)


しかしリルイットは、彼に声をかけることはしなかった。


「リル、どうしたの?」

「いや…何でもない」

「ねえ、そういや聞いてよ。リルたちがいない間ね…」


それからメリアンの話を聞きながら、リルイットたちは食堂へ向かった。



シルバはそれから誰かに会うこともなく、自動階段に乗って、ラッツの部屋に向かう。


(リルイット君、すごい火傷だったな…)


メリアンでも治せないなんて、あれはただの火傷じゃないのかな…。


あっという間に最上階にたどり着いた。ラッツの部屋の扉を、シルバはノックする。


「う〜ん? 誰なんだわ?」


ラッツは扉を開ける。シルバに瓜二つの赤髪のイグを前にして、一瞬怯んだ。


「な、何なのよ! 何の用?」


それは何日も前のことだった。

マキを助けに向かったはずのリルイットたちが帰ってくると、シルバはおらず、代わりにイグという男がいて、シルバは死んだと言った。


そのあとラッツは放心してしまって、イグが何を言っていたのかもうよく覚えていない。


それからイグがシルバの双子だなんて話を聞いたけれど、あの日以来イグとは会ってもいない。


「ラッツ…」

「な、何なんだわよ…」


そんな彼が自分の部屋にやってくるなんて、一体何の用なんだと、尻込みながらもラッツは警戒する。


「これ…」


シルバはラッツに、パンの入った紙袋を渡す。

ラッツにパンをあげるのは初めてだ。

これまでのは全て試作品だった。やっと納得するものが作れるようになった。それも全部、彼女にあげるためだった。


「何だわよ…」


ラッツは渋々それを受け取る。袋から漂う匂いを嗅いで、ラッツは中身をすぐに察する。


(パン…?)


ラッツは不思議に思いながら、軽く折られているだけの袋の口を開ける。中に入っているのは、10年近くも前にシルバと食べた、ネズミパンにそっくりのパンだ。


「あんた、これ…」


シルバは驚くラッツを見ながら、ふふっと微笑んだ。


「あんた、イグって奴じゃないんだわね?」


シルバは頷いた。


「シルバなんだわ?」


シルバはもう一度頷いた。


微笑む赤髪の彼を見て、ラッツの目から涙が溢れた。そして彼女は、パンの袋を大切に持ったまま、何も言えなくなる。


間違いなく、彼はシルバだと、彼女にはそうわかる。


「ラッツ…僕はね、イグの造った、呪人だったんだ」


シルバの告白に、ラッツは顔を上げて目を見開く。


「呪人…?」

「うん…。僕はね、人間じゃないの」


ラッツは驚きの余り、口をぽかんと開けた。


「ごめんね。隠していて」

「な、何で……」


僕はそのあと、彼女に話をした。


自分の生まれた意味も、マキと結婚して子を作った理由も、全部、全部だ。


僕の拙い説明でラッツが全部理解できたのかわからないけど、ラッツは頭がいいから、わかってくれたに違いない。


「何で…その…イグの身体で動いてるんだわ?」

「今日だけ特別にね、貸してもらったの。もう借りることはないよ。ラッツにお別れを、言いに来ただけ」

「……」


シルバは言った。自分はもう、死んだのだと。

身体はなく、残ったのは核の意思だけ。


だけど身体はイグの物だから、自分が表に出てくることなんてもう今後はないのだと。


ラッツは涙ぐんでいた。シルバとはやっぱりもう会えないのだと、そう理解したからだ。


「ラッツ…」


シルバは意を決する。これまで隠していた自分の心を、初めて、伝えられる…。


「ずっと…大好きだよ…」


ラッツは驚いて、彼と目を合わす。


「な、何て…?!」

「大好きなの。ラッツのこと。ずっと前から」

「え………」


ラッツの驚く顔を見て、シルバは苦笑いを浮かべた。


(やっぱり困るよね…。呪人に好きだなんて言われても…)


「あ、あたしだって…」

「うん…?」

「あたしだって、ずっと好きだったんだわよ!!」


ラッツが声を荒げると、シルバもまた驚いたように彼女を見る。


「でもあんたは、マキと結婚して…」

「それは…イグの命令だったから…」

「子供まで作って…」

「ごめん…。でもそれがイグの望みだったから…」


ラッツはシルバを見上げて睨みつけた。シルバはそんな怒り顔の彼女を、すっと抱きしめた。


「でも僕が好きなのは、ずっとラッツだったよ…」

「何なんだわよ……」


ラッツは泣きながら、シルバの身体を抱きしめ返した。


この身体は、彼のものじゃない。でもどう見ても、シルバと同じだ…。


しばらく抱きしめあったあと、シルバは手を離すと言った。


「ねえ、パン食べてみて!」

「これ、あの時のネズミパン…」

「そう! 覚えててくれてよかった!」

「あんたが作ったの…?」

「うん! ラッツに食べてもらいたくって、ずっと練習したんだ!」


ラッツは袋をからパンを取り出す。チョコペンで描かれたネズミの顔は、あの時のネズミよりもすごくブサイクだった。


「へったくそ」

「ごめん! チョコペンの練習は…間に合わなかった…」

「まあいいんだわ」


そう言って、ラッツはネズミの顔をかじった。


「!!」


ラッツが反応する様子を見て、シルバは笑った。


「中身がある!!」

「そうだよ! このネズミパンは中身もあるよ! 特別だからね!」


中から垂れてきたのはキャラメル味のクリームだ。昔食べたネズミパンも確かにキャラメル味だったが、何も入ってはいなかった。


「やるじゃない!」

「ふふ」

「うん! すっごく美味しいんだわ!」


ラッツはネズミパンを食べながら、幸せそうな笑みを浮かべた。


(ああ、彼女のこの顔を見るのが、僕の生きる意味だったんだ…)


ふとシルバはそんな風に思う。


彼女のそばにいることはもう叶わないが、最後に彼女を笑わせることができた。それだけですごく、幸せだ。


「あんたがいなくなったら、もう食べられないじゃない」

「大丈夫! レシピ書いてきたから!」


シルバは汚い字で書かれたレシピの紙を取り出して、ラッツに渡す。ラッツはそれを見て、顔をしかめる。


「無理だわよ、あたしには。パンなんて焼いたことないんだわ」

「大丈夫だよ! ラッツは器用だから何でも出来るって!」

「さすがにパンは無理だわよ」


ラッツは苦笑した。


「でも、お店じゃもう買えないよ。あれは干支パンなんだから、ネズミ年じゃないと!」

「何言ってんの。あれから10年経ったんだわよ。もうすぐネズミ年だわよ」

「えっ! ああ、そっか…」


ラッツはまた笑って、僕も楽しくてまた笑った。


僕は呪人だったけど、幸せに生きていた。

こんなに幸せな呪人はこの世に僕だけだろう。


「ねえラッツ」

「何なんだわ?」

「イグのことを責めないでね」

「……」


シルバは言っていた。イグは大切なご主人様なのだと。


ラッツは正直、わだかまりはある。

シルバを自分の身代わりとして、好き勝手に利用したイグのことを、素直に許せないという気持ちはある。


だけどシルバは、イグに対して一切の負の感情はない。

シルバにしてみればもう1人の自分でもあり、ご主人様でもある。


シルバがそう言うなら、自分が怒る義理もない。


それにイグは、あたしに頭を下げてくれた。


「わかったんだわよ」

「ありがとう、ラッツ」


シルバは安心したように彼女を見ると、言った。


「じゃあ、僕はもう行くね」

「え…もう…?」

「うん。イグに身体を返さないと」

「も、もう少しくらいいいじゃない」


シルバは首を横に振る。


「これ以上話すと、返したくなくなるから」

「……」

「さよなら、ラッツ」

「……」


シルバはいつものにこやかな笑顔を最後に見せて、彼女の部屋をあとにした。ラッツはまた、閉まる扉を前に、呆然と立ち尽くした。


「!!」


イグはハっとした。貸していた身体が、戻ってきたのだ。


(今日1日貸すって言ったのに…)


ったく……


【さよなら、イグ】

「え…?」


最後に声が聞こえた気がした。


(なんだよもう…)


イグはそのまま、自動階段に乗って塔を降りていく。




シルバはすっと、目を閉じる。

これからイグの中で、永遠に眠ろう。


イグと一緒に、生きるんだ。


そしてイグが死んだら、僕も本当に消えて、そしたら……



今度は、人間に生まれたいなあ……。
















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