殺したがりの少年
殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい!!!!
ザク ザク ザク ザク ザク
ナイフで犬を、ひたすらに刺し殺している映像だ。
『ああ! これだ! これ! これ! これ! これ!』
レノンは既に死んだ真っ白い犬に、ザクザクと短剣を刺し続ける。最初は飛び上がった血飛沫も、もう勢いをなくしていた。
それはレノンの快楽だった。
誰かが美味しい食べ物をバクバク口に入れるようなものだった。
誰かが1日中大好きなサッカーで遊んでいたいのと一緒だった。
誰かが愛する人とキスをして抱き合うのとも同じだった。
それが幼いレノンの唯一の快楽だった。
レノンの前にはズタボロにされた犬の死体が転がる。
名前はマックス。確かそう言っていなかったっけ。
その他にもレノンは、ゴルドに許可された様々な人間を殺していた。レノンの目には人間は害虫のように映っていた。人間が虫を殺すのと一緒なんだ。でもレノンはそのことに幸せを感じる。だから彼は、人を殺したくって、たまらない。
レノンの記憶には死人しかうつらない。彼はよく覚えているようだ。人間を殺した瞬間を。絶望の表情で悲鳴を上げるのを。
レノンの記憶を探ろうとしたイグは、その残虐行為を見て、一旦手を離した。
(何だよこれ…)
イグはゴクリと息を呑んだ。
他人の記憶を読んだことは数え切れないほどある。ゴルドに命令されたからな。記憶を読んで情報を得るもよし、記憶を消して都合をつけるのもよしだ。
記憶を読むっていっても、生まれてから今までそいつに何が起こったか、全部見れるわけじゃない。記憶はどいつのものも断片的だ。昔のことは皆忘れるからだ。本人が忘れたものを見ることは俺にもできない。まあでも断片をたどれば、大体のことはわかる。
(クソイカれ野郎が……)
過去は見たくない。だけど最初から辿らないといけない。
そうでなければ、必要な情報も見逃してしまう。
やむを得ず、イグはもう一度、レノンの頭に手を触れた。
『お父さん! お母さん!』
レノンの前には幸せそうに笑うゴルドとネルムがいる。両親はまだ若い。レノンが生きていた時の記憶に違いない。
(……?)
イグは探る。それは彼の記憶の奥深くに隠されている。
奥に突っかかっているものを、引っ張り出すような感覚。
『レノン、お前が殺ったのか…?』
『お父さん……』
レノンは死んだ犬の前にいる。手には短剣を持っている。レノンが犬を殺したのは一目瞭然だ。
レノンは焦った。無我夢中で殺していて、後のことを考えていなかった。幼い彼は、自分は一体これからどんなお咎めにあうんだろうと考えては、冷や汗を垂らした。
しかしゴルドの反応は予想外だった。
『楽しかったか?』
レノンはびっくりした。びっくりしたけれど、本当のことを言おうと思った。
『……うん』
『そんなにマックスが嫌いだったのか?』
『ううん。大好きだった』
『そうか! それなのに殺したかったのか』
『うん……』
ゴルドは終始笑っていた。レノンは唖然とした。
単純に、どうして怒らないんだろうと疑問だった。
『あっはっは! やっぱり俺とネルムの子だなあ〜! こりゃあいい!』
『な、何で笑うの…? 怒らないの…?』
『怒らないさ! 死んだのが母さんだったら、ちょっと困ったけど。体裁ってやつがあるからな! マックスで良かったよ〜! あっはっは!!』
『……』
レノンは不審な目で父親を見つめた。
『なあレノン、人間を殺してみたくないか?』
ふとゴルドは彼にそう尋ねた。レノンは2つ返事で答えた。
『殺してみたい!!!』
レノンは父親の寛容さに感動した。
そのあとレノンは、自分の殺人衝動に関してベラベラと話をした。ゴルドはそれを楽しそうに聞いていた。内容がそんな恐ろしいことじゃなければ、それは息子が父親に自慢話をしているだけの微笑ましい構図だった。
レノンは嬉しかった。
自分が受け入れられた。
『まあでも、殺す時はもっとうまくやらないとな。それに人間相手じゃそう簡単にはいかない。お前はもっと、強くならないとな』
『うん! 人間が殺せるなら何でもする!!』
ゴルドはレノンを服従し、完全に自分の手駒にした。
ゴルドはレノンが強くなるために師匠をつけてくれた。
その師匠はイグも知っていた。イグを鍛えたのもそいつだったからだ。
『これをあげよう、レノン』
『うわあ〜!!』
それは美しく磨かれた黒い柄の真剣だった。ゴルドからレノンへのプレゼントだ。
レノンは元々戦闘の才能があったようだ。父親からもらった真剣を使って、家の庭でも剣の練習に励んだ。毎朝毎晩素振りを続けた。
(強くなれば、殺せる! 人を! 殺したい! 殺したい!)
殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい!!
レノンは満面の笑みを浮かべながら、家の庭で剣を振った。家の窓からネルムとゴルドがその様子を見ている。
『あの子、突然どうしたのかしら』
『ああ、騎士団に入りたいと相談されてな。俺の知り合いに頼んで、特訓してもらってるんだ。毎日家でも一生懸命頑張ってるね』
『まあ! そうだったの!』
何も知らないネルムは、その後もレノンを応援した。
そんな狂った家族の光景を、イグは呆然と見ていた。
頭のおかしい息子、それを利用しようとする父親はもっと頭がおかしい。
だけどレノンは……そう、父親に忠実だった。
服従されていなくても、忠実だった。
自分を受け入れてくれるのは、父親だけだからだ。
『今度は誰殺す?』
『ピーター・マグリン』
『また父さんの息子? あっはっはっはっは!! 一体何人いるのさぁ〜父さんの息子殺すのもう10人目だよ』
『数撃ちゃ当たると思ったが、なかなかいい突然変異術に巡り合えないなあ…。お前の方がよっぽど優秀だ』
『あはは! そう? 僕は術なんて何にも使えないけど!』
『その代わり優れた戦闘能力がある。これからも頼むよ、レノン』
ゴルドはそう言って、レノンの頭をクシャッと撫でた。
その時の綻んだレノンの顔はイグには見えないが、想像がついた。
イグも同じように、頭を撫でてもらったことがある。
父親の大きな手で頭を撫でられるのは、本当に優越感だよな。
なあ、レノン…。
レノンはゴルドの貴族の体裁を守るために産まれた子供だと気づいていたが、それでも彼の右腕として働く自分は彼の本当の息子だと信じてやまなかった。
その日もレノンにとっては幸せな日になるはずだった。
結界師一族の惨殺を頼まれた。
イグもその時初めて彼と言葉を交わした。
イグもよく、覚えていることだ。
レノンの視界にイグが映っている。レノンにとってはイグなんて、また父の実験で作られた子供の1人としか思っていなかった。本当の子供は自分だけだと、愛されているのは自分だけだと、そんな風に思っていた。
そしてその日、レノンは死んだ。
『成功じゃ! ほっほっほ!』
知らない年老いた男の声だった。
映像はない。声だけだ。
レノンは目を閉じているに違いない。
『はっはっは! やっぱりな! いい死体だと思ってたんだよ!』
ゴルドの声だった。
そしてレノンはゆっくりと目を開いた。そこはどこかの研究所だった。レノンはベッドの上にいた。突然の生還だった。まだ身体が動かない。かろうじて頭を少し横にして、部屋の中に目を向ける。知らない老人とゴルドが話をしているのが見える。
(父さん……?)
『いいのかね。お前の子なんだろう?』
『ああ。もう代わりはいるからさ。今更いらないよ。好きにしていいよ、ケイネス』
『ほっほっほ。ならそうさせてもらうとしよう』
『それじゃ、俺はもう帰る。あの鳥を貸りるぞ』
『インヴァルバードじゃ』
『何でもいいよ』
ゴルドは速やかに研究所を立ち去ろうとする。
(ま、待って…父さん……)
声が出ない。身体の自由がきかない。レノンはゴルドの顔を必死で見つめた。
すると、ゴルドはレノンと目を合わせた。確実にその時、目が合った。
(父さん……)
しかしゴルドは、レノンを無視して立ち去ってしまった。レノンは愕然とした。
(……)
見知らぬ老人は、目を覚ましたレノンに近寄った。
『目覚めたか。記念すべき死体シャドウの10体目じゃ! さあ、わしがお前の主、ケイネス・ヴェルバクトロじゃ!!』
丸眼鏡をかけたひょうきんな老人は、ドヤっと腕を組んでレノンを見た。その頃にはレノンも、やっと動きを取り戻してきた。
『おじいちゃん、誰?』
『………』
『僕の父さんは……どこに行ったの……』
『?! お前、記憶があるのか?!』
ケイネスと名乗った男は非常に驚いた様子だった。
(何と、死体シャドウに記憶があるなんて、初めてじゃ!!)
『僕の父さん……どこ……?』
『ゴルドはもうここにはおらん。お前は今日からわしのシャドウじゃ』
『嫌だよそんなの。父さんのところに帰して? じゃないと…』
『うん?』
『おじいちゃんのこと、殺すから』
レノンは割と本気だった。しかしケイネスはまるで動じていなかった。ケイネスの眼鏡がキラリと反射する。
『そういうわけにはいかん。お前のわしのもんじゃからな』
『はあ? うざ。決めた。もう殺す』
レノンはさっと起き上がってベッドの上に立ち上がると、よぼよぼのケイネスの顔を蹴りつけようと試みた。
『たわけ』
しかしケイネスは俊敏に低くしゃがんでそれを避けると、レノンに足払いをくらわせた。
『はぁ?!』
避けられるわけないと高をくくっていたレノンは、完全に油断して尻もちをついた。
(何なのこの爺さん!!)
『何じゃ、もう終わりかの』
『んの! もう超怒った! 絶対殺す!!!』
レノンはちらりと研究所を見まわして武器を探す。しかし剣は見つからない。
『これかね。探し物は』
ケイネスはレノンの剣を放った。それはイグが作ったものではなく、ゴルドにもらった剣であった。イグが作った剣は、もうとっくに消されている。
レノンはその剣の鞘をすぐさま抜いて、素早い身のこなしでケイネスの研究所内を跳び回って翻弄すると、ケイネスの背後から斬りかかった。
(捉えた!!)
背後から、左肩から右下へ真っ直ぐ! よぼよぼの心臓、切り裂いてやるっ!!!
ケイネスを殺す残像が浮かんだ。レノンの殺人衝動は健在だった。興奮してよだれすら出る。
しかしレノンの剣がケイネスの左肩に触れた時、異様な感触を得た。
(は?!)
超弾力のあるゼリーのように、ぐにょんんんと剣がケイネスの身体に沈んだ。だがそのゼリーは、全くもって斬ることができない。
(嘘! 何これ!!)
ケイネスの柔らかな身体は、アメーバのように剣を包んで飲み込んだ。剣はレノンの手からするんと離れてしまった。
『ちょっと! 返してよ!』
『ほっほっほ! 無駄じゃ。わしの身体もまたインヴァル! 誰もわしを傷つけることなどできん!』
『何なのもう! だったら最初から避けなくていいじゃん! 意味わかんない!! インヴァルってなんだし!』
『ほっほっほ』
結局レノンは、ケイネスを殺すことができなかった。
『まあちっと落ち着いて、そこに座らんか』
『もう……』
ケイネスは研究所の自分の机の引き出しから、ペロペロキャンディを取り出した。ニコちゃんの顔が書かれた、グレープ味の紫色の棒付きキャンディだ。
『ほれ、キャンディをやろう』
『もう!』
レノンはそれを奪い取ると、怒りながらも案の定口に入れた。
それからレノンは、自分がどうして生き返ったのかの話を聞かされた。
呪人の核、それを体内に入れた人間は、魔族と交配できる身体になるらしい。それはケイネスの発明ではなく、シピア帝国という別の国が行っていた研究だそうだ。
知人の魔族アルテマは、その研究資料を全て模写してケイネスに渡した。興味を持ったケイネスは、自身の研究と並行してその核を入れた人間の研究も行うことに決めた。
『アルテマよ、この核、どうやら死体にも入れることができるようじゃ』
『ほう』
ある日ケイネスは、その実験を死ぬほど行って、死人復活をさせることに成功した。別の実験で死んだ人間や魔族の死体を利用し、核を試しに入れてみたのだ。
すると、魔族は100%、人間は10%の確率で、死体が復活し、動き出すことが判明した。
『ケイネス、お前が夢見た蘇生術か叶ったじゃないか』
『いやいや。完璧な蘇生とは言えぬ。こいつら、生存時の記憶もないし、遥かに頭が悪くなっとる。わしを主人だと思って、何でも言うことを聞くのはよいのだがな』
『ふうむ』
姿は生前のまま、だけれど中身はポンコツで、それ故に従順な新しい生物。
そしてケイネスはその存在を、蘇りし影と意を込めて、『シャドウ』と名付けたという。




