『炎』は語る
イグとシルバがレノンとの戦闘を終えた頃、リルイットとラスコは先に森を抜け、夜になると広い湿原に着陸していた。リルイットは飛行中も元に戻ることはなく、ラスコを抱えたまま数時間も飛び続けた。
リルイットはラスコのことを知りたがった。どこで生まれ、どんな両親で、どんな風に育ってきたのか。何が好きで、何が嫌いか、誕生日、血液型、将来の夢、とにかく何でも聞いた。
そんなに自分のことを知ってどうするのかと、ラスコも途中疑問になって答えるのが恥ずかしくなった。代わりにリルイットのことも聞こうと質問をし返したが、まともに答えてはくれず、結局自分の話をしただけだった。
「今日はここら辺で野宿だな!」
やっとぶっ続けの質問攻めから開放され、ラスコはふぅと一息をついた。
「明日には研究所に着くと思いますよ」
「よ〜し! 予定通りだな」
「イグさんたち、大丈夫でしょうか…」
ふとそんな言葉を漏らすと、リルイットはまた自分を睨んでいる。たぎるような嫉妬の目だ。
「ラスコ! 他の男の話をすんじゃねえって!」
「何なんですかもう! あなたが置いていったから心配なんですよ!」
リルイットはラスコの胸ぐらを掴んだ。
「暴力ですか?! 最低で……んんっ!」
リルイットは再び無理矢理に彼女の唇を奪った。しかしラスコももう限界だ。いくら姿がリルイットだからって、彼は全くの別人。馬鹿にされるのはこりごりだ!
そう思って、ラスコは右手を上げると、リルイットの頭に栄養水を発射して、思いっきりぶっかけた。
「っ!!!」
リルイットはびっくりして、彼女から離れた。ラスコは怒りに身を任せて、彼の顔面に水を浴びせ続ける。
「ああっっ!!! 水ぅっ!! 水がァっ!!!」
「あなたなんて大嫌いです! さっさとリルイットから出ていってください!!」
「やめっ!! やめてぇっ!!! んぎゃっ!! ぅわあアアア!!」
ラスコは無我夢中だったので、リルイットの悲鳴が異常なものだったことにも気が付かなかった。
「ハァ……まあもうこのくらいにしてあげま……」
ラスコもやっと正気に戻って、水をかけるのを止めた。
「え……?」
リルイットの頭はびしょ濡れになって、震えるように手で顔を隠しながら、その場にへたりとしゃがみ込んでいた。
「うぅ……冷たいぃ……冷たいよぉ………うぅ……寒い………寒いぃ………」
「ちょっ! リル…?!」
「寒いよ……寒い………。怖い………怖いぃ………ぅうう………」
「ど、どうしたんですか? そ、そんなに冷たかったですか…?」
「ぅう………助けて………寒い……寒いぃ………」
リルイットが狂ったように震えだしたので、ラスコも慌ててハンカチタオルを取り出した。リルイットの顔を拭こうとしゃがみ込み、うつむく彼の顔を覗き込んだ。
「み、見るな!」
「え…?」
「見るな見るな見るな!! あっちへ行け!!! 近寄るなぁああ!!!」
「ひゃっ!!」
リルイットは乱暴にラスコの身体をどんっと押した。ラスコはそのまま後ろに倒れ込んで、どしんと尻もちをついた。
「……」
「寒い………寒いぃ………」
リルイットはその湿原に炎を生み出すと、顔を下にしたまま、頭ごと突っ込んだ。ラスコは驚愕の表情で、背後から腕を回して彼の身体を掴むと、炎から遠ざけた。
「ちょっと! 火傷しますよ?!」
「寒いんだよぉ!!! 見るな! 近寄るな!! あっちへ行けぇええ!!!」
「駄目です! リルの身体なんですから!!!」
ラスコは暴れるリルイットを懸命に引っ張って、そのまま後ろに倒れ込んだ。リルイットに潰されるように身体を打った。
(重っ!!)
何とかそのまま横にリルイットを倒して脱出すると、ラスコは起き上がった。
「落ち着いてくださいよ……」
とラスコがリルイットの顔を見ると、唖然とした。
「え?!」
全くの別人だった。顔は火傷したように真っ赤にただれて、その皮膚はボロボロだった。その顔は、とにかく醜かった。でもリルイットの面影はある。
リルイットは泣きそうになりながら、その顔をすぐに隠した。
「リル…?」
「ぅう……うう………うう………」
リルイットは顔を両手で覆うと、その手の平から炎を出した。
「ちょっと…!」
数秒炎を当てると、リルイットの顔は元通りの美しい顔に戻った。そのまま頭にも炎を当てて、髪の毛を乾かした。どうやら火傷はしないようだ。あっという間に濡れていた箇所はなくなって、完全に乾ききった。
「……」
リルイットは落ち着きを取り戻すと、ラスコの方を見た。驚いたような、困ったような、悪い夢でも見せられたような顔だ。
それを見てリルイットは、辛そうに俯いた。
「確かに寒くなってきました。家を建てましょう。少し待ってください」
「……」
ラスコは植術で、大きな大きな木を生やした。この木を家代わりにするようだ。イグの呪術のように、秒で作るというわけにはいかなかった。
それでも数分経つと、完成したようだ。木の根本には扉があって、それを開けると中は小さな部屋になっていた。
扉も中の家具も、全て木製だ。といっても、中にあるのは小さな椅子と机だけだ。柔らかい藁で作られた寝床もある。布団は綿花で作られた綿100%のものだ。
「入りましょう」
リルイットはうんと頷くと、その家の中に入った。そしてその小さな椅子に腰掛けた。
「お腹が空きましたね。食べたいものはありますか? 野菜か果物だけですけれど」
「……」
「では適当に出していきますね」
ラスコも椅子に座ると、机の上にいくつかの食べ物を生み出した。いちご、バナナ、それから、きゅうりににんじん、トマトだ。野菜をつけるための味付けハーブも生み出し、木のお皿に置かれた。
「リルが焼いてくれれば他の野菜を出してもいいですけれど」
「いや、これで充分だ」
リルイットはふとトマトを手にした。まるまる育った真っ赤なトマトだ。
「いただきます…」
そう呟いて、リルイットはトマトをかじった。甘酸っぱい、だけれど甘みの方が強かった。鼻には土の匂いが広がる。
リルイットはむしゃむしゃとトマトを丸かじりにした。手に水分が垂れないように、気をつけて食べているようだった。
すると、ラスコは言った。
「あの……さっきはごめんなさい。私が水をかけたせいですよね……?」
リルイットはちらっと目だけ動かして、ラスコの方を見た。リルイットはいつも青い瞳だった。だけれど彼は、真っ赤な瞳をしている…。
「やっぱりお前で間違いないや」
「はい?」
「トマト、美味いな……」
「はぁ…」
ラスコの話はスルーされ、リルイットはただ美味しいと、そのトマトや他の果物たちを食べきった。
「ごちそう様」
「お口に合って良かったです」
ラスコは彼に向かって優しく微笑んだ。それを見たリルイットも、同じように微笑み返した。
「お前は誰だって、聞いたよな」
「え…?」
「お前はリルイットじゃないって。一体誰なんだって」
「はい…」
ラスコが何度聞いても、彼は自分もリルイットだと言い切っていた。なのに改まって、やっぱり違うとでも言いだすのだろうか。
「俺は…」
リルイットが話を初めて、ラスコは息をゴクリとのんだ。
「俺は、リルイットの『炎』だ…」
「……?」
彼女は「うん?どういうことなの?」という顔だ。まあでも、無理もないか。
「俺は何千年も前に、この世界を一度燃やした。その時の炎だ」
「……」
「その時俺は、スルトという魔族の『炎』だった」
その名を聞いたラスコはハっとした。知っていた。他の魔族たちの神話の話と一緒に、聞いたことがあったのだ。初めて名前をつけた、ユッグドラシルから。
「スルトは魔王に命じられ、神を殺そうと世界を焼き尽くした。人間も動物も自然も、一度は皆、俺の力で燃えて死んだ。燃えずに生き残ったのは、神様、魔王、そして共に戦った数匹の炎の魔族だけだった」
「……!!」
世界の終焉の日、ラグナロク。そのおとぎ話は、ラスコも聞いたことがある。
「ユッグは死んだんですか…?」
『炎』はうんと頷いた。
「ユッグを殺したのはスルトだ」
「……」
『炎』は話した。それはラスコが聞いたおとぎ話に似た物語で、だけれどそれよりも遥かに鮮明なものだった。
スルトは黒色の巨人で、灼熱の国に住んでいた魔族だった。そしてスルトは、魔王を除けば、その世界で1番強い魔族だった。
「その時代、最も強い力であると言われていたのは、熱だった。全てを燃やして無に出来る火の力。極限を越えた熱は、弱点と言われていた水さえも蒸発させることができた。だからスルトは、魔族の中で最強だった」
「……」
「だけどスルトは、自分の強さにはあまり興味がなかった。興味があったのは外見だったんだ」
「外見…?」
「スルトはすっごく醜い姿だったんだ。肌は全部真っ黒で、顔もブサイクで、ぽっちゃりと太っていた」
「そうだったんですね…」
ユッグドラシルに話は聞いたことはあったが、その姿までは知らなかった。
「魔族は外見に興味がない。でもスルトだけは違った。スルトは自分が醜いことが何より憂鬱だった。そして代わりに、美しい姿のモノが皆大嫌いだった。当時はそれを表す言葉さえ魔族は知らなかったけれど」
『炎』は語る。何千年も前に生きていた、1人の魔族の話だ。
「ある日、スルトの前にユッグがやってきた。スルトも初めは美しいユッグが嫌いだった。だけどユッグと接するうちに、ユッグのことが好きになっていったんだ」
(それって……)
ラスコは思い出した。リルイットが話してくれた、夢の話を。そこではリルイットはブサイクで、美人の女に恋をすると。
「ユッグは『美しい』と『醜い』の意味を知っていて、それをスルトに教えた。魔族って奴は知らない言葉が多いだろう。
スルトは驚いたよ。自分が気にしていた外見を指し示す言葉があり、それをユッグを理解していることを」
スルトは驚き、それと共に羞恥した。ユッグに醜いと思われていることが、恥ずかしくて仕方なかった。
ユッグは一度だって、スルトをそんな言葉で罵ったことはないし、馬鹿にしたことも気にしたことも無い様子だった。だけどスルトはそれでも耐えられなかった。
だけどスルトは、ユッグに恋をしていた。魔族が恋をするなんて当時は前代未聞だった。今だって極々少数だろう。魔王は『愛』を嫌っていて、魔族の心にそれを作らなかったし、絶対に教えなかった。
だけど『愛』とは、無からも生まれるものなんだ。その気持ちの名前がわからなくとも、スルトの心には確かに生まれた。ユッグを愛する気持ち…愛したいと願う、気持ちが。
俺はその時スルトの『炎』で、ある意味スルトでもあった。俺には人格はあるようでない。スルトが好きだというなら、俺もユッグが好き。それは自然な思いだった。
だけどスルトはどうしても、ユッグに気持ちを伝えられなかった。自分みたいな醜い生き物が、どの生き物よりもずば抜けて美しいユッグを、まさか、想っているだなんて、口が裂けても言えなかったんだ。




