シッダ
「ほっほっほ!」
インヴァルバードとリルイットの攻防は続いていた。炎も物理も効かないインヴァルに、何のダメージも与えることはできない。ラスコの調査を信じて防戦一方だ。
しかしインヴァルバードは、リルイットに接触しては、その造形を吸収している。リルイットの体内炎エネルギーはみるみる削り取られていた。造形が解け、下手すりゃ気絶するのも時間の問題である。
「くっそ…! 拉致があかねえ…一度撤退すべきか?!」
「リル!! 何か見つけました!」
「弱点か?!」
「わかりません。ですが…」
(人質になるかもしれません……!!!)
「ケイネス・ヴェルバクトロ!! この死体を壊されたくなかったら、降伏しなさい!!!」
ラスコは叫んだ。
「何を言っとるんじゃ。その辺の死体の1つや2つ、どうなろうと構わな………」
ケイネスは研究所の入り口を見ると、青ざめたような表情を浮かべた。
入り口では、凍りついた人間の死体が、ラスコのツタに羽交い締めにされている。それはどこにでもいそうな黒髪の青年だった。細身の身体で、歳はリルイットよりも上の20代後半くらいだろうか。髪は肩下まで乱雑に伸びている。
「お、お前! どうしてそれを……!!」
ラスコはニヤリと笑った。やっぱりこの死体は他の実験体とは違う。明らかに隠され、丁寧に保存されていた…。
ケイネスの研究の大きな目的は蘇生術を得ることだと悟った。ラスコは、ケイネスが誰か蘇生させたい者がいるのではないかと推測していた。
(この死体はケイネスにとって大切な物に違いありません…!!)
「降伏してマキさんたちを解放しなさい!! そうでなければこの死体を壊します! 本気です!!」
ツタは更に力を加えてその死体を締め付けた。
「………」
ケイネスは沈黙した。ラスコとリルイットは緊張しながら様子をうかがう。
(交渉はうまくいくでしょうか……?!)
「……ふざけるなよ、お前さんたち」
「…?!」
ラスコはゴクリと息を呑んだ。先ほどのふざけたケイネスの様子とは打って変わった。
その瞬間、インヴァルバードは姿を消した。いや、そのように見えただけだ。そのくらい細かい粒子に分散し、地面に急降下したのだ。狙うはツタの捕らえる謎の死体である。
「聞こえなかったのですか?! この死体を壊しますよ?!」
ラスコは叫んだ。しかしケイネスの耳には届いていないのか、地面を泳ぐ大きな波に姿を変えると、ツタを飲み込もうと襲いかかった。
ラスコのツタはやむなく、死体の頭を締めつけた。
(……?!)
すると、その頭はポロリと簡単に取れてしまったのだ。
ツタにそこまでの力はないし、力を込めた覚えもないラスコは、驚きを隠せなかった。まるで元々取れていたのを軽くくっつけていただけのような、そんな感覚だった。
「うあああああ!!!!! 何てことをするんじゃあ!!!!」
ケイネスは激しく発狂しながら、そのツタを死体ごと飲み込んだ。ツタはあっという間に消滅し、死体は頭と胴が分かれたまま、インヴァルの中に完全に入りこんだ。
「せっかくの人質が……!!」
リルイットは着陸すると、ラスコを地面に下ろした。
「ラスコ、合図したらユッグドラシルを咲かせられるか?」
「え…?」
「ステラの攻撃を防いだあの大樹だよ! できるのか? できねえのか?」
「で、できますけど……一体何をする気なんですか…?!」
「いいから! じゃあ頼むぞ!」
「っ?!」
リルイットはインヴァルめがけて駆け出した。
ケイネスは非常に苛立っている様子だ。インヴァルの中にその姿を現したケイネスは、その死体の頭と胴を大切そうに抱えている。
「生きて帰れると思うな!! 骨の髄まで実験体にしてやる!!!」
「やってみろっての!!」
リルイットはそのままインヴァルに飲み込まれた。
「リル!!」
ラスコの叫ぶ声も、彼にはもう届かない。
「自分から飲み込まれに来るとは! お前さん! 正気か?!」
「当たり前だ! その死体がなんだか知らねえが、まるごと燃やし尽くしてやるよ!!」
「馬鹿か! インヴァルは炎を無効化できるんじゃ! ここにいれば、お前のエネルギーなんてすぐに全部吸い取られて、あっという間に死ぬことになるんじゃぞ!」
リルイットはニヤリと笑うと、全身から炎を放出する。インヴァルの身体は真っ赤に染まり、炎撃を物ともしない。
すると、リルイットはラスコの方を振り向いて叫んだ。
「ラスコ! 今だ!!」
「はい!!」
地面を割るように、みるみる巨大樹が生え始めた。ラスコもその枝に守られるように乗りこんで、ぐんぐん空へと上がっていく。
「植術ごときではわしは倒せんぞ」
「どうかな?」
巨大樹ユッグドラシルは、天高く伸び切り、その頂上はあっという間に見えなくなった。その枝々には真っ赤な光る花が咲き誇った。
(花が咲いた…!)
ラスコはその花を初めて見た。発光体となる花なんて、電気を帯びる花エクレール以外に見たことも聞いたこともない。
(これがユッグドラシルの、本当の姿なのですか……?!)
すると、再びユッグが、ラスコの前にその姿を表す。栗色の髪の美しき木の魂は、ラスコに微笑みかける。
「愛する人に力を貸しましょう」
「ユッグ…」
ユッグはラスコの手をとった。
「っっ!!」
漲るような大地の力を感じた。しかしこれは、大地が得た光源の力なのだ。ラスコはその燃えたぎるような力に目を見張った。
(太陽の熱です……!!)
植物は、太陽のエネルギーを常に吸収し続けている。それは命を生かす酸素を作っている植物だからこそ得られる力だ。ユッグドラシルは今、この世の全ての自然と繋がるユッグの次に生まれた世界樹なんだ。
(ああ、リル……。あなたはこの力を、知っていたというのですか……)
ユッグはにっこりとラスコに笑いかける。その美しさに、女のラスコも完全に見とれてしまう。
「馬鹿め! お前の炎なぞ、すぐに底を尽きるわい!」
「やってみろよ……」
ケイネスはリルイットの炎から死体を守りながら、炎エネルギーを吸収していく。真っ赤なインヴァルは炎を無効化し続けている。
(こやつ……)
かなりの炎を吸い取ったはずなのに、未だに底が尽きない。
何故だ…何故こんなに、炎がたぎっている……?!
それにこの炎の力……わしも知っている……?
初めてじゃない……そうだ……この炎は……
「お前……ケイネスじゃねえな?」
リルイットは言った。ケイネスは顔をしかめた。
「何を言っとる」
「その死体がケイネスなんだろ?」
「!!!」
ケイネスはハっとした。ようやく気がついた。この炎は……
「お前さん……スルトなのか………?」
ケイネスはふと自分の胸元を見た。無効化していて痛みがないので気が付かなかった。奴の炎が、自分の体内に侵入している。
「俺はリルイットだ」
「いや、お前はスルトだ。この炎は間違いなくスルトの物だ…!!」
炎はケイネスを侵食している。いや、ケイネスではない、その名前を偽る古き魔族を。
「へえ。本当の名前はシッダっていうんだな……『完成した者』の意か。大層な名前つけやがって」
「っ!」
その魔族は顔を引きつらせた。
(読まれている……! わしの記憶を………!!!)
「諦めろシッダ。お前は俺が殺す」
「何を馬鹿げたことを。死ぬのはお前じゃ! わしは必ずケイネスを蘇生させる!!!」
そうじゃ……そのためにわしは……今日まで……
『僕って頭がおかしいんだよ…。皆僕のことを虐待者って呼ぶんだ』
『そんなことはない! お前さんは素晴らしい研究者じゃよ!!』
シッダ。それは元より名のない魔族。
姿のない魔族だった。
名前をつけたのは自分だった。
遥か昔、肉体的及び精神的な『完成』を極めた者のことを、そのように呼んでいた人間たちがいた。名前をどうしようか考えていたところ、それが自分にふさわしいと思って、自分で自分をシッダと名付けたのだ。
それは何千年も昔、ラグナロクよりも昔のことであった。
シッダは自分の身体を持たない魔族。心だけの魔族だ。
そんな彼は、誰かの身体を自分の身体として略奪することができる。その身体の寿命が尽きる、あるいはそれ以前に死ぬまで、その身体から出ることはできない。
最初自分が何の身体に入っていたのか、もう全く思い出せない。だけれどその身体が自分のものでないことを、シッダは自然と理解していた。
自分には身体がない。だけれど心は存在する。
そんな不思議な存在。でもシッダにとっては、それは普通のことだった。
何度も死んで、何度も新しい身体で生きた。
略奪するのは簡単だ。その身体の心に侵入して、その心を食らうのだ。心臓や核じゃない。心だ。シッダには心が見える。何故なら彼も、心だからだ。
ラグナロクの日、あの日は本当に熱かった。魔族スルトの豪炎は、闇よりも暗く燃え盛っていた。よく覚えている。熱すぎて一度は死んだが、すぐに炎の魔族の身体を奪って耐えた。
死ぬのはもちろん痛いんじゃよ。だからわしは死ぬのが本当に嫌じゃった。だけど死ぬのは身体ばかりで、わしが死ぬことはなかった。その死の恐怖に怯えて、いっそ本当に死んでこの心を消し去りたいと何度思ったじゃろうか。
そしてシッダは、何千年もかけて、死なない身体を求めた。そのために勉強し、知恵をつけ、知識をつけ、魔族にして、人間を超える頭脳さえも手に入れた。
その頭脳を駆使しても、なかなか死なない身体は完成しなかった。自分の名に泥を塗られたような気分で、シッダは絶対に完成させてやると自分に誓った。
そんなシッダがケイネスに出会ったのは、ほんの数十年前の話だ。その時シッダは、人間の男の身体を略奪していた。寿命の短い人間はすぐに死ぬので、その身体になるのは不本意なのだが、新しい研究所を手に入れるためには人間になるのが手っ取り早かったので、今回に限りその姿になっていたのだ。
その時のシッダは水色の髪をして、七三分けの前髪は顎につくくらい長くて、右目が隠れていた。中性的な顔立ちで、歳は26だ。その人間は研究所にツテがあったので、新しい研究所を建てるのに都合がよかった。その他の理由に、顔がシッダの好みだったからというのもある。まあとにかく、そのおかげでシッダは自分の研究所を手に入れた。
そしてその頃ケイネスは、まだ12歳の男の子だった。
『君、そこで何をしとるんじゃ?』
ある日、シッダはケイネスに声をかけるのだった。




