無意味な告白なんて
オーディン。それは暗黒の鎧を身に纏い、その手には黒い槍を持った、人に似た姿の、雷を操る魔族だった。
ラグナロクによって世界が滅びるずっと前、閃雷の国に住むオーディンの元に、スルトとユッグがやって来た。
「誰だおめぇら」
その頃のオーディンは、非常に喧嘩っ早く、短気で、自分が世界で最強の魔族だと思っていた。
「スルトだ…」
「ユッグです」
「んあああァんん?」
オーディンはガンつけながら、黒い愛馬に跨って、2人に近寄っていく。
「勝手に俺の国に入ってくんじゃねえ」
「国…ですか?」
閃雷の国、そこは磁場で囲まれているただの岩山で、住んでいるのは彼1人だった。
彼はいつも独りだった。自分以外は全員敵だと思っていた。どんなに強い魔族がやってきても、その力でねじ伏せた。慈悲なき彼こそ、まさに魔族を現す象徴のようだった。
「ここは俺の国だ。不法侵入者は全員殺すって決めてんだ」
オーディンはユッグに向かって槍先を向けた。間もなく槍先から雷が撃ち出されると、ユッグを襲った。
しかしそれをスルトの炎が止めた。オーディンの雷は炎に飲まれて完全に消えてしまったのだ。
(は……?)
オーディンは驚いたように目を見張った。これまでに炎の魔族と戦ったことはたくさんある。だけど自分の雷を消されたことなんて、生まれて初めてだった。
「勝手に君の国に入って悪かった。俺たちは旅をしているだけだ。すぐに出ていくから、どうか許してほしい」
スルトは言う。
そしてその時オーディンは、完全にキレていた。
「誰が許すかぁあああ!!! 俺と勝負しろぉおおお!!!!」
オーディンは完膚なきまでに倒された。手も足も出ないとはこのことだ。
気絶したオーディンがやっと目を開けると、スルトは彼の顔を覗き込んだ。
「あ…やっと起きた」
「っ!!!」
これまでどんな魔族にも打ち勝ってきたオーディンを、一瞬でこてんぱんに倒した魔族、スルト。得体のしれない彼のその力に、オーディンは完全に感服した。
「……」
「…大丈夫か?」
オーディンは彼の強さに、完全にひれ伏した。負けたことでみじめな気持ちになると思ったのに、それさえもないほど心服した。そのくらい頭が上がらず、そのくらい……
「スルト様……!!」
「え?」
オーディンは目を輝かせて彼の名を呼ぶと、彼の前にひざまづいた。スルトは戸惑っていたが、オーディンはにっこりと微笑んだ。
(そのくらい、敬愛致しました……!!)
【というわけですね!】
(いや、どういうわけだよ!!)
オーディンと共にラグナロクを生きた雷は、懐かしそうかつ幸せそうに、スルトとの出会いの記憶を見せながら、イグに語った。
【本当に物凄く強かったんですから!!】
(知らねえよ!)
どうやら俺は、オーディンとやらの新生者…つまり、生まれ変わりらしい。そんなこと言われても、前世の記憶なんてあるわけねえし。ていうか、俺の前世は魔族なのかよ。
そしてリルイットはスルトの新生、あのブスコもユッグの新生ときた。ユッグってやつ、ちらっとしか出てこなかったけど、すげえ美人じゃなかったか? スルトも不細工でリルに全然似てねえじゃねえか。新生したっていわれても全くパッとしねえよ。
って俺が雷野郎に聞いたけど、外見のことはよくわかりませんと言うだけだった。こいつらにとっちゃ見かけなんてどうでもいいらしい。それよりも内面の強さが重要なんだそうだ。そんなこと言われてもよくわかんねえし、うん千年前の話なんて、俺はどうでもいい。
【はぁ……リルイット様に会えるなんて、本当に夢のようです】
(シルバの中にいたんじゃねえの? その時から会ってただろ)
【いえ…。シルバは呪人でしたから、力を貸すのが精一杯で、外のことはわかりませんでした】
(ふうん…)
【オーディンの新生先を見つけて、ここだ!っと思って身体に入ったんですけど、どうやら偽物の方だったみたいで!】
(シルバを偽物いうなよ…)
よくわかんねえけど、こいつは俺と間違えてシルバに入ってしまったようだ。そして一度入ったら出られなくなったらしい。
こいつは俺の中に入って、割と自由の身になった(?)って感じだ。人間と呪人は違う生き物だからな。呪人じゃあ勝手が悪かったのかね。こいつらの存在もわけわからんし。もう俺には何にもわからん!
【リルイット様、今何してらっしゃいますかねぇ】
(寝てんだろもう。夜だぞ)
【そうですかあ〜……】
とりあえず、クソほどに気持ち悪い奴だ……。
数時間前、ウォータードラゴンを倒したイグたちは、今一度守護結界で研究所を守り、中に戻った。
「え……?」
すると、研究所内に備蓄されていた薬や研究物、カプセルに入れられた他の人間たちが、揃って消えているのだ。
(馬鹿な……!)
荒らされた後はない。だけども綺麗に、全てを奪われている。
(マキは……?!)
イグは急いでマキのいる部屋に行く。その部屋には元々研究に関するものはなかった。誰かが入った形跡もない。
マキは何事かと尋ねた。赤子もいて、産後まだまともに動ける状態ではないマキは、身動きがとれなかったようだ。ウォータードラゴンの奇襲にあったが、無事に倒したと報告をした。
(そういや、レノンの奴は…)
そう思ってレノンの個室のドアを開けると、イグは驚いた。
「っ!!!」
レノンはその部屋の中で、息絶えていた。
(死んでやがる……)
服従の紋は確かに死亡反応が出ている。服従相手が死ねば呪術師にはそれがわかるのだ。しかし戦いに夢中で気づかなかった。どうやらウォータードラゴンとの戦いの最中に殺されたようだ。
胸の辺りが血で滲んでいる。心臓を一突きされたようだ。
(まだ脳は生きてるか……?!)
そう思ってイグはレノンの頭を掴む。レノンの死に際の記憶を見ようと試みたのだ。
『あなたは……?』
レノンは生気のない声で呟く。
前にもレノンの記憶で見た、アルテマという名の橙色の羽の天使が、レノンの前に現れる。レノンの記憶はもうほとんど何も残っていない。アルテマのことも、忘れている。
『レノンを服従し、記憶まで消すとは、面白い奴がいるな』
アルテマは部屋の中を見回すと、その手に黒光の球を作り、その手で研究材料に触れていく。すると、研究材料は触れた途端に跡形もなく消滅してしまった。
(こいつか……)
『レノン、お前ももう、用済みだ』
『っ!!!』
レノンはアルテマに剣を突き刺され、死んでしまった。
(やられた……)
そしてレノンの記憶は幕を閉じた。
その後レノンの死を皆に報告した。マキは一瞬自分が疑われたのではと焦ったようだが、レノンの記憶を読んだことを話し、皆を安心させた。その際、自分が多術師である故に、記憶を読める特異能力があることを、初めて暴露した。
研究所の周りは安全ではないことが今日の奇襲からもわかった。しかしその日はもう夜になってしまったので、帰還は翌日と決めた。
こうしてイグは研究所の周りに結界を張りながら、深夜の今でも奇襲に備えて目を開けている。そしてその暇つぶしというわけではないが、雷に話しかけたところ、べらべらと昔話を始めたのでそれを怠そうに聞いていた、というわけだ。
【リルイット様がちゃんと眠れているか、見に行きませんか?】
(誰が行くか!)
すると背後の廊下から、オギャアオギャアとシズナの泣く声が聞こえてくる。イグはハっとして後ろを振り向いた。シズナを抱え、マキがイグの元にやってくる。イグの心臓は高なった。
「マキ」
「何だ。まだ起きているのか」
「ミルク? 作ってやろうか?」
「いや、もう授乳はしたんだが、泣き止まないからあやしているんだよ」
「そ、そうか…。そういう日もあるよな…」
「そうなのか?」
「ああ。確かそんな子もいたよ。助産師の記憶じゃあな」
イグはそう言った。マキは、イグが記憶を読める能力があるなんてことは、レノンの死の真相を話す時まで知らなかった。
シズナは未だ泣き続けている。
「そうなんだな。まだシズナを産んで2日目だ。私にはわからないことばかりだよ」
「ああ……だよな…」
マキがとんとんとシズナの背中をさすると、シズナはようやく落ち着いて泣くのを止めた。それを見てマキは安心したように微笑んだ。
イグはマキに近寄り、シズナの顔を覗き込んだ。
(似てる気がする……俺にも………)
涙が出そうになるのを、イグは必死で堪えた。
すると、マキは言った。
「どうして話をする気になったんだ?」
「は?」
「お前の話だよ。記憶を読めるって話」
「ああ…別に……」
「お前はいつだって自分の話をしなかった。でも今日は初めて、お前は自分のことを話してくれた」
「……」
「嬉しかったよ」
マキはそう言って、軽く微笑んだ。イグは心を掴まれるような気持ちになった。
(俺は何も話しちゃいねえよ……マキ…)
記憶を読めると、皆に教えた。消せるとは、言わなかった。
リルイットは知っていたはずだけど、敢えて何も言わなかった。言わないでいてくれたんだろうか。
俺は話すつもりはない。
マキ、お前の記憶を消したことを……。
【どうして本当のことを言わないのです?】
(!!)
突然『雷』に話しかけられて、イグは驚きで心臓が飛び出そうになった。
【隠す必要ありますか?】
(言う必要がねえんだよ、もう…)
そんな話を今更聞いたって、マキの心をえぐるだけだ。
ただでさえシルバが死んで、マキの心はずたぼろなんだよ…。
「シズナはお前にも似てるな、イグ」
「っ!!」
マキにそう言われて、イグは言葉を失った。
ああ。マキのことも、シズナのことも、全部…
全部…
全部全部……俺の物にしたい………。
「マキ………俺は………」
「オギャア! オギャア!」
イグが何か言いかけたところで、シズナは再び泣き始めた。
「もう1回授乳してみるか……」
「あ……ああ。産まれてすぐにはうまく吸えねえからな。欲しがるだけあげたらいいって、助産師が言ってたぜ…」
「そうか。じゃあ部屋に戻るとするよ」
マキはそう言って、イグの元を去っていった。
マキがいなくなると、イグはその場にへなへなと座り込んだ。
(父親はお前じゃないって……拒絶されたみてえだ……)
イグは1人、がくりとうなだれた。
【やっぱりイグはオーディンの新生ですね】
(はあ…? そんな魔族と一緒にすんじゃねえ…俺は俺だ。オーディンじゃねえ)
【オーディンもね、言えなかったんですよ、スルト様に。好きだって】
(知らねえよ。お前の話なんか…)
気持ちわりぃなあ……。スルトってあの気持ち悪い黒い魔族だろ……。オーディンだって俺とおんなじような顔しやがって……。何でスルトを好きになるんだよ。ゲイみてえじゃんか。気持ち悪い。そんな趣味ねえんだよ。ていうか魔族に性別とかねえんだろ? 魔族って恋愛とかしないって聞いたことあんだけど。こいつら何なんだよ、ほんとに。
(俺はマキに何度も言ったよ。好きだって。結婚してくれって。何度もな。オーディンとはちげえよ。告白もできねえぼんくらとはな)
【いいえ。イグもしていません。本当のことは何1つ告白、出来ていませんよね】
雷がそう言うと、イグは苛立って頭を掻きむしった。
「いいんだよ! 何も言わなくって! もうどうしようもねえんだから!!」
「イグ…?」
「っ!!!!」
つい言葉に出して叫んだ。その声に反応したのはリルイットだった。
イグは顔を上げた。誰もいない研究室で1人声を荒げる彼を見たリルイットは、当然のように怪訝な顔つきである。
(またこいつ……!)
「何で起きてんだよ! 何時だと思ってんだ!!」
わけもわからずそんな叱責しかできない。
「いや…お前、ちょっと様子おかしかったから……心配でさ……」
「はぁ……?!」
気持ち悪い! 『雷』が変なことを言うから、俺は今、こいつが心底気持ち悪い!!
ああ、そういや昨日、こいつの前で泣いてしまったんだった。
思い出すだけで赤面する。
自分にドン引きするっつうの…!!
クソが……クソ野郎がぁっ!!!
【リルイット様! 何と温かな御心!!】
「黙ってろお前はぁあああ!!!」
「えっ…」
「っ!!」
ふと『雷』への言葉を口にしてしまった。リルイットはビビって退いている。
「いや、違うぜリル…別にお前に言ったんじゃなくて……」
「イグ、お前やっぱ何か変だぞ? シルバが死んだのがまだショックなのか? それとも、他に何かあんのか?」
「ね……ねえよ別に…! そもそも関係ねえだろ! お前には! 俺のことなんて!」
【こら! またリルイット様にそのような暴言を!!】
『雷』の叱責も無視して、イグはリルイットを睨みつける。しかしリルイットは気にせず彼に近づいていく。目の前まで彼がやってきて、イグは顔を引きつらせる。
「関係ないかもしんねえけど…」
「じゃあほっとけよ」
「ほっとけない」
リルイットはイグの肩に手を置いた。
「泣いてる仲間を、ほっとけないだろ」
「っ!!」
そうだ。こいつはいつも…お節介なんだ。こいつはいつも、他人の心にズカズカと…。
【リルイット様! 私は…私は感動しておりますっ!!!】
心の中で『雷』が感極まる傍ら、イグは自分の肩に置かれたリルイットの手を、乱暴に強く掴んだ。
「触るな…」
「え……」
「俺に触るなぁああ!!!!!」
「いぃいいい!!!!」
イグはリルイットをそのまま背負い投げした。
「ぎゃふ!!」
リルイットはそのまま背を強く打ち付け、目を回した。
「気持ち悪いんだよ!! 男のくせに!!! 二度と俺に気安く触んじゃねええええ!!!!」
バチバチバチバチバチバチバチバチ!!!!
「ぃぎぎぎぎぎ!!!!」
イグの身体にも激しい電流が駆け巡る。そのまま彼も気絶するのであった。




