焼け野原
イグの記憶を全て継いだシルバは、涙を流していた。
僕は何も知らなかった。
何1つ。
僕は確かに、少なからず怒っていた。
ラッツの仇討ちの相手も目の前にいるし、イグがそれに加担していたのを黙っていたことまでわかった。
でもそんな怒りは、くそくらえだ。
そんな風に、僕は思ってしまっている。
イグもシルバが泣いているのを見て、同じように涙を流した。
シルバは呟いた。
「そっか。僕の雷は、やっぱりイグの怒りだったんだ」
「え…?!」
「イグは怒っているんだね…」
イグは首を横に振った。
「俺は怒ってなんかない…。俺はもう、一度大きく絶望した。諦めた。そうしたら、吹っ切れた。何もかも」
「嘘だよイグ。イグは僕にも、怒っているんだよ…」
「そんなことねえよ。俺はお前を自分だと思ってる。お前とマキが幸せになることが、俺の望みだ」
「そんなわけない…!!」
シルバは声を荒げた。
「どうして命令してくれなかったの! マキに嫌われるように振る舞えってって!! 僕は何度も聞いた! こんなことしていいのかって! 結婚する時も! マキを抱く時も!」
「……おい、落ち着けよ」
「僕はイグの命令には逆らえない。でもそれを嫌だと思ったことはない! 僕が何のために生まれたか、イグは知ってるの?!」
「何って…身代わりにするためだよ。施設から脱走するために…」
「違うよイグ。イグは人間だからわからないかもしれないけどね、僕は呪人なんだ。どんなに人間らしく作っても、心の核だけは心臓には出来ない! 核は呪術師の心だ。僕の核はイグの心だ。僕はイグの心を満たすために生まれたんだよ! だから君の欲求となる命令には全て答えるの! 答えたいの! 僕には好きな子がいるよ。確かにいる。でもね、呪人にとってご主人様は、好きな子以上に大切なんだ! 僕の命よりも、大切なんだよ…!」
「シルバ……」
シルバの涙は止まらない。イグはその時初めて、呪人の存在と誕生と、彼らの核の重さを知る。
「僕の存在がイグを傷つけるなんて、そんなこと絶対にあっちゃいけない!」
イグはもう何も言えなくなった。シルバがここまで自分のことを想っているとは知らなかった。想う心が、あることも。
パチ パチ パチ
これまで黙って見ていたレノンは、雑な拍手をし始めた。笑いを堪えきれない様子で、うずくまるシルバを見下しながら、近づいていく。
「あっはは!! 変わった呪人だね!! こりゃすごいや! 主人にここまで服するなんて、一体どれだけ従順なの!!」
「服してなんかない! 僕は自分の意思で、イグのことを…」
「はぁ?」
レノンは冷え切った目で彼の目の前までやってきた。
「何言ってんの。呪人はただの呪術師の奴隷だよ。人間まがいに生み出されたからって、図に乗るなよ。お前はこの男の作った、ただの奴隷だ」
「……」
シルバは腹部を抑えたまま、喪失とした瞳でレノンを見上げる。紫色の血が、今も溢れている。
(駄目だ……このままじゃもう…多出血で僕は死ぬ…)
「シルバ……」
イグも気づいているんだろう。僕の力が消え入りそうなのを。
「じゃ、さっさと君を殺して、君のご主人様も殺そうか」
「っ!!」
レノンは無垢な笑顔を取り戻すと、左手の剣をシルバに向けた。
ドクン
【憎悪】
シルバの脳裏に低く淀んだ声が響いた。シルバはすぐに察する。この声は、僕が飲んだ、血の主だと。
(あげる。あげるから…)
最後に、力を貸してよ……。
「うん?」
レノンは顔を引きつらせた。
その瞬間、シルバとレノンに向かって雷が落ちた。それは橙色にも光った炎に酷似した矢の如く、一直線に落雷した。
(自滅する気?!)
レノンは咄嗟にワープを使った。
彼が消えたあとも、落雷は止まらない。何発も、いや何十発も撃たれると、彼らの潜むその森を襲った。
(シルバ?!)
轟く雷鳴と落雷はほぼ同時だ。激しいフラッシュが次々に目を眩ませる。イグもその衝撃で木から放り出された。
「ぅわっ!!」
すると、目に見える電気の塊が彼を包んで、彼を浮かせた。そこに痛みはない。電圧はゆっくりと彼を下ろし、地面に着地させると共に、彼の痺れを吸い取った。
(動ける!!)
いや、だからって…
まだまだ雷は落ち続ける。そこら中の木がなだれ倒れて、森が破壊されていく。倒れた木の上からまた雷が落ちて、木々たちを粉砕していく。
(この中でまともに動けるかよ!!!)
イグは両手を前に出して、一歩も動けずに雷の終わりを待った。雷がイグの上に落ちるということはない。雷は自然と彼を避けている。吹っ飛んだ木々がぶつかりそうになると、イグが避ける前に雷がそれをかばうように打ち消した。
「おい、やめろ! シルバ! レノンはもういない!」
しかし、シルバが攻撃をやめることはない。
(命令を効かない?! いや、この雷は…)
シルバは既に倒れていた。意識はない。だけど目を閉じた彼のその顔は、にっこりと微笑んでいる。
【憎悪】
シルバの脳裏で、シルバは憎悪と対峙する。
「違うよ」
【何も違わない。お前の憎悪だ。我が食らうのは憎悪のみ】
「そうかな」
憎悪はシルバの心を食らう。その力は最大まで増幅する。
だけど雷を落とすのは、僕の意思だ。
【間違いない。お前の憎悪だ】
「ふふ。僕は怒ってないよ」
【なら何故雷は止まらない。お前の意思に反して、憎悪が溢れ出し、暴走しているからだ。わかるだろう】
「いや。違うよ。僕は自分の意思で、雷を落としている」
【……?】
しばらくして、森が完全に焼き野原になると、雷は止んだ。イグは雷に守られて完全に無傷だ。唖然としてその情景を見ている。
シルバはそのままそこに倒れている。まだ死んではいない。でもイグにはわかる。彼はもう、長くない。
「あ……」
シルバの身体が消えた。一瞬で消えた。
「ぅう……」
イグは口を手で抑えた。涙が溢れた。
死んだ。
もう1人の自分が……死んだ。
何も残らないはずのその場所には、何かがある。
(何だ……)
イグはおそるおそる、シルバが消えたあとに近寄った。そこには、まるで稲光に包まれたような、電流を帯びた白い手の平くらいの大きさの欠片が転がっている。
(核………?)
あり得なかった。呪人が死んだあとに、その核だけが残るなんてことは。
でもその欠片は、シルバの核以外に考えられなかった。
雷はシルバの力だった。俺が付加したわけでもないのに、勝手にこいつが手にした力だった。
理屈はわからない。でもこの雷が、シルバの核を残した。
イグは恐る恐るその核に手を触れた。
(!!)
バチバチバチバチバチバチ!!!
激しい電流がイグを纏った。イグの体内に電気を帯びた核がそのまま入っていく。
「なっ」
バチバチバチバチ!!!
「痛った!!!!」
全身を酷い痺れが襲った。身体中を駆け巡る電流、まるで生きているかのよう。
「ぅう……」
しばらくすると痛みは消えた。シルバの核も、自分の中に消えた。
「何なんだよ………」
その場にはイグ以外、誰もいなくなった。焼け野原の真ん中に、イグは1人立ち尽くす。
「や〜っと終わった!」
レノンがどこからともなくふっと現れると、ふぅ〜とため息をついた。雷が止むのを見計らっていたようだ。
「あ、死んだんだね。馬鹿だねえ。君、僕らの作った薬を飲んだね? とうとう魔王様の血に耐えられず、怒りを爆発しきったってとこか〜」
レノンは剣を構え、イグを見据えた。
「じゃあ第2回戦、始めようか!!」
レノンは笑いながら、イグに襲いかかった。その剣を突き刺そうと、肘を引いて後ろに真っ直ぐ振りかぶった。するとイグがレノンの真後ろに瞬時に移動した。レノンは驚いた。その驚きもつかの間、その槍でレノンの左腕を斬り落とした。
「んぎゃっ!!」
レノンは落ちた左腕を見ると、イグの方を振り向き、驚きと憤懣に満ちたその目を大きく見開いた。
(瞬時に移動した?! 速すぎる! あり得ない!!)
「おらっ!!」
イグは光速で槍を振るう。腕を失ったレノンはそれを受ける剣を持っていない。そのまま倒れ込むように避けると、片手で全身を持ち上げ身体をよじり、イグに蹴りかかった。
しかしその蹴りは弾かれた。見えないバリアが張られている。
「馬鹿な!! 何で結界がっ!! 術が使えるわけ…」
レノンはハっとした。ここはもう焼け野原だ。
(あの呪人……森を壊すために、雷を…っ!!)
レノンは片手で身体を押し出し、半転して起き上がる。そのまま後ろにもう2回転しながら飛び退いて距離をとるが、イグは瞬時にその後ろを取る。背後に現れた彼を横目で見ると、レノンはゾッとした顔を浮かべた。
(高速結界!)
イグは結界術を使っている。自身にだけ張った付加結界は、ラッツのそれと同様、身体能力を異様に飛躍させるものだ。
イグはレノンの背中を蹴り飛ばした。槍で心臓をさして殺してもよかった。でもまだ殺すには早い。イグはそう思っている。
「お前は強えが、俺のが強え。能力勝負じゃ圧倒的だ」
レノンは勢いよく飛ばされた。受け身をとる前にイグは、レノンの後ろに高速で回り込む。そのままもう一発腹を蹴り上げた。
「ワープはインターバルがあんだろ? およそ1分そこらか…さあ、あと何秒いたぶれるかな!」
(っ!!)
ワープのこともバレている…。ただシルバとの戦闘を見られていただけじゃなかった。考察された。僕の能力を…!
レノンは全身の痛みに悶絶した。左腕が死ぬほど痛い。蹴られた勢いで吐きそうだ。
(負ける……?! 僕が……?!)
レノンは空中に飛び上がった。
ああ、空は真っ黒だ。
僕の心みたいに、真っ黒だ。
「終わりだ! レノン!!」
イグはその手に槍を持っていた。レノンは殺されると思って目を瞑った。しかしイグは槍を使わなかった。背後から首の側面に手刀を食らわせ、ワープで逃げられる前に意識を失わせた。
レノンはその焼け野原の上にバタリと倒れた。
「ハァ……ハァ……」
イグは息を上げながら、レノンが気絶したのを確認して安堵した。しかしこれで終わりではない。
「さ、死ぬ前に情報をありったけ吐いてもらうぜ」
イグはレノンの頭を鷲掴んだ。




