ペルセウス座流星群
それから1年も経たぬ間に、私の引き取り手が見つかった。
エーデル大国の貴族で、娘を欲しがっているらしい。貴族たちが養子を引き取るのは、珍しいことじゃないんだ。
そのことはすぐに、施設の皆に知れ渡った。もちろんシルバにも。
どうせシルバは、私がいなくなってせいせいするとか、そんな台詞を吐くんだと思っていた。だけど実際は違った。何も言ってこなかった。話をしにも来なかった。目が合うと、目をそらされた。
それから数日経って、いよいよ明日この施設ともお別れという日になった。振り返ってみると、これまで一緒に過ごした先生や皆と別れ、長年住んだこの施設を出ていくのは何とも名残惜しい。
シルバとも、もう会えないのだろうか。
結局彼とまともに話もせぬまま最後の夜が来てしまった。この私だって、お別れの挨拶くらいはしたいって思うのに。
私は就寝部屋の布団の中に入った。電気が消灯した。
私は眠れなかった。きっともう1時間くらい経った。さすがに皆はもう眠りについたのだろうか。そりゃそうか。今日が最後だとそわそわしてるのは私だけだ。皆にとってはただの普通の夜だ。
静かな夜だった。まあでも、いつもそうだった。皆が寝息をたてる音が聞こえる。私ももう眠らないといけないか。
すると突然、腕を掴まれたのを感じた。
「ひゃっっ!!」
大きな声を出したのに、寝ている皆は誰1人気づいていない。
「シルバ!」
私の腕を掴んだのはシルバだった。暗くて見えなかったけれど、私は彼の透過結界とやらに入っているらしい。それに入ると、透明人間になって、外には声も聞こえないんだという。
「話そうぜ」
私はシルバに腕を引かれて、就寝部屋から連れ出された。先生たちの寝ている部屋の前を通り過ぎた。そのまま私達は外に出た。外には背の高い街灯が立っているし、月も出ている。だから部屋の中よりも外の方が断然明るかった。そして今日は、満点の星空だ。
「何なんだよ、いきなり」
「悪い…」
何だかいつもと様子が違う。謝るなんて珍しい。私の心臓はもちろん、高鳴っている。
「明日だろ」
「え?」
「ここを出ていくの」
「ああ、うん…」
シルバは歯を噛み締めて、どんな言葉を発しようかと躊躇っている様子だった。私は黙って彼の言葉を待った。
「あのさ……」
「何だよ」
「会いに行っていい?」
「は?」
シルバは間違えたか?という様子で、私から目を反らした。でも私は、彼から目を反らさない。
「だから……俺もいつかここを出たら…マキに会いに行っていいかって…」
「別にいいけど…」
「〜〜……」
シルバはまだ何か言いたげだ。満を持して、ずっと言いたかったその言葉を発した。
「好きだ」
「は…?」
私は彼と目を見合わせた。彼のこんな顔は見たことがない。
いつも喧嘩腰で、意地悪で、私と同じくらい目つきの悪い彼の、こんなにも照れきった顔なんて!
そして私も彼と、同じくらい真っ赤な顔をしているのだろうか。
「好きだ……」
「……」
もう一度その言葉を言われて、私の心も完全に確信していた。
私も、シルバが好きなのだと。
「……」
私も…って、言おうと思った。でもそれを言う前に彼、私にキスをしたんだ。
唇と唇が触れただけの、ほんの一瞬のキスだった。
シルバは私から顔を離した。そして私の呆然とした顔を見ては、ふふっと笑ったんだ。
びっくりして、声が出なくなった。だから私、彼に何も伝えられなかった。
するとイグが、空を見ながら呟いた。
「あ、流れ星」
「え?」
私はハっとして、空を見上げた。流れ星は見当たらなかった。
残念がっていると、再び流れ星が落ちた。
「あ!」
そのまま空を見ていると、流れ星が次々にやってきた。それは一筋の光の線を描いて、一瞬のうちに消えてしまう。
「流星群か」
「願い事しねえとな〜」
「早すぎて無理だろ」
流星群なんて始めて見た。すごく綺麗だった。彼と見るから、尚更。
「願い事出来たぜ!」
「本当かよ」
「ほんとほんと!」
「何て」
「内緒だよ、そんなの」
「何だよそれ…」
結局彼は願い事が何かは教えてくれなかった。
しばらく眺めていると、流星群は終わってしまった。
「寝るか」
彼は満足したような顔つきで、私の手を引くと、就寝部屋に戻った。私は彼の透過結界の中にいる。
シルバはまた、あの時みたいに私の布団に潜り込んだ。
「マキ、おやすみ」
「……」
彼はそう言って、すごく幸せそうな顔で眠りについた。彼の手は透過結界を解いてもまだ、私の手を握りしめていた。
イグはテントの中で、目を開けた。
「………」
思い出は、美しい。
幼い俺とマキの思い出は、俺の記憶から消えることはない。
「マキ……」
マキの記憶は、もう俺のものだ。
俺以外はもう、知り得ない記憶にすり替わった。
それはもうマキ自身も、知らない記憶だ。
マキの記憶は、俺が消した。
『ミカケさんが忘れてしまったら、ズーが…可哀想かなあって……』
リルイットにそう言われたことを思い出した。
可哀想なんて言うんじゃねえよ…。
可哀想じゃねえよ…。
ズーだって、そんな風に思ったりするもんか。
ていうかズーはとっくに死んでんだよ。
ああ、うぜえ。
「……」
いいんだもう。マキはシルバにあげたんだ。
だってシルバはもう1人の俺だ。マキは俺と結婚したんだ。
だからいいんだもう。それで。
イグは再び目を閉じた。寝付けないのは夜型だからだ。そうに決まっている。
「くそっ!」
(いいんだ寝なくて! またリルの背中で寝てりゃあいい)
イグは仏頂面をして、寝るのは諦めてテントの外に出た。
「んあ?!」
「えっ」
外に出るとあのブスがいやがった。ブスって呼んでたから名前忘れちまった。何だっけ。ああそうだ。ブスコだから確か…ラスコだ。
ラスコはコテージの外につけたテラス席に座っている。俺が作ったわけだが、特に意味はない。
「何で起きてんだ」
「そっちこそ」
「ちっ」
舌打ちは癖だ。それぐらい、何かが常に俺を苛つかせる。
「眠れないんですか?」
「俺は夜型だって言っただろ」
「夜に寝たほうがいいですよ。この旅を機に生活リズムを直したらどうですか?」
「ちっ」
いちいちうるせえ女だな。こいつはあれだな。ブスじゃなくてもうざい。性格がうざい。ブスだと数倍にうざったい。
しかしテントに戻る気にもなれず、俺もラスコの向かいの席に座った。
「じゃあてめえが寝りゃいいだろ」
「寝ますよ。でもほら、見てください」
ラスコは空を指さした。確かに美しい星空だった。
「綺麗だねってか。乙女かよ」
「見ててください」
イグは仕方無しに空を見上げる。まもなく、空に一筋の光が落ちた。流れ星だ。
「来ましたね!」
「はぁ?」
すると、次から次へと流れ星が、空の上を駆け下りていった。
「ペルセウス座流星群です! 今日見れるって、リフリエルさんが教えてくれたんですよ! ああ、リフリエルさんは、エーデル城本部前にある1番大きな木ですよ!」
満天の空を描く星たちの上を通り抜け、右上から左下へ、あるいは上へと、流星たちは好き勝手に泳いでいる。
流線は色づいていた。細いネオンでピンクか、青か。あるいは白か。
「綺麗ですねえ。他の2人にも教えようと思ったんですけど、何だか疲れたみたいで寝てしまって。なかなか見れる機会もないのに。勿体無いですねえ」
ラスコの瞳にも星空が反射していた。時には流れ星を捉えた。それが見えるほど空は明るかった。
「ねえ、イグさん…」
ラスコは彼があまりにも無視するので、訝しみながら彼の方を向いた。
(え……?)
目を見張った。イグが泣いていたからだ。
『願い事出来たぜ!』
『何て』
俺はあの日願った。マキも俺のことを好きになれって。
願い事はあの日、確かに叶っていた。
でももう、叶わない。マキの中に、俺がシルバだった頃の記憶はない。
「イグさん……?」
ラスコは驚いて名前を読んだが、彼は答える余裕もなさそうだった。涙を拭いもせず、流星群をまじまじと見つめていた。身体は震えていて、声を殺しているのが伝わった。感動ではなく、悲しみで泣いているのだと、ラスコにもわかった。
「……」
ラスコはもう声をかけられなくなった。代わりに持っていた白いハンカチを彼の前にそっと置いた。
イグは何も言わずにそれを受け取って、涙を拭いた。
男の人が泣いているところなんてあんまり見ることもないし、ましてや涙なんて物凄く似合わない彼の、崩れるような顔を見てしまったから、すごく衝撃的だった。
しばらくすると、ペルセウス座流星群は終わりを告げた。
「ラスコ……」
「?!」
初めて名前を呼ばれたので、ラスコは驚いた。
「ありがとう……」
ハンカチのことを言っているんだと、ラスコは思った。
「いえいえ。まだ持っていますから、それはあげますよ」
「要らねえよ。ブスの使ったハンカチなんて」
「もう!!」
ラスコはハンカチを奪い返した。そしてまだ濡れている彼の顔を、そのハンカチで拭いた。イグは抵抗はしなかった。
「イグさんのせいで少し見逃しました」
「知るかよ」
涙を拭かれながらもイグは悪態をついた。よりによってこのブスの前で泣くなんて、俺もどうかしてる。
だけど、ラスコの貸してくれたハンカチは、すごくいい香りがした。詳しくねえから知らねえけど、何かの花の香りだった。
「寝る」
「眠れるんですか?」
「頑張る」
すると、ラスコは俺に、白い花のつぼみをくれた。ラスコは土があれば、花を咲かせられる。花咲かブスだ。まあこれはつぼみだけど。
「何だよこれ」
「眠り花のつぼみです。香りを嗅ぐとすぐに寝つけますよ」
「そんな簡単に寝れたら苦労しねえよ」
俺は悪態をつきながらも、そのつぼみを持ってテントに戻った。おやすみを言うのも忘れてた。まあブスだからいいだろう。
俺は寝袋に入ると、そのつぼみの香りを嗅いだ。
(何だこれ……)
信じられないくらいの眠気が俺を襲った。やばい薬かと疑った。でもそんな疑心を抱く間もないくらい、俺の瞼は重みを増して、気づいたら眠っていた。
物凄く心地がいい。
誰かに抱きしめられているみたいだ。
気のせいだとは思う。あるいは夢だろうと。
俺を抱きしめられる奴なんていない。
俺は透明人間だから。
ああでも今は、透明じゃなかったんだった……。
俺はもう、透明じゃない…。
だけどもう、シルバじゃない……。
俺はイグ。イグ・レックに、なったんだ。




