君のためなら
イグは、すぐに気づいた。
マキが、シルバに惹かれていることを。
イグは、シルバがその日の訓練を終えて家に帰ったあと、マキのところに行った。
「マキ……」
「何だイグ。やっと帰ってきたのか」
「俺と結婚しよ……」
「だから、しないって言ってるだろ……しつこいやつだな」
「……」
もう何回も振られていて、もう口癖みたいになっていて、マキももうネタみたいに思っていて、俺の告白を適当にあしらっていた。
「何で私と結婚したいんだ」
ある日マキは俺にそう尋ねた。
「好きだから」
「何で好きなんだ。会ったばかりでプロポーズなんて、おかしいだろ」
「……」
「何だよ。答えられないのか。どうせお前は、私をからかっているだけなんだろ」
俺は胸を掴まれるような思いで、でも彼女に何も話すことができなくて、ただ彼女を見つめることしかできなかった。
(何だよ…その顔は……)
マキもイグが何も答えないので、ああ、やっぱり自分を馬鹿にしてるだけなんだと思って、口を尖らせて彼を睨むばかりだった。
毎朝マキとシルバは早朝訓練をして、2人の仲がどんどん良くなっていく様子を、俺は隠れて見ていることしかできなかった。
マキは完全にシルバに惚れている。傍から見てりゃ、よくわかる。
あんな照れたような顔……俺に一度でもしたことがあっただろうか…。
やがて冬の終わりが近づいて、エーデル大国は明日のお祭りに備えて準備中だ。
マキはその日の朝、いつも通り訓練を終えると、シルバに言った。
「お前、明日の祭り、誰かと行くのか?」
「うん! 幼なじみの子と行くんだ〜!」
「あ……そう………」
(マキのやつ、シルバを誘うつもりだったのか……)
俺もそんな2人を遠目からこっそりと見ていた。
「マキは誰かと行くの?」
何も知らないシルバは穏やかな笑みで彼女に尋ねる。
「わ、私はそんなものに興味はない! 行くわけがない!!」
マキは慌ててそう言って、彼の元から去った。
マキはズカズカと、誰もいない、城の園庭を通り抜けていく。
「おい」
俺は彼女に声をかけた。彼女はビクっとして、こっちに振り返った。
「な、何だ…イグか」
「祭り、俺と行こうぜ」
「は? 何で私がお前と…」
「いいから、行こうぜ!」
「ったく…」
俺は何とか彼女と祭りに行く約束を取り付けた。時間を決めて、マキの家の裏庭に集合した。
「お前、人前に姿を出すのか?」
「いや、出さないけど?」
「はあ? それだと私、1人で祭りに来てる変な女に見え……」
マキが怒った様子で言うのを遮るように、俺は彼女の手を握った。すると、マキの姿が裏庭から消え、そこには誰もいなくなった。
俺の透過結界に、彼女を引き入れたのだ。透過結界に入ったもの同士は、互いの姿は見ることができる。肌の色が何となく薄い透明になるので、透過結界がかかっていることは中からもよくわかる。
「行こうぜ!」
イグは嬉しそうに祭りの中へとマキを連れて行った。
「おい。手、離せよ」
「無理無理。離したら透過結界発動しねえし」
「そうだったか?」
「そうだよ」
まあ、嘘だけど。
(懐かしいなあ〜……)
あの頃に比べて、マキの手は成長しているはずなのに、俺の手が大きくなりすぎて、彼女の手がすごく小さく感じた。
「見えてないから何も買えないぞイグ」
「ああ、買う時だけ結界解くからお前買ってきて」
「何だよそれ……」
マキはぶうぶう文句を言いながら、出店で食べ物を買った。
それも結界内に持ち込んで、俺も美味しくいただいた。
「手繋いでたら食べられないぞ」
「まあ確かに」
しばらく彼女の手を握った俺は満足して、彼女の手をやっと離した。
「おい、離せるじゃないか!」
「ああ、そうだよ?」
「ちっ! くだらない嘘をついて!」
マキは怒りながらたこ焼きを突っついて食べていた。
しばらく祭りを楽しんだあと、マキは俺に尋ねた。
「何でお前は、姿を隠す?」
「さぁ〜何でだろうねぇ」
「真面目に答えろよ」
「う〜ん。対人恐怖症だから?」
「ちっ」
マキはイグがはぐらかすことに、非常に苛立っていた。
「何でお前は素性を明かさないんだ」
「さぁ〜何でだろうねぇ」
「だったら結婚しようなんて言うなよ。お前はいつもそうやって、自分の話をしない。そんなやつと結婚なんて、できるわけないだろ」
「……」
イグが黙り込んだので、マキも何となく気まずそうに顔を背けながら言った。
「だって……そうだろ?」
「まあ確かにな」
「だったらもう少しくらい、お前のことを教えてくれてもいいのに」
「……」
ごめん、マキ。それは出来ないんだ。
俺が許されているのは、お前と話をすることだけ。
ただ、それだけなんだよ。
「うわ〜! また負けた〜!」
「あはは! 余裕なんだわ!」
すると、祭りにやってきているシルバの姿を見つけた。射的をして遊んでいる。隣には、幼いツインテールの女の子がいた。
「シルバじゃん」
「うん……」
シルバとその女の子は、楽しそうに笑い合っている。
俺は知っている。シルバがあの女の子のことを好きなのを。
「楽しそう……」
「だな〜」
俺がちらっとマキを見ると、案の定ショックを受けたような顔をしていやがる。
はぁ……と、俺は心の中でため息をついた。
「行こうぜ」
「え……ああ……うん……」
俺はもう一度彼女の手を握って、そこから離れるように彼女を引っ張った。
「ちょっと! 手を離せって」
「マキ……」
マキに手を振りほどかれた。マキはつらそうな表情を浮かべている。
「シルバが好きなのか…」
「……」
「あいつは人間じゃない。俺が作った呪人だぞ?」
「……」
マキはしばらく黙ったあと、答えた。
「でも、シルバは私に全部話してくれた」
「はあ…?」
「養子で施設にいたことも、そこから貴族の家に引き取られたことも、その家の死んだ息子の代わりとして育てられてきたことも」
「おい……」
「その息子が目指していた騎士に、自分もなろうと努力していたことも、全部…全部だよ!」
「マキ……」
「お前は何も教えてくれないじゃないか! そんな奴を信用なんて出来ないよ」
「……」
マキにそう言われて、俺は愕然とした。
「シルバを好きになっちゃいけないか? 人間じゃないから? お前よりもよっぽど人間らしく、頑張って生きてるよ。こそこそ隠れたりなんかしないでさ!」
「……」
俺が喪失とした表情を浮かべているのを見て、マキもちょっと言い過ぎたかもなんて思ったんだろう。そんな顔を、していたからさ…。
「マキ……」
「何だよ……」
「結婚、させてやるよ、シルバと…」
「はあ?」
「お前のこと、幸せにしてやるから」
「……何言ってるんだ?」
俺は何かが、吹っ切れたんだ。
マキは、俺じゃない、もう1人の俺を選んだんだ。
そうだよ。だって俺はもう、シルバじゃないんだから。
「結婚?!」
「そ!!」
驚くシルバに、俺はそう言った。
「でも俺、籍ないから。代わりにお前がマキと籍入れろよ」
「……」
「何だよ。嫌なのか? 言っとくけどお前に拒否権なんて…」
「ううん。嫌なんかじゃないですよ。ご主人様こそ、そんなことしていいんですか?」
「別にいいだろ」
「だって、僕がマキさんと結婚してるって、街中の皆がそう思うんですよ?」
「別にいいだろ」
「う〜ん…。まあ、ご主人様がいいなら、いいですけど……」
呪人のシルバは、俺の言うことは絶対だ。俺に同情までするなんて、本当に人間らしくなったもんだ。
「なぁイグ、本当にこんなこと……いいのか……?」
「いいんだよ。シルバは俺の呪人なんだから」
「でも…シルバは私のことを、好きなわけじゃないだろ…」
マキも半ば無理矢理、彼と結婚させられたようなものだった。
「一緒に暮らしてりゃ、そのうちお前を好きになるだろ」
「……」
「そうしねえと、あのガキにシルバをとられるぞ?」
「それは……嫌だけど……」
そうして2人は、晴れて結婚をした。2人共内心では偽物の結婚だと思っていたかもしれないが、とりあえずはそれでいい。
式を上げて、指輪をつけて、2人が簡単に離れられないように、鎖をつけてやっただけだ。
狂ってるって?
ああ、そうかもな。
俺さ、もうずっと前から、ちょっと狂ってるんだと思うよ。
人間、絶望したらさ、頭がおかしくなるらしいよ。
だから最後にもう1回だけ、シルバにお願いをしたんだ。
マキと子供を産んでほしいって。
シルバは心臓以外は完全に人間だ。俺の身体のコピーだ。
だからシルバとマキに子供ができたら、俺との子供だと言ってもまあおかしくはないだろうか。
シルバは命令には逆らえない。
シルバもマキを愛してはいないんだろうが、嫌いと好きなら絶対好きなはずだ。そもそもあいつは、俺がマキを好きだと知ってる時点で、マキを恋愛対象から完全に外したに違いないんだけどな。
だからシルバは最後まで、本当にそんなことしていいのか?って、俺に何度も聞いてきた。
「言いっつってんだろ。夫婦なんだから、それなりに経験しとかねえと、何かあった時に偽装結婚だってバレたらどうすんだ」
「そ、それはまずいけど〜……」
「もう俺とマキは何回もやってんの。お前なんてただの息抜きだよ。遊びだ遊び」
「ほ〜……まあ、ご主人様がやれっていうなら、僕はやるしかないから〜…」
こいつはアホだから、適当なことを言ったら納得した。俺とマキが、そんな関係になんてなれるもんか。
本当は…なりたかったけど…。まあいいよ、お前も俺だ。
俺はもう、そう思うことにしたんだ。
あの日から、シルバはお前なんだって。
そう、思うことにしたんだ。
だってそうじゃないと俺、全部ぶっ壊して、自分もマキもシルバも、皆、死ぬような気がしたから。
マキももちろん、俺がその話をしたら頑なに拒否していたんだけど、実際に大好きなシルバと2人きりになったら、拒否なんて出来なかったみたいだ。
「……」
俺はその日、覚悟を決めて、2人が愛し合ってる様子を、こっそり見守ることにしたんだ。
すげえよ。
まるで、俺がマキと抱き合ってるみたいだった。
こんなに興奮した日はねえよ。
興奮しすぎてゲロが出そうだった。
それは言いすぎか。
そんな俺の身体は半透明で、まるでこの世に生きていない存在のように思えた。
俺は透明人間で、シルバは呪人。
俺たちはもう人であって、人ではないのかもしれない。
これまで俺は、どんなに辛いことがあっても、絶対に涙なんて流さなかったのに
その日俺は、声を殺して、泣いて、
泣いて、泣いて、
泣いたあとに、ふっとマキの顔を見たら
すっごく……幸せそうで………
ああ、良かったって、思って、
俺は最後に、笑ったんだ…。




