誕生と消滅
「おお〜可愛いじゃねえか!」
「オギャア! オギャア!」
イグはマキの赤子を抱きあげた。赤子は声を上げて泣き出した。それを見てラスコは言う。
「ちょっと! 嫌がってますよ!」
「ああん?! んなわけあるか!」
「だってすっごく泣いてますもん!!」
「赤ん防は泣くのが仕事なんだよ! ほらほら! もっと泣け〜〜!」
「もう!! そんな乱暴にしないでください! こっちに渡してください!」
「誰がお前みたいなブスに抱かせるかよ!」
「オギャアアア!!!」
イグとラスコはベビールームと化したその寝室で、泣きわめく赤子を奪い合っていた。部屋の隅ではレノンが抜け殻のように口を閉じたまま、体操座りをしている。マキは別室で安静にしている途中だ。
「おいイグ! シルバが死んだってどういうことだよ!!」
リルイットは声を上げながらその部屋に入ってくる。イグは顔をしかめてリルイットを睨みつけた。ラスコも今更ながらシルバの不在に気付いてハっとする。
イグはため息をつくと、赤子を布団の上に寝かせた。余計に赤子の泣き声は激しくなる。
「え? し、死んだって…?!」
「イグ! どういうことなんだよ!!」
リルイットはイグに掴みかかった。血走った瞳でイグを睨みつける。
「おい。落ち着けっての」
「仲間が死んだんだぞ! 落ち着いていられるか!!!」
「ったく……」
イグはすっと姿を消した。リルイットの手中には誰もいなくなる。イグは知らぬ間にリルイットの後ろに姿を現す。透過結界、彼の得意術だ。
「シルバは元々人間じゃなかった」
「はあ?! 何言って……」
「シルバは、俺が創った呪人なんだよ」
イグは話を始める。イグとシルバ、2人のその、関係を。
リルイットとラスコは眉間にシワを寄せ、彼の話に耳を傾けた。レノンも横目でそれを見ている。
バチバチバチバチ!!
イグはその手のひらに雷を纏った。
「っ!!」
リルイットは察した。それはかつて、シルバの中にあった雷の力なのだと。
「さっき話した通り、シルバの核は俺の中にある」
リルイットもそれを確信する。シルバは今、1人に戻ったのだ。
「も、もう1回、シルバの呪人を作れねえのか…?」
イグは首を横に振った。
「呪人の記憶は核にある。だけど俺の中に入ったこの核を、どうにも取り出すことができない」
「……」
イグは赤子を抱き上げると、言った。
「ごめんな…。パパを助けらんなくて……」
「……?」
リルイットとラスコは顔を見合わせる。
「その子はマキとイグの子なんじゃ……」
するとイグは答えた。
「この子はマキとシルバの子だ。俺がマキを抱いたことは一度もない」
「え……?」
イグはラスコに赤子を渡す。ラスコは慌てて赤子を抱きかかえる。
「ちょ、ちょっと!」
「マキに見せにいってあげてくれ。可愛い女の子だって」
「わ、わかりました…」
ラスコが部屋を出ていくと、イグはヘナヘナとその場に座り込んだ。
「イグ!」
リルイットは、慌ててイグに駆け寄った。イグはそのまま地面にばたりと倒れ込むと、呟いた。
「腹減った………」
そのあとイグのお腹がぎゅぎゅる〜といい音を立てた。すると、レノンがぼそっと呟いた。
「キッチン……ありますよ。食材も……」
「あっそう。じゃあリルとなんか作ってきてくれよ…」
「わかりました」
「なんなんだよもう…」
そしてリルイットは、空腹の彼を部屋に残して、レノンと共にキッチンに向かった。
誰もいなくなると、イグはさっきまで赤子が寝ていた布団にごろりと転がった。
「あったけぇなぁ……」
赤子の残した熱を感じながら、安らかな表情を浮かべ、目を閉じた。その目からは涙が流れた。
(くそ……)
悲しくなんてねえのに。たかが呪人が1人死んだくらい。いや、違う。核は俺の中に戻ったんだ。シルバは俺の中に生きてんだ。シルバはもう、1人しかいない…。
「イグ」
リルイットの声がして、イグはハっと目を開けた。
「何で…」
戻ってきたんだと、イグは言葉も出なかった。涙が溢れて止まらなかったからだ。
誰にも見られたくなんてないのに。何でこいつに…。
「心配になってさ…。レノンが飯作り始めたんだけどさ、俺がいても邪魔みたいだし」
イグは顔を真っ赤にして泣いている。涙もろくなってしまったらしい自分を心底悔やむ。だけれど駄目だ。止められないのだ。
リルイットは、イグの目の前までやってくる。包帯だらけのその顔で、泣き崩れている彼を見つめる。
「大丈夫…じゃなさそうだな」
「うるせえ…あっち行け……。こんな時くらい1人に……」
リルイットは、イグをそっと抱きしめた。イグは驚いて大きく目を開けた。
「何考えてんだ…イケメンに抱きつかれても、男は喜ばねえぞ…」
「この火傷じゃあもうイケメンとは言えねえや…」
「へっ……ざまあみろっての……」
イグはリルイットの胸に顔を埋めた。バチバチと、電気が流れるのを感じる。何かに興奮しているように、電流が体内を泳いでいる。
【リルイット様、お会いできて光栄に存じます】
脳裏に声が響いて、イグは驚いた。それは自分の声だったからだ。
しかし声の主は、自分でもシルバでもない。知らない誰かだ。
【炎を失われたのは非常に残念でございます。私がもう少し早く来ていればと思うと…大変悔やまれます。申し訳ございません】
イグは顔をしかめる。その声はイグにしか聞こえていない。
(何を…言っているんだ……?)
お前は……誰なんだ……?
リルイットはイグを優しく抱きしめ続けている。
(ああ、でももう、何でもいいや……)
あったかい……信じられないほど……。
イグは涙を流し続ける。
「イグ…」
リルイットがイグの名前を呼んだ。
不思議な心地だった。彼に名前を呼ばれるのが嬉しくてたまらない。これはきっと、自分の身体に入った電流のせいだ。電流が身体を巡って俺の心を刺激する。それしか考えられない。
「ぅう………ひっく………ぅっ………」
「イグ……」
「ぅっ…………っく……ぅう………」
イグは声を殺して、それでも激しく泣いた。
電流がバチバチと、激しく全身を巡っている。痛みはない。雷はもう、俺の一部だ。
俺の知り得ないような、ずっと、ずっと昔から……。
「よしよし」
リルイットは笑いながら、彼の頭を撫でた。美しい赤色だ。しかし根元の生え際の髪は、よく見ると銀色をしている。
(シルバはもう、君だけなんだね……)
どうして彼を抱きしめたのか、よくわからなかった。わからなかったけれど、そうしてあげてほしいと、『炎』に言われたような気がして。
(あったけえなぁ……)
イグは静かに目を閉じた。その穏やかな安心は、どうしてこんなに懐かしいのか。
彼にはまだわからない。だけどもその瞬間確かに、イグの心は癒やされていった。
「マキさん、女の子ですよ!」
ラスコはマキに赤子を見せる。ラスコはマキとまともに話したこともなかったけれど、マキのことを少なからず怖い人だと思っていた。しかし赤子を見たときのマキの顔は、ものすごく柔らかく、優しく、穏やかなものであった。
それを見てラスコも微笑んだ。新しい命の誕生は、彼女の心に感動を与えた。
人と魔族の名もなき戦争の最中、彼らは集う。
彼らはラグナロクを生きた、魔族の新生者。
彼らの体内に宿りし魂。
火と樹とそして、雷と。
「オギャアアア」
マキとシルバの子の泣き声が、遠くから聞こえる。
今マキの心は、戦時中を思わせぬような幸福に溢れている。
マキが赤子の父親の死を知るのは、もう少し後である。
戦いを終えた彼らの様子を、堕天使アルテマは傍観していた。
(レノンは終わった……。そしてケイネス……いや、あのシッダが、殺られるとは……)
手は出さない。まだその時ではない。
アルテマはただ、堪能している。
彼らの行く末を。その結末を。
(少しは面白くなってきたよ)
君たちはもっと強くなる。
その時は私が相手をしよう。
もう一度、あの憎悪の炎を見せてくれ。
世界を滅ぼすあの炎を。
なぁ、リルイット……。
アルテマは立ち去った。
6枚の羽をはばたかせ、遥か空の彼方へと飛び去った。
美しき橙色の羽が1枚、燃え尽きたインヴァルの灰を弔うように、ふわりと落ちた。




