シルバとロッソ
シルバは部屋で眠っていた。いや、本当は眠っているフリをしていた。
雷の力を使ったのに気絶しなかった。こんなことは初めてだ。
だけどあの場にいたら、呪術で国を直さないといけない。イグがいないと僕には出来ない。だから気絶したフリをした。
「おい」
イグが部屋にやってきた声がしたので、ハっとして起き上がった。
「んだよ。起きてたのかよ」
「いや、その…」
イグはその部屋に入るなり、豪華な革張りの1人用ソファを出して、腕を組んではどーんと座りこんだ。
シルバは彼を見て、何だかポカンとした顔をしている。
「何だよ」
「何で僕の服着てるんですか? 髪も同じ色で」
シルバは自分の頭を指差して、お揃いの銀色を示した。イグは舌打ちをして、取るのを忘れていたそのウィッグを鷲掴んで外すと、さっと消した。
「何だ、カツラだったんですか!」
「うるせえな……」
ヘラヘラしているシルバを見て、イグは苛立ちを隠せなかった。しかし、イグは謝らなければならないことがある。他にも話は山ほどあったが、何よりもそれを、言いに来た。
「シルバ…」
「どうしたんですか? 改まって」
「ロッソが死んだ」
イグがそう言うと、シルバは目を見開いて、愕然とした表情を浮かべた。それを見たイグは、ズーが死んだ時のミカケのことを思い出して、一瞬口をつぐんだが、シルバに自分の記憶を与えた。
もう1人の自分、シルバ。こいつを作った時に、こいつが俺の身代わりをうまく演じられるように、俺の中の必要な記憶を与えた。またそれと、似たようなことをやっただけだ。
ナイゴラの滝での一部始終を、俺の映像記憶としてシルバに教えた。その時の俺の感情は、シルバには届かない。あくまで俺の見たものを、教えるだけだ。
ミカケがマキを襲ったことも、マキの腹の子が一度は死んだことも、その子を生き返らせるためにロッソが死んだことも、全部だ。
「……」
瞬時にそれを把握したシルバは、その目に一筋の涙をこぼした。
「シルバ…すまない……。俺がミカケを止められなかったから…」
「ううん。ご主人様のせいじゃないよ。そっか。ロッソは2人の子を守ったんだね」
銀髪の呪人の瞳からは、次々に涙がこぼれた。心臓以外は、人間と同じだ。悲しめば涙する。それは彼の核が、人間と同じように感情を持っているからだ。イグがそのように、彼を造ったからだ。
(ありがとう……ロッソ……)
ロッソの背中に乗って笑いあった日々を思い出しては、シルバの目から涙が溢れる。ロッソはすごく穏やかで優しくて、強くて頼れる最高のパートナーだった。
ご主人様に代わって施設で暮らした頃、そこにいる友達はご主人様の友達で、僕の友達ではないような気がしていた。
呪人の僕と初めて友達になってくれたのはロッソだった。出会ったのは施設を出てダドシアン家の息子になってからだった。いつものように庭で素振りをしていたら、ひな鳥の声が上の方から聞こえたんだ。
「ピイ!」
「え?」
何故かロッソは僕の家の庭の木の上に巣をこしらえていて、最近そこに住み始めたようだ。
するとロッソは、まだ小さなその羽を一生懸命動かしながら飛んできて、僕の頭の上に止まったんだ。
「ピィ!」
「あはっ。応援してくれてるのかな」
「ピィ〜!」
ある日僕が外でパンを食べていると、ロッソは木の上からピィ!と鳴いてこっちを見た。僕が食べる?と聞くと、こっちまで飛んできて、僕がちぎったそのパンをくちばしでつついては、美味しそう〜に食べた。
「よし、今日も練習頑張ろ〜!」
「ピィイ!」
ロッソは何をするわけでもないけど、何となく僕の下手くそな素振りを応援してくれているようだった。だから僕も、諦めないで剣を振り続けられたのかもしれない。あの頃はラッツにもまだ会っていなくて、レノン君の真似をしてお母さんを喜ばせるために剣を振っていただけだったからね。
ロッソの成長はものすごく早かった。1週間後にはもう鶏くらいの大きさになっていて、1ヶ月後には僕と同じくらいになっていた。ちなみに木の上の巣はとっくに要らなくなったみたいで、今は別の鳥が引っ越してきて使っているみたいだよ。
僕がラッツに会う頃には、巨大な大人の姿になっていたみたいで、あまりにも大きくて目立つんで、僕の家の庭までは来れなくなってしまった。たまに僕が街を抜けて広い平原に来た時には、呼ばなくっても僕のところに来てくれる。
その日も久しぶりにロッソに会おうと思って、国の外の平原にやってきた。
【シルバ】
「えっ? 誰?!」
【私ですよ。ロッソです】
「ロ、ロッソ?!」
その日突然、ロッソと話ができるようになった。一部の魔族が使えるテレパシーというものらしい。驚く僕を見てロッソは笑っていた。
ロッソは穏やかな口調の、落ち着いた大人みたいな魔族だった。それもそのはずだ。ロッソはもう、何千回も寿命を戻して1から繰り返して生きているんだってさ。ひな鳥に戻っても、これまでの記憶はもちろんある。僕の先祖の先祖の先祖よりもずっとずっと前から生きているんだ。だからもう高齢どころじゃないよ。超越した人生の先輩ってやつだ。
ロッソが初めて生まれたのはいつ?って聞いたら、数え切れないほど昔ですよって笑っていた。じゃあどこで生まれたの?って聞いたら、灼熱の国ですって言ってた。もちろん聞いたこともないけど、ものすごく暑いところなんだろうなってのは馬鹿な僕でもわかった。
その灼熱の国とやらの話も、僕はたくさん聞いた。そこには炎の魔族がたくさんいて、ロッソもそのうちの1匹として、魔王様に生んでもらったんだって。魔族を生んだのは神様ではなく魔王だという言い伝えはどこにでもあった。それが本当なんだろうなってことは、ロッソの話を聞いてよくわかった。
「ねえ、どうして僕の家の庭に来たの?」
【懐かしい匂いがしたので】
「うん?」
ロッソの瞳は、すごく大きい。僕の顔くらい大きい。黄色い宝石みたいだし、あるいは円鏡みたい。首を傾げる僕を、その中にくっきりと映していた。
【私のお友達の話をしましたよね】
「スルト?」
【はい。スルトのことが好きな魔族がいました。名前はオーディンと言いました】
「オーディンかあ〜。それで?」
【彼の匂いに、君はよく似ています。シルバ】
「へえ〜」
魔族ってやつは、鼻が効く。ロッソは鳥の姿をしているけど、魔族だからやっぱり鼻が効く。その嗅覚は、動物みたいに臭いを嗅ぎ分けられるのもそうなんだけど、それとはまた別の、明らかにその個体のみが放つ匂いを感じるんだって。魔族たちはそれを、血の匂いと呼んでいるみたいだ。
「僕は呪人なのに、そんな匂いあるかなあ」
【もしかしたら、あなたを生んだ人間の匂いなのかもしれませんね】
「ご主人様の匂いかぁ!」
確かそんな話をしたこともあったなあ…。懐かしいや。
「ロッソ、僕ね、好きな子がいるんだ」
ある日僕は、ロッソにラッツの話をした。ロッソはうんうんと飽きることなく話を聞いてくれた。呪人のくせに人間に恋するなんておかしいって自分でも思うんだけど、やっぱり誰かに聞いてほしくて仕方なかった。
【素敵ですね。私は恋などしたことありませんから】
「え? ないの? 何千年も生きてるのに、一度も?!」
【はい。魔族は基本誰のことも好きになりませんから】
「へぇ〜……そうなの…」
【はい】
ロッソは淡々とした顔でそんなことを言う。その時僕は初めて、魔族は恋をしないんだってことを知った。
「あれ、でもオーディンはスルトを好きだって」
【彼は珍しかったですね。魔族でしたが珍しく、恋をしていました】
「へぇ〜」
ご主人様と僕と同じ匂いがするらしい、オーディンという名の魔族。そしてオーディンが好きなスルト。彼らは一体どんな魔族だったんだろう。
「スルトはオーディンのことが好きじゃなかったの?」
【スルトは仲のいい友達だと思っていたみたいです。スルトは他に好きな魔族がいたんです】
「え! じゃあオーディンは片想いだったのか。へぇ〜。僕と一緒だなぁ」
【ふふ】
「結局スルトとは結ばれなかったの?」
【はい。好きだと伝えることも、なかったみたいですよ】
「そっか〜。そんなところまで僕と一緒か……。いや、告白すればいいのか? いや、でも僕は呪人だしな…うーん……」
【人間と呪人は恋をしてはいけないのですか?】
「え? さあ……何となく駄目かなって」
【そうなんですね。私にはよくわかりませんが】
「僕もよくわからないけど」
2人はそう言って、笑い合った。
僕がラッツを好きだと教えたのは、この世にロッソだけだった。そのくらい信頼して、そのくらい大切な、僕の親友だった。
(そっかあ……。もう生き返ることもないんだね…)
「シルバ? 大丈夫か…?」
ご主人様は心配そうに僕のことを見ていた。ご主人様が僕を心配するなんて珍しい。いつもお前は俺だなんて言って、酷い扱いしかしないから。
「はい。大丈夫ですよ」
「ごめんな……」
「いいえ。ご主人様とマキの赤ちゃんが助かって良かったです。2人の赤ちゃんの中に、ロッソも生きている気がしますから」
「……」
僕がそう言うと、ご主人様は何となく沈痛な面持ちだった。ロッソの死を罪悪感のように思っているんだろうか。そんな風には、思ってほしくはないんだけどなぁ。
「そう言えばご主人様、透過を解くことにしたんですね!」
僕はご主人様の記憶を見た。何故だか絶対に誰の前にも姿を見せなかったご主人様が、リルイット君たちの前でその姿を現していた。
「ああ。もうこれからは、透明人間になるのはやめた」
「おお! あ、だったら正式にマキと結婚したらいいじゃないですか! 僕の戸籍を返しますよ」
「それはいい。お前はそのままマキと結婚してろ!」
「ええ〜? まあご主人様がそう言うなら、もちろんそうしますけど…」
「あと、ご主人様って呼ぶのもやめろ。お前が呪人だと、世間にバラすつもりはない。敬語もやめろ。うざい」
「わかり……わかった…(敬語は今更すぎるような…)」
ご主人様の命令は絶対だ。反論はしない。くだらない質問もしない。それを聞くのはナンセンスだからだ。理由なんて、それだけだ。
「じゃあ何て呼べばいい?」
「イグでいいだろ」
「名字はどうするの? イグ・イグレックは変だよ」
「確かに」
そんなアホな会話に、僕もイグもぷっと笑ってしまった。
「じゃあ名字はレックにするか」
「適当だなあ!」
「何でもいいんだよ。名前なんて。俺は今日からイグ・レック。お前はシルバ・ダドシアン。それでいいだろ」
「ふうん…」
イグは姿を見せると宣言したあとも、僕に名前も戸籍も髪色もくれたままだった。
「イグがいいなら、そうしよう!」
「よし。じゃあお前はマキの所にさっさと見舞いに行け」
「わかった! イグは行かないの?」
「俺は後で行くから。とりあえずお前、先に行っとけ。旦那なんだから」
「わかった」
イグはその革張りソファを消し去ると、のっそりと立ち上がって、僕と一緒にその部屋を出た。
イグに命じられて、僕は本部にあるマキの部屋に足を進めた。イグの命令は絶対だ。疑問を抱く必要はない。どんなことでも。
(マキ、大丈夫かな……)
イグの記憶に映るマキの受けた仕打ちは、言葉にできないほど酷かった。あのまま赤ちゃんが死んでいたら、マキも死んでしまっていたかもしれない。
(ロッソ……本当に……本当にありがとう)
シルバはまた、その道中で涙を流した。ロッソは僕の大切な人たちの、新しい命に生まれ変わったんだ。
そう思って、僕は足早にマキのところに行ったんだ。
「マキ!」
どんな言葉をかけようかなんて考えながら、彼女の部屋の扉を開けた。
「あれ…」
しかし彼女がいると聞いていた部屋のベッドの中は、もぬけの殻だった。




