目覚める人格
ラスコは巨大樹木から飛び降りた。リルイットの変身が急に解かれて墜落した。ラスコが気づいたのはリルイットに矢が刺さったあとだった。見たことのある矢だ。エルフが使っていたものだ。
墜落時に敵の姿が垣間見えた。ステラに薬を飲ませた茶髪の少年だ。弓を構えていた様子はなかった。矢を単体で投げ入れたのだろう。
空中に放られたラスコは植術で巨大樹を生やし、自分とリルイットをキャッチした。イグとシルバは遠くに飛ばされていたが、イグがシルバを捉え、術を使っているのが見えた。死んではいないはずだ。
「リル! リル!」
巨大樹の手に握りしめられたまま、リルイットは気絶している。
(まさか…昏睡状態に?!)
そう言えばこの前も、エルフの矢に刺されたあと気絶してしまったと言っていたっけ…。
すると、突然巨大樹が力を失い、枯れ果てるように消えてしまった。
「え?!」
リルイットもその手から離れ、地面に落ちていく。
「あわわわ! ちょ、ちょっと!!」
ラスコは何とか彼をキャッチするが、勢いが強すぎて尻もちをついた。
「痛たたた……」
ふと目を開けて、彼を見る。完全に昏睡している。
「嘘でしょうリル…」
こんなところで…。いや、それよりも…。
ラスコは愕然とした。植術が使えないのだ。
そのせいで巨大樹木が力を失って消えてしまったようだ。
植物と話もできない。ポニーも出せない。索敵も不可能。リルイットは昏睡状態。背負って歩くのも至難の業。身動きすらとれない。完全に絶望的な状況となってしまった。
「イグさんたちが来てくれるのを待つしかありませんか…」
ラスコはリルイットを横たわらせ、しばらくその場に留まった。
森は深い。上空から見るだけで相当な広さだった。
見渡す限り濃緑の葉の木が連なる。道と呼べる道はない。
道の高さも一定ではない。数十メートル先は崖のように下りになっている。身1つだとしても、自由に移動することすら困難だ。
地面には雑草が生え、大きく成長している。折れた枝も多く散乱し、森の手入れは良好とは言えない。
カサカサ
「?!」
枝が擦れる音がした。明らかに誰かがいる。
怯えるラスコの前に現れたのは、巨大な人食い魔族のラフレシアだった。
(魔族?! か、勘弁してください!!)
ラフレシアは朱色の花びらの、巨大な華の姿の魔族だ。その花びらの中央はノコギリの歯のような口になっている。
ラフレシアには目がない。鼻も耳もない。人間の言葉も話せない。
人間を見つけたら食べる。動物も食べる。彼らは必要以上に食い荒らす。まるで快楽のための食殺だ。深い意志はない。故に戦争以前から危険魔族とみなされていた。
(非常にまずいです…!)
植術の使えないラスコの戦闘力は、ただの一般人と同じでほぼ皆無だ。そんなことはお構いなしに、ラフレシアはその歯をガタガタ鳴らし、2人に近づいてくる。
彼を置いて、逃げることなんて出来ない。ラスコはそのままリルイットを庇うように抱きしめ、目を閉じた。
シュウウウウウウ
(え……?)
煙が上がり、消え去るような音だ。ラスコはハっとして後ろを振り向いた。
ラフレシアが完全に燃えきっていた。一瞬だった。一瞬であの巨大花が、燃えきることなんて可能なんだろうか。まるで消滅したように、跡形がなくなった。
「どけよ」
「っ!」
リルイットに言われて、ラスコはハっとして彼から離れた。冷たい声でそう言い放たれ、ラスコは命が繋がった喜びも忘れて、ただ愕然とした。
「はぁ………」
リルイットはため息をついた。豹変したように冷たい目をしていた。その目はいつもの彼の美しい水色ではなく、たぎるような真っ赤な血の色だった。
「リル……?」
明らかにいつものリルイットではなかった。ラスコは一瞬恐怖すら感じた。やがてその頭に角が生え始め、その腕は獣のように変化した。その見た目は明らかに魔族に近いものだった。
「うん? お前がラスコか…?」
「……」
リルイットは冷ややかな目でラスコを見た。前のめりになって、顔を近づける。ラスコはもう目の前の彼が完全にリルイットではないと悟った。でも、だったら彼は誰だというのだろう。
でもその美しい顔は確かにリルイットのものだ。眼前に彼の顔が来ると、反射的に顔が赤くなる。
そして何となくだが、彼が自分に殺気を向けてはいないことがわかった。ラスコは彼と目を合わせたまま口を開く。
「あ、あなたは誰なんですか…」
「リルイットだよ」
「あなたはリルじゃありません! それとも変な冗談ですか?!」
「うるさい奴だな…本当にお前がラスコか?」
「ラスコですよ!」
「ふうん……」
リルイットを名乗るリルイットの身体をしたそいつは、ラスコを上から下までじろりと見回した。
「あ……」
「なんですか! じろじろと!」
リルイットはラスコの首元の痣を見つけると、目を大きく見開いた。ラスコもその痣を見られたことに気づいた。リルイットは彼女のその痣にそっと手を触れた。
「熱っ!!」
彼のその手の熱さに驚いて声が出た。火傷するギリギリ前くらいの痺れるような痛みだった。
「ああ、ごめん。温度調節を誤った」
「何するんですか!!」
「まあだけど、お前がラスコで間違いなさそうだ」
「だからそう言ってるじゃないですか!」
すると、リルイットは彼女の肩に手を置き、彼女にキスをした。
「?!?!」
ラスコはあまりに突然のその出来事に、身動き1つとれなかった。
(リルに、キスされた…???)
リルイットは数秒唇を押し付けたあと、彼女から顔を離した。
その後放心して顔が真っ赤になった彼女を見て、彼は嘲笑うかのような笑みを浮かべた。
「な、な、な、何するんですか!!!」
「何ってキスしただけだろ」
「何でキスするんですか!!! 意味がわかりません!!!」
「何だよ。嫌だったのか?」
「い、い、……」
(嫌なわけないじゃないですか…! いや、でも絶対この人リルじゃない! リルに憑依したお化けです!! 勝手にリルの身体を使ってこの人…!!)
「嫌に決まってるじゃないですか!!!」
「ええっ?!」
ラスコに拒否されて、リルイットは驚いたような表情だった。
「な、何でだよ?! 俺の顔、めちゃくちゃかっこいいだろ?! これほどのイケメンにキスされて、何で嫌なんだ?!」
「はああ?!?!」
ラスコは単純に苛ついた。中身がリルだろうと、リルじゃなかろうと、もはやどうでもいいくらい、イケメンのナルシスト発言は、彼女が最も嫌っていたものだった。
「何なんですか?! ふざけてるんですか?! 私のことをバカにしてるんですか?!」
「な、何でそんなに怒るんだよ…。意味がわかんねえよ……」
「意味がわからないのはこっちですから! さっきからずっとですよ!!!」
ラスコが鬼の剣幕で怒ったので、リルイットは完全に恐縮した。
(本当にこの子がラスコなのか…? いや、でも痣が確かにあった。形もまるで一緒だ。あの子以外にあり得ない)
だけど…
それにしちゃあ、あんまり似てねえな。
それに、彼女があんなに怒ったところは初めて見た。
どうしてだ。せっかくこの顔を手に入れたのに。
ラスコはリルイットを無視してズカズカと歩いていく。
「どこ行くんだよ」
「イグさんたちを探すんです! 方向的にはこちらでしたから」
「ふうん…」
すると、ラスコは思いついたように言った。
「リルさっき炎を出してましたよね? もしかして術が使えるんですか?」
「使えるよ。術じゃねえよ。そもそもな」
「ならどうしてエルフの矢で変身が切れたんでしょうか。術師のエネルギーを吸い取られたからのはずでは…」
「まあ、まだ使いこなせてねえってことだろうな。リルイットが」
「やっぱりあなたはリルではないのですね」
「いや、リルイットだけど…」
「もう! 何なんですか!」
ラスコはずっとプンプンとした様子だ。馬鹿にされているのか、ふざけているのか、何なのか。
「だったらその力でイグさんたちを探してくださいよ!」
「イグとシルバか。それは断る」
「はあ? 何でですか?」
「あの男共とラスコが仲良くするのは気に食わない。あいつらとはもう話すな」
「はあ?! 何言ってるんですか?! 頭おかしいんですか?!」
「俺は心配してんだ。お前があいつらのどっちかを好きになるかもしれない。それは許さない。お前は俺の女なんだから」
「は〜〜ぁ?」
もはや意味がわからなすぎて、ラスコは素っ頓狂な声が出た。
何を言っているんだ。いや、何て言ったんだ? うん? 何と言われたんだ?
「シルバと仲良くベンチでパンを食べたり、イグとは流星群を見たりしていた」
「それだけじゃないですか…」
「俺はそれが嫌なんだよ」
「どうしてですか」
「お前のことが好きだからに決まってんだろ」
「はあ?」
この人は、誰だ?
私は一体あと何回「はあ?」と言えばいいんだろう。
「だから、シルバとイグのところには行かない」
「何でですか! 何でそうなるんですか! 状況わかってますか? 魔族の地グロンディアバレットに墜落したんですよ?! 危険なんですよ?!」
「知るかよそんなこと。大丈夫だよ。お前が死ぬことはない。俺が守ってやるからさ」
「じゃあイグさんとシルバさんはどうなるんですか! 2人も私と同じで術が使えなくなっているかもしれないんですよ?!」
「使えなくなってるだろうな。この森一帯に、術師が力を使えなくなるウイルスが飛散してる」
「ええ?!」
何でそんなことがわかるのか。そう聞いたら、感覚としか教えてもらえなかった。この人は本当に、誰だ?
「それじゃあやっぱり合流して助けないと!」
ラスコがそう言うと、リルイットは立ち止まり、彼女をキッと睨みつけた。いつもの彼なら絶対しないような大変訝しげな目つきだ。
「な、何ですか…」
「お前、どんだけあの男共のことが心配なんだよ!! 好きなのか?! どっちかを!!」
「はあ?! そんなわけないじゃないですか! イグさんはマキさんと結婚してますし」
「じゃあシルバは!」
「シルバさんは……好きな人がいますよ。誰かは知りませんけど」
「……」
(何なんですか本当に…。私に嫉妬ですか? あり得ないでしょうそんなこと! この私に嫉妬なんて! 絶対にあり得ません!!)
『お前のことが好きだからに決まってんだろ』
どういう意味なんですか?
どうして私を好きなんですか?
「とにかく、イグたちは放っておけ! 男なんだ! 自分で何とかするだろ!」
「そんな無責任な…自分だけ術が使えるからって…」
「いいから!」
リルイットはラスコのことを抱えると、赤い翼を生やして空に飛び上がった。ラスコはびっくりして彼にしがみついた。リルイットはそれを見て、嬉しそうに笑っている。
「どこ行くんですか!」
「マキを取り返すんだろ。案内しろ」
「本当にイグさんたちを置いていくんですか?!」
「そうだっつってんだろ」
何を言っても無駄のようだ。リルイットはラスコをあの2人に会わせるつもりはないらしい。
(彼は正気に戻るんでしょうか…)
とはいえ、マキのことも気になる。情けないが1人で森をうろつくこともできない。マキを助けて彼女の力を借りる方が効率が良さそうだ。
(どうか無事でいてください……イグさん、シルバさん……)
ラスコは祈るように両手を合わせた。そのままリルイットたちは研究所を目指した。




