名のない木
世界中の植物から集めた光エネルギーを得たスルトは、体内に恐ろしい量のエネルギーを宿した。
それはスルトの全身を包む炎の鎧のように作用して、彼が灼熱の国を出ることを許した。
国の外に出られるようになったスルトは、ユッグに案内してもらいながら、その世界を巡った。
何十年も、ユッグと世界を旅した。
それはスルトにとって、本当に幸せな旅だった。
長寿の魔族にとっては数十年なんて、数ヶ月くらいに短い時間なのかもしれない。だけれどスルトにとっては大変色濃く、幸せな時間だった。
灼熱の国の外には様々な魔族たちがいた。どの魔族たちもスルトを見ただけで彼の力を悟り、敬意を示した。
氷河の国では蒼白色の氷狼の魔族フェンリルに出会った。その國で最強とうたわれていたフェンリルは、自分と対等、あるいはそれ以上の強者のスルトに大変驚いた。しかし思いの外、穏やかな性格のスルトに、フェンリルも心を開き、友達になった。
森緑の国ではユッグと親しい植物の魔族たちに出会った。彼らはユッグと同様人間のように物事を理解していた。最初はスルトに恐れをなしていた魔族たちだったが、彼の寛容さを知り、友達のように親しく接するようになった。
閃雷の国ではオーディンという人型の魔族に出会った。彼はスルトを見つけるなり喧嘩を売ってきたのだが、スルトにあっという間に倒されて、忠誠を誓うようになった。スルトはそんなことは求めていなかったが、オーディンはそれ以来スルトのことを大変気に入って、彼の家来のように振る舞うようになった。
多くの魔族たちと出会い、別れ、旅を繰り返した。
その旅の中でスルトのユッグへの思いはどんどん膨らんだ。
ユッグは人間の国にも行ってみないのかとスルトに尋ねたが、スルトはそれを断った。「愛」を持ち、「美」の概念を優する人間を、スルトは心底恐れていた。ユッグは、人間はそんなに怖い生き物ではないよと言ってはいたが、スルトは頑なに拒否した。自分が醜いと、嘲笑され、罵られるのが怖かったのだ。
旅を終え、スルトとユッグは灼熱の国に帰還した。先にオーディンもそこに移住しており、スルトとユッグは顔を見合わせて笑った。炎の魔族たちに外の世界のことを話すと、皆興味深そうにスルトの話を聞いていた。
「スルトの旦那、何だか変わりやしたね」
ある日、オルゾノはスルトに言った。
「うん? 何が?」
「そんなにいきいきとした旦那は、今まで見たことがねえですぜ」
「そうか? 特に何も変わっていないと思うけど…」
「いんや。思えばユッグがここに来た時から、旦那はすごく楽しそうにしているんでさ」
「……」
「あっしもそんな旦那を見ていると、気分がいいですぜ」
スルトはふっと笑って、古き友人のオルゾノの自分と同様な醜い顔を見て、何となく安心感を抱いた。
「スルト様!」
オーディンはスルトを見つけると、幸せそうな声を上げた。いつも乗っている黒い馬から降りて、彼の元に駆け寄り膝まづいた。
黒い兜を被り、黒い鎧を纏い、その全身はいつも暗黒に包まれている。彼はいつも、グングニールと呼ばれる槍をいつも背負っていた。その槍は投げると必ず的を居抜き、持ち主の元に帰るという伝説の武器とも言われていた。
彼もまた人間に近い姿で、細い目をして、鼻が高く、眉目秀麗な顔立ちだった。スルトは彼の姿を心ではよく羨ましがったものだが、口には出さなかった。だけど態度にはよく現れていた。
「何だオーディン」
「ユッグ様が探しておられました。見たこともない美しい花が咲いたので、スルト様に見せたいと」
「ふん…」
オーディンに案内され、スルトはユッグの待つその場所にたどり着いた。そこはユッグが新しく作った庭園で、色鮮やかな花々が整列して咲き誇っている。
「スルト! こっちです!」
ユッグは大きく手を振った。スルトも軽く微笑んで手を振り返した。オーディンはスルトの邪魔をしないように位置取って、その様子を黙って眺めている。
スルトとオーディンは、ユッグの傍までやってきた。
「こっちです!」
ユッグに連れられ、庭園の迷路をくぐり抜けると、そこには1本の大きな木が生えていた。
そしてその木には、真っ赤な花が満開に咲いていた。ユッグでさえ名前も知らない新種の花だった。
花は桜よりも二周りほど大きい。形はアネモネに似ていた。
しかしその花々は、灯りがついたように紅く光り輝いている。
「うわぁ……」
真っ赤な発光花の美しさに、スルトは思わず声が漏れた。それを見たユッグとオーディンは、嬉しそうに目配せをして笑いあった。
「どうですか? スルト」
「すごく美しい…何て花なんだ?」
「この花は新種で名前がありません。良ければスルト、名前をつけてはいかがですか?」
「え? 俺が…?」
スルトはうーんと考えた。しかしすぐには浮かばなかった。
「まあ考えておくよ」
「ふふ」
すると、オーディンは言った。
「スルト様、是非この木に触れてみてください」
「うん? 何を言ってるんだ? そんなことしたら、丸ごと燃えてしまうよ」
「大丈夫ですスルト。ほら、どうぞ」
ユッグにも言われ、スルトは耐火性グローブもなしに、しぶしぶその木に触れた。
「!!!」
その木からは、太陽の熱を感じた。みなぎるような、美しい熱だ。
そしてその木が燃えることはない。
スルトはその日初めて、素手で植物に触れたのだ。
「どうして燃えないんだ」
「そういう木を、スルトのために作ったのです。ね、オーディン」
「はい!」
「まさかこんなに綺麗な華が咲くとは思いませんでした」
ユッグとオーディンは顔を見合わせ、楽しそうに笑っていた。
「…2人で植えたのか?」
「はい。オーディンと一緒に、ここまで育てたんです! 私の日光エネルギーと、オーディンの雷エネルギーを合成して、燃えない強い木になったんです!」
「ふうん……」
スルトの表情は少しばかり曇っていた。
自分のために燃えない植物を作ってくれたのは嬉しいが、ユッグとオーディンが2人力を合わせて、仲良くこの木を育てたと思うと、何となく嫌な気持ちになったのだ。
スルトはその気持ちの名前を知らない。
だけども何だか、ものすごく、嫌悪感を抱いてしまう。
「スルト様…?」
オーディンもスルトの怪訝な顔に気づいて、肩をすくめた。
「気に入りませんでしたか…?」
「いや、気に入った。ものすごく」
「そうでしたか! それは良かったです…!!」
スルトは再度光り輝く赤い華を見上げた。やっぱり何度見ても、すこぶる美しい。赤はスルトの好きな色で、太陽の熱は彼が最も欲して止まない力だ。
スルトたちはその後も、灼熱の国で平和に暮らしていた。
だけどだんだん、その平和が脅かされていることにも気づいていた。
太陽の力が弱まっている。
毎年寒くなる冬を過ごし、そのことは身体で実感していた。
それに加え、別の場所で知をつけた人間たちは、森林を破壊し始めたのだ。必要以上に木を伐採し、素材を得ながら土地を開発した。多くの廃棄物を出しては燃やし、空気は汚染した。
そのせいでユッグは、酷く疲弊した。世界中の植物たちが、生きる場所を失い始めている。成長する木々よりも、失われる自然の方が圧倒的に多かった。
「ユッグ…大丈夫か?!」
「スルト……」
ユッグは寝こんで、とうとう起き上がることもできなくなってしまった。スルトはそんな彼女を見て、何もしてあげられなかった。
「どうしたら……」
スルトの頭の中は、ユッグを助けることでいっぱいだった。しかし助ける方法を見つけられない。そんな彼の前に現れたのが、魔王だった。
スルトが魔王に会ったのは、生まれた時以来だった。そしてどんな姿をしていても、ひと目見て魔王だとわかるのだ。
その時現れた魔王は、悪魔のような姿だった。黒い闇の化身だ。魔族最強と謳われたスルトが怯えてしまうほど、魔王からは強大な闇のエネルギーが溢れ出していた。
「魔王様……」
スルトは目を見張り、小さく呟いた。
「スルト」
「……」
名前を呼ばれ、凍りつきそうなほど全身が張り詰めた。それは恐怖でもあり、敬意でもあり、感動でもある。
「神を殺せ」
「え……?」
突然そう言われて、言葉を失った。魔王と対をなす、神という存在。
「殺せ。お前にはその力があるはずだ」
「お、俺に…そんな」
「燃やせ。スルト。この世の全てを」
「………?!」
これまでのスルトなら、魔王の言葉に疑問を抱くことなんてなかった。だけれどスルトは躊躇した。何故なら今まで彼の心には、魔王の知らない慈悲と呼ばれる優しさが宿っていたからだ。
「スルト、君の心は侵されているようだ」
「え…?!」
魔王はスルトの心に入り込んだ。彼の心のありとあらゆる良心を、奪い去った。
「はぁ……こんなものまで」
魔王はスルトの心を大きく埋めていたとある感情を見つけると、汚いものを見るような目つきで睨んでは、それをぐしゃっと潰した。
「っっ!!!」
スルトは心が壊されるのを感じた。
身体の痛みはまるでないが、心をえぐられるように酷く傷んだ。
「さぁ、これで心置きなく、神を殺せるだろう」
「はい……」
スルトは抜け殻のようになったかと思うと、神を殺すという執念に心を囚われた。それ以外に、彼が望むことはない。そのように、魔王がスルトの心を支配した。
スルトは神の元へと向かった。それは世界の最果てだ。
そこに着くまでに、世界の全てを焼き尽くそう。
思い通りになったスルトを見ながら、魔王はほくそ笑んだ。
「光無き世界はすぐそこまで来ている。神を殺し、新しい世界を作るのは、我だ」
間もなく世界は、彼の炎に飲み込まれた。
それは世界の終焉の日、後にラグナロクと、名前をつけられた。




