囚われるシェムハザ
シェムハザは安定期というやつに入っていた。
結局別の魔族も見つからなくて、俺もリルも交配をさせられずにすんだ。
って言い方は悪いか…。元々俺の研究なんだし……。
「何だよ…せっかくケーキ買っといたのに…」
「ごめんって! ウルとベンガルが店予約したとか言ってんだよ」
「まあいいか。友達は大事にな。2人によろしく」
「うん! 悪いな兄貴! んじゃ、俺は仕事行くから」
リルの誕生日だった。
俺はその日仕事が休みで、今夜のためにケーキも買ったし、食材もたくさん買ってごちそう作る気満々だったのに、彼はどうやら友達とパーティーするらしい。
まあ家族なんて、そんなものさ。
「リルは今夜帰ってこないのかい」
「そうみたいだな」
俺が座っているソファの横に、シェムも座った。
「パーティー楽しみだったのに、残念だ!」
「ごちそう食いたいだけだろ?」
「あは、バレてしまったか!」
すると、シェムは言った。
「ノアなんて、どうだい?」
「え…?」
「名前だよ、この子のさ!」
シェムはお腹を優しくさすった。
「初めてデートした博物館で見ただろう。ノア・クリスタル。あの鉱石は1番美しかった! だからどうだろう? あの鉱石のように、強く輝けるような子に育つようにさ!」
俺はすぐにうんと頷いた。
「いいじゃねえか。ノア・メリク。悪くねえよ」
「ふふふ」
シェムは笑いながら、すぐそばの俺の手を握りしめた。
俺もそれを強く握り返し、シェムハザを引き寄せると、キスをした。
妊娠してからも、俺は何度かシェムを抱いたものだ。
しかし悪阻が続いていたから、そんなこともなかなかできなくって、今日はその、数カ月ぶりだった。
「うん?」
窓の向こうから何だか気配を感じた。カーテンはしまっているはずなのだけれど…。
この前のピクニックの日もだけれど、何となく最近シェムといると、誰かに見られているような気がするんだよな…。
俺は窓の外を見にいったけれど、誰もいなかった。
(ま、気のせいか)
シェムハザがどうしたの?という顔でこちらを見ていたので、何でもないと答えた。
「変なフェン」
そう言って笑うシェムハザの顔を見ては、再確認する。
俺はもう、シェムハザなしでは生きられない。
そのくらい、シェムハザが好きだ。
「それは本当か、アルテマ」
そこは黒く染まった宮殿。この世には存在しないどこかの場所で、魔王は生きていた。
憎悪を食って、力を溜め込んでいた。
そこにやって来たピンクグレージュの髪の、美しき天使アルテマは、研究所に忍び込み調べたその情報、そしてシェムハザが妊娠し人間の男に恋に落ちたことも全て、魔王に話すのだった。
「ええ! 本当です、魔王様! シェムハザは人間との子供を妊娠したのです。そしてその人間を、愛しているのです!」
「………」
魔王が宿すその驚異的な憎悪の力を前にして、アルテマは目を輝かせた。
魔王は神と同じく黒い球体のような姿をしていたが、その怒りと共に、悪の化身のごとく姿を変化させていく。
背中には大きな悪魔の翼が生えた。
禍々しいオーラが魔王の棲む宮殿のすべてを破壊していく。
(何て力だ……!! これが魔王様の憎悪……!!! みなぎる……っああ! 私もこの憎悪の力をもっと手にしたいぃぃ!!)
「許さぬ…シェムハザ………」
魔王は怒り狂った様子で、シェムハザのところに向かって飛び降りた。
(くくく…愚かな天使シェムハザめ! 魔王様を裏切るからよ!)
アルテマも6枚の天使の羽を自身の背中から生やすと、魔王のあとを追っていった。
その日、ちょうど訓練が休みだったリルイットは、シェムハザと2人、家でだらだらとしていた。
ほんの少し膨らんできたシェムハザのお腹を眺めながら、リルイットは言った。
「なあシェム、聞いてもいいか」
「どうしたリルイット」
「そもそも何で、人間との子供を作りたいなんて思ったんだ?」
すると、シェムハザは笑って答えた。
「私はね、人間が好きなのさ。人間は頭が良くって、思いやりってやつがある。魔族にはない奥ゆかしさや、優しさを持っている」
「……そうかぁ?」
「魔族って奴は結構無慈悲だよ。心に愛がないからね。魔王様がそんな風に作ったのさ」
「……」
「ほとんどの魔族は人間になんて興味ないよ。だけど私は、もっともっと人間と仲良くなりたかった。人間と魔族の間に子供ができれば、私たち魔族も人間と、もっと仲良くなれる気がしたんだね」
「そうだったんだ……」
本当に出来ちまったってんだからな。恐れ入るよ。
シェムハザ、お前はただの馬鹿な魔族ってわけじゃねえんだな…。
(うん? 何だ?)
真昼だというのに、突然空が暗く淀んできた。
(あれ? 今日雨だったっけ?)
灰色の雲がどこからともなく湧いてきて、青空を覆い隠した。
するとまもなく、ゴロゴロと雷がなる音が聞こえてくる。
「おいシェム、何か外やばそうだから洗濯入れてくるぞ?」
と、シェムハザをちらりと覗きに行くと、シェムハザはぶるぶると震えていた。
「え?」
「リ、リルイット……ここから逃げてくれ……」
「はあ?」
明らかに様子のおかしいシェムハザを前に、リルイットは首を傾げる。
「く、来るんだ…」
「何がだよ」
「魔王様だよ…」
「はぁ?!?」
その時、家のドアが壊されるような激しい音が聞こえた。
「はいい?!?!」
リルイットがその方向を見たときにはもう、真っ黒い闇の腕が、シェムハザを捕まえていた。
(え……?!)
「くうぅっ」
シェムハザは顔を引きつらせ、苦しんでいる。
「ちょっ! なんだよこれ! おい! 離せよっ!!」
リルイットもわけがわからなかったが、とにかくシェムハザを助けなければと思って、その闇の手に掴みかかった。
「いっっ!!!」
触っただけで、身体を何かに蝕まれるような酷く強い力を感じる。痛いわけではない。ただ心が、黒く染まるようなこの感覚…血の気がひきそうだ…!!
「ああっ!!」
リルイットは咄嗟にその腕を離した。
シェムハザはその闇に引きずられて外へ出ていく。
やがてシェムハザはその意識を失った。
「シェム!! くそっ!!」
リルイットはそばに立てかけてあった剣を持って追いかけた。
外に出て追いつくと、その剣を大きく振りかぶった。
「んの野郎! シェムを離せっての!!」
そしてその腕を、ざっくりと斬り落とした。
斬った先からは炎が燃えている。
(何だこれ……火……? 何で?!)
外には見知らぬ悪の化身のような魔族と、ピンクグレージュの髪の魔族…羽が何か多いけど…その形からしておそらく天使が、こちらを睨みつけている。
(き、斬った……?! 魔王様の闇を……?! どうやって……?!)
その天使は目を見張っていたが、すかさずリルイットに攻撃を仕掛ける。
「邪魔をするな!」
燃え盛る炎の弾をその手から生み出すと、いくつも投げつけてきた。
「うわっ!!」
リルイットは避けきれずにそれを食らったのだが、何故だか痛みはない。
それを見て天使も、驚きの表情を浮かべる。
(何…?!)
(あれ……効かねえな…)
闇の腕はその間に再生すると、再びシェムハザを捕らえて空に飛び上がった。
「行くぞアルテマ」
「は、はい……!」
「おい! こら待て! シェムを返せぇ!!」
アルテマと呼ばれた天使は、最後までリルイットを睨みつけていた。
空を飛ばれては、リルイットにもシェムハザを助ける術がない。
「何なんだよ、あいつら!!」
そこに落ちている斬り落とされた後の闇の手は、その切り口から湧いた炎によって完全に燃え尽き、跡形もなくなった。
「何なんだよ……火事にはなんなかったけど……」
いや、それよりも……
「シェムが連れてかれちまった…! 兄貴に知らせねえと…!!」
リルイットは研究所に向かって走りだした。
シェムハザが目を覚ますと、魔王の宮殿にいた。
宮殿内は荒れた後のようだった。
手足を鎖で拘束され、はりつけにされている。
身動きは取れない。
「ま、魔王様……」
「シェムハザ……人間と子供を作ったとは本当か」
その憎悪が目に見えるほどに怒っている、自分の生みの親、魔王ゼクロームを前に、シェムハザは顔を引きつらせていた。
「本当です…」
スパアアンン!
闇の手がムチのように伸びてきて、シェムハザの顔を思いっきり叩きつけた。
真っ白い肌のシェムハザの頬が、一瞬で真っ赤に腫れ上がる。
「相手の男を愛しているというのは本当か」
嘘はつけない…。
つきたくもない!
「本当です」
スパアアンン!!!!
再び闇の手は、シェムハザの逆側の頬をひっぱたいた。
その勢いで首も一緒にもぎとれそうな思いだ。
「随分大切に育てたもんだな」
魔王はそう言うと、シェムハザのお腹を思いっきり蹴り飛ばした。
「ぎやぁっっ! やめてっ! やめてぇぇええ!!!」
腹部に恐ろしい激痛がはしって、シェムハザは愕然とした。
「赤ちゃんがあっ!! 赤ちゃんっっ!! ううっ!!」
「ハァ…残念だよシェム。君は堕天使にするしかない」
「っっ!!」
堕天使、それは天使でなくなることを意味した。
魔王の憎悪を取り込ませられ、力を得ることが出来るが、その思考は魔王のそれに従事する。
「憎悪をあげよう……シェム……」
ゼクロームはその闇で、シェムハザを染め上げていく。
美しいシェムハザの白い羽は、灰色に染まり、ヒラヒラといくつかは抜け落ちた。
顔色に生気はなくなり、その目は充血し、瞳の真紅と混ざって真っ赤に染まる。
(憎悪……これが憎悪……?! 何て……凄まじいっ……)
そして堕天使となったシェムハザは、その憎悪を抱え、やがて耐えられずに、ふっと気を失って倒れた。
「ふふ……本当に愚かな天使だ!」
アルテマがやってくると、シェムハザを見下ろすと、高らかに笑った。
「やはり人間を生かしてはおけないようだな」
「魔王様…」
「魔族をたぶらかし、子供を産ませ、長寿の道をも探っている…。やがてこの世界を牛耳ろうと企む神の下僕、人間…。いい機会だ、今ここで……根絶やしにしてやろう」
ゼクロームがそう言うのを聞いて、アルテマは目を輝かせた。
「人間を殺していいのですか……?」
ゼクロームは頷いた。アルテマはゼクロームの前にひざまづくと、懇願した。
「私にも……魔王様のお力をいただけないでしょうか…?」
「堕ちたいのか、アルテマ」
「その力、魔王様のために行使致します……」
「…いいだろう」
アルテマの顔は歓喜に満ちていた。
「手始めにあの国を滅ぼすか」
ゼクロームはつぶやいた。
そして、ゼクロームの命を受けた魔族たちは、シピア帝国に向かってその足を進めた。それは500年にも及ぶ人間と魔族の戦いの幕開けだった。




